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他人の批判で「私はダメだ」と思ってはいけない。自分のいいところを探せ!(後篇) [My Opinion]

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25年ほど前。脚本家をめざし、バイトしながらシナリオを書いていた頃。映画業界の人に、特にプロデュサーにシナリオを読んでもらうと、ある言葉で批判されることが多いのに気付いた。3つある。

1つめは「リアリティがない」

言い換えれば「現実味がない」「ウソっぽい」ということだ。最初はそう言われて、どうすればリアリティが出るんだろうと思い悩んだ。ところが、カタギの友人や映画ファンにも読んでもらうと「リアリティあると思うよ」という感想が多かったりする。

いろいろと考えて、物語にリアリティがないのではなく。そのプロデュサーに想像力がないのではないか?と思うようになった。例えば年配の人なら最近のSF映画とかは観てない。当時で言えば、せいぜい「スターウォーズ」止まり。だから、リアリティを感じないのではなく、その種の映像や設定を想像することができないだけ。という気がして来た。

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2つ目が「ひねりが足りない」

つまり、どんでん返しや意外な展開がないというのだ。確かにその種の物語はインパクトがあり、観客を唸らせたりする。が、一時期、ハリウッド映画のホラーはもう終わったと思わせて、まだ怪物は生きていた!ワーーという展開が多かった。最初は驚いたが、次第にまたか?!と思うようになる。

また、ミステリーでも「意外な犯人」とか「驚愕の結末」とかいうキャッチコピーで観て面白かったものはない。作り手も最後に驚かそうとして、意外な人物を犯人にするのだが、そんなキャッチを伝えば観客は最初から一番犯人ではないキャラを無理やり犯人だと推理してしまう。結果、物語を捻って、驚きを作ろうとしても、面白くならないことが分かって来た。

にも関わらず、シナリオを読んだプロデュサーたちはハリウッド映画がもうやらなくなった、その種の手法を求めている思えた。もっと言えば、一番大事なの物語自体。捻ることが大事なのではなく、いかなる展開を見せるか?だ。もしかしたら、その人たちは物語のよし悪しが分からない。だから、意外な展開、ひねりがあることが面白くなると安易に考えていると思えてきた。


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3つめが「よくあるパターンだ」

この批評にも最初は悩んだ。どうすれば、これまでと違うものが出来るのか? 確かにオリジナリティは大事だ。しかし、完全に新しい最初から最後まで斬新な物語なんてあるのか? 刑事ドラマは刑事がいて、事件が起き、捜査が始まる。すると、プロデュサーは「よくあるパターン」と否定する。

では、かつてない展開の物語であればヒットするのか? 友人でかなり前衛的なドラマのシナリオを書いた奴がいたが、こう言われた。「よく分からない」新しいものを書けば「分からない」定型で行くと「よくあるパターン」という。彼らの思考はどうなっているのか? 実は脳の性質と関係する。脳は何かを認知するとき、過去の記憶と照合して、それを確認する。

つまり、刑事ドラマであれば、「ダーティハリー」なのか?「リーサルウエポン」なのか? 「ダイハード」なのか? それらを当てはめてみる。その結果、似たところがあれば「よくあるパターン」と批判。照合できない場合、つまり斬新な物語である場合は比較できないので、認知できず「よく分からない」と結論する。

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どちらにしても、彼らは作品を認めることはない。そういう人に限って「よくあるパターン」という。その枠でくくれば刑事映画は全て「よくあるパターン」だ。主人公のキャラが違うとか、犯人が個性的だとか、その程度の違いなのだ。が、そこまで読み込める人はなかなかいない。

以上の3つの言葉「リアリティがない」「ひねりが足りない」「よくあるパターン」これはどんなシナリオや映画に対しても言える。そして、一見、それなりの批評をしているように聞こえるが、説明した通りで見る目のない人がいいがちな言葉だと気付いた。言い換えると「私は想像力がありません」「僕は物語の本質は見抜けません」「俺は見る目がありません」という意味にさえ思える。

それで楽になった。シナリオを読んで否定されても、その種の言葉を使う人であれば「ああ、この人に読む力はない。今後はシナリオを見せても意味ないな」と判断できた。そう、シナリオでも、原稿でも何でも、読んでもらうのは力量を判断されるので、緊張するし、批判されればショックを受ける。が、読む方も試されているのだ。読む力、想像力がない人は正当な批評はできず。自らの力のなさを露呈してしまう。

映画界に読む力がある人が少ない。

そう思えたので、映画以外の世界で働く人にもシナリオを読んでもらった。念のために補足するが「俺の素晴らしいシナリオを理解できる奴がいない!」というのではない。当時、僕が書いていた作品は未熟ものである。しかし、正当な批評をしてもらわないと、何が足りなくて、何が悪いか? どこがいいのか?を分からない。客観的に観て指摘してもらってこそ、実力は伸びるのだ。

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その後、出版、音楽、マスコミ、そして映画ファンの友人などにシナリオを読んでもらうようにした。帰国から5年後に脚本家デビュー。その後、監督した映画4本全てのシナリオは僕のオリジナルである。「太田監督の映画は毎回泣ける!」と多くの方が褒めてくれるが、デビュー前は否定の連続だった。今思うと、業界のプロデュサーたちに全否定されたのだから「僕にシナリオは無理だ」と諦めていてもおかしくない。

ただ、彼らの言葉の全てを受け入れなかったこと。そして批評をよく考えると、読み手に想像力がない、新しいものを理解できない。それに気付かず、上から目線でものをいい。自分の趣味と客観的判断をごちゃまぜにしている人たちだと気づいた。そんな人たちの言葉を信じる必要はないと思えたことが幸いした。

同じことは他の業界でも言えるだろう。「才能ないんじゃない?」「よくあるパターンだよ」「リアリティがないんだよね」そんな言葉で新人たちを否定する人は多い。いや、業界に限らず。想像力がない人、現実を知らない人ほど、安易に人を批判し、他人を否定しているところがある。人の言葉に振り回されてはいけない。自分のいい部分を探し、延ばすことで道は開けるだから。


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【他人の批判で「私はダメだ」と思ってはいけない。自分のいいところを探せ!】(前篇) [My Opinion]

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もう、20年ほど前になるが、アメリカ留学から戻り、映画監督デビューを目指してシナリオを書いていた時期がある。自分で考えたオリジナル・ストーリーをシナリオに。まだ、パソコンもない時代なので、原稿用紙に手書き。

夜、アルバイトを終えて帰宅。朝まで執筆。昼前に起きてバイトへ。という生活をしていた。が、シナリオを読んでくれる業界の人は少なく、読んでもらっても全否定の批評が返って来た。

最初の頃はショックで「やはり、僕は脚本家に向いていないのか...」と落ち込んだ。でも、何度もシナリオを見てもらっていると気づいたことがある。まず「才能ないんじゃない?」という人が結構いた。

日本の映画学校にいたときもそうだったが「俺、才能あるのかな?」とか「あいつは才能あるよ」という言い方をする者が多かった。ただ、彼らの言葉を集約すると「才能」があれば脚本家や監督になれるというもの。

「俺には才能があると信じたい」

そういって頑張る友人もいた。が、多くは「努力」をせず「才能」があるはずだから、やっていけるという発想。それは違うだろう。「才能」は「超能力」ではない。何の経験も努力もなくして感動できる物語が作れるはずはない。と僕は考えていた。

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あとあと正解であることが分かる。その話は以前に書いた。現在、映画監督として仕事をし、様々な業界で活躍する第一線のアーティストとお会いすると、まさにそのことを痛感する。「才能」なんてない。「センス」や「素質」を持つ人が物凄い努力をして素晴らしい作品を作るのだ。

なので当時から「才能」という言葉を使う人は胡散臭いと思えた。注意して聞いていると、そんな人は自分で何かを作ったことのない人が多い。そして「才能ないんじゃないの?」という人の多くは、僕が書いたシナリオに「魅力や興味を感じていない」という意味であることが分かってきた。

「シナリオがおもしろくない」というのは分かるが、作家に対して「才能」がないというのは、クリエーターとして根本的な否定。アーティストを目指す人たちは大いに傷つくだろう。

なのに、要は「趣味が合わないからダメ」ということなのだ。それを表現するために「才能がない」という言葉を無神経に使っているだけだと分かって来た。最初は「業界の人に全否定された....」と落ち込んだが、背景が分かってくると気が楽になる。

そして多くの人にシナリオを読んでもらうと、否定する人が共通して使う言葉があることも分かってきた。もちろん、僕のシナリオは大したものではない。否定、批判されて当然だ。が、批評を聞いていると「あれ?」「何で?」というものが多かったのだ。

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一般の人が映画を見て「なんか詰まらない!」「大したことない!」と批判するのは自由。だが、映画業界で仕事する人が同じレベルの批評をするなら問題だ。なぜ、詰まらないのか? 何がダメなのか? それを分析し、テーマを推察して、それに到達している、していないを判断。言葉にすることが、彼ら彼女らの仕事だ。

旅行に例えると「沖縄に行きたい!」と言っているのに「だったら、電車で行くのが早いわよ」とアドバイスしないし。「北海道に飛行機で行きたい!」というのに「それじゃ九州へは行けないよ」と批判しない。

つまり目的地(テーマ)がどこか?を把握しないと、批判もアドバイスもできないのだ。映画も同じ。テーマを把握した上で、それが描けているか?を判断するのが本来の批評。それができない人が業界には多いこと分かって来た。

「才能ないと何度も言われたけど、実は見る目がない人が多いんじゃないか?」

次第にそう思えて来る....。そんな人たちの批判を真に受けて、落ち込んでいてはいけない。プロだろうが、ベテランだろうが、業界の大手で働く人だろうが、当て外れな批判をする人たちの言葉を受け入れても、何らプラスにならない。そのことが分かって来た....。そして。

(つづく)


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キャラクターも実在の人物がモデルだったりする!? [インサイド・ストーリー]

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ストーリーだけでなく、キャラクターも実際に付き合いのあった人たちをモデルに作っている。鯛焼き屋「桜屋」のおばあさん・ウメさんは、ロケさせてもらった笹間のお店のおばあちゃんから話を聞かせてもらい、考えたキャラクターだ。役を演じる岡本ぷくさんは、店まで出かけておばあちゃんに会い、取材をした上で演じてくれた。

レンタル・レコードを始める北さんも友人をモデルにしている。彼はレンタルビデオ屋を1980年代半ばにスタート。本当に大儲けしている。当時は著作権がまだうるさくなくて、自分で買ったビデオソフトを店に並べてレンタル。発売元に手数料や著作料を払わないどころか、ベータのビデオソフトは全てVHSからのコピー。

レンタルされれば、全て利益というぼろい商売をしていた。店舗も増やし、1年ほどで数千万円の収入。その後、著作権がうるさくなってきたので、辞めて別の事業を始めた。実際、そのあとは大手企業が参入。個人のレンタルビデオ屋は次々に潰されていった。友人はその前。個人でも店を開けて、いちばん儲かる時期に営業して大成功した。

幸いにして、彼はサラ金から莫大な借金をして逃げ回ることはなく。レンタルビデオ屋業を辞め、命を落とすことはなかった。

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休まずに4年間。そろそろXデイ! 監督業は健康に構ってられないか? [全国公開]

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この数ヶ月。それほど親しくない人と会ったときに続けて、こう言われた。

「監督、太りましたね?」

最初の挨拶がそれ。見たまんまやんか? そんなことを言うことにどういう意味があるの? と思うが、ときどき、そう言う人がいる。「太った」「痩せた」ということで、どんな答えを期待するのだろう?

例えば、「髪が薄くなったねえ」「シワが増えたね?」「歳とったなあ」という人もいるが、それで相手が喜ぶと思っているのか? いや、そんな人は相手がどう思うか考えて発言するのではなく、自分が感じたことを言っているだけのことが多い。それなら「元気そうだね」とか「疲れ気味じゃない?」というふうに相手の健康を気遣う言葉をいうべきだと思うのだが、見たまんまを口に出す人が結構いる。

が、そんな話を書きたいのではなく、「監督、太りましたね?』と言われるが実は、この10年で今がいちばん痩せている。この数ヶ月の宣伝ツアーで飯を落ち着いて食べる時間もなく、歩きながらコンビニ・サンドウィッチを食べたることが多かった。その上、寄る年波(?)で昔ほど量を食べられなくなった。40代までは疲れたとき、がんばらねばならないときは「カリオストロの城」で負傷したルパンくらい飯を食っていた。

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それが今では1人前の料理を完食すると、かなり苦しい。あと、ハンバーガー等のファーストフードを食べなくなったこともあるのか? 1年前より5キロ体重が減った。この10年で一番痩せている。といっても、これで標準かもしれないが、それなのに「監督、太りましたね?」という人がいて、他人の目は信頼できないものだと改めて思う。

ただ、もしかしたら年齢のせいで食べれないのではなく、疲労困憊で食欲不振なだけかもしれない。或は何かの病気で食べれなくなったのかも? 前作「朝日のあたる家」の企画スタートから4年。休まずに2本の映画を撮り、宣伝でも走り回っている。

その前の4年を終えたときは過労でダウン。8ヶ月も自宅入院生活を送った。今回は歳食った分だけ、症状も思いだろう。それがいつくるのか? 不安な日々を送っている。前回はLAの映画祭を終えて、帰国。映画が公開されたあと。

今回も、すでに映画は公開。LAの映画祭も参加。先月、帰国。そろそろXデイが近いかも? 前回も「体調大丈夫?」「顔色悪いよ」という人は1人もいなかった。やはり、他人の視点は当てにはならない。そんなことを考えながら「向日葵の丘」いよいよ大詰め。舞台挨拶もあと2回で終了である。


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「向日葵の丘」舞台挨拶in八王子で話したこと。横浜&大阪で話すこと。 [舞台挨拶]

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明日で上映が終了するニュー八王子シネマ。先週の土曜日に舞台挨拶をさせて頂いた。かなり長い時間を頂いたこと。そして今回の「向日葵」舞台挨拶ツアーでは初めての監督単独トークということもあり、久々に真剣にお話させてもらった。

やはり俳優が登壇したときは、俳優さんをメインにして、その人の話をさせたいし、観客もそれを期待している。が、僕なんかでも、先日はそれなりの数の人が来てくれたので、張り切って話をした。いつもは撮影の裏話や苦労話をするのだが、その日は「なぜ、向日葵の丘ーという映画を作ったのか?」を話させてもらった。

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なぜ、1983年が舞台なのか? 前作「朝日のあたる家」からの経緯等。20分も時間があったのに、あっという間に時間!けど、評判はよく「より映画の意味が分かりました!」といってくれるお客様もいた。そのニュー八王子シネマも本日の金曜日で終了。かなり長い期間。上映してくれて本当に感謝。本日が都内最後の上映となる。

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さて、明後日は横浜ジャック&ベティでの上映が再開となる。1週間間が空くと、観客は「もう上映は終わった」と思い、急激に客足が落ちることが多い。だから、舞台挨拶をして盛り上げたい。前半戦の初日はヤングみどり役の藤井武美が来てくれて、場内満員となったが、今回は僕1人。何人来てくれるか?心配。

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ただ、何人であろうとお客が「来てよかった!」と思ってくれるトークをしたい。何を話そうか?いろいろと考えた。このFacebookで聞きたい話を募集してみたが、あまりコメントが来ず。結局、自分でいろいろと考えた。俳優が来たときは、その人が撮影中に感じたこと。苦労したことをよく話してもらう。

でも、それは1人称での話。その俳優さんがどんなふうに撮影に挑んだか?を本人が話すもので、客観的に見た話は1度もなかった。それを話そう。常盤貴子さんや田中美里さん。そして藤田朋子さん。あとヤング3人組が撮影現場でどんなふうだったのか? あの涙を誘う演技はどんなふうに演じたのか?その全てを見ていた僕しか伝えることはできない。

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それを横浜で観客の皆さんに聞いてもらおうと思う。
あと、11月7日には大阪十三のシアターセブンで舞台挨拶。たぶん、これが全国的に最後となると思うが、ゲストで出演者の仲代奈緒さんが来てくれる。

奈緒さんはヤング多香子(芳根京子)たちの担任教師を演じてくれた。多香子たちが8ミリ映画を作るきっかけを与え、一番の応援者となる存在。だが、すでに奈緒さんとは渋谷の映画館で1度、舞台挨拶をし、撮影現場の話をしてもらった。

そこで今回は「向日葵」のテーマについて語り合おうと考えている。というのも、この春から奈緒さんが企画、演出、出演している歌と朗読劇「大切な人〜私の家族が見た戦争」を見せてもらって、「向日葵」と同じテーマを彼女も伝えようとしているんだなあ。と感じた。

だからこそ「向日葵」にも出演してくれたのだろう。共に描こうとしている、そのテーマについて、大阪では語れればと考えている。横浜、東京、それぞれに別の趣向で舞台挨拶をさせてもらう。お近くの方はぜひ、いらしてほしい。

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ニュー八王子シネマ。本日23日(金)まで! [映画館情報]

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「向日葵の丘」

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ニュー八王子シネマ。http://www.new8.co.jp

本日23日(金)まで!

12:35から1回上映。


都内最後の上映。


お見逃しなく!




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