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「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!③ [インサイド・ストーリー]

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ー「スタンドバイミー」と「赤ひげ」のスタイルに学んだ?

僕が20年振りに訪れたLAでの体験を「映画研究部」物語にプラスすることで、映画ネタでもクライマックスを作ることができる。そう考えて、その構成とスタイルを確認した。まず「スタンド・バイ・ミー」のように現代編をブックエンドのように前後つけて、回想をサンドウィッチにするという方法。

現代(大人になった主人公)=>回想=>現代(エピローグ)

「スタンドバイミー」はこういう構成で、主人公リチャード・ドレイファスが、子供時代の友達が死んだという新聞記事を読むところからスタート。少年時代が描かれ、ラストは現代にもどるというもの。青春ものでときどき使われるスタイルだが、これで行けないか? 考えた。が、このスタイルだと、

現代5分(プロローグ)。回想1時間20分。現代5分(エピローグ)

という形。5分で上映会は描けない。そこである映画のことを思い出す。昔から、いつかやりたい!と思っていたスタイルがある映画。黒澤明監督の「赤ひげ」だ。

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あの映画のスゴイのは途中、山崎努扮する大工・佐八のパート。主人公は加山雄三扮する保本であり、主演は三船敏郎。役は赤ひげ先生。つまり、山崎努の左八はゲストキャラ的存在。なのに、彼が独白する回想シーンになると、その部分は延々、佐八が主人公となり、加山雄三も三船敏郎も登場しない。20分近い物語が続く。通常、回想というと1分2分だ。それが20分!ありえない表現だ。だが、それだけ延々と見せることで、そのあと、保本がお仕着せ(養生所のユニフォーム)を着て、医師としての意味を見いだすという展開に説得力を持つのである。

つまり、1分2分の回想というのは「情報」でしかない。「主人公と***さんは学生時代に親友だった」ということを「情報」として伝えるために、ユニフォームを着て一緒にサッカーをするシーンを見せたりするのだ。

が、それはやはり「情報」でしかなく、観客は「ふむふむ、2人は親友という設定ね?」としか思わない。時間をかけ、じっくりと過去を描いてこそ、観客も主人公と同じ体験をすることができる。「情報」ではなく「体験」に変わるのだ。そこが「赤ひげ」の見事なところなり、情報として頭で理解するのではなく、「経験」として体で感じる。それが大きな説得力となる。

この手法、類を見ないもので、他の映画では思い当たらない。が、実に見事。いつか実践したいと考えていた。その発想を「向日葵の丘」に当てはめてみた。つまり、ヤング多香子のシークエンスが「赤ひげ」の山崎努のシーンにあたるそして「スタンドバイミー」のように現代編=ブックエンドとなるその部分も5分10分でなく、延々と描く。「赤ひげ」でいうと、保本と赤ひげの場面である。そうやって「向日葵」の構成を、現代編(10分)青春編(1時間)現代編(1時間)という形にする。


「スタンドバイミー」+「赤ひげ」

というスタイル。洋画邦画を問わず、あまり例はないだろう(あ、1本だけある!)。これによって問題を解決できる。

もし、83年に映画を上映すれば、何度も書いたように、クライマックスとして弱い。スポーツもののようなドキドキする大会場面を作れない。映画というのは撮影場面が一番動きがあり、見せ場となるが、上映会はただ見るだけ。そこで物語を盛り上げるのはむずかしい。だが、83年に上映できなくて、悲しい思いをしたのを30年後にやっと上映できるというのなら、カタルシスがある。その部分も時間をかけて描く。そうなれば、昔流行った「カルチャー挑戦ムービー」=「シコふんじゃった」「スイングガールズ」等のジャンルを超えた単なる映画研究部物語ではなくなる。

こうして、「スタンドバイミー」のように現代で過去を挟むブックエンド方式を使いながら、そのブックエンドの「現代」も大幅に長く描き。別のいい方でいうと「赤ひげ」スタイルで描く。そんな特殊な方法論を使うことで「映画研究部」物語と、LAで経験した「思い出を探す旅」を合体。「向日葵の丘」という物語を作れると考えたのだ。

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もし、通常の映画のように回想パート。つまり「映画研究部」の部分を1−2分で描いただけでは、クライマックスの上映会はあそこまで盛り上がらない。先にも説明したように1−2分の回想だと「情報」にしかならない。だが、「赤ひげ」のように回想場面を延々と見せられると、それは「情報」ではなく「体験」になり、観客は主人公の多香子たちと共に、映画研究部を「体験」することになり、全てが思い出になる。だからこそ、上映会は多香子たちと同様に感無量。懐かしさと悲しさが溢れるのである。

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結果、現代編が1時間10分。映画研究部編も1時間10分という、通常ではない構成となったが、だからこそ、多くの人が感動に包まれ、号泣したのだと思える。というスタイル、方法論を用いることで「向日葵」の物語を作り上げたのである。ただ、そのスタイルがあれば感動ものができるか?というとそうでもない。実はもうひとつ秘密があるのだが、それはまた別の機会に紹介する。


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