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32年の時を超えた記念写真ー8ミリ映画は時をかける  [インサイド・ストーリー]

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「向日葵」はこの思い出から作られた①

「向日葵の丘」は僕自身のいろんな思い出を集めて物語を作った。まず、1983年パート。多香子(芳根京子)たちが高校の映画研究部で、8ミリ映画を作るくだり。実は僕自身も83年に8ミリ映画を作っていた。

タイトルは「バイバイ・ミルキーウェイ」もう高校生ではなかったが、多香子と同じように、出演者で悩み、フィルム代の値段に困らされた。

多香子たちはキャノンのカメラ、518を使ったが、僕らは1014を使った。内容はミュージカルではなく、幽霊ファンタジー。日本ではまだ、その種のジャンルがほとんどなかった頃。その8ミリ映画はのちに僕の監督デビュー作となる「ストロベリーフィールズ」の原型となる。

その8ミリ映画に出演してくれたのが、本物の高校生たち。主人公の2人は17歳と16歳だった。共に高校で映画を作っており。彼ら彼女らをモデルに多香子やみどり。そしてエリカのキャラを作った。その映画は大阪、東京で公開。あと静岡。さらにはLA留学のときにUSCのクラスでも、上映会をして好評。そのあとソウルでも上映。地元の映画青年たちが絶賛してくれた。

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その中の1人は英語学校の同級生であり、のちにプロのカメラマンとなり、「グエムルー漢江の怪物」や「殺人の追憶」という大ヒット作を撮影したキム・ヒョンクーさんだ。

話を戻して、8ミリ撮影から32年。僕は映画監督になり、4本目の映画を撮った。それが今回の「向日葵の丘」である。物語のヒロイン3人が久々に集まり、自分たちが作った8ミリ映画を見て感度するシーンで、多くの観客が涙した。大阪の舞台挨拶では、藤田朋子さんと登壇。彼女にも撮影前に8ミリ映画とはいかなるものか?を伝えるために8ミリ映画「バイバイミルキーウェイ」を見てもらっている。

その藤田さんと僕が舞台挨拶をした映画館に2人の男女が来ていた。32年前に高校生だった主人公の2人である。すでにオジさんとオバさんだが、今も交流があり、男子高校生だった彼は「向日葵」のボランティアスタッフで撮影のお手伝いにも来て、女子高校生だった彼女は僕の前作「朝日のあたる家」のボランティアスタッフ。

その2人が揃って「向日葵」の丘を見て来てくれた。壇上から別所哲也さん扮する将太兄ちゃんのように彼らを紹介すると、2人は手を上げ、笑顔で観客に答えた。上映後の記念撮影会で、藤田さんを交えて4人で撮影。83年のキャストと、「向日葵」のヒロインの1人。そして両作品を監督した僕。かけがえのない記念写真となった。

(追記)

8ミリ映画「バイバイミルキーウェイ」当時のチラシ。上写真、右から2人目がチラシの左側の女の子。チラシ右側の男の子は写真上の右から2人目。32年の歳月。。。下チラシ。実は「向日葵」の中で二度と登場する。気付いた人いるかな?

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