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【「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!⑤】 [インサイド・ストーリー]

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【「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!⑤】

ー事実を元にした物語は観客を打ちのめし感動させる?

「朝日のあたる家」で描かれるエピソードは福島で起こった事実を元にして、主人公である平田一家に集約したものである。なので、悲しみが伝わる。それが目的なのだけど、胸を打ち、涙が溢れる。

山崎豊子さんの小説が重くのしかかるのも同じ。「不毛地帯」「沈まぬ太陽」も「大地の子」も、徹底した取材で事実を元に、架空の主人公(モデルがいる)たちの物語として描いているからだ。

そのくらいに「事実」は強い。そんな形で作った「朝日のあたる家」に続いて脚本を書いた「向日葵の丘」。最初は単なる青春ものとしてスタートした。そのジャンルの方が僕の得意とするところなのだが、前作を見た人はたぶん「今回は軽いなあ」「前回の方が泣けたなあ」と思うだろう。もちろん、ジャンルが違うのだが、感動という面に置いては同じであり、別の分野であっても「前作を超える」というのは作家としての使命だと思える。

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だが、「向日葵」は映画研究部でがんばる3人の女子高生の物語。僕自身、18歳のときから学生映画をやっていたので、背景は分かるし情報も持っているが、僕自身が高校時代に映画研究部だった訳でもない。さらに、主人公の3人は女の子だ新たに物語を作らねばならない。それを実際に8ミリ映画をやっていた女子高生に取材してシナリオを書いても、それも違うと思える。そこが今回、一番考えたところだ。

感動させる。泣かせるーというのが目的ではないが、結果として感動した。泣けたと言われると、それは映画のテーマが伝わった。物語が評価されたということなのだ。そのために「向日葵」はどうすれば、感動的な作品となるのか? そこが問題なのだ。原発事故の現実を描いた前作「朝日のあたる家」を超える、いや、迫るだけでもいい。そんなクオリティを目指したかった。

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しかし、厳しい現実を超える創作なんてありえない。だからこそ、山崎豊子さんは毎回、膨大な量の取材をし、それぞれの分野で専門家顔負けの勉強をしたのだ。僕の監督第二作「青い青い空」も書道が題材なので、かなり勉強した。映画を見た書家の先生方は「よく勉強している。書の心が描かれている」と評価してくれた。もちろん、その上で、一般の人にも感動してもらうことが大事。なのに、よく日本映画では「どーせ、観客は知らないからテキトーで大丈夫」といい、題材を勉強せずに映画を作ることが多い。

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「青い青い空」のときも、ある業界関係者は「歌舞伎みたいに書家の襲名披露とかあると面白いんじゃない?」といってきた。それはもの凄く無責任で、書道に対する関心がないから言えること。そんなことだけは絶対にしてはいけないと思ったものだ。もし、書道の在り方を勝手に変えるのであれば、題材は書道である必要はないということ。書道の中にある何かを物語にするから意味があるのだ。

そんなことをいろいろ考えて、決めた。「向日葵」も事実を元に描こう。それが観客に一番伝わり、感動を届けられるのではないか? そう考えた。次回はその辺の話を紹介する。(つづく)

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