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ロケ誘致による経済波及効果は、前年比1.1倍の約6億1000万円と右肩上がり! [町おこし映画の問題点]



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(日経エンタテイメントより引用)

 全国の「フィルムコミッション(以下、FC)」。各FCが過去5年間にロケを誘致した映画の作品数を集計し、ランキング化した。

 過去5年間に映画のロケ地になった作品数を各団体の発表資料から集計(自主制作映画とロケハンは除いた)トップ5のFCの所在県を見ると、1位は茨城県、4位は山梨県、5位は栃木県と3団体が東京周辺。ロケ費を抑えたい制作側と多忙なスターたちにとって、日帰りできる近場のロケ地は大きな魅力だ。大阪から近い滋賀県のFCが3位に入ったのにも同様の理由があるだろう。

 ただし、近いだけでどこでも撮れそうな風景ばかりでは、わざわざ地方にロケに赴かない。過去5年でダントツの264本もの映画ロケを誘致した、いばらきFCによると、近さに加え、2つ目の強みに“どこでもロケ地”がある。

 「他の46都道府県、どこの風景でも『あんな感じで撮りたい』という希望を言っていただければ、県内で探します」(茨城県商工労働部 観光物産課 フィルムコミッション推進室 主任 米川洋司氏、以下同)。

 全国のFCの中でも、設立13年と歴史が古く、ロケ実績が多いため、ロケ地のネタが豊富だ。例えば、つくば市の県内最大のショッピングモール「つくばクレオスクエア」内の一角は“原宿”として人気で、県内の牧場は“北海道”の自然を表現するシーンによく使われる。「つくばエクスプレスに一部地下の区間があり、“地下鉄”も撮れます」。

■経済効果は年間6億円に

『S-最後の警官-奪還』
 航空自衛隊の百里基地の協力で、実物のヘリの機内で緊迫するシーンを撮影。取手競輪場の地下通路は巨大な輸送船内に見立て銃撃シーンに。本来火気厳禁の場所だが、県の許可を得て火薬も使用。監督・平野俊一、出演・向井理、綾野剛/全国公開中/配給東宝

 そして3つ目の強みとして、いばらきFCは茨城県が運営しており、県が中心となり市町村(44市町村のうち25)のFCと連携している。県がここまでリーダーシップを取るFCは他にない。撮影者がロケ地選びに困ったら、いばらきFCに連絡すれば、窓口になって県内各FCに話をつないでくれる。「このシステムがあることで、『まずはいばらきFCに聞いてみるか』と、ご相談をいただけているのが、ロケ誘致の増加につながっているのではないでしょうか」。

 これにより、茨城県内へのロケ誘致による経済波及効果(ロケ隊の飲食や車両・機材レンタル、宿泊など)は、前年比1.1倍の約6億1000万円と、設立以降、右肩上がりで伸びている。都心から近いので泊まらずに帰るロケ隊が多いのが残念というが、ロケ弁のお供に県産品の納豆や干し芋パイを提案するなど、日々の地道なPR活動も実を結び、毎日電話で10本程度、ロケの新規問い合わせがあるという。

[日経エンタテインメント! 2015年11月号の記事]



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【地方の映画祭はなぜ盛り上がらないか? 映画愛はそこにあるのか?】 [町おこし映画の問題点]

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【地方の映画祭はなぜ盛り上がらないか? 映画愛はそこにあるのか?】

数年前。ある映画祭に招待された。主催者はなかなか映画愛がある人で、僕の映画を映画館に観に行った上で「ぜひ、うちの映画祭で上映したい!」と映画と共にゲストとしてもー招待してくれた。が、そこでいろんな思いをすることになる。

映画祭ではそんなゲストと地元映画ファンが交流を持てることが、いずれにとっても楽しみである。監督やスタッフ。俳優は、なかなか一般の映画ファンの感想を直接聞くことがない。ファンはプロの人たちにいろんな質問をすることができる。でも、その映画祭。いろんな映画が上映されるが、とにかく客が少ない。150人のホールに10数人。そして映画祭のレセプションとかオープニングパーティとかはなく、上映が終わったら数人で近所の居酒屋に飲みに行くだけだった。

主催者も一緒、映画祭の常連客で7人くらいのグループになり「太田監督もご一緒に!」と呼ばれた。だが、飲み会が始まっても、それぞれが何者であるか?の紹介がない。皆顔見知りだというのもあっただろう。会話が進むと地元映画ファンや新聞記者がいることが分かる。監督は僕ともう一人。しかし、僕らの映画の話は出ず。「最近の映画はどうだ?」「***は面白かった」というような話題が続く。主催者もゲストに対する気遣いはなく、黙って飲むばかり。


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何だか、地方の映画サークルに間違って参加してしまったような違和感。その内にようやく質問を受けた。「太田監督はどんな映画を撮っているのですか?」?????? ま、僕は誰もが知る有名監督ではない。でも、会場で配られたパンフレットを見ればプロフィールが載っている。それを読めばいいのに、あえて本人に訊く? 

で「朝日のあたる家」というのが最新作だと詳しく話すと「いつもその手の社会派映画ばかりを撮っているんですか?」と質問が続く。そんなことから話さねばならないのか? そもそも映画祭に毎回参加する常連なら、事前にHPでゲストを調べ、プロフィールや作品くらい把握するのではないか? その方が本人に会ったときに、いろんな話が聞ける。

僕のように無名の監督でも、その作品に出た有名俳優等の話を聞くこともできる。撮影現場の話。現代の映画界の様子。相手がどんな監督だろうと、映画ファンなら聞きたい話がたくさんあるだろう。なのに、何も下調べはなく。最近、面白かった映画について延々話し、ようやく質問が来たら、僕自身にプロフィールを訊く。僕だけではない。もう一人の監督も同じ扱い。何だか映画祭のゲストではなく、映画サークルに参加した新人であるように思えて来た。

翌日も上映後には飲み会があった。別のメンバーだが、同じ展開だった。その日は「どんな映画を撮っているんですか?」ではなく「お生まれはどちらですか?」と訊かれた。大学の合コン?のような質問が続き。映画の話は全く出ずに終わった。皆、「地元の***さんが、、、」という内輪の話題に終始。

2日共、割り勘で飲み代を払った。大きな映画祭ではない。飲み食いは自腹なのは理解している。が、その会に監督たちを呼んだ意味があったか? それも映画祭のオープニングから参加してほしいと言われて来ている。映画ファンたちとの交流を連日、望んでいるのだと考えていたのだが、主催者も常連客も自分たちで盛り上がるだけ。ゲストがそこにいる必要性はない。


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ようやく3日目。僕の映画が上映される。客席はほぼ満員。宣伝はしていないが各地でヒットしていたので噂を聞いた人が集まったのだ。飲み会に参加していた映画祭の常連客も来ていた。上映が終わってロビーにいると、その内の2人が近づいて来てこう言う。

「あなたの映画は好きになれませんね~」

そして、延々と映画の問題点を語り出した。その指摘。ほとんどが外れている。映画をしっかりと観ていないこと。勘違いや理解不足が理由。そこを説明すると「ああ、そうですか〜それは見落としたなあ」ということもなく「でも、***のシーンはおかしいですよね」と切り返してくる。

結果、指摘は全て誤解によるものだった。が、彼は「まあ、次の映画には期待していますよ」と去って行った。とにかく認めなくない!という感じ。??????「何か嫌われることしたあ〜?」と思えるほど。どういう人なのか?
僕もいろんな映画祭に呼ばれたが、関係者の多くからこんな扱いをされたは初めてだった。ゲストが来ているのに内輪の話しかしない。招待客に興味を持たない。常連客がゲストを批判。それも全くの当て外れ。

また、飲み会メンバーも1日目は映画オタクのような人たちばかり。2日目は映画に興味ない人だらけ。いずれもホスピタリティのない閉鎖的な人ばかり。主催者は真面目でやる気のある映画青年だが、消極的でホストの役割が果たせていない。

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だが、次第に見えて来た。映画祭に一般の客は来ていない。オタクなタイプが多い。その人たちが常連となり、主催と親しくなる。彼らは対人関係が苦手。ズケズケとものをいう。だから、ゲストが嫌な思いをする。打ち上げにも参加せずに帰る監督もいた。また他県から来た人をあえて無視するという市民性もあると聞いた。それらがミックス。年々、観客が減る。一度来たゲストは二度と来ない。ということのようだ。

映画祭は全国各地で開かれている。しかし、本当の意味でうまく行っている映画祭は少ない。それは主催者が「映画祭とは何か?」を理解せず、勉強せず。単にホールを借りて映画を上映するのが映画祭だと勘違いしている人たちが多いからだ。ゲストを呼んでもホスピタリティがない

僕が参加した映画祭も同じ。でも、その主催者を今も応援している。とにかく映画に対する愛はある人だ。ただ、それだけではダメ。映画祭とは何か? 何ができるか? 何をすべきなのか? を考えるべき。映画ファンが喜ぶイベント。映画関係者が参加してよかったと思う対応。映画祭はイベントだが、旅館やホテルと同じ。「また、泊まりに来よう。来年も来たい」そう思ってもらえること。大事だと考える。

 さらに、もう1話=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-11-18-19




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町おこしのための地域映画が成功しない理由?⑪ 最終回 僕の場合? [町おこし映画の問題点]

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  僕が監督した映画は全て地方で撮影。いずれもロケ地から多大な協力や支援を得て作っている。撮影から宣伝まで、町の方々の熱い応援がなければ成り立たなかった。今もそれぞれの町の方々には感謝している。そして何より、今回まで紹介してきた「やってはいけないこと」「やらねばならないこと」を町の方々は本当に理解してくれたこと。ありがたかった。

 ただ、いくつかの町では「現在、市がアピールしている公園を撮影してほしい」「地元の野菜を紹介してほしい」というリクエストが来た。「町には協力してもらっているし、そのくらいは受け入れようか」と考える監督もいるが、僕はお断りする。

 大事なのは「物語ありき」ということ。物語上で主人公が海岸で荒波を見て復讐を決意するシーンがあったとして、それを地元が「公園で撮影してほしい!」と希望される。だが、海だからこそ盛り上がるシーンを公園にしては無意味。そんなふうに物語に沿わないロケ地で撮ることは作品のクオリティを著しく下げる。

 その公園を使うことで、一部関係者は「宣伝になった!」喜んでくれる。でも、小さなことから物語がほころび、感動作にならなくなる。それは観客への裏切りであり、町の人たちへの裏切りにも繋が。地元をアピールするためにも、まず、感動できる映画を作ってこそ、多くの人が観てくれてロケ地が美しい町として記憶に残る。だから物語を壊す要望は受け入れてはいけないのだ。

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 だが、要望を拒否するばかりではない。僕の場合は自分から進んで地元の魅力を取り入れた作品にする。僕は何年も前から、ロケ地について勉強する。歴史を調べ、産業を知り、何度も町を訪ね、撮影で使わない場所も行く。地元の人と話をし、地元の名産を食べる。春夏秋冬の全てを体験し、それを撮影する。大企業でもそこまでするところは皆無だろう。でも、そうやって町を知り、好きになってこそ。その町を描ける。

 あとでシナリオに無理矢理、町の名産を食べるシーンをねじ込むのではなく。町を代表するもの。或は外部の人が見て喜ぶものはシナリオを書く段階で入れる。タイアップとかではない。僕自身が興味を持ち、それをモチーフに物語を進めるためだ。これを頼まれて挿入したら物語が壊れるが、最初からエピソードとして組み込めば見ていておかしくない。

 撮影の頃には、僕は町の人より、町に詳しいことが多い。市民を集めて町の魅力を語る講演会をしたこともある。意外に町の魅力を知らない人が多い。地元の人は「大した町じゃないですよ」というが、どこの町にも素敵な風景が必ずある。東京に負けないものがある。そんな町の素晴らしさを町の人に再確認してもらう。それが僕の映画のテーマでもある。町をアピール、宣伝することも大事だが、町の良さを見つけることも大きな意味があり、映画作りはそれを実践できる。

 日頃見慣れた古里の風景も、映画のスクリーンで見ると本当に素晴らしいものだと思える。映画というのは旅人の視点なのだ。見慣れた自身の目ではなく、外からやってきた旅行者の目で見ている。だから、見慣れているのに素晴らしさに気づく。「そうか、うちらの町はこんなに美しかったんだ」そう感じてもらうのも僕の映画作りの目的。

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 そして、僕は町のPRのみのために映画作りはしていない。だから、東京で上映しても映画として評価される。他の地方でも客が来てくれる。これが「***市の映画」としてPR目的で作ると「何で、知らない町の宣伝を見なきゃいけない!」となるが、僕の映画は一般の商業映画。町の宣伝が一番の目的ではなく、感動を伝えるのが一番。でも、その映画を見れば、ロケ地の素晴らしさも自然伝わる。

 でも、このやり方は時間がかかる。最初、製作費が集まる前、自腹で町に何年も通う。その後、経費として交通費をもらおうとすると、一部の人は「監督は金取るんですか?」と言い出すことがある。僕が一生懸命やるほど、仕事ではなく、ボランティア活動だと思い込む人がいるのだ。反対にロケハンと撮影にしか来ない監督を「あの人はプロだ。忙しいんだ。短い期間だけど、町に来たら歓待しょう」と思うようだ。

 何度も町の人と接し、親しくなると、僕が仕事で映画を作っていることを失念され、監督料を取ると「金のためにやっていたのか? 失望した」と言われる。が、実際、もらうギャラ以上のことをやっているし、毎回、残るの借金だけ。映画は町の宣伝にもなり、多くの人に喜んでもらえるが、一部の人から、特に映画に深く関わった人から、そんなふうに言われると、悲しい。

 そして、映画が無事公開されると、僕は毎回、過労で倒れる。何ヶ月も寝込み。さらに借金が嵩む。それでも地元の人が映画を喜んでくれたのだから、これでいい.....と思うのだが、このやり方を真似る監督はいないし、町的には有名な映画会社が魂胆ミエミエで撮影に来ることを無邪気に喜ぶことが多い。ちょっと、僕もやり方を変えないと、このままではダメと感じる。
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 ただ、新作映画の撮影をするときに、前の映画のロケ地、前の前の映画のロケ地の方々が手伝いに来てくれる。「金のためにやっているのか?」と批判する人もいるが、そんなふうに遥々、ロケ地に来てくれる人たちがいることは本当に嬉しい。がんばってよかったと思える数少ない瞬間だ。

 もし、町おこしのために映画を作ろうと考えている方がいれば、このシリーズが何かの役に立ってもらえれば幸いだ。また、機会があれば続きを書く。

 おまけ=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-10-25-10




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町おこしのための地域映画が成功しない理由⑩ー映画が完成すると撮影に参加した人が、単なるお客様になってしまう現象? [町おこし映画の問題点]

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映画は本当にお金がかかる。製作費だけでは十分でなく、地元の方が数多くボランティアで参加してくれる。或は市民俳優として出演。物を借りたり、建物を貸してもらったり、差し入れを頂いたり、情報を提供してもらったり。何百人もの応援を得て映画は完成する。

「私たちの街を舞台とした映画が出来た!」

と、皆、喜んでくれる。が、不思議なことに、撮影が終わると参加者の多くが、単なる観客になってしまう。「公開が楽しみだな〜」といって待つばかりとなる。「それでいいんじゃないの?」と思う人もいるだろう。

が、撮影のあとは「宣伝」という大事な仕事がある。なのに、多くの人は「撮影終了」=「完成」。自分たちが作った映画なのに「あとは、観るだけ〜」とお客様になってしまうのだ。


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映画は宣伝し、多くの人に伝えないと映画を観に来てはもらえない。だから、ポスターを貼ったり。チラシを配ったり。前売り券を売ったりするのだが、地元の人は何もしなくなる。なぜか? 一般の人は「映画を作ればテレビが勝手に宣伝しくれて、新聞にも広告が載るだろ。だから、放っておいてもお客が来るんじゃないの?」と無意識に思い込んでいるからだ。

けど、テレビや新聞に広告が出るのは広告料を払うから。それには何千万も何億も必要。そんな余裕がないから、製作費を寄付で集め、ボランティで多くの市民に参加してもらった。巨額の宣伝費がないこと、分かりそうなのに........誰も、気付かない。説明してもピンと来ないようで、「今、忙しい」「それどころじゃない」と言われる。撮影のときはあれほど、がんばってくれた人たちがそんな返事。

そして以下のような会話となる。「だって、広告会社がやってくれてるんだろー?(予算ないから雇えない!)」「映画館が宣伝してくれるんだろー?(しません)」「テレビが宣伝してくれるよね〜?(金を払わないとしてくれません)」なのに最後は「映画の公開。楽しみにしています〜」で終わる。結局、お客様。動こうとする人はなかなかいない。

最近はテレビ&映画業界については詳しい人が多いのに、なぜか「宣伝」に関して多くの人が「誰かが宣伝してくれるんじゃないの〜」と思い込んでいることが多い。だから、毎回、そこから説明して、宣伝活動に参加してもらうのだが、こんな人もいる。

「映画ってのはいいものを作れば、口コミで広がってヒットすんだよ。宣伝するのは作品に自信がないからだ!」

だが、それも違う。映画館上映は最低2週間。事前に前売り券が売れてこそ、3週4週と伸びる。そのためには公開前から宣伝が必要。それを映画が公開されてからの口こみを待っていたら、客が来る前に上映は終了。口コミが広がるには、かなりの時間がかかる。

僕の友人が古里で撮影した映画も同様だった。その街の映画館で上映されるのに「いつから公開されるか?」をほとんどの人が知らない。地元の人が前売り券を売ってない。その結果、初日の映画館がガラガラ。数週間で上映打ち切り!

地元でヒットしない映画が東京で公開される訳もなく。あれほど、みんなががんばって、一致団結して作った映画が、一部の人だけが見ただけで終わる。参加者でさえ「え?いつ上映したの?知らなかった...」という。宣伝しないから皆、上映を知らなかったのだ。

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あの大変な撮影は何だったのか? あの努力と奮闘は無意味だったのか? そんなことが地方映画ではよくある。何より自分たちの街の良さを全国にアピールするための映画なのに撮影だけ参加して「あとはよろしく〜」みたいな人が多い。

だが、彼らが、いい加減ということではない。一般の人の多くは「宣伝」という認識がないからだ。「誰かがやってくれるだろう。テレビで宣伝してくれるはず。映画館が告知してくれる」と思い込んでいるのだ。自分たちが作った映画は自分たちで宣伝しなければ、誰も宣伝しないことが分からない。

なのに、「映画公開、楽しみ〜」とネットで「いいね」を押するだけになってしまう。せっかく、みんなで作った映画が、そのために惨敗して2週間で終わり。他の街では上映されない映画もよくある。

宣伝というのは、撮影と同じくらいのエネルギーと労力が必要。そこで何もしなかったら、せっかくの映画が無駄になる。なのに地方ではそんなふうに宣伝の大切さを分かってもらえないことが多い。上映が終了し、何ヶ月かして「そーいえば、あの映画どうなったんですか?」といわれることもよくある。本当に悔しい....。

映画だけではない。日本人って大変な状況になっても、自分たちがとんでもない目に遭っても「誰かが何としてくれるだろう?」と思いがち。しかし、誰も何もしてくれない。自分たちが動かなければ何も変わらない。それに気付いていない人、多いのだ。悲しい...。

 続き=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-05-20




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町おこしのための地域映画が成功しない理由?⑨映画界はハイエナばかり? [町おこし映画の問題点]

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わが町をアピール。観光客に来てもらうために映画で町を宣伝。その効果はもの凄いものがあり、対費用効果もかなりなものがある。が、多くの町ではその試みに失敗している。その理由をこのシリーズで紹介して来たが、書いていて感じるのは、地元の勉強不足。そして、映画作りなのに、そこに古い価値観や別の業界の方法論をはめ込もうとするからだと感じる。

映画作りは町に美術館等の箱ものを作るのとは違う。そして、映画自体が町を宣伝するのではなく、まず物語ありきで、それに観客が感動してこそ、その背景となる町がアピールするのに、その映画自体をPRと思い込み、本筋とは関係なしに主人公に町の名所を紹介させたり、産物を食べさえたりと。物語はそこそこにして、そちらに力を入れるという大きな勘違いが多い。

映画による町おこしを成功させるなら、まず地元関係者が映画作りを研究。同時に宣伝アピールを勉強することが必要だと思える。というのも、町の要求で映画自体をダメにするだけでなく、映画会社にダマされて町が利用されることもあるからだ。

ある町に映画会社が出資を求めて来た。「3千万円出しませんか? そうしたら、おたくの町でロケしますよ。総製作費は1億円です」と。その町の人たちは、美味しい話だと思った。その映画会社は中堅だが、まずまず名の知れたところ(業界関係者なら誰でも知る企業)だったのと、1億円の映画を3000万出すだけで、町の宣伝アピールに使える。そう思って、快諾。「有名な会社だから安心だ」と町の人たちが総出で応援した。

が、実は、その映画は1億円ではなく4000万円で作られた。町から3000万。映画館グループから1000万。映画会社からは0円。要は、自分たちは出資せず、映画館グループからの出資は宣伝費に使い。町の金だけで映画を撮ってしまったのだ。ロケ地は金さえ出せば、結局どこでもよかったのだ。

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映画公開後。町はその会社に、ある大きなイベントで町の宣伝ブースを出す。映画ロケもされた町であることを伝えたいので、映画のスチール写真を貸してほしいと頼んだ。答えはこうだった。「肖像権があるので、その種のイベントにスチール写真をお貸しすることはできません」その後もいろいろ頼んだが、全て拒否された。町の人々は激怒した「あんなに金出したのに写真の1枚も貸さないなんて!」だが、もともと、映画会社にその町に対する思いとか「町おこし」を応援する気持ちはないのだ。

町から3000万を引き出し、自分たちは金を出さず。儲けだけを取りたい。そんな発想で映画を企画したのだ。ちなみに、自治体は営利活動には参加できないので、町が出した3000万は広告費として出している。なので、映画がどんなにヒットしても、利益はもらえない。収入は映画会社と出資した映画館グループが山分け。会社は諸手で粟なのだ。


「映画で町おこしが流行っているから!」と手を出した結果がこれ。映画界にはそんなハイエナのような連中が多い。いや、そんな奴らがほとんど。そのくせ、地元は故郷愛のある映画作家たちには「この公園を使ってもらわないと!」「この産物を紹介してほしい!」と要求。作家のやる気を削いだ上に、単なるPR映画映画にしてしまうことが多い。ある後輩監督は古里が大好きで地元で映画を撮ったが、そんな要求の連続で映画を歪められてしまい、絶望。「二度と古里では映画を撮らない」と宣言した。

映画作りだけでなく、地方は同じような愚かな行動をしていることが多い。地元を愛する若者を踏みつけるので、彼らは都会に出て行き帰ってこない。そのくせ魂胆が見え見えの大手企業や有名ブランドに飛びつき騙され、利用される。本当に地元のプラスになるのは何か? まず、それを再確認すること必要だと思える。


 続き=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2016-10-21-1





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町おこしのための地域映画が成功しない理由?⑧宣伝の大切さが分からない? [町おこし映画の問題点]

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地元をアピールする映画を作るとき、いろいろと問題が起こること書いて来た。ロケ地、キャスト、シナリオ。それらに地元が口を出し、作品をダメにすることが多い話も書いた。一般の人には分かり辛いものが多く、皆、良かれと思って作品をダメにするので悲しい。

そんな中でも一番理解されないのがやはり「宣伝」だ。業界のこと。一般の人はかなり知識がある時代になって「F1層」とか「ツーショット」とか「広告代理店」とか「タレント事務所」とかの存在や意味を知る人が多いのに、驚くほど宣伝の方法論を知る人は少ない。

友人のC君。彼は若き映画監督で、ある町を舞台にした地元製作の映画を頼まれて監督した。町の大いなる協力で撮影は無事に終わり、映画は完成。いよいよ、地元映画館で公開となった。お世話になった町なので、数日前に訪ね。最後の宣伝を手伝おうと思ったのだ。

が、C君が目にしたのは驚くべき現実だった。町には1枚も映画のポスターが貼られていない。公開が数日後だというのに、町で訊いても誰も知らない。こんなことでいいのか? 公開日には東京から俳優たちも来て舞台挨拶を行う。初日がガラガラだと大変だ。

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多くの人が応援してくれたのに、上映を知らなければ見ることができない。東京から来る俳優たちも劇場がガラガラだと悲しむだろう。C君は町の長老に会い行った。「このままではまずいです。宣伝して、映画公開日を伝えましょう!」と言ったら、長老さん。意外なことを言い出した。

「お前は自分の作った映画に自信がねえのか? 自信がないから宣伝しようなんていうんだろう。いい映画を作れば、客が感動する。それが口込みで伝わり客が来る。今さらジタバタするんじゃねえ! 男らしく結果を待ちな」

C君は唖然とした。「長老さんは何も分かっていない。宣伝の大切さを知らなさ過ぎる」その通りだ。映画は初日にどれだけ客が入るかが勝負。その人数を100%として、そこから日を追うごとに客数が減ってくるというのが基本。その意味で初日は大量動員しなければ映画はヒットしない。

同時に、映画館は初日の動員数で上映期間を決める。満員なら4週間。そこそこなら2週間。もし、初日がガラガラだったら、どんなにいい映画でも口コミが伝わる前に上映は終了する。それが映画興行なのだ。だから、初日を満員にするために、公開直前の1ヶ月は大々的に宣伝する。

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なのに、町にはポスターすら貼られておらず、市民は公開日を知らない。当然、テレビや新聞に広告はでない。なのに長老は「今さらジタバタするな」というのである。そこでC君は今からでもポスターを貼ってまわり、宣伝をしたいと頼んだ。が、長老はさらに怒る。

「よく、そんな失礼なことを言えるな。俺たちゃみんなで前売り券を売ってまわったんだぜ。頭を下げて多くの人に買ってもらったんだよ。その苦労を知らず。何が宣伝だ!」

しかし、前売り券には公開日は印刷されていない。どうやって初日を知らせるのか? そのために宣伝が必要なのに、長老は「チケットを買ってもらった上に、映画館に来いなんて失礼なことはいえない」というのだ。

ここに誤解がある。地方でコンサート等があるとき、地元の団体等がチケットを引き受け販売する。が、コンサートは1日限り。チケットにも印刷されている。だから、売り終われば仕事は終了。あとは、公園日に客は各自で会場に来てくれる。が、映画の場合は公開日が印刷されていないことがある。宣伝等でそれを伝えないと会場には来てくれない。長老はそれを混同していたのだ。

おまけにチケットを売り切ったのは数ヶ月前。買った方は完全に忘れているだろう。チケットはタンスの中かもしれない。だからこそ、「いよいよ公開ですよ!」ということを宣伝しなければならないのだ、自信があるとかないとか関係ないし、客が来なければ口コミさえ広がらない。コンサートのように放っておいても客は来ないのだ。

それでも長老は「お前は本当に失礼な奴だ!」と怒るばかり、C君はなす術がなかった。公開初日、映画館はガラガラだった。俳優たちはそんな劇場で舞台挨拶をした。長老はいう。「おかしいなー。前売りもかなり出たし、映画のことは皆、楽しみにしているはずなのになー」来ないのは当然だ。

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ここまで何度も紹介したが、映画作りや宣伝に詳しくない地元の方が、自分なりの解釈で、撮影や上映を押し通そうとすることがある。だが、それは映画を盛り上げるのではなく、もり下げることにしかならない。C君はいう。

「長老も悪い人じゃない。撮影中は本当に助けられた。でも、驚くくらいに宣伝というものを分かっていない。一般の人だから分からないのは当然だけど、説明しても理解しようとせず、先入観や既成概念でものごとを判断。すぐに怒り出す。本当に悲しい...」

その通りだろう。こうして皆が力を合わせて作った映画が、東京で公開されるどころか地元でも盛り上がらずに終わることが結構ある。そう考えると宣伝の重要性が分かる。

だが、これは「町おこし映画」の問題だけではない。日本人は日本の発想に囚われてしまう。映画作りをしているのに、地元発想、素人発想で進めようとする。過去の経験や価値観に囚われる。或は時代が変わり、環境が違っているのに、古くさい方法論で対処しようとして大失敗する。

それは地方だけでなく、日本という国ではよく見かけること。未だに景気がよくならないのも、不況だというと「公共事業」という古い発想で対応しているからではないか? 地方の復興というと、箱もの作り。そんな古い発想だからではないか?まず、そこを見つめないと、日本の復活も、地方の展開も簡単には行かない。

 続き=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-05-19-3




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町おこしのための地域映画が成功しない理由?⑦ 何もメリットがない町のイベントをやめられない? [町おこし映画の問題点]

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都会では映画を撮らず、地方でばかり撮影している。太田組の映画はいつしか「古里映画」と言われるようになり、次第に評価されてきた。町の魅力を描きながら、物語としても感動できる。これがなかなかできないというのだ。そんなこともあり、ときどき地方の方から相談を受ける。ある地方都市の市役所。観光課の課長さん。こう訊かれた。

「この町の財政厳しいんですよ。漁業もアカン。林業もアカン。工業は小規模。農業もアカン。そやから観光で収入増やすしかない。でも、たいした史跡もないし、温泉もないし、観光客が来てくれへん。それで映画でも作ったら、PRになるて聞いたんです。大林監督の尾道シリーズみたいな映画を作ったら観光客が来てくれる。けど、何億も出す余裕はない。監督。映画作んのっていくらかかるんですか?」

僕は答える。ボーイ・ミーツ・ガール的な特撮もアクションもない、有名俳優もたくさん出ないドラマで企業映画は最低1億くらい、独立系なら最低3000万くらいですね。ま、それだと深夜ドラマ・レベルの作品ですけど。そう答えると課長さん。ため息をついた。高額過ぎる!という反応?と思ったが、そうではないようだ。

「3000万ですか......この町でも集めようと思ったら集まらないことない額ですね。というのは、毎年夏に花火大会をするんですよ。その費用が同じ3000万。けど、これも問題があってねえ。もともと、近隣の町の人たちを花火大会で呼ぶことで、この町で飯食ったり、買い物したりで金を落としてもらおうという観光イベントやったんです。それが近所の町でも同じことを始めた。今、花火大会に来るんは、この町の人だけ」

課長は真剣に話を続ける。

「全然、観光PRになってない! おまけに花火大会の費用。市民は市の予算でやってると思てますけど、市民の寄付なんです。それを我々観光課が集めてまわる。大手の会社や余裕のある個人にお願いしても、何で寄付せなアカンね? 花火大会らやめたらええんや。と言われます。ほんまにその通りなんです。町のPRにはなってない。来るのは市民だけ。けど、ほんまにやめたら市民から、何でやめんね! 楽しみにしてたのに!と言われる。せやから、歴代の観光課課長はやめられへん。あいつが花火大会を止めた張本人や!と延々に言われるからです」

何とか悲しい話だ。PRにならない花火大会。その費用を市民は寄付したがらない。でも、やめると文句をいわれる。だから、続ける。この町でも、そんな無意味なことに労力とお金を費やしているのだ。課長はいう。

「ホンマはですよ。今年の花火大会は止めて、集まった寄付で映画を作ればいいんです。同じ3000万ですから。その方が遥かに町のPRになりますよー。花火大会は夏に1時間ほどやったら終わりですけど、映画は何度でも上映できる。この町だけとちごて、東京でも、大阪でも上映される。太田監督の映画ならアメリカやヨーロッパでも上映されてる。この町が日本全土、世界にアピールできるんです。同じ3000万で。凄いことじゃないですか!」

課長さん。なかなか鋭い。その通りだ。映画の対費用効果はもの凄いものがある。その上、映画館だけではない、イベント上映、テレビ放送、ケーブル&衛星放送、DVD、ネットと、いろんなメディアで発信される。その町の花火大会は人が集まって数千人。でも、映画なら何万。何十万人が観ることができる。課長は続ける。

「その方が町のPRにはなる! 少しでも観光客が増えたら旅館や土産物屋。飲食店のプラスになる。せやけど、うちの観光課。そんな話しても誰も分からんでしょうねえ。それより、『花火大会やめたら、文句いわれますよ。責任追及されますよ』という奴がでてくる。まあ、僕も、花火大会はもうやめよ!とはいえないんですけどね。市民のほとんどは市の予算でやってると思い、企業や市民は寄付をいやがる。観にくるんは市民だけ。皆、毎年、夏に花火大会するんは当たり前と思っている。楽しみにしている人はそんなに多くないんですよ。何かむなしいですね」

本当にその通りだ。が、地方のイベントにはこんなことが多く、あまり意味がないのに「やめよう」というと文句が来るのでやめられない。町のプラスにはならないのに10年以上続けている。そのくせ財政が厳しい。赤字だ。と嘆く。

ここでも地方の問題点が浮き彫りになる。お金がないのではなく、無駄使いを止められないのだ。意味のない慣例や恒例の行事を続けている。課長のいうとおり、花火大会やその他の行事を一度だけお休みして、映画を作った方が町のために大きなプラスになる。が、それが分かっていても、手を上げる職員はいない。それが地方の現実なのだ。


 続き=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-05-19-2





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町おこしのための地域映画が成功しない理由?⑥ ロケ地が物語を壊す? [町おこし映画の問題点]

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地元の魅力をアピール。観光客を呼び、町おこしをするための映画作りが各地で行われている。が、その多くが失敗しているのはなぜか? 今回は「ロケ場所」について書いてみる。

映画撮影をする前に必ず行われるのは「ロケハン」。ロケーション・ハンティングの略で、和製英語。撮影する場所を探すという意味。撮影をするには絵になる美しい場所。物語にふさわしい風景が必要。それを事前に探す。

その際、地元が映画に大きな協力をしていたり、地元が出資している映画の場合は、リクエストが出ることが多い。「この公園で撮影してほしいんです」「この美術館を使ってほしい」「この喫茶店でロケしてもらえませんか?」

理由を聞くと「この公園は観光目的で力を入れて作ったもので、映画を通じているアピールしたいんです」「この店は町の実力者が経営していて、今回の出資はその人が一番出しているので、機嫌をよくします」なんて理由が多い。

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しかしだ。前回、書いた「地元の名産品を劇中で紹介してほしい」と同じ発想。シナリオに公園のシーンがあるならいいが、なければ別のシーンを公園に置き換え、シナリオを書き直さねばならない。喫茶店のシーンをレストランにしても意味が変わる。そうすることで物語がおかしくなる。

「何で、ここで公園に行く必要あるんだろう? 会社で話をすればいい流れなのに?」とか「この場面の会話は喫茶店なら分かるけど、レストランだと意味が違って来るよな?」ということになる。もちろん、映画サイドも「それは違う」と思うのだが、地元が大きな協力をしていると受け入れてしまうことが多い。

ただ、その種のやり取りはテレビドラマでも存在する。タイアップと呼ばれ、2時間ドラマなどで顕著な例を見ることができる。ミステリードラマで、地方に犯人を追って行く。刑事たちはなぜか? 豪華な温泉ホテルに泊まる。そして従業員が「刑事さん。怪しい奴を見ました」といい、刑事たちはホテルの中を探して回る。が、結局、見つからない。

そのシーンはさほど意味がなく、犯人は別のところにいたりする。これがタイアップ。つまり、刑事がホテル内を捜査するという設定で、ホテルの施設をドラマの中で紹介しているのだ。大浴場、レストラン、庭園、ゲームコーナー、と、このホテルはこんなに充実した設備があるんですよーという説明のシーンなのだ。

もし、それをCMを作って紹介するなら何千万、何億という費用が必要。でも、ドラマの中で紹介してもらえれば、ゴールデンタイムなら何千万人が見てくれる。製作費もいらない。その代わりに撮影隊の宿泊費や宿泊費をタダにする。それでも数百万。それで全国放送でホテルの紹介がされるのなら安いもの。

それを「町おこし映画」でも、地元も、製作サイドもやってしまうことが多い。だが、考えてほしい。そんな見え見えのシーン。テレビで見る2時間ドラマだから視聴者は許すが、入場料を払って観る映画で観客はどう思うだろう?ちょっと映画に詳しい人が見れば、「タイアップかよー。こんなホテルの紹介シーンはいらないだろう?」と思われる。不必要なシーンがあれば映画のクオリティも落ちる。

そんなふうにして、地元は映画の中で宣伝できることを願い、製作サイドは経費を安く上げるために、地元からの提案を受け入れる。だが、それはテレビの発想だ。テレビは、無料だ。だから、多少、意味のないシーンや地元紹介場面があっても、許される。が、映画は入場料を取り、物語を楽しむもの。そこで町の紹介ビデオのように物語とはそぐわない場所が次々と出て来て、感動や笑いのある映画が出来るだろうか?

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「たかが撮影場所だから、何処でもいいんじゃない?」と思う人もいるだろう。だが、ロケ場所はもう一人の主役。単なる背景ではない。主人公の気持ちを背景が代弁することもあるし。その美しい風景で撮るから言える台詞もある。その汚い場所に立つから意味をなす場面もある。それを地元が売り出したい場所に替えて撮影すれば、テーマや意味さえ違ってしまうのだ。それは感動や興奮が生まれないということでもある。

そんな大変なことになること。地元の人はまず考えない。「映画にワシらの町が映る。だったら、売り出し中の公園を!」というだけの発想。そのために撮影隊を接待。何とか公園を使ってもらおうと努力を続ける。そのために物語が曲げられ、感動が失われることに繋がることに気づかない。

出来上がった映画にその公園が映し出されると、地元の人たちは大喜びするが、東京の映画館で観る観客は「何で、ここでこんな公園が出てくる訳? ダメだなこの映画は。。。」と思うだけ。映画は惨敗、ヒットせず。町のアピールにもならずに終わる。

ここでもまた、地元の方々が良かれ!と思って、努力したことが裏目に出てしまう。だが、これは「町おこし映画」だけではない。他のことでも同じではないか? 「地元に美術館を作れば、子供たちは芸術と親しめる!」と田んぼの中におしゃれな建物を作る。が、客はほとんど来ない。儲かったのはゼネコンだけで、町は維持費に膨大な予算を毎年使うことになる。

本当に意味があることな何なのか? それを徹底して考えずに「美術館があれば芸術に親しめる」と建設に走る。「映画に公園が映れば宣伝になる」とシナリオを変えさせてロケしてもらう。でも、それらは無意味であることは分かってもらえたと思う。なぜ、自治体や町の顔役。実力者たちは、安易にものごとを運び、大きな失敗をするのか?

それは日本という国を見ても同じ構図を感じる。あれだけの事故を起こした原発を再稼働しようとする。電気は足りている。要はそれで儲かる一部の人たちがいるというだけ。日本全体のことを考えれば、もう終わりにせねばならないことは分かっている。目先の利益を追い、多くの人がバカを見るだけの行動は止め、真剣に考えねば、あとがないように感じる。「町おこし映画」を見ていると日本という国も見えてくる。

 続きは=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-05-16




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「町おこしのための地域映画が成功しない理由?」⑤ 好評です! [町おこし映画の問題点]

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映画で町おこしを考えている自治体等からよく、映画作りの相談の受ける。町に来てほしい。指導してほしいと頼まれる。でも、自身の映画作りに忙しく時間が取れないので、文章にしておこうと考えたのだ。
基本的なことをジャンル別に分かりやすく書いておけば、何かのときに、それを読んでもらえば、だいたいのことは把握してもらえるはず。

そう思って始めたシリーズだが、書いている内に自身でもいろんなことに気づいて来た。町おこし&町のアピールのための映画作りにおける問題は、単に「映画作り」の難しさだけではないということ。

つまり、過疎化が進む町。観光客が来ない町。観光資源がない町。人口減少に悩む町。地方はいろんな問題を抱え、町の人たちはそれに取り組み、我が古里を蘇生しようとがんばっている。でも、それがうまく行っているところは少ない。なぜか?その背景、その理由も映画作りとほぼ同じだということ。

映画を作るノウハウだけではない。町の人たちの考え方。メディアの使い方。宣伝というもの。そこに大きな間違いや誤解があり。よかれと思って、無意味なことに力を入れ、皆でがんばっていることが多いのだ。つまり、町おこし映画を作ることの意味や効果。その方法論を考えて行くことは、映画以外でも、町起こしができるヒントや答えがたくさんあるということ。

組織でも個人でも、内側からの願望をそのまま発信させても、それが実現されることは少ない。では、どうすればいいのか? それにはまず地元を客観的に見つめることが大切。それを多くの方ができずにいる。

映画作りが失敗したり。宣伝がうまく行かなかったり。そんな事例をいくつも見て来たが、その失敗例の中にこそ、多くの学ぶべき点があること。僕自身も気づいた。いや、地方の問題だけではない。利益が上がらない会社。活動がうまく行かない団体、いろんな組織。もっと言えば、夢が適わずにいる個人も含め。「町おこし映画」の失敗から様々なことが学べる。

そんな視点で読んで頂ければ、多くの方が興味を持てる題材だとも気づいた。時間があるときに続きを書かせてもらう。お楽しみに。

 続き=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-05-15-5

 バッックナンバーを読む方はこちらを=http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305566439-1





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町おこしのための地域映画が成功しない理由?④ 地元がシナリオを歪めてしまう? [町おこし映画の問題点]

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映画を使って町おこし。各地で行われている。巨額な広告費を使ってテレビ、新聞で町をアピールしなくても、映画のロケ地になれば何億円もの対費用効果となる。だが、観光地や歴史的に重要な町でないと、なかなかロケは来てくれない。

そこで自治体やフィルムコミッションが様々な協力をすることで、ロケを誘致する活動が活発だ。中には製作費を支援する。或は、全額出資することで、町が映画を作ってしまおう!というところもある。

ただ、町のアピールのため!とがんばったことが、映画をダメにして、詰まらないものにしていることが多い。そのために客が来ない。東京の映画館で公開できない。ヒットしない。ということになり、宣伝にはならず、大失敗することが多い。

だが、なぜ失敗したか? 地元の人たちは気づくことは少なく、あれだけ撮影は盛り上がり、地元上映も盛況だったのに、東京ではヒットしなかったのか? と不思議がることになる。それは前回に紹介した話と同じ構図で、町の人が見た地元映画と、東京で観る人の視点が違うからである。

映画を作るとき、まず大事なのはシナリオ。町側が製作費を出し、撮影する場合は脚本家に町がアピールするような要素を入れることを望む。また、すでにシナリオが出来た作品に支援、協力する場合も、同じく、町をアピールする要素を入れたり、いくつかのシーンにそれを書き足すことを、お願いする。

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製作サイドは様々な協力をしてもらう地元のために、その種の要求を受け入れシナリオを直す。だが、その種の行為が映画をダメにするプロローグとなるのだ。

そもそもシナリオというのは、無駄があってはいけない。主人公が朝起きて、歯を磨き、着替え、朝ご飯を食べ、電車で通勤し、会社に着き、仕事を始めるというのを延々描くことはない。「映画は省略の芸術」と呼ばれるように、無駄を省きながら、主人公を紹介。物語を進める。何の意味もないのに、主人公が延々、デスクワークをしている場面を描くことはない。

無駄がないのがシナリオ。なのに、地元からこう言われる。「この町は大根が有名なんです。大根を食べて、その魅力を語るシーンを入れてほしい」支援してくれる町なので、脚本家は何とかしようと考えるが、シナリオには食べるシーンがほとんどない。仕方ないので、夕食のシーンを作り、そこで主人公が「やっぱり、この町の大根はうまいなあ。さすが、生産高、日本で第二位のことはある」という台詞を入れる。

だが、それを観た観客はどう思うだろうか? 「何で、ここで大根の説明が出てくるの? 本筋とは全然関係ないだろ?」鋭い人は気づく。「ああ、タイアップか! 地元に頼まれて無理矢理に大根を褒めるシーンを入れたのだ」それに気づくと、「結局、この映画は町を宣伝するのが目的だな? あーやられた!」と感じる。

そんなふうに、町の名産品。町の産業。町の歴史等をことあるごとに、劇中の誰かが紹介するシーンがある。それが事件の鍵になるならいいが、ストーリーとは関係がない。或は物語を中断させる。そんなことをしていて、映画は盛り上がるだろうか? 面白くなるだろうか? それは省略の芸術映画で最もやってはいけないことなのだ。


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ストーリーと関係なしに地元をアピールする場面が出てくるというのは、テレビドラマの間にCMが入るようなも。テレビドラマは無料で観られる。だから、ある町を宣伝するCMが途中にあっても、文句は言わない。でも、映画は上映時間に合わせて、交通費を払って、映画館に行き、高い入場料を支払い観るもの。それは娯楽や感動を求めるからだ。だのに、そこで町の宣伝が何度も入る映画を見せられたら、どうだろう?

「何で金払って、町のPRを観なきゃいけないの?」と不満に思うだろう。何より、そんなふうに町の宣伝で物語が寸断されれば、面白くなる訳がない。結果、感動できない。泣けない。笑えない。入場料を払って、PR映画を観た気分になるのだ。

だが、町の人たちはそうは思わない。「映画館に来たお客さんに、町の魅力を伝えた!」と考える。それがテレビの旅番組ならその通りだ。が、それを映画でやったら、お客は怒るだけ。ということが想像できていない。つまり、映画で町を宣伝と考える人の多くは、映画とCMを混同しているのだ。

映画館で2時間のCMを見せられたら、誰しもうんざりするのは分かる。映画館では物語を見せなければならない。それも感動や笑いのある物語。町のPRや歴史を観にくるのではない。それを勘違いしていることが多い。

なのに地元では、とにかく「大根を出してほしい」「町の歴史を語ってほしい」と要望する。それが映画の中で描かれれば、大喜び!「これで宣伝になる!」と考える。が、映画館で観たお客は「何で、金払ってPR見せられるの!」と不満しか残らない。これが「町おこし」のために作られた、多くの作品がたどり着く結末なのだ。

得するのは誰か? 町のPRにはならない。映画も完成度の低いものになる。ただ、プロデュサーは地元の支援、協力で製作費を節約することができる。全額出資なら、それなりの手数料が入る。大ヒット映画や名作を作らなくても、製作会社はそれで儲かる。もともと、映画に愛情のないプロデュサーは多い。もちろん、地元への愛もない。そんな人を喜ばすだけで終わるのが、多くの地域映画なのだ。

では、どーすればいいのか? それはまた別の機会に説明しょう。

 つづき=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-05-17-1





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