SSブログ

編集は魂を削って演じた俳優たちとの戦いである! [インサイド・ストーリー]

10348306_676980739042900_5969300504475302343_n.jpg

これまでの作品。編集は

 1ヶ月少々で終了させた。が、「向日葵の丘」は3ヶ月かかった。というのも、いつもはNG抜きをせずに、すぐに編集をしたのだが、今回は「慎重に作業するべき」と感じて、まずNG抜きをした。そのことで素材を全て確認することができる。なぜ、それが必要だったかという説明をする前に、編集とはどういう作業か?もう一度、書いてみる。

 編集というのは映像と映像を繋いで、物語をスムーズに見られるようにする作業。だが、編集作業を長年やっていると、そうではないと思えて来る。映像を繋ぐ仕事というより、恐竜の化石を掘り出す作業ではないか? 埋まっている恐竜の骨をまわりから少しづつ掘り出し、ここが尻尾? ここが足? この大きさだとチラノサウルスか? いや、アロサウルスか? と考えながら、化石を傷つけぬように掘り出して行く。

 編集も同じで、「こう繋ごうか?」「ああしようか?」ではなく、すでに存在する物語を傷つけぬようにするにはどうするか?を考えて作業している。よく彫刻家も似たようなことを言う。石を掘って仏像を作るのではなく、石の中にいる仏様を掘り出すと...。同じ感覚なのだろう。だから、今回の「向日葵の丘」がいかなる物語なのか? 全ての素材を見て再度把握する必要があった。

 そして編集の霊が降りて来るのに時間がかかる

 というのは何度も書いたが、今回、その強い味方の「霊」が降りて来ても、ガンガン進まない理由がある。重いシーンはもの凄い集中力が必要だが、その手のシーン。通常の映画にはいくつもない。それは「泣けるシーン」「感動するシーン」でもある。映画1本に1.2回というところ。それが今回は5回6回とある。さらに、それぞれの場面のクオリティが高い!

 クオリティが高ければなぜ、時間がかかるか? そこに多く人の思いが込められているからだ。俳優の思い、カメラマンの思い、照明部の思い、様々な人の思いが映像に焼き付いている。もっと言うならば、そこで俳優が「人生と何なのか?」「幸せとは何なのか?」を考え抜いた末の表現をしているのだ。その思い、そのパワーたるものは、もの凄いものがある。

1人でも凄いのに、2人3人になると、2倍3倍。それを名優が演じると10倍20倍になる。当然、編集する方も限りなく同じパワーで挑まなければ吹き飛ばされてしまう。現場でも同じだが、編集はさらに覚悟しないとならない。

 キャストやスタッフの思いが詰まった映像は

 編集していても圧倒され、もの凄く消耗する。1シーン編集するだけでヘトヘトになり、神経がすり切れる。また、それらのシーンを編集する前には覚悟が必要。バンジージャンプをする前というか? 清水寺から飛び降りるような感じ。

 前作「朝日のあたる家」の取材で原発事故を体験した方々からお話を伺ったときも同じだった。全てを失ったあまりにも過酷な体験は聞いているだけでも、圧倒され、打ちのめされる。途中で何度も涙が零れる。取材というのは、そんな辛い話をさらに切り込み。悲しみを引き出す仕事。それを全身で語ってくれる被災者の方のお話を伺うこと。1日に何人もできない。あまりにも壮絶な体験に、こちらもボロボロになってしまう。

 そう。取材も、編集も、もっといえば演じることも同じ。引き裂かれボロボロになった気持ちを演じるには、受け止めるには、編集するには、自身も同じ気持ちにならなければならないのだ。同時に客観的に受け止め、それをどう表現すればいいか? 考える。

 つまり、編集という仕事(演技も、取材も、シナリオを書くのも)は、特に今回のような悲しみを見つめる話の場合は、作業というより、自身もボロボロに傷つきながら答えを探すということなのだ。だから、重いシーンでは朝早くから始めているのに、結局、作業にかかったのが午後とか。1シーン終わったら、心がズタズタで、その日はもう作業ができなくなったこともある。

 もし、その辺を気にせずにビジネスライクにシナリオ通りに映像を繋いで行けば、もっと早く作業は進むだろう。でも、それでは魂を削り演じた俳優の思いや、自分を追いつめて撮ったカメラマンの思い、照明部、録音部、演出部らの心の内を受け止めることができず。他人事のような物語となるのだ。

 本来、編集やシナリオ書きというのは戦いだ。

 シナリオは無から有を生み出すから理解されやすいが、編集はすでに撮影した映像を繋ぐだけの作業に見えてしまうので、その辺が理解され辛い。テレビドラマが軽くなりがちなのは、大量に早く作らねばならないので、ひとつひとつの物語と対峙していられないこと。俳優やスタッフも魂を削る以前に及第点で早く進めることが重要視されるからだ。

 だが、今回の「向日葵の丘」は違う。来月の放送に間に合わせるように、適当でも早く作業せねば!ということはない(というよりテレビでは放映されない。映画館公開は来年の春以降)何年でもかけてなんてことはしないが、残りのシーン。1つ。1つと対峙しながら、最後まで力を抜かずに戦いたい。今回、出演してくれた俳優たちの「思い」もの凄いものがある。それに応えるためにも、全力で編集すること。大切なのだ。それが編集だと思っている。

ブログ用.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。