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編集は魂を削って演じた俳優たちとの戦いである! [インサイド・ストーリー]

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これまでの作品。編集は

 1ヶ月少々で終了させた。が、「向日葵の丘」は3ヶ月かかった。というのも、いつもはNG抜きをせずに、すぐに編集をしたのだが、今回は「慎重に作業するべき」と感じて、まずNG抜きをした。そのことで素材を全て確認することができる。なぜ、それが必要だったかという説明をする前に、編集とはどういう作業か?もう一度、書いてみる。

 編集というのは映像と映像を繋いで、物語をスムーズに見られるようにする作業。だが、編集作業を長年やっていると、そうではないと思えて来る。映像を繋ぐ仕事というより、恐竜の化石を掘り出す作業ではないか? 埋まっている恐竜の骨をまわりから少しづつ掘り出し、ここが尻尾? ここが足? この大きさだとチラノサウルスか? いや、アロサウルスか? と考えながら、化石を傷つけぬように掘り出して行く。

 編集も同じで、「こう繋ごうか?」「ああしようか?」ではなく、すでに存在する物語を傷つけぬようにするにはどうするか?を考えて作業している。よく彫刻家も似たようなことを言う。石を掘って仏像を作るのではなく、石の中にいる仏様を掘り出すと...。同じ感覚なのだろう。だから、今回の「向日葵の丘」がいかなる物語なのか? 全ての素材を見て再度把握する必要があった。

 そして編集の霊が降りて来るのに時間がかかる

 というのは何度も書いたが、今回、その強い味方の「霊」が降りて来ても、ガンガン進まない理由がある。重いシーンはもの凄い集中力が必要だが、その手のシーン。通常の映画にはいくつもない。それは「泣けるシーン」「感動するシーン」でもある。映画1本に1.2回というところ。それが今回は5回6回とある。さらに、それぞれの場面のクオリティが高い!

 クオリティが高ければなぜ、時間がかかるか? そこに多く人の思いが込められているからだ。俳優の思い、カメラマンの思い、照明部の思い、様々な人の思いが映像に焼き付いている。もっと言うならば、そこで俳優が「人生と何なのか?」「幸せとは何なのか?」を考え抜いた末の表現をしているのだ。その思い、そのパワーたるものは、もの凄いものがある。

1人でも凄いのに、2人3人になると、2倍3倍。それを名優が演じると10倍20倍になる。当然、編集する方も限りなく同じパワーで挑まなければ吹き飛ばされてしまう。現場でも同じだが、編集はさらに覚悟しないとならない。

 キャストやスタッフの思いが詰まった映像は

 編集していても圧倒され、もの凄く消耗する。1シーン編集するだけでヘトヘトになり、神経がすり切れる。また、それらのシーンを編集する前には覚悟が必要。バンジージャンプをする前というか? 清水寺から飛び降りるような感じ。

 前作「朝日のあたる家」の取材で原発事故を体験した方々からお話を伺ったときも同じだった。全てを失ったあまりにも過酷な体験は聞いているだけでも、圧倒され、打ちのめされる。途中で何度も涙が零れる。取材というのは、そんな辛い話をさらに切り込み。悲しみを引き出す仕事。それを全身で語ってくれる被災者の方のお話を伺うこと。1日に何人もできない。あまりにも壮絶な体験に、こちらもボロボロになってしまう。

 そう。取材も、編集も、もっといえば演じることも同じ。引き裂かれボロボロになった気持ちを演じるには、受け止めるには、編集するには、自身も同じ気持ちにならなければならないのだ。同時に客観的に受け止め、それをどう表現すればいいか? 考える。

 つまり、編集という仕事(演技も、取材も、シナリオを書くのも)は、特に今回のような悲しみを見つめる話の場合は、作業というより、自身もボロボロに傷つきながら答えを探すということなのだ。だから、重いシーンでは朝早くから始めているのに、結局、作業にかかったのが午後とか。1シーン終わったら、心がズタズタで、その日はもう作業ができなくなったこともある。

 もし、その辺を気にせずにビジネスライクにシナリオ通りに映像を繋いで行けば、もっと早く作業は進むだろう。でも、それでは魂を削り演じた俳優の思いや、自分を追いつめて撮ったカメラマンの思い、照明部、録音部、演出部らの心の内を受け止めることができず。他人事のような物語となるのだ。

 本来、編集やシナリオ書きというのは戦いだ。

 シナリオは無から有を生み出すから理解されやすいが、編集はすでに撮影した映像を繋ぐだけの作業に見えてしまうので、その辺が理解され辛い。テレビドラマが軽くなりがちなのは、大量に早く作らねばならないので、ひとつひとつの物語と対峙していられないこと。俳優やスタッフも魂を削る以前に及第点で早く進めることが重要視されるからだ。

 だが、今回の「向日葵の丘」は違う。来月の放送に間に合わせるように、適当でも早く作業せねば!ということはない(というよりテレビでは放映されない。映画館公開は来年の春以降)何年でもかけてなんてことはしないが、残りのシーン。1つ。1つと対峙しながら、最後まで力を抜かずに戦いたい。今回、出演してくれた俳優たちの「思い」もの凄いものがある。それに応えるためにも、全力で編集すること。大切なのだ。それが編集だと思っている。

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【向日葵の丘」藤田朋子さんが演じたエリカ役はいかにして誕生したか?】 [インサイド・ストーリー]

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【向日葵の丘」藤田朋子さんが演じたエリカ役はいかにして誕生したか?】

常盤貴子さん演じる多香子。田中美里さん演じるみどり。この2人の役がいかにして誕生したか?2回に渡ってご紹介した。ここまで来たらやはり、藤田朋子さん演じるエリカも書かねばなるまい。

前者2人は以前に書いたようにモデルがいる。多香子は衛星放送の女性ディレクター。みどりは僕の高校時代の友人。さあ、エリカはどうか? 実はエリカは全然違う発想で作られた。

今回、映画研究部の3人と、その後として物語を作った。その際に主人公は3人にした。多香子はご存知の通り、30年近い歳月を悲しみを抱えて生きて来た。みどりは余命幾ばくもない悲しい境遇。そうなると3人目も悲しいと、とても暗い物語になる。「魔法使いサリー」で言えば、サリーは真面目で一途、すみれちゃんは優等生。だから、ヨッちゃんは3枚目でコミカルなのだ。物語は3人とも真面目でシリアスではいけない。

で、考えた。3人目は普通ではいけない。といって3枚目も当たり前。それぞれに個性がほしい。よく女の子が複数登場する物語は、皆似たようなタイプになることが多い。多くが元気で可愛いタイプ。主人公以外は同じに見える。そこで3人目は笑いが取れるけど、3枚目ではなく、どちらかというとクールなタイプがいいかな?と考えた。

それと同時に、前々から「いつか藤田朋子さんに僕の監督作に出てほしい!」という思いがあった。彼女とは1995年の日米合作ドラマ「GAIJINー開国」という作品でご一緒して、その凄さを痛感。日本の女優を超えるもの凄い存在だと感じた。それ以来、いつか僕の映画に!と考えていた。が、僕は監督デビューすらしておらず。それから15年後。2010年の「青い青い空」で先に藤田さんから「出たい!」とアプローチをしてくれて、特別出演とあいなった。感謝。

その辺は「青い青い空ー監督日記」のこの章で=> http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2012-07-11   

(以下の写真。藤田さんと僕 6年前の2009年)
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しかし、彼女は国民的女優。誰もが知る存在。その後も、彼女の人気を利用するような出演をしてもらうのは気が引けた。また「渡る世間」等のおしゃまな朋子ちゃんキャラをお願いするのも嫌だった。これまで彼女が演じたことのない「おーこれは面白そう!」と思ってくれる役でないとお願いしないと決める。本当に彼女に相応しい役を思いついてこそ、依頼すべき。それが仁義だ。20年考えて、ついに思いついたのが帰国子女の役。英語が得意で、ちょっとぶっ飛んでいる。クールにものごとを見ているけど、本当は寂しがり屋の役。

それを藤田さんが演じてくれれば、かなりいいかも? と思えた。そこまで考えて、その役を「向日葵の丘」3人組の1人にもって来れるなあ!と気づいた。それがエリカとなる。そこから、あれこれ考えて、映画が好き=>学校でいじめられる=>登校拒否=>映画館に入り浸る=>アメリカの大学=>日本が嫌い=>アメリカ人と結婚=>でも、高校時代の思いを抱えている。というエリカを思いついた。

細かな部分はいろんな友達の話を繋ぎ合わせたが、基本、「藤田さんがこんな役を演じるといいなあ〜」と考えて作った。そして、リアリティより少しデフォルメして、アニメティックなキャラに仕上げた。だから、台詞のいい回しが、宝塚歌劇風。台詞も「私」とはいわず「僕」という。別のいい方をすると、シャーロックホームズ風の話し方なのだ。「ワトスン君。いいところに気づいたね!」とかいう感じ。エリカはそこに個性を持たせた。

さらに、他の2人はジーンケリーやオードリーヘップバーンが好きなのに対して、エリカはヒッチコックが好きというのも個性となる。多香子、みどりとは明らかに違うキャラ。だからこそ、他の2人の個性も生きて来て、物語もおもしろくなる。これは藤田朋子という名女優がいてこそ、作ることができたキャラクターである。

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だが、藤田さんが気に入らなかったら大変。彼女のために作った役だから、他の人には演じられない。さあ、どーなる?と依頼したら「ぜひ!」という返事が来てほっと一息。長年、出演してほしかった藤田さんにメインキャストの1人を演じてもらうことができた訳だ。そして、多くの観客から「エリカがよかった!」「藤田朋子の存在を忘れて、エリカそのものだと思い映画を見てしまった!」と数々の賞賛を頂いた。

こんなふうに同じメインの3人も、それぞれに違った背景で役が作られている。なのに、画面の中では全然違和感なく、成立している。面白いものでしょう?


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「向日葵の丘」田中美里さんが演じたみどり役はいかにして誕生したか? ー死んだ高校時代の友人への思いを物語に託す [インサイド・ストーリー]

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【「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!⑥】

ー死んだ高校時代の友人への思いを物語に託す

事実をベースにした物語は観客を打ちのめし、感動させるーこれは、いろんな映画や小説を読むたびに感じることであり、自作の「朝日のあたる家」でも痛感したこと。だから、「向日葵の丘」でもそれを実践した。

まず、高校時代編の映画研究部。僕は高校時代映画研究部ではなかったが、大阪の学校に通い、帰宅時には頻繁に映画館に立ち寄る。学校帰りによく行ったのは東大阪市の布施にある映画館。「来週は何の映画が上映されるんだろう?」と映画館を覗きに行く。「近日上映」のポスターを見て「おーあれが上映されるんだ」と喜んだりした。

そして同じ布施の本屋で、映画雑誌「スクリーン」や「ロードショー」を立ち読みする。クラスには映画好きがおらず、他のクラスにいる映画ファンの生徒とよく映画談義で盛り上がったりした。その友人とドキュメンタリー映画を作り、文化祭で上映したこともある。そんな経験を若き日の多香子やみどりに投影した。支配人と仲良くなり、映画の話を聞かせてもらったり、映写室を見せてもらうのも実話である。カメラはもらわなかったけど。

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多香子たちが8ミリ映画を製作するのは、僕が20歳前後に横浜で学生映画をやっていたときの経験を生かした。8ミリ映画を作るには、カメラを用意し、フィルムを買い、現像、編集となかなか面倒。それぞれの勉強をせねばならない。その辺をリアルに再現した。なので、劇中に登場する情報。特に8ミリ映画に関する部分は全部事実。83年当時には白黒フィルムはすでになかったが、海外では存在。85年に留学したときには、白黒でフィルムをまわした。

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町の人たちも、それぞれにモデルがいる。子供の頃に通ったたこ焼き屋のおばちゃん。映画では鯛焼き屋になっている。本屋、カメラ屋、こんな人いたよねーと思えるタイプを実際にいた人からキャラを頂いた。そして、みどり。若き日を藤井武美さんが、大人になってからを田中美里さんが演じてくれた、みどり。彼女もまたモデルがいる。

実際は男性だが、本当に僕の同級生で、映画が好きで、会うと映画の話ばかりしていた。先に紹介したドキュメンタリー映画を一緒に撮り、文化祭で上映したときの友人だ。大学卒業後も、東京には出ず地元で就職。結婚した。ただ、映画のように喧嘩別れせず、その後30年近く、付き合いは続いた。

映画の舞台となった1983年に僕が作った自主映画の撮影も手伝ってくれた。が、そんな彼はみどりと同じように病気になり、亡くなる。そのあとに奥さんから「家では太田が、太田が、って、太田さんの話をよくしていたんですよ」と聞いた。そして、奥さんにこんなこともいっていたそうだ。

「太田は昔から映画監督になるっていってて、ホンマに監督になった。でも、1作目は泣けへんかった。お前はボロボロに泣いていたけど、あれではアカン。今度会ったら、しっかり言うたるんや。今、新作作ってるらしいし、公開されたらまた家族3人で見にいこか?」



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しかし、彼はその映画を見ることなく、亡くなった。その直前、医者から「あと1ヶ月」と言われたとき、奥さんは僕に電話をくれた。なのに、当時、仕事をしていた製作会社がギャラの不払い、立て替えていた膨大な経費も払おうとしなかったため、携帯代も払えなくなり、解約されて、電話がない時期だった。そのため、奥さんが連絡をくれたにも関わらず、僕は友人が死んだことも知らなかった。数ヶ月後、共通の友人から知らせを受けて、奥さんに連絡した。

「太田さんとはお会いしたことはないけど、主人からいつも話を聞いていたので、昔からの友達から電話もらったような気がしてます」

そして、友人の最後の様子を聞かせてくれた。奥さんはいう。

「あの人に・・・・・・最後、一度でええから、太田さんと会わせて上げたかった・・・・・映画の話・・・・いっぱいさせて上げたかった・・・」

涙が止まらず、言葉にならなかった。その後、僕の新作映画は公開されたが、友人はそれを見ていない。その友人をみどり役のモデルにした。そして、僕が見舞いに行けなかった代わりに、多香子に見舞いに行ってもらった。病室で映画の話をいっぱいして、最後は一緒に懐かしの映画館で8ミリ映画を見てもらった。僕ができなかった思いを多香子に託した。

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シナリオを書きながら、涙が止まらなかった.....。友人は妻と子を残し、40代で逝ってしまった。僕はその死に目に会うこともできず、死んだことも知らなかった。あのとき、製作会社がちゃんとギャラを払っていてくれれば......こんなことにはならなかったのに.....と恨んだりした。が、一番考えたのは「幸せって何だろう?」ということだった......。

友人は理解ある女性と結婚。子供もいて幸せに生活していた。不況で会社が大変だとボヤイていた。sそんな彼は高校時代からある夢があった。僕が映画監督を目指したように、彼もある職業を夢見た。でも、それを諦めて就職。それからは僕を応援してくれていた。会うたびに飯をおごってもらった。「早く監督デビューしてくれよ!」と毎回言われた。僕は留学から帰って10年以上かかり監督になった....。

監督業は貧しく、大変。結婚もできない。それに対して夢は諦めたが、安定した生活をして、愛する妻がいて、幸せに暮らす友人。世の中、そんなもんだよなあ〜と、ある意味羨ましく思っていていたのに、その友人が40代で逝ってしまった。神様。それはないだろう? 彼が何をしたというの? 何も悪いことしてないでしょう? 何でそんな仕打ちをするの?

でも、それが現実。だから、考える。「幸せって何だろう?」そう考えて「向日葵の丘」の根幹のストーリーは、友人の死をメインにした。彼の人生って何だったんだろう? そして自分の人生って何だろう? そんな思いを込めて、シナリオを書いた......。(つづく)



【「向日葵の丘」常盤貴子さんが演じた多香子はいかにして誕生したか?】 [インサイド・ストーリー]

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【「向日葵の丘」常盤貴子さんが演じた多香子はいかにして誕生したか?】

前回は田中美里さん扮するみどりのモデルについて書いた。今回は常盤貴子さん演じる多香子について説明する。多香子の仕事はシナリオ・ライターだが、なぜ、その職業にしたか? から始めよう。

仕事は脚本家だが、物語にそれはあまり関わって来ない。冒頭のテレビ局で書いた原稿をボツにされるだけだ。新人賞を狙う努力や主演俳優との恋が描かれた物語ではない。では、なぜ、シナリオライターという設定にしたのか? OLとか、看護師さんではなぜ、いけないのか? 「女性のシナリオライターってカッコイイじゃん?」ではいけない。物語というのは、全てに意味があり、それが生きて来なければ設定してはいけない。

「向日葵の丘」のテーマは「幸せって何だろう?」というものだ。例えば多香子がOLだとすると、なぜ、そんな女性が映画館であんな感動的なスピーチをするのか?と違和感を持つ人がでるかもしれない。「いやいや、OLだって幸せに関して考える人がいるはずだ!」と言う人もいるだろう。が、映画を見る多くの人が、ああ、この人ならあんなことを言ってもおかしくないな...と思う設定が必要なのだ。

その点でシナリオライターというのは、物語を書く仕事。幸せや不幸に対峙するストーリーを作る。日頃からそんなことを考えている。そうすると映画館でのスピーチの背景が見えて来る。また、高校時代の部活が映画研究部。その部分を生かし、関連づける意味でも映画関係の仕事というのも分かりやすい。そんなことから多香子をシナリオライターと設定した。

では、シナリオライターという職業に見える女優は誰か? 考えた。これがなかなか難しい。フォトグラファーなら、カメラを持たせればそれなりに見える。ファッション・モデルも奇麗な人ならOK。OLもさほどむずかしくない。だが、脚本家は少々違う。クリエイティブな仕事であり、あれこれ物語を考える。そんなことをやっていそうな女優さんって誰だろう? 

その昔、人気女優のOさんがカメラマンの役を演じたが、戦場で悲惨な光景を撮る人には見えなかった。そんなふうにしたくない。いろいろ考えた。Aさんは年齢的にOKだが、クリエーターに見えない。Bさんも、Cさんも奇麗だが違う。奇麗なOLとか、ファッションモデルなら行けるが脚本家ぽくない。Dさん。Eさん。こちらも知的だが、雑誌編集者とか、新聞記者ならできるが、脚本家という感じではない。

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あれこれ考えて、常盤さんを思い出した。90年代。「愛しているといってくれ」から、彼女のドラマはかなり見ていた。一生懸命さがあり、まっすぐな感じ。無邪気さと健気さがある。そして、多くの女優と違うのは、クリエイティブな感じがある。詩を書いたりしていそうな気がする。好きな映画も「タイタニック」のようないかにも女性が好きな映画ではなく、マイナーなヨーロッパ映画が好きだったりしそうな感じ。

「うん! いいな〜」でも、彼女は第一線で活躍するトップ女優。僕なんかの映画に出てくれるか? 限りなく無理っぽいが、とにかく常盤さんのイメージでシナリオを書くことにした。役名は「貴子」からもらい「多香子」とした。通常、シナリオを書くときは、ここまで明確に俳優をイメージして書くことは少ないが、僕の場合は身近な友人とか、特定の俳優さんをイメージしてキャラクターを作る。

次のステップ。取材。男性の脚本家が女性を主人公を書くと、往々にして女性から見て違和感があるキャラになりがち。男性は憧れで女性キャラを書いてしまうからだ。それが男性主人公の恋人役ならいいが、主人公だと厳しい。1人称なので、憧れだけではいけない。そこで、事前に取材をする。そうして女性のいいところだけではなく、ズルいとこ。姑息なところ。ひがみぽいとこ。いろんなマイナス部分も描くことで、人間的なキャラとなる。

衛星放送でディレクターをしている女性Mさん。30代。いろんなことに興味を持ち、1人でビデオカメラを持ち取材。インタビューから原稿作り。放送まで全てを担当。忙しく飛び回っている。僕が監督した前作「朝日のあたる家」の密着取材をしてくれた方。なかなかの情熱系で、ちょっと抜けているところもあるが、一生懸命。現場を見ていると心配になるが、放送された番組を見ると凄くよく出来ていた。技術とかより「思い」が素晴らしい番組になっていた。


Mさんは脚本家ではなく、テレビディレクターだが、彼女をモデルにして多香子を書こうと考え、取材をお願いした。1日の仕事から、プライベート。実家の話。大学の話。以前は僕が密着取材をされたが、このときは僕が徹底取材。いろいろと聞かせてもらった。どーしても、僕は男性の映画監督なので、女性を主人公にシナリオを書くときには注意が必要。男性の価値観や目線で台詞や行動を書くと、違和感が出る。男性客が見ても気づかなくても、女性が見たら「??」ということになる。だから、徹底してMさんからいろんなことを聞いた。

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次に本物の女性シナリオライターに取材。僕自身がもともとシナリオライターなので、仕事内容はよく分かっているが、女性のライターはどうなのか?を調べなければと考えた。そこで友人で、僕の映画を1作面から応援してくれている脚本家のSさんを取材させてもらった。40代。彼女は何本も映像化されたシナリオを書いているし、シナリオ学校で先生もしている。そして美人! 常盤さんイメージなら、やはりその種の女性をモデルにせねば。Sさんから、女性ならでは苦労等も聞かせてもらい。部屋ではどんな服で仕事をしているか? プロデュサーと会うときはどんな格好か? 日頃は何をしているか?等も聞かせてもらい参考にした。

こうして主人公の多香子は常盤さんのイメージで、2人の女性をモデルにしてキャラクターを作り上げた。ロケハンに行ったときは「ああ、この田舎駅のプラットホームを常盤さんが歩くと素敵だろうなあ」と思いながら、その風景を撮影。その後、シナリオが完成。イメージした常盤さんに出演依頼した。通常は第1候補。第2候補と、3−4人の候補者を決めて、順にアプローチするのだが、執筆中もいろいろ考えたが、常盤さん以上に多香子ができる人は思いつかなかった。物語を書き進めるにつれてその実感が強くなり、結局、他の候補者なしに、常盤さんの事務所のみに依頼した。

人気、実力共にトップの女優。おいそれとは出てもらえないだろう。と思っていたのに、何と!OK。依頼しておいて、驚いた。もし、ダメでも他の候補はいない。それが天下の大女優が出演してくれることになったのである。映画をご覧になった方は、すでにご存知の通り。見事な演技。いや、演技を超えた演技を見せてくれ、多くの観客を号泣させることになる。

さて、モデルとなった女性ディレクターのMさんはというと、マスコミ試写会で「向日葵」見てくれた。自分がモデルというのは不思議な感覚だったらしいが、こう話してくれた。

「私は脚本家ではないし、実家には毎年帰っている。高校時代も映画研究部ではないので、明らかに多香子とは違うのだけど、映画を見ていると、どこかに自分がいて、私自身が忘れていた感情や思いが蘇って来た。監督に話した自分自身がどの箇所とはいえないけど、常盤さんから感じてくるんです」

こんな感じで「向日葵の丘」の主人公・多香子は誕生し、映画の中で故郷に帰り、感動の物語を繰り広げたのである。映画作りって面白いでしょう?


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【「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!⑤】 [インサイド・ストーリー]

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【「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!⑤】

ー事実を元にした物語は観客を打ちのめし感動させる?

「朝日のあたる家」で描かれるエピソードは福島で起こった事実を元にして、主人公である平田一家に集約したものである。なので、悲しみが伝わる。それが目的なのだけど、胸を打ち、涙が溢れる。

山崎豊子さんの小説が重くのしかかるのも同じ。「不毛地帯」「沈まぬ太陽」も「大地の子」も、徹底した取材で事実を元に、架空の主人公(モデルがいる)たちの物語として描いているからだ。

そのくらいに「事実」は強い。そんな形で作った「朝日のあたる家」に続いて脚本を書いた「向日葵の丘」。最初は単なる青春ものとしてスタートした。そのジャンルの方が僕の得意とするところなのだが、前作を見た人はたぶん「今回は軽いなあ」「前回の方が泣けたなあ」と思うだろう。もちろん、ジャンルが違うのだが、感動という面に置いては同じであり、別の分野であっても「前作を超える」というのは作家としての使命だと思える。

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だが、「向日葵」は映画研究部でがんばる3人の女子高生の物語。僕自身、18歳のときから学生映画をやっていたので、背景は分かるし情報も持っているが、僕自身が高校時代に映画研究部だった訳でもない。さらに、主人公の3人は女の子だ新たに物語を作らねばならない。それを実際に8ミリ映画をやっていた女子高生に取材してシナリオを書いても、それも違うと思える。そこが今回、一番考えたところだ。

感動させる。泣かせるーというのが目的ではないが、結果として感動した。泣けたと言われると、それは映画のテーマが伝わった。物語が評価されたということなのだ。そのために「向日葵」はどうすれば、感動的な作品となるのか? そこが問題なのだ。原発事故の現実を描いた前作「朝日のあたる家」を超える、いや、迫るだけでもいい。そんなクオリティを目指したかった。

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しかし、厳しい現実を超える創作なんてありえない。だからこそ、山崎豊子さんは毎回、膨大な量の取材をし、それぞれの分野で専門家顔負けの勉強をしたのだ。僕の監督第二作「青い青い空」も書道が題材なので、かなり勉強した。映画を見た書家の先生方は「よく勉強している。書の心が描かれている」と評価してくれた。もちろん、その上で、一般の人にも感動してもらうことが大事。なのに、よく日本映画では「どーせ、観客は知らないからテキトーで大丈夫」といい、題材を勉強せずに映画を作ることが多い。

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「青い青い空」のときも、ある業界関係者は「歌舞伎みたいに書家の襲名披露とかあると面白いんじゃない?」といってきた。それはもの凄く無責任で、書道に対する関心がないから言えること。そんなことだけは絶対にしてはいけないと思ったものだ。もし、書道の在り方を勝手に変えるのであれば、題材は書道である必要はないということ。書道の中にある何かを物語にするから意味があるのだ。

そんなことをいろいろ考えて、決めた。「向日葵」も事実を元に描こう。それが観客に一番伝わり、感動を届けられるのではないか? そう考えた。次回はその辺の話を紹介する。(つづく)

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「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!④ [インサイド・ストーリー]

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ー机の上で書いた脚本は観客を泣かすことができない?

僕の映画を1作目から全て見てくれているある映画ファンはこういう。「太田監督の映画は泣けるぅ」さらにこう続ける。

「普通は映画の最後に1度ウルッとすれば、泣ける映画!と言われるけど、太田監督の映画はそんなもんじゃない。1回2回泣けるのは当たり前! 3回も4回も泣けて、最後にはボロボロに泣けて、ティッシュじゃ足りなくて、タオルもってくればよかったと思ったり。それも全作。彼が監督した4本とも泣ける。そんな監督は他にいないよ」 

ありがたい話だ。ここは「いやいや」と謙遜すべきところだが、そこで喜ぶより、それが本当か?毎回検証する。映画館に一般客の反応を調べに行くのだ。どのシーンでどのくらいの人が泣いているか? 確認すると、確かに、3回4回と泣いている人がかなりいる。1人や2人ではない。半数以上の人が涙を拭いているのが分かる。出口で待っていると、ほとんどの人が目を赤くして、俯き加減で出て来る。

監督としてうれしい話だが、

僕自身なぜ、そこまで観客が涙してくれるか分からない部分がある。もちろん、泣けるということは感動する、悲しさを感じる、喜んだときも、涙するし、映画としては、とても良く出来ていたという証しでもある。では、なぜ、そんなに泣けるのか? そこに太田映画の作りの秘密があり、物語作りで注意している点なのだ。

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最近は映画プロデュサーが持ち込みのシナリオを読むとき、こう訊くとという。「それ泣けるの?」つまり、泣ける映画。感動する映画がヒットするので、そんな作品を作りたいのだ。だから、脚本家も依頼を受けたら、いかに泣かそうか? 四苦八苦する。90年代のテレビドラマ。人気のあるものを見ていて感じたのは、感動シーンや泣けるシーンが海外の名作映画の焼き直しであることが多かった。設定をうまく日本に置き換えて、ドラマに埋め込んであるが、元ネタは海外の映画。

それはパクリというより、見事な技術。ある人気脚本家は「物語で足りないピースは買って来てでも嵌める」という。なるほど、そういうことかと思ったが、書き手は何十枚もの「感動カード」を持っている訳ではないので、そんな手法も必要になるのだ。そんな例を見ても感動させる。泣かせるというのは、なかなか難しい。にも関わらず、僕の映画で観客は何度も泣いてくれる。それを意図している訳ではないのだが、あの手法が功を成していると考える。

通常、よく聞くパターンはこうだ。

脚本家が「んーーーこのあと、主人公をどうするかな? そろそろ、悲しみに陥れたいのだけど、友達を殺すかな? 事故かなんかで、それで悲しみ。続いて、仕事を首になる。視聴者は同情する。いや、彼のミスで誰かが事故するのが悲しいなあ」とか、机の上であれこれ考える。実際、テレビドラマではそんな脚本家が多い。あれこれ考えて、主人公を悲しみのどん底に落とそうとする。

でも、それだと泣けないことが多い。不思議な話だが、机の上で考えたアイディアは見る人に強く伝わることがない。経験があるだろう。主人公が本当の酷い目に遭い、苦しんでいるのに、今イチ見ていて可哀想に思えず、「ふーーーん、で、どうしたの?」と冷静に見てしまう。そんなときは、たいてい机の上で考えたアイディアなのだ。それを脚本家が見事な技術で、時には他の作品から頂いて来て、演出と俳優の力で涙にもっていくことが多い。

では、本当に泣けるエピソードって、どうしてるのか? それは作られた話ではなく、本当にあった話であることが多い。机の上で考えたエピソードも、実際にあった話も脚本にすれば、同じように思えるが、説得力が全く違うのである。「素人がその違いを見抜けるか?」とも思えるが、感じ取ることが多い。山崎豊子さんの小説「白い巨塔」「不毛地帯」「二つの祖国」でも、あれほど胸迫る感動やリアリテぃがあるのはなぜか? ほとんど実際にあったことを書いているからだ。

アメリカ映画でも

「Based on true story」と打ち出したものがときどきあるが、現実に起こった話とは思えないドラマティックさがあり、同時にリアリテぃを感じる。やはり、本物は、現実にあった出来事は重い。僕もそれを実感したのは自作の「朝日のあたる家」だ。あれは福島の原発事故を取材して、被害に遭った多くの人たちから話を聞き、エピソードは全て実際にあったものを使用。いろんな人から聞いた話を主人公の平田一家に集約して物語を作ったのだ。


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もう、話を聞いているときから辛くて、涙が溢れた。そのエピソードをシナリオに書いているときも涙した。そんな場面は映像になり、映画館で見た観客たちも大いに涙し、「朝日」はメジャー企業作品ではない独立系映画にも関わらず日本全国20館を超える映画館、シネコンで上映。大ヒット。6ヶ月を超えるロングランとなった。やはり、本当の話は重い。作家がいくら頭を捻って、机の上で考えても、現実はそれを遥かに超える残酷で悲痛な出来事を作り出す。それを前々から感じていたので「朝日のあたる家」は全て実際にあった出来事を物語にした。

その次に手がけたのが「向日葵の丘」だ。

こちらは僕が本来、得意とする青春もの。映画研究部でがんばる女子高生3人組の物語。そして大人になった3人の話。だが、シナリオを書く前に考えた。もし「朝日」を見た人が「向日葵」を見れば「前の映画の方が感動的だったなあ」と思うかもしれない。だって、本当にあった出来事の方が重いし、リアルだから。

どーすればいいのか? 

現実にあった出来事を映画に負けない。できれば、それを超える物語はどーすれば作れるのだろう? それが「向日葵」を成功させるための、大きなテーマでもあった。が、実際、映画館に行くと「朝日」に負けないくらいに観客は号泣していた。女性も男性も、若い人もお年寄りも涙していた。なぜ、観客はそこまで感動したのか? その秘密。次回、解説する。(つづく)


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「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!③ [インサイド・ストーリー]

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ー「スタンドバイミー」と「赤ひげ」のスタイルに学んだ?

僕が20年振りに訪れたLAでの体験を「映画研究部」物語にプラスすることで、映画ネタでもクライマックスを作ることができる。そう考えて、その構成とスタイルを確認した。まず「スタンド・バイ・ミー」のように現代編をブックエンドのように前後つけて、回想をサンドウィッチにするという方法。

現代(大人になった主人公)=>回想=>現代(エピローグ)

「スタンドバイミー」はこういう構成で、主人公リチャード・ドレイファスが、子供時代の友達が死んだという新聞記事を読むところからスタート。少年時代が描かれ、ラストは現代にもどるというもの。青春ものでときどき使われるスタイルだが、これで行けないか? 考えた。が、このスタイルだと、

現代5分(プロローグ)。回想1時間20分。現代5分(エピローグ)

という形。5分で上映会は描けない。そこである映画のことを思い出す。昔から、いつかやりたい!と思っていたスタイルがある映画。黒澤明監督の「赤ひげ」だ。

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あの映画のスゴイのは途中、山崎努扮する大工・佐八のパート。主人公は加山雄三扮する保本であり、主演は三船敏郎。役は赤ひげ先生。つまり、山崎努の左八はゲストキャラ的存在。なのに、彼が独白する回想シーンになると、その部分は延々、佐八が主人公となり、加山雄三も三船敏郎も登場しない。20分近い物語が続く。通常、回想というと1分2分だ。それが20分!ありえない表現だ。だが、それだけ延々と見せることで、そのあと、保本がお仕着せ(養生所のユニフォーム)を着て、医師としての意味を見いだすという展開に説得力を持つのである。

つまり、1分2分の回想というのは「情報」でしかない。「主人公と***さんは学生時代に親友だった」ということを「情報」として伝えるために、ユニフォームを着て一緒にサッカーをするシーンを見せたりするのだ。

が、それはやはり「情報」でしかなく、観客は「ふむふむ、2人は親友という設定ね?」としか思わない。時間をかけ、じっくりと過去を描いてこそ、観客も主人公と同じ体験をすることができる。「情報」ではなく「体験」に変わるのだ。そこが「赤ひげ」の見事なところなり、情報として頭で理解するのではなく、「経験」として体で感じる。それが大きな説得力となる。

この手法、類を見ないもので、他の映画では思い当たらない。が、実に見事。いつか実践したいと考えていた。その発想を「向日葵の丘」に当てはめてみた。つまり、ヤング多香子のシークエンスが「赤ひげ」の山崎努のシーンにあたるそして「スタンドバイミー」のように現代編=ブックエンドとなるその部分も5分10分でなく、延々と描く。「赤ひげ」でいうと、保本と赤ひげの場面である。そうやって「向日葵」の構成を、現代編(10分)青春編(1時間)現代編(1時間)という形にする。


「スタンドバイミー」+「赤ひげ」

というスタイル。洋画邦画を問わず、あまり例はないだろう(あ、1本だけある!)。これによって問題を解決できる。

もし、83年に映画を上映すれば、何度も書いたように、クライマックスとして弱い。スポーツもののようなドキドキする大会場面を作れない。映画というのは撮影場面が一番動きがあり、見せ場となるが、上映会はただ見るだけ。そこで物語を盛り上げるのはむずかしい。だが、83年に上映できなくて、悲しい思いをしたのを30年後にやっと上映できるというのなら、カタルシスがある。その部分も時間をかけて描く。そうなれば、昔流行った「カルチャー挑戦ムービー」=「シコふんじゃった」「スイングガールズ」等のジャンルを超えた単なる映画研究部物語ではなくなる。

こうして、「スタンドバイミー」のように現代で過去を挟むブックエンド方式を使いながら、そのブックエンドの「現代」も大幅に長く描き。別のいい方でいうと「赤ひげ」スタイルで描く。そんな特殊な方法論を使うことで「映画研究部」物語と、LAで経験した「思い出を探す旅」を合体。「向日葵の丘」という物語を作れると考えたのだ。

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もし、通常の映画のように回想パート。つまり「映画研究部」の部分を1−2分で描いただけでは、クライマックスの上映会はあそこまで盛り上がらない。先にも説明したように1−2分の回想だと「情報」にしかならない。だが、「赤ひげ」のように回想場面を延々と見せられると、それは「情報」ではなく「体験」になり、観客は主人公の多香子たちと共に、映画研究部を「体験」することになり、全てが思い出になる。だからこそ、上映会は多香子たちと同様に感無量。懐かしさと悲しさが溢れるのである。

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結果、現代編が1時間10分。映画研究部編も1時間10分という、通常ではない構成となったが、だからこそ、多くの人が感動に包まれ、号泣したのだと思える。というスタイル、方法論を用いることで「向日葵」の物語を作り上げたのである。ただ、そのスタイルがあれば感動ものができるか?というとそうでもない。実はもうひとつ秘密があるのだが、それはまた別の機会に紹介する。


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「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!② [インサイド・ストーリー]

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ーLAの映画祭体験を物語に加えクライマックスを作る?

前回の続き。「向日葵」の物語を考えていて、行き詰まったときに思い出した話がある。僕の監督作「青い青い空」がロスアンゼルスの映画祭で招待作となり、渡米したときのことだ。LAは僕にとって第二のホームタウン。大学時代の6年間はこの街で過ごした。それから20年も経つが、今でも目をつぶってもどこでも行ける。映画祭の合間に、思い出の場所を訪ねてみた。

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大学はUSC(南カルフォルニア大学)の映画科。一番の思い出の場所。だが、ルーカスやスピルバーグの寄付でもの凄く豪華な建物になっていて、僕が勉強していた頃とはまるで違う場所になっていた。キャンパスを歩く、初めての授業を受けた建物、英語コースのクラス。でも、どこにはもうクラスメートも先生もいない。20年も前なのだから当然だが、何か寂しい。

USCの思い出を探す旅=http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2011-04-23-2

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初めて住んだドミトリーやアパートも訪ねたが、皆、あの頃のまま残っていた。が、やはり、管理人さえも違う人になっている。近所のリカーショップでいつも笑顔で対応してくれたおばちゃんもいない。そんな中で、20年前によく通った近所の小さなマーケットがまだ営業をしていた。ここは日系人のおじさんが経営していて、米やラーメン。おでん等の日本食がたくさん置かれていて、週に何回も通った。

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中に入ると、懐かしさで溢れる。あの頃と同じだ。店員さんも見たような顔。訊いてみた。あの日系人のおじさんはどーしてるか? その女性は答える。「何年か前に亡くなった。もう、いい歳だったからねえ」そこで初めて、そのおじさんのお父さんが広島生まれで、彼はハワイ出身。それからLAに来たことを聞く。そして、そのマーケットも跡取りがいないので、年末には廃業するという。

マーケットの話=http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2011-05-05-2

そして、リトル東京。6年通った床屋さんもなくなり、日本のレンタルビデオの店も潰れていた。そこで働いていたKさん。どこにいるのだろう? あとで、自殺したと聞いた。

ビデオ屋さんの話=http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2011-05-02-14

留学中にお世話になった人。もう、誰もいない。店や建物、教室は残っているのに、誰もいない。もの凄い寂しさと悲しさに包まれた。そんな中、行われた僕の監督作「青い青い空」の上映。ラストにはものスゴイ拍手が起こり大絶讃だったが、やはり寂しさを拭うことができなかった。

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USCの先生やマーケットの日系人のおじちゃん。ビデオ屋のKさんにも見てほしかった。皆、僕が映画監督を目指し、USCで勉強していること知っていた。

「オオタさん。本当に監督になったんだね。グレート。おめでとう。映画祭必ず行くよ」

そういってくれると思えた。でも、もう誰もいない。それが2011年。その後、僕は「朝日のあたる家」を監督。そして2013年から「向日葵の丘」の企画がスタートする。前回、紹介したのが、そのプロローグだ。映画研究部の女子高生の青春映画。でも、「映画」等の文化はクライマックスが作り辛い。先の「青い青い空」が書道部なので、近いものがあり、比較され、前作がよかったと言われるのも悔しい。

そう考えていて、思いついたのが、先のLA体験である。その2つをプラスすることで、問題点を解決しようと考えた。そう、「映画研究部」物語として製作すると、クライマックスが盛り上がらない、スポーツもののように大会がない映画研究部では、カタルシスが生まれない。でも、そこに僕が体験したLAでの物語をプラス。主人公の多香子が30年後に故郷に戻り、そこで上映会をするという展開にする。そうなれば、高校時代に上映できなかった8ミリ映画を見る!というカタルシスに繋げることができるはずだ。

(つづく)

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「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したのか?!① [インサイド・ストーリー]

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【「向日葵の丘 1983年・夏」の物語はいかにして誕生したのか?!①】

原作小説のないオリジナル・シナリオで「向日葵の丘」は映画にしている。つまり、僕自身が作ったストーリーを、僕自身が脚本にして、それを自身で監督した。多くの人が感動した。泣けたといってくれて大好評。皆「素敵な物語だった」といってくれる。では、その物語はどんなふうにして作られたのか? 今回はそのことを書いてみる。

ずっと以前から1983年を舞台にした青春ものを映画にしたいと思っていた。というのも僕の母校USC映画科の先輩でもある「スターウォーズ」のジョージ・ルーカス監督が1962年を舞台にした青春映画「アメリカン・グラフィティ」という映画があるからだ。影響を受けて、僕も過去を舞台にした青春映画を作りたいと思ったのだ。特に1983年。当時、僕は高校を卒業後、横浜の映画学校に通いながら、学生映画をやっていた。その時代を、そのときの仲間を物語にしたかった。

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だが、20歳前の男ばかりが8ミリ映画を作る物語は今の時代に合わない。観ている方も楽しくないだろう。そこで主要登場人物を女子高生にして、青春映画にすることにした。女の子がメインは得意だ。というか、僕のこれまでの作品は皆、女子高生が主人公である。映画研究部を舞台にして文化祭のために四苦八苦して8ミリ映画を作るという物語がいいだろう。僕自身が学生映画をやっていたので、詳しい分野だ。

よく日本のドラマであるのが、その題材を知らずにシナリオを書いていること。カメラマンという設定なのに、カメラに関する知識なしで書いていたり、宣伝業界が舞台なのに、おかしな設定だったり。例え、その世界を知らない人が見ても「何か変だな?」と感じて、物語に入り辛くなる。まして、詳しい人が見ると「ありえないだろー!」と思え、拒否感を持ってしまう。

だから、8ミリ映画作りについて勉強しないとシナリオを書けない。が、先にも書いた通り、学生時代に経験があるので、問題なし。以前作った「青い青い空」のときは書道部の話だったので、まず書道を勉強するところからスタートしたが、今回はノープロブレムだ。カメラの機種。フィルム。現像。全てOKだ。

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しかし、問題がある。その書道映画「青い青い空」がめちゃめちゃ評判が良かった。つまり、前回は書道部、今回が映画研究部。業種(?)は違うが、同じく女子高生がゼロから学んで、クライマックスに向かうという同じパターン。「青」では書道のデモンストレーション大会。そこで大字(大きな紙に大きな文字を書く)がクライマックスがあり、多くの人が涙して見てくれた。

では,今回はどうか? 文化祭で8ミリ映画上映? んーーーそれでは盛り上がらない。前作は大会で主人公たちが大きな筆で大きな文字を書くという、派手なクライマックスなので、観客は「がんばれ!」と応援したくなった。が、映画の場合は、フィルムを上映。主人公たちは見ているだけだ。観客は「がんばれ!」とは思わない。

主人公たちが作った8ミリ映画が30分ものだとして、その30分を全て見せても観客は感動はしない。ここが文化系クラブを映画にするむずかしいところなのだ。野球でも、サッカーでも大会というクライマックスを作れるが、美術部とか、写真部とか、作品の発表会があっても、作品を飾るだけなので、映画的に盛り上がることはない。

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書道も本来そうだが、実在しない書道デモンストレーション大会(あるテレビ局がそのアイディアをパクリ実際に開催したが、こちらが先!)をクライマックスにして、スポーツものと変わらぬ映画にすることができた。が、映画研究部も先の文化部と同じ。8ミリ映画を上映するだけでは、盛り上がらない。さらに「青い青い空」はもの凄く評判がよくて、多くの人が感動してくれた。だから、必ず比較され「青」の方がよかったなーーと言われるだろう。

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前作を超えるというのも映画作家として大事なこと。まともに作っては「青」には勝てない。これは撮影現場での努力ではなく、いわゆるカルチャー挑戦ムービー(「シコふんじゃった」「スイングガールズ」等)の路線では映画研究部ではクライマックスを作れないということなのだ。どーすればいいか? ここで行き詰まってしまった。

いろいろ考えて、数年前のある出来事を思い出した。まさに、前作の「青い青い空」がLAの映画祭に招待され、渡米したときのこと。そのときの体験が「映画研究部」物語を感動のドラマにしてしまうのだ.....が、長くなったので、それは次回。お楽しみに!(つづく)


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「向日葵の丘」劇中の大人・多香子(常盤貴子)の部屋 [インサイド・ストーリー]

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「向日葵の丘」劇中の大人・多香子(常盤貴子)の部屋

映画ではよくわからないけど、こんな感じなのね? シナリオライターらしく、「月刊シナリオ」が並んでいる。そして「映画術」がヤング・エリカ(百川晴香)が1983年に映画研究部の部室で机の上に置いてあった。その後、多香子も興味を持ち、買ったことが分かる。映画人必読の書だからね!そして、「大林宣彦監督」の本も密かに置かれている。(クリックすると画面が大きくなります)

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向日葵の丘」主人公・多香子(常盤貴子)が使うiPad

これ昔のタイプのiPad。かなり重い。常盤さんが劇中で使用。これにみどり(田中美里)からのメールが来たことで物語がスタートする。ちなみに、このiPadは僕の私物です。借りるとレンタル料が派生するので、節約!

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【「向日葵の丘」劇中。大人・多香子の部屋に貼られたポスター】

映画を二度見ると気づくが、実は高校時代の多香子(芳根京子)の部屋にも貼られている。そしてタイトルが「大人は判ってくれない」フランソワ・トリフォーの映画。このタイトルが多香子の気持ちを表現している。大人になっても貼っているのは父との確執が今も続いていること感じさせる。

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