ロケ地に一番近い映画館。監督と市民俳優が舞台挨拶!(動画) [アンコール]
静岡県藤枝市 シネ・プレーゴ
今週金曜日11月13日(金)でついに上映終了。
6週間のロングラン!
(動画は2015年10月3日公開初日に撮影)
登壇 太田隆文監督、ヤングヤング多香子役・市民俳優、他
撮影 クマさん(市民応援団)
「向日葵の丘 1983年夏」太田隆文監督ー舞台挨拶 in 横浜 [アンコール]
「映画は口コミではヒットしない? 関係者が努力しなければ惨敗する」 [アンコール]
以前にお会いした方。地方に住む年配の男性がこんな話した。ちなみに彼は映画界の人でも、ショービジネスの業界でもない。
「映画はいいものを作れば必ずヒットする。口コミで評判が広がり、客が映画館に来るんだよ」
ちょっと聞くと、真意を突いた発言だと思えるかもしれない。が、それは大きな間違い。全くの嘘ではないが、その言葉を信じたら大変なことになる。なのに「映画は口コミでヒットする」と思い込んでいる人は多い。説明しよう。
映画の興行は最低2週間。そこで宣伝もせずに映画を公開しても、客はほとんど来ない。今の時代。「日曜だから映画でも観に行こう」と映画館に行かない。「***という映画を観にいこう」と作品を決めて出かける。だから、十分な宣伝をしていない映画を観に来る人は本当に少ない。
東京公開の初日、土曜日に10人が観たとして、その映画がとても面白かったとして、その10人が全員、友人に話して「それは面白そうだ!」と言われたとしても、その内の何人が2週間以内に映画館に行くだろうか?
翌週の土日に全員が観に行ったとして、20人。その20人がまた2人ずつ話をしても、もう翌週の上映はない。もちろん、平日に映画館に行ける人もいるが、通常はなかなかむずかしい。結果、その映画の観客数は100人少々で終わる。
東京でその成績では地方公開はありえない。映画の製作費は最低でも3000万円。100人が映画を観て1人1800円を払っても興行成績は18万円。完璧な赤字ということになる。つまり、口コミだけでは映画はヒットしないということだ。
どんなに客が来なくても、映画が半年くらい上映されるのであれば違って来るが、今日そんな悠長な映画館はない。客が入らなければ1週間で打ち切りということもある。
なので、映画会社、宣伝会社は前売り券を重視する。前売りが売れれば、映画の公開前に観客数の最低状況が分かる。売れた分だけは来る。来なくても損はしない。前売りが売れた数の何倍かは当日券で来る。だから、前売り券をいかに多く売るか?に映画会社。宣伝会社は必死になる。
「映画が公開されれば評判で客は来るよ」なんて言ってたら、口コミが広がる前に上映は終わる。先の計算で行っても初日に100人、1000人観ただけでは口コミは期待できない。
だから、まず、多くの人に映画の存在を知ってもらい、「観たい!」と思ってもらい、前売り券を買ってもらう。そうやって映画を観る人の数を、公開前にもの凄いものにすることが大事なのだ。
製作委員会方式の映画では様々な会社が出資しているので、その各社の社員がまず、率先して前売り券を買い。社員たちは自らチケットを売って歩く。そしてネットの映画レビューに「感想を書け」と社員に指示が出る。会社と社員が一丸となって宣伝、チケットを売る。
映画館は前売り券が売れて、大喜び。2ヶ月の上映を決める。そうやって前売り券が売れ、社員が皆、映画館に行く。テレビでもバンバン宣伝して、一般の客も行く。それで初めて映画がヒット。しかし、口コミで客が来るのはそこから3ヶ月後だ。噂を聞いて数人はすぐにでも来るだろう。でも、大勢に広がるにはかなりの時間がかかる。
だから、ロングラン上映にならないと口コミの効果はない。協賛企業が製作費を出すだけで宣伝、前売り券販売に協力しなければアウト。社員がお客気分になっていたら映画はヒットしない。だから関係者がいかに一般の人に前売り券を売るか? 宣伝するか?にかかっている。そうやって映画をヒットさせ、ロングラン上映になったときに、やっと「口コミ」が効いてくるのだ。
これで分かってもらったと思うが、いい映画を作っただけではダメ。そして口コミは最後の最後にしか効果を上げない。つまり「いい映画を作っても客は口コミでは来ない」ということだ。映画ビジネスは過酷である。
日本の企業映画はいかにして作られ? なぜ、詰まらない作品が多いか? [アンコール]
映画館で毎日上映されている映画。有名俳優が出ていて、それなりに製作費がかかったあれ。基本的には映画会社が企画し、スタートする。最近では、テレビ局。ビデオメーカーが企画した作品の方が多い。或いは、製作会社が企画したものもある。いずれにしてもプロデュサーという肩書きを持つ社員が企画会議で、こんなプレゼンをする。
「ベストセラーの****を原作にした映画を、人気のタレント*****を主演で映画にしたいと考えます」最近はマンガ原作が多いが、まず、その版権を押さえる。「少年ジャンプ」では新連載が始まったとたんに各社から映画化、ドラマ化依頼が来るので、「***というマンガが人気!」といわれてからではすでに手遅れ。
というのは、映画にするにはベストセラーということが不可欠なのだ。せめて人気作家の作品であること。最低でも書籍になっていなければ、企画会議では絶対に通らない。つまり、知名度のない作品を映画化すると、タイトルからまず伝えて行かねばならない。そのためには膨大な広告料が必要だが、ベストセラー原作だと「ああ、あれね! 映画になるんだ」といって覚えてもらえる。
映画会社にとって大事なのは「内容が面白いかどうか?」よりも「作品や作家に知名度があるか?」が重要なのだ。幸い、ベストセラーであれば、面白いからこそ売れた訳で、そこもクリアーできる。でも、逆にいえば、どんな面白いシナリオがあっても、原作ものでないと映画化はまずされない。
もし、無名の新人ライターが書いたシナリオがもの凄く面白くて、映画化すればヒットしそうだとしても、映画会社は決して採用しない。まず、先に上げた知名度がないからだ。
例えば若いPが「これ面白いですよ!映画化しましょう」と提案しても、こういうだろう。「その映画がヒットする保証はあるか? 原作が500万部売れていれば、10%の50万人が映画館に来るという計算ができるが、原作がなければ、そんな計算もできない。何よりお前がそのシナリオを面白いと思うだけで、一般の人は興味を持たないかもしれないだろう」と言われておしまいである。
もし、その若いPが何らかの手段で映画化しても、ヒットしないと「お前が面白い、絶対にヒットするといっただろう?」と責任を追求される。だから、バカらしくなり、そんな提案をするPはいなくなるのだ。さらに、ベストセラー原作を提案して、ヒットしなかった場合は「500万部売れたマンガを原作にして駄目なら仕方ないですよ」という言い訳ができる。だから、若手Pも次第にオリジナル・シナリオを提案することはなくなる。
この構図の基本的な問題点は、映画化の決定権を持つ重役たちがベストセラー原作の知名度のみにこだわるということだけでなく、シナリオを「読む力」がないということだ。そして「これは当たる!」という商売的な勘がないということ。だから、売れた原作ものに頼る。或いは頭が古くて、新しいものが理解できないか? いずれにしてもシナリオを「読む」力も、時代を「読む」力もないということなのだ。
もうひとつ、「俺は命をかけて、この作品をヒットさせる!」という思いもない。成功させるより、失敗したときのことを先に考えて、まず逃げ道を作る。「ベストセラー原作で駄目なら仕方ない」自分には責任がないと弁解できるようにしているだけだ。
同じことは他にも言える。「人気タレントが主演だから」「有名アーティストが主題歌を唄うから」「テレビシリーズの映画化だから」みんな、ヒットするからというより、万が一ヒットしなくて責任を追求されないための提案なのである。真剣に映画を売って会社に大損失を与えたら、窓際に飛ばされる。そうならないようにPたちは「人気ブランド」にすがるのである。これが多くの日本映画が作られる経緯だ。
作品内容そのものより。ベストセラー原作、人気タレント、有名アーティストの主題歌を重用視。それぞれが相反するものでもおかまいなし。そうして決まった企画をテレビ局、レコード会社、コンビニ、メーカーと、いろんな企業から出資を募り、映画化。撮影に入る。
「この作品を作りたい!」とか「このテーマを伝えたい」という思いはほとんどない。がビジネスなので、それはいいとしよう。それならがんばって儲けてもらいたいのだが、単に人気のカードを揃え、多くの金を集めて、大宣伝して上映しようというだけの発想。料理だって高級食材ばかり集めたからと、おいしい料理が作れる訳ではない。映画も同じだ。
が、次第に観客もそれに気づき始めている。テレビで大宣伝しても、ヒットには繋がらなくなってきた。食品でも、車でも、テレビでも、何でも同じ。作り手側が作りやすい、都合のいいものを作り、冒険も、チャレンジもしない。リスクも負わないでいるようでは、いい物はできず、消費者は満足しない。映画も同じだ。でも、まだまだ、映画会社やテレビ局は、相も変わらず、「人気カード」集めに右往左往しているのが現状だ。
映画「向日葵の丘」感想ーこの夏、いい映画を一本だけでも観たいのなら、これを観るべきだろう [アンコール]
繁栄で得たもの、失ったもの
~常盤貴子主演『向日葵の丘-1983年夏』~
ものすごい俳優陣で固めながら、日本の繁栄の先にあったはずの「本当に大切なもの」とは何かを問う社会派映画、などと簡単に言ってしまうとこの作品の美をすっかりそぎ落としてしまう。
主演の常盤貴子(主人公・多香子)の演技はNHK連続ドラマとはまったく異なる次元で、映画の世界に棲(す)む女優とは何かを私たちに思い出させてくれる。連ドラの彼女も魅力的で好きだが、この映画の彼女はものすごくいい。脚本・演出までつとめた太田隆文監督は、前半は彼女のゆるやかなリズムを活かしつつ後半は演劇のような長いセリフ・間合い・表情を語らせながら、観る者の力量を試すように格闘を挑んでくる。私たちは常盤貴子のいつものゆるやかなリズムに安心していると、知らぬ間にこの作品の世界1983年に迷い込み大きな格闘から逃げられなくなってしまう。
さびれた映画館のオーナーをつとめる津川雅彦は、高校を卒業し東京の大学に向かう多香子に、ほしいモノを全部手にした後で「本当に大切なもの」は何か分かったら教えてくれ、と話す。津川は全体のテーマを微笑みながら最後までじっくりと染み込ませてくる中心的な役だ。ポスターの写真がもっと大きくてもいいのではないかと思った。他に別所哲也、田中美里などベテランが固めるが、僕は男の子の口調ではっきり意見を言う藤田朋子(写真左)が好きだった。これは、役柄のリズムをアンサンブルに仕上げていく脚本がいいのだろう。
監督の前作『朝日のあたる家』は原発事故という日本人が強い関心をもっている大きな題材を通して逆に最も身近な「家族の幸せとは何か」というテーマを鮮明にする感じだったが、今回の作品は映画という表現手法、力、感動のさせ方のフルモデルチェンジがされており、笑い、驚き、感動そして何度も泣いちゃうエンターテインメント。ところが涙が止まらずすっかり困り果てているとテーマがゆっくりと胸の中に浮かび上がってくる、ここが観客にその場で映画を消費させずに当事者意識を持たせるこの作品の底力といえる。この点は、過去の美をテーマにした「ニュー・シネマ・パラダイス」を超えた美だと思った。
多香子が女子高生だったときに仲間と作る白黒8mm映画の迫力のあるカットの数々、しかも、できあがったその内容はなかなか見ることができない大仕掛け。階段を登った向こうにある向日葵(ひまわり)の丘に仕掛けられた衝撃。多香子が母と分かれて家を去っていくとき、カメラは泣きながら歩く多香子の表情をアップで離さず背後にどんどん小さくなる母を、母が消え次に現れるふるさとの象徴お茶畑を、そして日々の営みを暗示する街灯の淡い光、自然の川のせせらぎ、と人の涙の背景をどんどん変えながらこれをワンカットでおさえていくところは、監督の映画人としての根性も伝わり胸を打つ。
2時間20分くらいだっただろうか、時間を忘れる仕掛けの連続。説明的なところをカットしてもう少し観客に想像させてもいいのかなと所々思ったが、ちょっと儲かった感じもする。多香子の父役の並樹史朗そして母役の烏丸せつこの演技も良かった。後半のこの二人の演技は圧巻だ。そしてラストの役者総動員で失った「本当に大切なもの」は何かを取り戻す場面は、分かっていてもしゃくなことに何度も何度も泣かされた。参加している役者は誰もが完全に監督の世界に棲んでいた。
この夏、「いい映画を一本だけでも観たい」のなら、これを観るべきだろうと思う。この監督はこんなスピードで力量を上げていったら、この先どうなるのだろうか。だが、それを決めるのはどれだけ多くの観客が商業主義に流れないこうした映画を支えるかという、日本の文化レベルが、今、問われていることは確かだ。
公式HPはこちら=>http://himawarinooka.net
夢を追いかけた俳優の卵たちの悲しい結末。でも、そこから現実を見つめる。 [アンコール]
もう10年以上も前になるが、
太田組ワークショップというのを月イチでやっていた。俳優を目指す若い子たちを集めての演技レッスン。参加費は取らない。僕が仕事の先々で出会った、或いは演劇学校で教えている生徒で優秀な子たちを集めての勉強会だ。
というのは当時、僕は深夜ドラマなどの監督はしていたが、映画監督デビュー前で、僕の意図を理解した、実力ある若手を探していたのだ。映画撮影は本当に時間がなく、意思疎通をする余裕がない。事前に打ち合わせをしたり、十分なコミニュケーションを取る時間もない。だから、せめて、若手で僕の方法論を理解する子たちを育てて出演させることで、現場では初対面の俳優との意思疎通に時間を費やそうというものだった。
ある意味で劇団方式。演出家と俳優は同じ劇団で意思疎通があることで、寄せ集めのドラマ撮影よりチームワークがあり、素晴らしい芝居ができる。それを映画撮影でも実践する。そのためにワークショップを開き、若手に育ってもらおうと考えたのだ。さらに、その子たちのキャラに合わせて役を作り。主演だけを有名俳優を迎えて撮影する。劇団でいうところの主役だけ客演という形だ。
そんなことを2年ほどやっていて、
そこそこ素質のある子たちも集まった。多くは俳優事務所に所属しており、ちょこちょこ仕事はしていたが、アルバイトをしなければ食えない状態。オーディションで勝ち残ることもなかった。が、やる気はあり、期待していた。
深夜ドラマの演出をするときは、それらの子たちを起用。現場を経験させる。いよいよ、映画が決まり、それに向かって準備が始まった。が、結果的に、ワークショップメンバーは誰も映画には出演することはなかった。
というのは、皆、脱落して行ったのだ。ある女の子は彼氏に振られて、ショックで芝居が出来なくなり。そのままいなくなった。ある奴は実力が今ひとつなのに、映画に出られるつもりになり、努力をしなくなった。そして、ある俳優の卵は、彼に頼んだ役が気にいらない。役を書き直せといいだして降ろすしかなかった。
そんなふうに思い上がったり、実力が足りなかったり。努力を止めたり、恋人と揉めたりということで、潰れたり、投げ出したり、降ろさざるを得なかったりで、誰もいなくなった。そんな中で、ひたすら努力する女の子がいて、彼女だけでも連れて行きたいと思ったが、重い病気にかかり女優業を辞めなければならなくなった。
辛い日々だった。
夢追う若い子たちが次々に脱落していく。壁にぶつかり、諦めてしまう。そして僕は何も手助けができない。勘違いする奴はいくら諭しても駄目。落ち込んだ子はいくら励ましても心を閉じたまま。そして、いくら、がんばっていている子でも、やはり実力が供なわない子をキャスティングできない。
そんな経緯で、メンバーからは誰も起用することはできず。映画の準備で多忙になり、ワークショップをする余裕もなくなる。そして、映画撮影に入り、そこで仕事をしたプロの若手たち。僕のワークショップに来ていた子たちとは比較できないほど、もの凄い実力。プロ意識もあった。ある俳優事務所のマネージャーさんに言われた。
「監督は監督なんですから、育って来た俳優を使って撮影をすればいいんですよ。俳優事務所の経営者じゃない。それは僕らの仕事。俳優の卵なんて何百人も育てて1人がブレイクすればいい方。そのためのエネルギーと時間は膨大ですよ。監督がそんなことに時間を費やすより、よりよい映画を作ることに時間を使った方がいいですよ」
その通りかもしれない。どんなに応援しても、彼氏とトラブったから...と塞ぎ込み連絡が来なくなる。演技ができなくなる。勘違いして「俺はビッグだ。プロでも通用する!」と思い上がる奴。慣れてくると努力を怠るくせに、映画に出るつもりになる子。最初の頃のやる気を皆、失ってした。
その後、太田組ワークショップは開いていない。
頼まれて、仕事として講師をすることはあるが、個人として、若手俳優を育てる活動はしない。あの頃の参加者は皆、こういっていた。「映画に出るのは昔からの夢。どんなことをしてもがんばります!」でも、ほとんどが、いや、全員が些細なことで傷つき、潰れて行った。
でも、今はその理由が分かる。彼ら彼女らがなぜ、駄目になったか? 厳しいようだが、それは「俳優になる」ということが本当に心からの願いではなかったからだ。俳優にならなくても生きて行ける子たちだった。結果を見れば分かるように、仕事より恋人だったり。プライドが高すぎた、プライベートが大事だったり。俳優になることに憧れていただけ。芝居をしないと行きて行けない!という子たちではなかったのだ。
命がけでやる!という思いがなければ、生き残ることはできない。プロで生き残り、第1線で仕事をする若手俳優を見るたびに、そう感じる。俳優業だけではなく、どんな仕事でも同じではないだろうか? 憧れだけではできない。でも、人生賭けてやれば、何とかなる。それが自分にとって何なのか? どんな仕事なのか?そこさえ間違わなければきっと道は開けるはずだ。
片目を失っても撮影に全力投球するのが映画監督の使命。 [アンコール]
2014年7月
内緒にしておこうか?とも考えたが、
何人かの関係者が気づいて密かに心配しているので、詳しく報告しておく。2年ほど前から左目が見辛くなっていた。眼科に行くとある病気だという。手術をした方がいいと言われたが、その頃はまさに前作「朝日のあたる家」の撮影準備でてんやわんやの時期。手術を決めた日が撮影中になるとまずい。いや、撮影でなくても、本読みでも、衣裳合わせでも、僕の都合でNG というのはいけない。そのために若手俳優の役作りを阻害してはいけない。そんなことで先延ばしにしていた。
左目だけではなく、
まだ問題のない右目も別の病気だと診断された。左目の進行はゆっくりだが、右目は急に来ると医者から言われた。突然に視力が落ちて目の毛細血管が破けて出血。目から血が溢れ、失明する可能性がある。が、「朝日」撮影終了後はすぐに編集、完成後はロサンゼルスの映画祭、地元での完成披露試写会、そして宣伝。全国公開。舞台挨拶ツアーと続いた。もし、手術日が先に決まっていたために、*市の公開初日舞台挨拶に参加できないというのは許されない。僕が行くことで、多少でも観客が増えるのだから。欠席はできない。そんな訳で「朝日」の映画館公開が終了するまで、手術の予約をしないことにした。
だが、夏が来て、秋が来て、
次第に左目の視力は落ちて行き、ほとんど霞んでしか見えなくなった。そんなことを言うと皆、心配するので内緒。それでも「あれ?」という友人たちが出て来た。その内に「向日葵の丘」の製作が決まる。「朝日」の宣伝、舞台挨拶ツアーと重なり、超過密スケジュール。撮影は5月となる。この頃になると左目はほとんど見えず。片目のジャック状態。右目も急に視力が落ちて見えなくなる可能性がある。もし、撮影中にそうなったら? 何とか、撮影までに手術せねばと考えた。
ところが、やることは山積み。
「朝日」の舞台挨拶ツアー。「向日葵」の準備。ロケハン。キャスティング。いずれも僕がいないとストップしてしまう。で、考えた。もし、このまま手術が遅れて左目が手遅れになっても、それは仕方ない。ここで僕が休む訳にはいかない。ただ、撮影中に右目まで見えなくなると、大変なことになる。演出ができない。とは言え、撮影が近づくにつれて、やることは増えて行く。時間が足りない。より良い作品を作るには準備が大事。どうするべきか?
毎回、遺作。そう思ってかかる。
だから、これで手術が遅れて左目が見えなくなるくらいは構わないと思った。そのことで準備を遅らせたくない。少しでも良い作品にするため、全ての時間を自分の為ではなく映画のために使いたい。ただ、撮影中に両目が見なくなるというのはマズい。そこで、僕の映画の全て撮影してくれており、今回もカメラを担当してくれるSさんにだけは、そのことを話しておこうと考えた。だが、もし、撮影中に目が見えなくなるかもしれないことを伝えても無意味なことに気づく。盲目の監督なんてどーしようもない。座頭市のように音だけで判断するか?それは無理。事実を伝えても彼に余計な心配をかけることになるだけだ。
すでに左目が見えず、右目も突然も失明すること。
結局、伝えなかった。が、撮影後に彼から言われた。「目。大丈夫ですか?」何で分かった????撮影中におかしいと気づいたという。凄い観察力!彼が腕のいいカメラマンというだけでなく、監督である僕の健康まで心配してくれていたことに胸が詰まった。そして、やはり事前に話さなくてよかったと思う。彼には心配をかけず、素晴らしい映像を撮ることに専念してもらうことが大事なのだ。
そこで初めて事情を話し、
その数日後に眼科を訪ねた。医者から酷く怒られた。「なぜ、こんなになるまで来なかった!」だって、診断を受けて、即手術!と言われたら困るから........そんな訳で徹底した検査を受けることになる。前回、診療を受けてから気づくと2年が経っていた。その間に2本の映画を撮影した。失明しても後悔はしない。
検査の結果。左目はもう光を感じるだけ。
右目も「いつ失明してもおかしくない状態」と言われ、また厳しく叱られた。「今日、ここに来る途中に失明していてもおかしくないんだよ!」そう言われ、その日の内に緊急手術。幸いにも成功。が、問題は左目。今も検査を続けている。果たして手術をしてよくなるものか?どうか?まだ分からない。おまけに手術が込み合っていて、夏まで待たねばならない。
医者はこう言った。
「いくら仕事が大事とは言え、目が見えなくなったら元も子もないよ!」けど、僕の目のために映画準備が疎かになり、俳優たちに致命的な問題が起ることの方が怖いい。目は2つあるけど、映画は今回駄目だから次がんばるでは済まない。だから、毎回、遺作のつもりで全力でかかる。でも、まあ、ひとつ間違っていたら撮影中に右目も見えなくなる可能性もあったのだ、、、、撮影中に監督が目から血を流したら、みんなビックリするだろうなあ。。。。
なんて笑い話にはならない。
が、僕が撮影前に手術を予約したとして、もしかしてその日が「本読み」の日になったかもしれない。俳優たちのスケジュールはタイト。僕のために本読みが中止になり、そのまま撮影になったときに、俳優たちが戸惑い、いい芝居ができないということだってあり得る。スタッフとの打ち合わせができず、そのときに僕が伝えられなかったことが原因で大きなトラブルになることもある。病院も手術予定がいっぱい。両者の都合のいい日に手術はできない。だから、撮影が終わるまで手術はしないと決めた。
左目が見ないままの撮影は
厳しいものがあったが、幸い右目は撮影中に失明することはなく。無事にクランクアップした。あとは、夏の手術がうまく行き、完成試写会のときに両目で「向日葵の丘」を見れることを願うばかりだ。作品が遺作になるのはいい。でも、目が見えなくなり、生きていながら自分の映画が見れないのは辛いものだ。ま、片目でも見れればOKだと思うが。。。以上、報告まで、薄々感じていた方。心配してくれた方。申し訳なかった。でも、編集は片目でできるので大丈夫。がんばります!
「過去を振り返らず、前向きに生きること!」は間違っている!? [アンコール]
業界の先輩から連絡が来た。
「太田! お前のFBを読んでいると、愚痴ばかり書いているが、もっと前向きに考えないと駄目だ!」
そんな指摘をされた。はあ?何? 「愚痴? どこが?」先輩の文章をよく読むと、過去の映画製作であった大変なエピソードや事件をFBで紹介したことを言っているようだ。
愚痴? 前向きに考えないと?
意味が分からない。しばらく考えて、やっと分かった。先輩は過去にあった悔しい事件や情けないできごとを語ることを「愚痴」と解釈しているのだ。だから、「いつまでもクヨクヨ悩んでいないで、過去のことはさっさと忘れて、前向きに生きろ」といっているのだ。
先輩以外にも似たようなことをいう友人はいる。「終わったことをいつまでも言っていても仕方ない。前に進もう!」一見、正しい意見のように思える。どうも日本にはそんな発想が正しいという思いがあるようだ。
実際、歌謡曲でも「立ち止まるな 振り向くな」とか
「Don't look back」とか似たような発想のものが多い。一般的に考えても、後ろ向きより、前向きの方が好感を持たれ、支持される。「過去は忘れて前に進もう」は正しいと思われる。しかし、僕はそうではない!と昔から思っている。
というのは「終わったことをいつまでも言っても仕方ない。前へ進もう」とよく言う友人。一見、前向きながんばり屋のように思える。でも、実際は彼が目指したこと、志したことは何も実現していない。なぜか? 何年も注目していると分かった。
彼は「終わったことを言っても仕方ない!」と考えて
「なぜ、失敗したのか?」「どこに問題があったのか?」「どうするべきだったのか?」は考えず。次のことを始めてしまうのだ。そして似たような理由で失敗。また、次のことを始める。
「終わったことを言っても仕方ない!」というと、サッパリとしていて男らしいと思えるかもしれないが、彼の場合は「反省しない」「原因を調査しない」「問題を分析しない」ということ。「終わったことをいっても仕方ない」という意味なのだ。学生時代から友人たちを見ていると「愚痴っても仕方ない」「後悔しても何も変らない」という奴に限って、同じ失敗を繰り返し、結局、目標を達成していない。
僕は失敗したら、こう考える。
「原因は何か?」「誰に責任があるのか?」「その人をなぜ起用したのか?」「問題は彼の実力のなさか? 責任感のなさか? それとも家庭の事情か?」「僕自身に責任はないか?」「人を見る目が自分になかったのではないか?」「では、あの場ではどうすればよかったのか?」
全ての関係者の状況を再確認し、僕自身がどう判断し、対応するべきだったか? それもあらゆるケースを考え直す。さらに、人だけでなく、予算、時間、天候、等の影響はないか? 何がどうすれば、問題を収拾し、乗り越えることができたか?改めて想像する。
もし、似たような事件が起きたら、
そのときに考えた方法論を実践する。でも、うまく行かなければ、そのときと、次のときと何が違ったか?また分析、把握して次に繋げる。事件直後だけでなく、何年経っても事件のことを思い出し、時間が経ったことで冷静に見つめ直すことができるので、また分析する。
もし、単に「**君のせいで大失敗した。許せない〜」と言っているだけなら、先輩が指摘するように、愚痴だ。でも、それだけではなく。その状況を分析し、次の反省に繋げるならば、それは愚痴ではない。なのに先輩は「過去の失敗談」や「苦い話」を書くだけで「愚痴をいうな」といっているのだ。
付け足すと先輩は「人のせいにするな!」
とすぐにいう。責任転嫁はいけないが、本当に問題があったのは誰か?を客観的に分析し、なぜ、その人が問題を起こしたか?を理解し、僕らに何かできなかったか?を考えることが必要。だが、先輩は過去の失敗を話すと「愚痴をいうな」問題ある人物の話をすると「人のせいにするな」と怒り、話を終わらそうとする。
先輩にしろ、友人にしろ、意味をはき違えている。失敗を反省すること。分析することは「愚痴」ではない。それをしないこと前向きというより、愚かなだけ。責任が誰にあるか?を明確にすることは「人のせいにすること」とは違う、同じ失敗を繰り返さないために大切なことだ。
8月が来る度にマスコミは「終戦記念特集」をするが、
あれは「愚痴」だろうか? 二度と悲惨な戦争を繰り返さないために、当時の日本は何を間違い、なぜ戦争に参加し、どんな悲劇を起こしたか?を分析、反省するためのものだ。
同じように僕は、よりよい映画を作るために、機会あるごとに過去に起きた事件を再分析し、反省し、同じ失敗を繰り返さないように自分を戒めながら、その種のエピソードを書く。そのことを学んだのは実はスピルバーグ監督である。
映画監督というのは傲慢な人が多く。自分は絶対に正しいと思い込んでいる。が、彼の映画を見ると以前の反省に立った演出がかなりある。完成後に問題点を分析して、次はこうしよう!とか考えていることが分かる。
日本では「終わったことをいつまでも言っていても仕方ない。
前に進もう!」というと、正しいと思われがち。だが、それは違うと考える。何度でも反省して、問題点を把握した上で、同じ失敗を繰り返さないようにすること。日本という国自体が過去の愚かな失敗を繰り返そうとしている現在。そのことを余計に感じてしまう。大事なのは反省と分析。過去の愚行は忘れてはいけない。前へ進むのは、それからではないか?
アーティストは、抉れた心の傷を癒すために作品を作る。 [アンコール]
俳優。歌手。小説家、脚本家、画家、
いわゆるクリエーター。或はアーティスト呼ばれる人たちは、「才能」ある(という言葉を僕は使わないが、多くの人はそれで理解しようとするので)素晴らしい人たち。と羨望の目で見つめられる。成功すれば、お金も名誉も手に入り。多くの人の尊敬を集める。表面的にはそうだが、実像は人々が想像するものとは大きな隔たりがある。
ミュージシャンにしても、
ギター片手に武道館でシャウト。多くのファンの声援に応えオリジナルソングを歌う。しかし、彼ら彼女らが抱えるダークサイドを人々は知らない。
アーティストがなぜ、作品を作れるのか? 素晴らしい歌や物語。芝居や小説。それは「才能」があるからーなんてことではない。作品を作ってるつもりでも、無意識の内に抉れた心を癒すために、血を流しながら人生を見つめるのだ。その過程で過去の傷と対峙する。だからこそ、作品は多くの人を感動させる。もちろん、センスと器用さで作品を作る人もいるが、多くは自分と対峙している。だから、作品で涙する。机の上で「こんな物語を書けば、読者は泣くはずだ」と想像して書いた物語で観客を感動させることはできない。
子供の頃から差別され、踏みつけられ、
不幸だった人。親に愛されなかった子供。いや、何不自由なく成長したように見えても、人には分からない悲しみを引きずったまま、大人になってしまった人たち。彼ら彼女らが、意識するしないに関わらず、抉られた心を見つめ、埋めようとするのが表現なのだ。ハリウッドを思い出してほしい。成功した多くの作家はイタリア系かユダヤ系だ。どちらも阻害され差別され続けた民族だ。
スピルバーグ、ウッディ・アレン、バーブラ・ストライサンド、ダスティン・ホフマン、カーク・ダグラスはユダヤ系。コッポラ、アル・パチーノ、シルベスター・スタローン、らはイタリア系。アングロサクソン系は意外なほど少ない。日本でも実は同じ、芸能界でがんばっているのは同じような環境の人たちだ。
つまり、忘れられない悲しみや苦しみを背負い、
それを作品にすることでしか昇華できない人たちが、アーティストとして成功する。さらにいうと、金持ちになった。有名になった。人気者になった。それで満足できる人はクリエーターを続けることはできない。そんなことで癒せない「悲しみ」を抱えた人が作品を作り続ける。ミュージシャンの尾崎豊も、そんな壁にぶつかった1人。
大人たちに反抗。高校を中退。が、傷ついた十代の思いを歌った「17歳の地図」で人気を得た。が、アルバムが売れ、認められたことで、誰も彼を批判しなくなった、むしろ賞賛。だから、2枚目のアルバム。かなり厳しかった。悲しむ必要がなくなったのだ。そしてサードアルバムでは、歌を作れないでいる惨めな悲しみを歌い。復活するのだが、結局、ドラッグに走りムショに入る。
先日、逮捕されたASUKAも同じだと思う。
曲がヒットし、人気が出て。お金も名誉も手に入ると、悲しみがなくなり、作品が作れなくなるのだ。ドラッグに手を出すアーティスト。そんな背景であることが多い。
歌手だけではない。僕のよく知る若手女優も同じだった。最初は家族から反対され、事務所もさじをなげ、映画やドラマのオーディションには落ちてばかり。悲しみの中で、もがいていた。が、チャンスを掴み映画に出演。輝かしい活躍をした。そのことで家族も女優業を認め、応援してくれるようになった。ファンも増え、恋人もできた。事務所も有名なところに移った。出演依頼も続き、幸せいっぱい。だが、ハングリーな思いをなくし、人の心を打つ芝居ができなる。
プライベートな事件で、演技に集中できず。
素人レベルの芝居をしてしまう。女優失格ともいうべき事態。映画が大変なことになり、多くの関係者がが迷惑、彼女は出演依頼がなくなる。なぜ、女優業よりプライベートを優先したか? それは女優として成功しなくても、家族の「愛」で傷は癒えたのだ。
だから、演技よりプライベートが気になり、気持ちの入らない素人芝居をしてしまった。ここで彼女の女優人生は終わった。それに対して、小さな成功では癒されない深い傷を心に負った人々。一生作品を作り続けるアーティストたち。名声と経済的成功では癒されない心の深い傷を抱えて戦う。
本当に幸せなのはどちらだろう? その女優の方が幸せなのかもしれない。親が理解し、恋人ができれば癒される程度の傷。女優業を辞め平凡な結婚をすることが、今の彼女にとって一番の幸せだろう。もう「悲しみ」と対峙する必要はない。大成功して、金持ちになり、有名にならなくても、ハッピーなのだから。
傷が浅ければ小さな成功で癒すことができる。
が、アーティスト生命もそこで終わる。傷が深ければ作品は作り続けられるが、一生幸せにはならない。人は「才能」があるから作品が作れると思うが、そうではない。作品を作り続けないと、抉られた心を癒すことができないから。だから、心の深い傷を埋めるために格闘する。それがアーティスト。遠くで見ているほど幸せでも、ハッピーでもない。本当に幸せなのは「私は才能も何もない小市民だね?」と笑える人なのではないだろうか?
続・アーティストは抉れた心を癒す為に作品を作る。 [アンコール]
先の記事が大好評だったので、
もうひとつエピソードをお届けする。脚本家の先輩たちはよくこういう。
「シナリオはストリップだ。自分の恥ずかしい体を、ケツの穴を人様に見せて拍手をもらう仕事だ」
が、僕は「はらわたショー」だと思う、裸どころか腹切りして、腐った内蔵を取り出して人様に見せる。でも、その恥ずかしい行為に多くの人が感動し拍手を送るのが芸術ではないか?と、
「**すればウケそう」「**が人気だから使おう!」と頭で計算して作ったものでは感動は生まれない。なんてことを感じる。
つまり、人はそれぞれに悲しみを抱えている。酒を飲んで忘れることができるもの。時間が経てば忘却できるもの。でも、それが人から見れば大したことのない悲しみでも、その人にはどうしようもない辛さになっていることがある。
本当は逃れたいその悲しみと向かい合い、
それを歌にしたり、絵にしたり、物語にして、なぜ、こんなことになったのか?と問い続けることで作品になる。が、ある友人はこういった。
「いくら悲しみと対峙しても、才能がなければ作品はできないんだよ。結局、才能あるかないか?じゃないの?」
バカな奴だ。作品を作る人は皆、そこから努力を始めるのだ。作品作りの中で原因を探り「自分はどうすべきだったか?」を考え続ける。が、「悲しみ」と対峙せず、考えないようにして、酒で自分をごまかし続け、悲しみをいつまでも引きずる人もいる。
つまり、才能があるか?どうか?
ではなく、「悲しみ」と向かい合い努力するか?どうか?なのだ。「悲しみ」と向かい合って作品にした人を世間は「才能ある」といい、悲しみから逃げ回り苦しんでいる人を「才能がない」と決めつけるのである。
また、映画でいえば企画会議で決まった作品を愛情のない脚本家がハリウッド映画からパクったアイディアでシナリオにし、作品に何ら思いのない監督が現場に来て、有名俳優を並べただけでは感動作が生まれないのと同じ。
その作家の魂の告白ともいうべき、
悲しみとの対峙が観客を圧倒し、感動させる。でも、人はそういくつも「悲しみ」を抱えてはいない。その多くは「名声」や「経済的成功」で癒されてしまうもの。或いは自分を理解する多くの人がいて、良き妻や夫。それとも恋人ができれば、悲しみをぬぐい去ることができる。当然、作品を作らなくてもよくなる。その状態を世間は「あの人の才能も尽きたわね?」というのだ。
それでも、クリエーターという仕事につくと作り続けなければならない。そこからは地獄の戦いだ。期待は高まり、以前のようなヒット作を要望される。が、作れない。だから、ミュージシャンはドラッグに走ったりする。
そう。もし、才能というものがあれば、
何もしなくても湯水のようにアイディアが溢れ出してくるだろう。が、本物の作品というのは「悲しみ」との対峙で生まれるもの。「才能」があるから作れる訳ではない。だから、アーティストは苦しいのだ。
先の記事を読んでない方はこちらで=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2014-06-21