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久々に帰宅。近所でランチ?! [全国公開]

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 このところ舞台挨拶ツアー

 アメリカの映画祭参加で

 東京にいることが少なく

 自宅に戻るのは久々という感じ

 サウナやカプセルホテルに泊まり歩いていた。

 本日は久々に自宅近所でランチ

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みどり役の藤井武美さんと 横浜ジャック&ベティで舞台挨拶。大盛況! [キャスト]

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向日葵の丘ー昨夜、みどり役の藤井武美さんと

横浜ジャック&ベティで舞台挨拶をさせてもらいました。

長い列がができるほどの大盛況。

ありがとうございました。

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舞台挨拶ツアーpart2 名古屋のカプセルホテルで朝食 [舞台挨拶]

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舞台挨拶ツアーpart2 

名古屋のカプセルホテルで朝食

本日は横浜で舞台挨拶だ。


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向日葵の丘ーLA映画祭報告。アメリカ人も号泣! 感動の2時間20分。 [LAの映画祭]

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昨日、第11回ジャパン・フィルム・フェイスティバルがLAで行なわれた。9月上旬のオープニングでは大林宣彦監督が登場。「野のなななのか」が上映。そして下旬には「向日葵の丘」が招待上映。

リトル東京あるジャパン・カルチャー&コミュティ・センターでの上映。白人。黒人。日系人。この街で働く日本人らが多くの観客が訪れる。日本では大好評だが、果たして映画王国ハリウッドのある街でどう評価されるのか?

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また、LAはどちらかというとエンターテイメント性のある映画が主流であり、アメリカ人は感動巨編より、そちらが好きな人が多い。その意味で「向日葵の丘」はどんなふうに観られるのか? 不安と期待が交差する。

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上映開始1時間後。日本では涙涙の連続となるヒロイン・多香子の帰京シーンがスタートする。場内で観客の顔が見える位置で伺っていると、1人。また1人と、ハンカチを取り出す様子が。眼鏡を外し涙を拭く男性。鼻をすする若者。うつむいてスクリーンを凝視できない年配の女性。

そこからラストまで場内は涙涙の光景が続いた。笑えるシーンでは日本以上に笑い声が聞こえ、「OH!」「YES」と呟く観客もいた。日本と同じシーンで笑い、涙する。「向日葵」はLAでも受け入れられたことを感じる。そしてあのラストシーン。画面が暗くなりエンドロール「常盤貴子 Takako Tokiwa」の文字が出たとたんに大きな拍手!

さらにエンドロールが終わったあとも、もう一度拍手が起こる。最大級の賛辞だ。アメリカでは映画館でも、「素晴らしい」と観客が思えば拍手が起こる。「向日葵」もまた、多くの観客が「素晴らしい」と思ってくれたようだ。詳しくはまた報告する。

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「誰かがやってくれるはず!」と、何もしないのが日本人の習性? [My Opinion]

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【「誰かがやってくれるはず!」と、何もしないのが日本人の習性?】
 
寄付や投資を募り。その街を全国に発信する地域映画を作った後輩監督がいる。僕も地域密着型の映画を作っているので、何度も相談に乗った。製作費は決して高くないが、街や市の協力を得て素敵な映画が完成。地元の映画館で公開された。その後、彼が訪ねて来て不満を爆発させる。

「ほんと許せないんですよ!」

聞くと映画に参加した一部の地元スタッフ以外は映画館に来ず。連日、観客は一桁。なんと1週間で打ち切りとなったというのだ。地元ではかなり盛り上がっていると聞いていたし、作品もそこそこいいというので、地元では大ヒット間違いなしと思っていたのに、何があったのか?

「客が来なかったのは誰も宣伝をしないからでした。配給会社も付いたんですけど、地元はすでに映画の存在は知っている。関係者も多いし、地元の人が宣伝すれば放っておいてもヒットするよと、言っていたんです。僕もそう思っていたら、地元は地元で、宣伝会社の人がバンバン宣伝してくれるから大丈夫と、皆、撮影が終わると観客になってしまい。宣伝も何もせずに、公開を待っていたんです」

なるほど、僕も経験がある。地元の人たち。撮影中はどんなに応援してくれても、撮影が終わると、不思議なくらいに、観客になってしまうことが多い。自分が参加した、或いは出演もしている映画なのに「公開が楽しみだなー」というばかりで、次のステップに進まない。そう、宣伝という発想がまるでなく。日常に戻って活動をしなくなるのだ。

彼らに問うと「え? 映画はできたんだから、あとは観るだけだろ?」という。大きな間違い。「いつ、どこで、何時から上映するか?」と伝えないと観客は来ないのだ。その告知や宣伝をしないと駄目。なのに、街の人のほとんどがその発想がない。突き詰めて訊くと、

「誰かが宣伝してくれるんじゃない?」

と他人事のようにいう。じゃあ、誰が宣伝してくれるの? 「分かんないけど、映画って公開前にテレビや新聞で宣伝するだろ? テレビや新聞が告知してくれるんじゃない?」ーーーーばかーーーー。あれは制作側が宣伝費を払ってテレビや新聞で広告を出してもらっているんだよーー。と言いたくなる。

そんな信じられないことをいう人が多い。或いは「宣伝会社がやってくれるんじゃないの?」もちろん、宣伝会社は頼んでいる。しかし、市民の寄付で作った映画。十分な製作費はない中、がんばって作った。当然、宣伝費も十分にない。宣伝会社も僅かな費用は東京や大阪で使いたい。すでに知名度があり、映画の存在が知られている地元で、わざわざテレビCMを流し、莫大な費用を使う必要はない。

でも、地元の人はそうは考えない。宣伝費が十分にないことを知りながら、「誰かがやってくれるんじゃない?」と安易に考え、それを突き詰めて考える人はほとんどいない。その結果、映画館で公開されても、ほとんどの人が知らない。僅かな関係者のみが劇場に来る。客の少なさに驚く! 「何で?!」と不思議がるが客が来ないのは当然。

こうして、市民が総力を上げて製作した映画は一部の人しか観ることなく、上映を終えたのだという。ここに日本人の習性が見える。「誰かがやってくれるだろう」「会社がやってくれるはずだ」「市がやるだろう」みんな、そうやって他力本願になり、「誰が宣伝するんだろう?」「予算はあるのかな?」「本当に宣伝しているのかな?」「このままじゃヤバいな」とは、ほとんどの人が考えない。

これは地域映画だけではない。

「国がやってくるだろう」「自治体がやるべきだ」「誰かがやってほしい」全て他力本願。そうやって、「私たちがやらねばならない」とは考えず、大きなチャンスを失い。何もできず、苦しい状態を持続するばかり。そんな習性が日本人にはあるように思える。

そんなときに「多額の交付金を出しますよ! いかがですか?」と甘い誘惑を受ければ、諸手を上げて賛成。原発を押し付けられたりしてきたのだ。街の存亡。過疎化。いろんな問題がある。でも、そうなった理由のひとつは「誰かが何かしてくれるはず」「国に何とかしてもらおう」と他力本願でいたからではないか?

地方映画製作ひとつ観ても同じ。自分たちの街の映画なのだから、自分たちで宣伝し、全国の人に観てもらおう!とは考えず。お客になり、上映を待つだけ。映画を活用して、街のアピールに使おうとしない。全て他力本願。それが日本人のある側面をよく現していると思える。


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感想「失った過去は過去のものとして。過去の自分を未来に飛び込む力に」 [観客の感想]

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【素敵な感想を見つけたので一部を引用させて頂く!本当に嬉しい感想だ】

『向日葵の丘』を観て来た。
全ての配役が任である、と言うかその人がその役であることが自然だ、という映画。
それが、子役を含めた俳優だけでなく、市民俳優に至っているのは凄いと思う。
『大人はわかってくれない』という映画がある。観てないから内容は知らないけれど。この台詞を、一度ぐらいは、誰だって心の中で言った覚えがあると思う。
そう、大人は分かってくれないのだ。

こと、自分の親はそうだ。それは自分の子を思うが故なのだろうけれど。
でも、その思いが、完璧に思い上がりで自身を守るためだというときもある。
「おとうさんは、いつだって私の邪魔ばかりしていたじゃない!」
父は泣きながら「悪かった」と土下座で謝る。
娘はその姿を見ない。怒りはあれど、過去は絶対に取り戻せない。そして、その怒りを向けるには父は無様すぎた。

時間はいつでもただ過ぎていく。そして、あるものは失われあるものは損なわれていく。大抵のものはいつまでもそこにあるというわけには行かない。
舞台となっている時代は今と、そして遡ること30年程の1983年。

バブルに浮かれる真っ只中。これからは全てが上手くいく!そう感じている人が多かった時代。そして、それから10年程度でバブルは弾け、沢山の人たちが一緒に弾けてしまった。
「日本は経済的に豊かになる。問題はその先に何があるかだ。それが分かったら教えてくれ」
そう言った映画館の支配人も逝ってしまった。

1983年から2010年代になっても、経済的に豊かになったその先を見つけられずに僕らはここにいる。
ただ、不景気で暗く、陰気だったのか。将来に何ら希望を見出せず、少子高齢化、自殺、孤独死が増えていくだけになってしまったのか。

たしかにそうだ。あまり明るい展望を見出すことは難しい。
しかし、だからといって全ての希望を捨てる必要はないんじゃないだろうか。
過去の自分が残してくれた自分。

それを切り捨てる必要はないし、もとより出来ない相談だ。
過去に残してきた自分と親友と、そして周りの皆。
それをもう一度繋ぐ。編集途中で途切れたフィルムの最後を繋ぐように。

(続きは以下のアドレスから)

http://yaplog.jp/moonfish/archive/3800


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映画「向日葵の丘 1983年夏」予告篇ロングバージョン! [全国公開]




 
 
 全国で絶賛上映中。

 ロングバージョンの予告篇を配信。


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