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「向日葵の丘」=感想「救われたような気持ちになりました」 [【再掲載】]

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【和歌山 梅茶さんの感想】

数字、目に見える成果、豊かな暮らし、一億総活躍社会…今の私達は耳に聞こえのよい言葉や装いに追い立てられて、何かを無理やり忘れようとしているかのようです。

そんな時、この映画「向日葵の丘1983年・夏」を観て、救われたような気持ちになってしまいました。日本は果たして、どこへ向かって進んでいるのでしょう。活躍したくてもできない人、境遇や環境…そんな思いは切り捨てられ、隅に追いやられて、黙らせられていく無機質な社会。この映画で主人公の多香子が経験したことは、そのまま今の日本のこぼれ落ちた多くの人々の思いを象徴するかのようでした。

立ち止まることは負けること…
本当にそうなのか?

この映画が問いかけるメッセージは、まさにこれだと思います。立ち止まれない、八方ふさがりだと思い詰めている人々が多い中で、昔、輝いていた頃、不自由でも誰も追い詰められたりしない空気の中で、のびのびと息をしていられた時代に立ちもどって、心を開放してみたい。そんな誰もの思いが詰まったこの映画だからこそ、何度も号泣して、心を開放することができました。

取り繕うためだけの答なんか要らない。でも、少なくとも、この映画を観る前よりも優しくなれたような気がする。

この気持ちを、日本中の少しでも多くの人に体験してもらいたいです。その思いが、本当の意味での、みんなが輝ける社会に繋がっていってくれると信じられる、そんな素敵な映画でした。

やっと今日、伏見ミリオン座で「向日葵の丘」観ることができました。上杉さんの勇姿もたくさん拝見することができ、あらためて凄いなぁと感動しています。(笑)



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山田まりやさんも大感動! 「向日葵の丘」の感想がブログに。 [【再掲載】]

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 山田まりやさんも大感動!

「向日葵の丘」の感想をブログに書いてくれました。

(文中より)

 もう、、、
なんでしょう、、、
この心臓をぎゅ~~~っと
鷲掴みにされたかのような感覚、、、


1983年の夏の思い出を中心に
お話しが展開されるのですが、

1980年産まれの私が3歳だった時から
目まぐるしい時代の流れがあり

こんなにも
物や情報や娯楽がありふれてしまった
今を生きていく子供達は

どんな事を感じで生きて行くんだろう?

(続きは以下で)

http://ameblo.jp/mariya-yamada/entry-12065330622.html

映画館HP http://www.princehotels.co.jp/shinagawa/cinema/ 
公式HP http://himawarinooka.net



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「向日葵の丘」はこの思い出から作られた!プロローグ [【再掲載】]

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物語というのは、作家が机の上で「どーしようかなー」「あーしてみようかなー」とか想像して作られるものだと思われがち。ま、それも間違いではないが、それだと観客に伝わるものがなかなかできない。観るものを引きつけ、共感させ、感動し、涙する物語というのは頭で考えたものではうまく行かない。

だが、事実をベースに書くと驚くほど観客を魅了する。僕が30代。まだシナリオライターデビューする前。想像して書いたシナリオは誰も見向きもしなかったが、自分の体験をベースにして書いた青春ものは結構、評判がよかった。そして監督デビューしてからのシナリオは、フィクションでも取材し、事実に基づいた物語を書く。そのせいか?毎回評判がいい。

前作「朝日のあたる家」は静岡県を舞台にしているが、劇中で起こる事実は全て福島の原発事故で起こったことを描いた。場内は涙涙の連続。事実はやはり観客の胸を打つ。そんな訳で僕のシナリオは毎回、何らかの事実を元に描いている。ただ、登場人物は複数の人をモデルにしていたり、事実を脚色して書く。事実だけを繋げたのでは物語にならないからだ。

今回の「向日葵の丘」も後半は涙の連続だった。それらのエピソードも僕が経験したことや、聞いた話。実際にあった話を織り交ぜて書いた。映画館上映もそろそろ終盤なので、その辺の種明かしを少しばかりしてみる。ぜひ、読んでほしい。



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「向日葵の丘」劇中の大人・多香子(常盤貴子)の部屋 [【再掲載】]

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「向日葵の丘」劇中の大人・多香子(常盤貴子)の部屋

映画ではよくわからないけど、こんな感じなのね? シナリオライターらしく、「月刊シナリオ」が並んでいる。そして「映画術」がヤング・エリカ(百川晴香)が1983年に映画研究部の部室で机の上に置いてあった。その後、多香子も興味を持ち、買ったことが分かる。映画人必読の書だからね!そして、「大林宣彦監督」の本も密かに置かれている。(クリックすると画面が大きくなります)

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向日葵の丘」主人公・多香子(常盤貴子)が使うiPad

これ昔のタイプのiPad。かなり重い。常盤さんが劇中で使用。これにみどり(田中美里)からのメールが来たことで物語がスタートする。ちなみに、このiPadは僕の私物です。借りるとレンタル料が派生するので、節約!

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【「向日葵の丘」劇中。大人・多香子の部屋に貼られたポスター】

映画を二度見ると気づくが、実は高校時代の多香子(芳根京子)の部屋にも貼られている。そしてタイトルが「大人は判ってくれない」フランソワ・トリフォーの映画。このタイトルが多香子の気持ちを表現している。大人になっても貼っているのは父との確執が今も続いていること感じさせる。

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1983年でない流行語が使われている訳。時代は過去を背負って存在するから [【再掲載】]

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「ヒデキ。感激!」

という多香子のクラスメートも実在する。名前が本当にヒデキで、何かあると「ヒデキ、感激」といい、学校でウケしていた。

その元となったのは、ハウスバーモンドカレーのCM。西城秀樹が決め台詞として言う「ヒデキ。感激」。これは1973年頃に人気だったもの。映画の舞台となる1983年にはもう放送されていない。

だが、その友人はそのあとも年数に渡って「ヒデキ感激!」を使っていた。同時にあのCMのインパクトは凄く。僕らは何年経っても、あのCMでは「ヒデキ感激」といっていると思っていた。当時は今ほど、流行の移り変わりが早くなく、かなり古いギャグを使っても皆、分かってくれるという時代でもあった。

その辺を指摘「あれは83年の流行語ではありませんよ」と批判する人もいるが、「向日葵」は83年の流行を紹介する映画ではない。時代というのは、過去と未来が融合している。そこに今が存在する。今回、ロケ地となった島田市の町のいくつかも83年を代表する町ではない。むしろ、70年代、60年代の面影が残る町。


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しかし、町も時代も同じ。特に地方は時代に遅れて進化していく。以前にロケした別の地方でも、2000年代になり、ようやく80年代のバブルのような建設物が出来たり。都会とはスピードが違う。その意味で、70年代が多く残る町こそが83年を象徴していると考えた。同じように83年の流行語ばかりを台詞に多様するのを避けた。「ヒデキ感激」は先に説明した通り。



「あっと驚くためゴロー」

用務員さんはいう。これは70年代どころか、60年代。当時の人気番組「ゲバゲバ90分」でハナ肇が言っていた。それも時代考証がおかしいという人がいた。繰り返すが「向日葵」は83年の風俗紹介ビデオではない。

過去のギャグを何年経っても使うズレた人は少ないがどこにでもいる。それをその人の個性として表現しているのだ。用務員さんは未だに60年代を生きており。クラスメートは「聖子ちゃん」「明菜ちゃん」で83年を生きている。アイドルに興味のない多香子たちは「オードリー」「ジーンケリー」こちらは50年代だ。

それぞれが全く違った趣味志向をしている。それによってキャラクターが明確に見えてくる。ちなみに多香子(芳根京子)は古いハリウッド映画が大好きで新しいものは、そこそこだが、みどり(藤井武美)はもともと新しいハリウッド映画が好き。多香子とつきあうようになってから古い映画の魅力を知る。

多香子が古い映画に興味を持ったきっかけは、ウメさん。鯛焼き屋で古い映画の話ばかりするので、1度観て観よう!とテレビ洋画劇場で観て嵌ったのだ。その辺を紹介するエピソードはないが、物語から感じとってもらえるようにしている。映画は全てを説明しない。が、よく観ると、あーそういうことか?というヒントが必ずある。その辺を探すのもなかなか楽しい。





「向日葵の丘」が舞台となった年のヒット曲 [【再掲載】]

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1983年 洋楽ヒット ビルボード
順位 曲名 アーティスト
1 Every Breath You Take  The Police
2 Billy Jean  Michael Jackson
3 Flashdance...What A Feeling  Irene Cara
4 Down Under  Men At Work
5 Beat It  Michael Jackson
6 Total Eclipse Of The Heart  Bonnie Tyler
7 Maneater  Hall & Oates
8 Baby, Come To Me  Patti Austin & James Ingram
9 Maniac  Michael Sembello
10 Sweet Dreams Eurythmics
11 Do You Really Want To Hurt Me  Culture Club
12 You And I Eddie Rabbit & Crystal Gayle
13 Come On Eileen  Dexys Midnight Runners
14 Shame On The Moon  Bob Seger
15 She Works Hard For The Money  Donna Summer
16 Never Gonna Let You Go Sergio  Mendes
17 Hungry Like The Wolf  Duran Duran
18 Let's Dance  David Bowie
19 Twilight Zone  Golden Earring
20 I Know There's Something Going On  Frida
映像はこちら=>http://youtu.be/a9wPxXn6JRg

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「過去を振り返らず、前向きに生きること!」は間違っている!? [【再掲載】]

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業界の先輩から連絡が来た。

 「太田! お前のブログを読んでいると、愚痴ばかり書いているが、もっと前向きに考えないと駄目だ!」

 そんな指摘をされた。はあ?何? 「愚痴? どこが?」先輩の文章をよく読むと、過去の映画であった大変なエピソードや事件をブログで紹介したことを言っているようだ。

愚痴? 前向きに考えないと? 

 意味が分からない。しばらく考えて、やっと分かった。先輩は過去にあった悔しい事件や情けないできごとを語ることを「愚痴」と解釈しているのだ。だから、「いつまでもクヨクヨ悩んでいないで、過去のことはさっさと忘れて、前向きに生きろ」といっているのだ。

 先輩以外にも似たようなことをいう友人はいる。「終わったことをいつまでも言っていても仕方ない。前に進もう!」一見、正しい意見のように思える。どうも日本にはそんな発想が正しいという思いがあるようだ。

 実際、歌謡曲でも「立ち止まるな 振り向くな」とか

 「Don't look back」とか似たような発想のものが多い。一般的に考えても、後ろ向きより、前向きの方が好感を持たれ、支持される。「過去は忘れて前に進もう」は正しいと思われる。しかし、僕はそうではない!と昔から思っている。

 というのは「終わったことをいつまでも言っても仕方ない。前へ進もう」とよく言う友人。一見、前向きながんばり屋のように思える。でも、実際は彼が目指したこと、志したことは何も実現していない。なぜか? 何年も注目していると分かった。

 彼は「終わったことを言っても仕方ない!」と考えて

 「なぜ、失敗したのか?」「どこに問題があったのか?」「どうするべきだったのか?」は考えず。次のことを始めてしまうのだ。そして似たような理由で失敗。また、次のことを始める。

 「終わったことを言っても仕方ない!」というと、サッパリとしていて男らしいと思えるかもしれないが、彼の場合は「反省しない」「原因を調査しない」「問題を分析しない」ということ。「終わったことをいっても仕方ない」という意味なのだ。学生時代から友人たちを見ていると「愚痴っても仕方ない」「後悔しても何も変らない」という奴に限って、同じ失敗を繰り返し、結局、目標を達成していない。

 僕は失敗したら、こう考える。

 「原因は何か?」「誰に責任があるのか?」「その人をなぜ起用したのか?」「問題は彼の実力のなさか? 責任感のなさか? それとも家庭の事情か?」「僕自身に責任はないか?」「人を見る目が自分になかったのではないか?」「では、あの場ではどうすればよかったのか?」

 全ての関係者の状況を再確認し、僕自身がどう判断し、対応するべきだったか? それもあらゆるケースを考え直す。さらに、人だけでなく、予算、時間、天候、等の影響はないか? 何がどうすれば、問題を収拾し、乗り越えることができたか?改めて想像する。

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 もし、似たような事件が起きたら、

 そのときに考えた方法論を実践する。でも、うまく行かなければ、そのときと、次のときと何が違ったか?また分析、把握して次に繋げる。事件直後だけでなく、何年経っても事件のことを思い出し、時間が経ったことで冷静に見つめ直すことができるので、また分析する。

 もし、単に「**君のせいで大失敗した。許せない〜」と言っているだけなら、先輩が指摘するように、愚痴だ。でも、それだけではなく。その状況を分析し、次の反省に繋げるならば、それは愚痴ではない。なのに先輩は「過去の失敗談」や「苦い話」を書くだけで「愚痴をいうな」といっているのだ。

 付け足すと先輩は「人のせいにするな!」

 とすぐにいう。責任転嫁はいけないが、本当に問題があったのは誰か?を客観的に分析し、なぜ、その人が問題を起こしたか?を理解し、僕らに何かできなかったか?を考えることが必要。だが、先輩は過去の失敗を話すと「愚痴をいうな」問題ある人物の話をすると「人のせいにするな」と怒り、話を終わらそうとする。

 先輩にしろ、友人にしろ、意味をはき違えている。失敗を反省すること。分析することは「愚痴」ではない。それをしないこと前向きというより、愚かなだけ。責任が誰にあるか?を明確にすることは「人のせいにすること」とは違う、同じ失敗を繰り返さないために大切なことだ。

 8月が来る度にマスコミは「終戦記念特集」をするが、

 あれは「愚痴」だろうか? 二度と悲惨な戦争を繰り返さないために、当時の日本は何を間違い、なぜ戦争に参加し、どんな悲劇を起こしたか?を分析、反省するためのものだ。

 同じように僕は、よりよい映画を作るために、機会あるごとに過去に起きた事件を再分析し、反省し、同じ失敗を繰り返さないように自分を戒めながら、その種のエピソードを書く。そのことを学んだのは実はスピルバーグ監督である。

 映画監督というのは傲慢な人が多く。自分は絶対に正しいと思い込んでいる。が、彼の映画を見ると以前の反省に立った演出がかなりある。完成後に問題点を分析して、次はこうしよう!とか考えていることが分かる。

 日本では「終わったことをいつまでも言っていても仕方ない。

前に進もう!」というと、正しいと思われがち。だが、それは違うと考える。何度でも反省して、問題点を把握した上で、同じ失敗を繰り返さないようにすること。日本という国自体が過去の愚かな失敗を繰り返そうとしている現在。そのことを余計に感じてしまう。大事なのは反省と分析。過去の愚行は忘れてはいけない。前へ進むのは、それからではないか?


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「夢はしょせん夢。世の中甘くない」という考えは違う。「やればできる! 夢は叶う」という話。 [【再掲載】]

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(再掲載)

こんなコメントを頂いた。

「日本の業界の多くは大手が幅を効かせ、中小を抑圧して、自分たちだけが暴利をむさぼる構図があるけど、映画の世界も同じなんですね」「世の中、こうしたもの。しょせん強いものが勝つようにできているんだ」

人は汚い裏側を知ると失望し、絶望し、諦めたり、努力をむなしく思ったりしがち。でも、そんなふうに考える背景は何か?と考えてみると、何度も書いてきたけど、やはり日本の教育にあるんじゃないだろうか? 暗記中心。考える訓練があまりなく。与えられたことを確実にこなすことを目的とした教育。

要は優秀なサラリーマン育成が目的。

上から言われたことを迅速に確実にこなす能力が高い人材を選びだすため。だから、多くの日本人は上から与えてもらわないと指示や命令をもらわないと、動き出せない。その環境が理不尽なものや厳しいもであるとき、自分で分析して、自ら目的を作り、突き進むというのに慣れていない。

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つまり、勉強や仕事ができる環境があった上で、

与えられたことを確実にこなすという訓練しか受けていないので、魑魅魍魎の世界や断崖絶壁を垣間見ると、すぐ絶望して諦めてしまう。でも、もともと現実なんて厳しいものであり、大自然だって公平ではなく、弱肉強食の世界。その中でどうやって生き抜いて行くか?が生物の戦いのはず。

そして、どんな厳しい状況でも、不可能に思われる事態でも、考えて、考えて、考えれば必ず方法は見つかる。お手軽にはできないし、年月もかかるけど、必ず変えることはできる。その方法論を間違わなければできる。でも、学校ではそんな方法論を考える勉強はせず、「これは***方程式で解きなさい」とか「この作家は***を訴えています」と教える。それに従って問題や設問を解くだけの教育。

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だから、方法論を考えだすことができず。

教えてもらわなかった事態に遭遇すると投出し、諦め、絶望するのだと思える。そして「世の中、甘くない」「夢はしょせん夢にしか過ぎない」「現実をシビアに受け入れるのが大人の考え方」と自分を戒めて納得。夢を封印し、理不尽を受け入れ、耐えて生活するのが人生だと考える。

でも、それは方法論を見つけることができないだけだ。僕自身の経験だが、学生時代に「映画監督になる!」といって、どれだけ多くの大人たちに反対され、批判されたことか。「世の中甘くない」「夢みたいなことをいうな」「諦めが肝心」「お前、才能あるのか?」散々、否定され続けた。調べても映画会社は社員の受け入れはしていない。業界に知り合いはなし。八方塞がり。でも、足掻き続けて、何年も転がり続けて、今、監督業をやっている。

監督になってから

「自分で製作費を集めて、本当に作りたい映画を作る!」といったときも業界の友人、先輩から大反対された。「絶対に無理」「前例がない」「お前に金集められる訳がない」といわれた。けど、必死に方法論を考え、走り回って、多くの人の応援もあり、今回で4本目の映画を作っている。全作とも、僕が本当に作りたい作品であり、自分が望まないものを雇われて作ったことはない。

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僕は学生時代。まじめな優等生ではなかった。

高校時代は「落ち零れ」と言われた。与えられたことを確実するだけの授業にうんざりしていた。けど、その頃から「どうすれば監督になれるか?」「どうすれば映画を作れるのか?」「どうすれば自分が作りたい映画が作れるのか?」考え続けた。考えれば答えが見えてくる。実践する。ダメなら別の方法でチャレンジ。諦めなければゴールまで行けることを実感した。僕でもできるんだから、誰だってできると思える。

お店でも、レストランでも、弁当屋でも、カフェでも、大資本のチェーンが君臨しているが、個人でもできる方法はあるはず。金や宣伝だけで成功するものではない。或は、俳優になりたい。歌手になりたい。小説家になりたい。漫画家になりたい。デザイナーになりたい。いろんな夢がある。それも命がけでかかれば実現できるはずだ。

でも、そのためには専門学校に行ってもダメ。

マニュアル本を読んでもダメ。方法論を必死で考えて、実践すること。10年かけてもやる覚悟が必要だ。ただ、これまで受けてきた日本の教育に縛られて、その方法論を考えることができない人が多い。与えてもらわないと何も始まらないと思っているけど。実はチャンスも方法論もたくさんあって、それに気づかないだけ。やればできる。僕はそう考えている。





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嫌われてこそ映画監督? 「いい人」と呼ばれる奴は駄作しか撮れない? [【再掲載】]

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嫌われてこそ映画監督? 「いい人」と呼ばれる奴は駄作しか撮れない?

知り合いの製作会社にいくと、

よく他の監督のうわさ話を聞く。「A監督の新作、惨敗らしいよ。この間も、客が2−3人。厳しい〜。A監督、ほんといい人なのにな。がんばってほしいよねえ」

逆にこんな話も聞く。「B監督とはもう仕事することはないなあ〜。あそこまでわがままだと付き合いきれない。もう少し、チームワークとか考えないと、誰も相手にしてくれなくなるなあ」

こう聞くと、A監督はいい人だが、新作がヒットせず苦戦しており、同情を集め、応援したいという状況。比べてB監督は身勝手で嫌われている。離れて行く人が多く、存亡の危機にある。という印象を持つだろう。が、ここで抜けている情報がある。B監督の映画はヒットしているのか?というのが分からない。

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実はB監督の作品は毎回ヒットしている。

比べてA監督は毎回惨敗。どういうことなのか? 何度も記事を書いて来たが、その背景に映画界的な事情があるのだ。A監督。いい人で、製作会社が「この女優で行きましょう! テレビドラマのレギュラーも決まったし」というと「じゃあ、その子で行きましょう」と従う。

が、B監督は「その子じゃ無理、シナリオのイメージと違う!」ということを聞かない。一事が万事、A監督は皆と協調し、仕事をする。B監督は全てを自分で決め、人のいうことを無視。こう書くと、「仕事なんだから、やはり協調性が大事。A監督はそれを理解しているが、B監督は常識がない」と思う人もいるだろう。

しかし、映画というのは皆の意見を取り入れて、

全員が満足する形で進めるといいものができない。1人の作家がやりたいようにやったときに、名作と呼ばれる作品が生まれたりする。黒澤明だって、キューブリックだってそう。巨匠と呼ばれる監督は皆、完全主義者で我がままで、誰も止めることができない。その意味でいうと、皆のいうことに従うA監督にいい作品が作れないのも当然。

さらに、製作会社というのはご存知の通り。いかに製作費を抜き、自社の利益にするか?としか考えないところが多い。いい映画を作ろう!と思ってる社は少ない。そして、面倒なことはしたがらない。さらに、自社と癒着した芸能プロダクションの俳優をキャスティングすることで、キックバックをもらったり。いざというとき大物俳優を都合してもらうときのための恩を売りたい。というようなことばかり考えている。

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なのに、監督が「この俳優はダメだ」というと、

キックバックももらえないし、恩も売れない。撮影も適当にやれば、そこそこで終わるが、熱を入れてがんばられるといろいろ面倒。つまり、製作会社にとって「いい監督」というのは、自分たちの言うことを聞き、面倒なことをせず、不正や癒着に目をつぶる人たちのことなのだ。だから、「A監督はいい人だ」というのだ。

それに対してB監督が嫌われるのは、本当にいいものを作ろうとして妥協せず、無理をして、努力をするから、時間も費用もかかり会社としてはマイナス。通常以上の労力を強いられる。自分たちのいうことを聞かない。不正や癒着ができない嫌な奴なのだ。だからこういう。

「B監督とはもう仕事することはないなあ〜。

あそこまでわがままだと付き合いきれない。もう少し、チームワークとか考えないと、誰も相手にしてくれなくなるなあ」

製作会社のいう本当に意味が分かってもらえたと思う。僕も人の意見を聞かず、絶対に自分を曲げない方だから、製作会社とはよくぶつかった。一度やったところは二度と声をかけてくれなかった。プロデュサーはあちこちで悪口をいいまわっているようだ。が、まだまだ、悪評を聞くことは少ない。むしろ「太田はよくやっている」という話を聞く。これはまだまだ我がままが足りないということだ。

映画監督というのは、嫌われている人ほどいい映画を作る。

「いい人だ」と言われてる人ほど、ろくでもない映画を作っている。不思議な世界ではあるが、事情を知れば「なるほどそうだな!」と思ってもらえただろう。


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向日葵の丘」完成披露試写会の舞台挨拶ー少しだけ動画で紹介! [【再掲載】]




向日葵の丘」完成披露試写会の舞台挨拶ー少しだけ動画で紹介!

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