「向日葵の丘はこの思い出から作られた」 [インサイド・ストーリー]
物語というのは、作家が机の上で「どーしようかなー」「あーしてみようかなー」とか想像して作られるものだと思われがち。ま、それも間違いではないが、それだと観客に伝わるものがなかなかできない。観るものを引きつけ、共感させ、感動し、涙する物語というのは頭で考えたものではうまく行かない。
だが、事実をベースに書くと驚くほど観客を魅了する。僕が30代。まだシナリオライターデビューする前。想像して書いたシナリオは誰も見向きもしなかったが、自分の体験をベースにして書いた青春ものは結構、評判がよかった。そして監督デビューしてからのシナリオは、フィクションでも取材し、事実に基づいた物語を書く。そのせいか?毎回評判がいい。
前作「朝日のあたる家」は静岡県を舞台にしているが、劇中で起こる事実は全て福島の原発事故で起こったことを描いた。場内は涙涙の連続。事実はやはり観客の胸を打つ。そんな訳で僕のシナリオは毎回、何らかの事実を元に描いている。ただ、登場人物は複数の人をモデルにしていたり、事実を脚色して書く。事実だけを繋げたのでは物語にならないからだ。
今回の「向日葵の丘」も後半は涙の連続だった。それらのエピソードも僕が経験したことや、聞いた話。実際にあった話を織り交ぜて書いた。映画館上映もそろそろ終盤なので、その辺の種明かしを少しばかりしてみる。ぜひ、読んでほしい。
32年の時を超えた記念写真ー8ミリ映画は時をかける [インサイド・ストーリー]
「向日葵」はこの思い出から作られた①
「向日葵の丘」は僕自身のいろんな思い出を集めて物語を作った。まず、1983年パート。多香子(芳根京子)たちが高校の映画研究部で、8ミリ映画を作るくだり。実は僕自身も83年に8ミリ映画を作っていた。
タイトルは「バイバイ・ミルキーウェイ」もう高校生ではなかったが、多香子と同じように、出演者で悩み、フィルム代の値段に困らされた。
多香子たちはキャノンのカメラ、518を使ったが、僕らは1014を使った。内容はミュージカルではなく、幽霊ファンタジー。日本ではまだ、その種のジャンルがほとんどなかった頃。その8ミリ映画はのちに僕の監督デビュー作となる「ストロベリーフィールズ」の原型となる。
その8ミリ映画に出演してくれたのが、本物の高校生たち。主人公の2人は17歳と16歳だった。共に高校で映画を作っており。彼ら彼女らをモデルに多香子やみどり。そしてエリカのキャラを作った。その映画は大阪、東京で公開。あと静岡。さらにはLA留学のときにUSCのクラスでも、上映会をして好評。そのあとソウルでも上映。地元の映画青年たちが絶賛してくれた。
その中の1人は英語学校の同級生であり、のちにプロのカメラマンとなり、「グエムルー漢江の怪物」や「殺人の追憶」という大ヒット作を撮影したキム・ヒョンクーさんだ。
話を戻して、8ミリ撮影から32年。僕は映画監督になり、4本目の映画を撮った。それが今回の「向日葵の丘」である。物語のヒロイン3人が久々に集まり、自分たちが作った8ミリ映画を見て感度するシーンで、多くの観客が涙した。大阪の舞台挨拶では、藤田朋子さんと登壇。彼女にも撮影前に8ミリ映画とはいかなるものか?を伝えるために8ミリ映画「バイバイミルキーウェイ」を見てもらっている。
その藤田さんと僕が舞台挨拶をした映画館に2人の男女が来ていた。32年前に高校生だった主人公の2人である。すでにオジさんとオバさんだが、今も交流があり、男子高校生だった彼は「向日葵」のボランティアスタッフで撮影のお手伝いにも来て、女子高校生だった彼女は僕の前作「朝日のあたる家」のボランティアスタッフ。
その2人が揃って「向日葵」の丘を見て来てくれた。壇上から別所哲也さん扮する将太兄ちゃんのように彼らを紹介すると、2人は手を上げ、笑顔で観客に答えた。上映後の記念撮影会で、藤田さんを交えて4人で撮影。83年のキャストと、「向日葵」のヒロインの1人。そして両作品を監督した僕。かけがえのない記念写真となった。
(追記)
8ミリ映画「バイバイミルキーウェイ」当時のチラシ。上写真、右から2人目がチラシの左側の女の子。チラシ右側の男の子は写真上の右から2人目。32年の歳月。。。下チラシ。実は「向日葵」の中で二度と登場する。気付いた人いるかな?
「向日葵の丘」感想ー「8ミリは思い出のタイムカプセル」★★★★★ [観客の感想]
Yahoo!映画レビューの感想
とにかく好きな映画。時代設定の1983年はまさに自分もこの映画の主人公たちのように8ミリ映画を作っていた。寝ても覚めても映画のことばかり考えていたあの時代。そんな記憶と映画の多香子たちの姿がダブり(性も容姿も全然違うけどね)ワクワクしながら悪戦苦闘ぶりを楽しめ、懐かしい気持ちに満たされた。でも「だからこの映画が好き」ってことの全てではない。
物語の設定は1983年と現在。それぞれが同じくらいの比重で描かれている。その30年の間にバブル景気や大不況、映画には描かれていないが2度の未曽有の天災や様々な事件・事故。そんな30年の重みが大人になった多香子たちから伝わってくる。昔の大切なものはことごとく失われたり形を変えたりしてしまった。その喪失感と無常観。時の流れは残酷で容赦ない。そう思うと気持ちが暗くなるものだが、そんな中で残ったものは何か、大切にすべきものは何か、といったテーマが胸を刺し感情を揺さぶられ、気が付けば大落涙しているのだ。
それにしても上手いなと思ったのは8ミリ映画の扱い。封印された映画は30年の時を経て突然現代に現れる。多香子たちと共に観客もみんなで一緒にタイムカプセルを開けたような錯覚に陥る。あの日、あの時のあの感じ、あの思いが蘇る。
これでふと思い出したのがドラマ『北の国から』。後半怒涛の回想の連続で涙を搾り取られた記憶があるが、この映画の8ミリには同様の効果があると思えた。『北の国から』は長い年月を要して作られたため、その長い年月や様々なエピソードを思い出して感動したのだが、対して『向日葵の丘』は僅か2時間ちょっとの時間で同じくらいの気持ちにさせてくれたのだから見事だ。それに回想はあざとく思えるところもあるのだが、8ミリ映画にはあざとさは無く、物語の流れの上で必然的に使われている。
…と書いてきたら、もう一度観たくなってきた。おそらく今後、何度でも観たくなる映画だろう。自分の人生を振り返るように『向日葵の丘』を振り返ろう。そして多香子(芳根京子)が家を後にして、ただ歩いていくだけのシーンが「凄い」と感じてしまった理由も解明しよう。
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感想「向日葵の丘を観て、救われたような気持ちになりました」 [観客の感想]
【和歌山 梅茶さんの感想】
数字、目に見える成果、豊かな暮らし、一億総活躍社会…今の私達は耳に聞こえのよい言葉や装いに追い立てられて、何かを無理やり忘れようとしているかのようです。
そんな時、この映画「向日葵の丘1983年・夏」を観て、救われたような気持ちになってしまいました。日本は果たして、どこへ向かって進んでいるのでしょう。活躍したくてもできない人、境遇や環境…そんな思いは切り捨てられ、隅に追いやられて、黙らせられていく無機質な社会。この映画で主人公の多香子が経験したことは、そのまま今の日本のこぼれ落ちた多くの人々の思いを象徴するかのようでした。
立ち止まることは負けること…
本当にそうなのか?
この映画が問いかけるメッセージは、まさにこれだと思います。立ち止まれない、八方ふさがりだと思い詰めている人々が多い中で、昔、輝いていた頃、不自由でも誰も追い詰められたりしない空気の中で、のびのびと息をしていられた時代に立ちもどって、心を開放してみたい。そんな誰もの思いが詰まったこの映画だからこそ、何度も号泣して、心を開放することができました。
取り繕うためだけの答なんか要らない。でも、少なくとも、この映画を観る前よりも優しくなれたような気がする。
この気持ちを、日本中の少しでも多くの人に体験してもらいたいです。その思いが、本当の意味での、みんなが輝ける社会に繋がっていってくれると信じられる、そんな素敵な映画でした。
やっと今日、伏見ミリオン座で「向日葵の丘」観ることができました。上杉さんの勇姿もたくさん拝見することができ、あらためて凄いなぁと感動しています。(笑)
感想「向日葵の丘ーどんだけ泣かせるねん!」 [観客の感想]
【上杉のツレ】
向日葵の丘どんだけ泣かせるねん。昭和の場面は自分がやんちゃしてた時のことを思い出したで。見終わってから横浜銀蝿の曲が頭の中流れたわ。(笑)
現代になって多香子とみどりが再会する場面。あれはアカンど。みどり何にも悪くないのに病気になって可哀想すぎるやろ。予告編で見てた田中美里さんの場面の続き、あれで涙ボロボロや。みどり役は田中美里さんしか考えられへんよなぁ。『その後のみどり』ってスピンオフやってくれへんかな?(笑)
多香子は常盤さん、エリカは藤田さん。2人もバッチリやった。常盤さんの長いシーンでとどめ刺されたし。やっぱり誰でもいろんな人に巡り合って大人になってんねん。お前もワイも。今度はワイらが若い子に教えたらなアカンねん!って思ったわ。
それにしてもシロウよぉ!お前いろんな場面で出てたなぁ。常盤さんと田中さんと一緒におったシーンもあったけど映画にハマッてしもて腹立つことも無かったわ。(笑)
こんな映画作れる太田監督すごいなぁ。今度連絡取れることあったら『感動をありがとうごだ(ざ)いました。』って言うといて。
「何で監督なのに、ここまで宣伝に力を入れるか?その理由」 [【再掲載】]
現在は下旬に開催されるLAでの映画祭用に英語字幕版の直し。そして書き出し。
同時に、大阪、名古屋公開の準備。そして現地に行かねばならないのに、その用意さえできてないで時間が過ぎていく。「何で監督がそこまでするの?」と思う人もいるだろう。
今回は配給会社がかなりな宣伝をしてくれている。常盤さんのおかげで新聞雑誌にも「向日葵」の記事がたくさん載った。作品の知名度は結構上がっているはず。しかし、だから十分ということにはならない。
特にこの10年は億単位の宣伝費を使い、テレビでバンバンとCMスポットまで打っても惨敗する映画が数多くある。観客はネガティブであり、よほどのことがないと映画館まで行って映画を見ない。だからハリウッドでさえもシリーズものに頼り、新しい作品をあまり作ろうとしない。
この夏だって「ジュラシックワールド」「ターミネーター」「マッドマックス」「アベンジャーズ」「ミッション....」と話題作は皆、シリーズもの。知名度の高いものばかり。観客も「ターミネーター?ああ、昔見たなあ。続編かな? だったら映画館で見ようか?」てな感じで、ようやく映画館に行くのだ。
日本映画でもコミックが人気の「進撃の巨人」とか、リメイクの「日本のいちばん長い日」と多くの人がタイトルを聞いたことある作品ばかり映画化している。そんな時代なので、原作もない、シリーズでもない「向日葵」をアピール作業は簡単なことではない。
そこで宣伝会社では、やれない宣伝を僕がやっている。ちなみに、通常は監督はこの種の宣伝活動はしない。舞台挨拶とかインタビューとかいう形では参加するが、その他はまずやらない。が、そんなことも言ってられない。
話を戻して宣伝会社がアプローチするのは雑誌、新聞、映画館。その辺はがんばってくれているのでオーケー。なので僕は、業界の友人とか、お世話になっている著名人。そして上映される映画館の近隣に住む応援団。友人の力を借りて宣伝をする。
といっても、宣伝材料を送れば宣伝してくれるわけではない。それらを僕が持って先方を訪ね、一緒にポスターを貼ってまわるとか、店にチラシを置かしてもらうとか。チケットを売ってもらうとか、そんなことをお願いしてまわるのだが、これがなかなか大変。
でも、毎回、それをしている。なぜなら、多くの人が「向日葵」を応援、支援してくれているから。撮影でも本当に多くの人が手伝ってくれた。僕ができるのは1人1人に何かお礼をしてまわることではなく、まずは素敵な感動作を完成させること。そして、より多くの観客に映画を見てもらうこと。感動してもらうこと。それこそが応援してくれた人への恩返しと考える。
前回は日本中を駆け巡った。今回は様々な制約もあるので、とりあえず大阪=東海準備ツアー。そのための準備を進める。
向日葵の丘」本日で上映終了の映画館はこちら! [映画館情報]
向日葵の丘」昨日で上映終了の映画館はこちら!
愛知県・豊川コロナシネマワールド、
東大阪市・布施ラインシネマ。
以上が昨日16日(金)で上映終了。
ありがとうございました。
http://himawarinooka.net/theater.html