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「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!④ [インサイド・ストーリー]

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ー机の上で書いた脚本は観客を泣かすことができない?

僕の映画を1作目から全て見てくれているある映画ファンはこういう。「太田監督の映画は泣けるぅ」さらにこう続ける。

「普通は映画の最後に1度ウルッとすれば、泣ける映画!と言われるけど、太田監督の映画はそんなもんじゃない。1回2回泣けるのは当たり前! 3回も4回も泣けて、最後にはボロボロに泣けて、ティッシュじゃ足りなくて、タオルもってくればよかったと思ったり。それも全作。彼が監督した4本とも泣ける。そんな監督は他にいないよ」 

ありがたい話だ。ここは「いやいや」と謙遜すべきところだが、そこで喜ぶより、それが本当か?毎回検証する。映画館に一般客の反応を調べに行くのだ。どのシーンでどのくらいの人が泣いているか? 確認すると、確かに、3回4回と泣いている人がかなりいる。1人や2人ではない。半数以上の人が涙を拭いているのが分かる。出口で待っていると、ほとんどの人が目を赤くして、俯き加減で出て来る。

監督としてうれしい話だが、

僕自身なぜ、そこまで観客が涙してくれるか分からない部分がある。もちろん、泣けるということは感動する、悲しさを感じる、喜んだときも、涙するし、映画としては、とても良く出来ていたという証しでもある。では、なぜ、そんなに泣けるのか? そこに太田映画の作りの秘密があり、物語作りで注意している点なのだ。

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最近は映画プロデュサーが持ち込みのシナリオを読むとき、こう訊くとという。「それ泣けるの?」つまり、泣ける映画。感動する映画がヒットするので、そんな作品を作りたいのだ。だから、脚本家も依頼を受けたら、いかに泣かそうか? 四苦八苦する。90年代のテレビドラマ。人気のあるものを見ていて感じたのは、感動シーンや泣けるシーンが海外の名作映画の焼き直しであることが多かった。設定をうまく日本に置き換えて、ドラマに埋め込んであるが、元ネタは海外の映画。

それはパクリというより、見事な技術。ある人気脚本家は「物語で足りないピースは買って来てでも嵌める」という。なるほど、そういうことかと思ったが、書き手は何十枚もの「感動カード」を持っている訳ではないので、そんな手法も必要になるのだ。そんな例を見ても感動させる。泣かせるというのは、なかなか難しい。にも関わらず、僕の映画で観客は何度も泣いてくれる。それを意図している訳ではないのだが、あの手法が功を成していると考える。

通常、よく聞くパターンはこうだ。

脚本家が「んーーーこのあと、主人公をどうするかな? そろそろ、悲しみに陥れたいのだけど、友達を殺すかな? 事故かなんかで、それで悲しみ。続いて、仕事を首になる。視聴者は同情する。いや、彼のミスで誰かが事故するのが悲しいなあ」とか、机の上であれこれ考える。実際、テレビドラマではそんな脚本家が多い。あれこれ考えて、主人公を悲しみのどん底に落とそうとする。

でも、それだと泣けないことが多い。不思議な話だが、机の上で考えたアイディアは見る人に強く伝わることがない。経験があるだろう。主人公が本当の酷い目に遭い、苦しんでいるのに、今イチ見ていて可哀想に思えず、「ふーーーん、で、どうしたの?」と冷静に見てしまう。そんなときは、たいてい机の上で考えたアイディアなのだ。それを脚本家が見事な技術で、時には他の作品から頂いて来て、演出と俳優の力で涙にもっていくことが多い。

では、本当に泣けるエピソードって、どうしてるのか? それは作られた話ではなく、本当にあった話であることが多い。机の上で考えたエピソードも、実際にあった話も脚本にすれば、同じように思えるが、説得力が全く違うのである。「素人がその違いを見抜けるか?」とも思えるが、感じ取ることが多い。山崎豊子さんの小説「白い巨塔」「不毛地帯」「二つの祖国」でも、あれほど胸迫る感動やリアリテぃがあるのはなぜか? ほとんど実際にあったことを書いているからだ。

アメリカ映画でも

「Based on true story」と打ち出したものがときどきあるが、現実に起こった話とは思えないドラマティックさがあり、同時にリアリテぃを感じる。やはり、本物は、現実にあった出来事は重い。僕もそれを実感したのは自作の「朝日のあたる家」だ。あれは福島の原発事故を取材して、被害に遭った多くの人たちから話を聞き、エピソードは全て実際にあったものを使用。いろんな人から聞いた話を主人公の平田一家に集約して物語を作ったのだ。


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もう、話を聞いているときから辛くて、涙が溢れた。そのエピソードをシナリオに書いているときも涙した。そんな場面は映像になり、映画館で見た観客たちも大いに涙し、「朝日」はメジャー企業作品ではない独立系映画にも関わらず日本全国20館を超える映画館、シネコンで上映。大ヒット。6ヶ月を超えるロングランとなった。やはり、本当の話は重い。作家がいくら頭を捻って、机の上で考えても、現実はそれを遥かに超える残酷で悲痛な出来事を作り出す。それを前々から感じていたので「朝日のあたる家」は全て実際にあった出来事を物語にした。

その次に手がけたのが「向日葵の丘」だ。

こちらは僕が本来、得意とする青春もの。映画研究部でがんばる女子高生3人組の物語。そして大人になった3人の話。だが、シナリオを書く前に考えた。もし「朝日」を見た人が「向日葵」を見れば「前の映画の方が感動的だったなあ」と思うかもしれない。だって、本当にあった出来事の方が重いし、リアルだから。

どーすればいいのか? 

現実にあった出来事を映画に負けない。できれば、それを超える物語はどーすれば作れるのだろう? それが「向日葵」を成功させるための、大きなテーマでもあった。が、実際、映画館に行くと「朝日」に負けないくらいに観客は号泣していた。女性も男性も、若い人もお年寄りも涙していた。なぜ、観客はそこまで感動したのか? その秘密。次回、解説する。(つづく)


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