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【人との接し方。次第に難しくなって来た。好意的な人も疑わないといけない?】 [My Opinion]

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【人との接し方。次第に難しくなって来た。好意的な人も疑わないといけない?】

Facebookでのコメント、こんなのが来ることがある。「撮影中に一番大変だったことは何ですか?」「俳優の***さん。悪い噂をよく聞きますが、本当のところはどうなんですか?」という質問。まず、最初の質問だが、映画ファンなら誰でも気になる部分である。そんなときに、その映画を撮った映画監督と「Facebook友達」になった。「よし、聞いてみよう!」とコメントした来たのだ。

が、もし、Facebook友達が警察官だとする。「あの事件。今、話題だな。殺されたのは女子高生。容疑者は元カレ。けど、真相はどうなんだろう?」と警察官の「友達」に訊くだろうか? 警官は職務について第三者に話してはいけない守秘義務がある。では、医者は? 弁護士は? そんな人たちに「あの病気ってどーなんですか? 早めに手術した方がいいんですかね?」「隣の住人の騒音で揉めているんですけど法的対応はどうすればいいですか?」と訊くだろうか?

それは彼らにとって仕事。余暇で行っているFacebook上で尋ねるのは非常識。友人がキャバクラに行ったとき、医者だと分かると、高い酒代を払っているのに、病気の相談ばかりされたとボヤイていた。映画監督も同様に、映画の宣伝時に撮影現場の話をする。どんなことがあったか?何が大変だったか? マスコミ等のインタビューに答える。それは仕事。


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それを一個人が質問して、あれこれ訊くのは、医者や弁護士にプライベートで相談するのと同じ。早い話がタダで仕事をさせているようなもの。が、そこに気づかない人が多い。医者、弁護士と聞くと、すぐに質問してしまう。映画監督というと、すぐに芸能人の裏話を聞く。「ケチ臭いこというなよ」と言われるが、プライベートで仕事をさせる。タダで仕事をするという意味が分からない人が多い。

さらに問題なのは2番目の質問。「俳優の***さん。本当のところはどうですか?」というのは、もう仕事でさえ訊かれないことだ。何で、会ったこともない人にそんなプライバシーを話さなければならない? たぶん、ワイドショーで、レポーターが芸能人たちにいろいろ聞いている場面を思い起こし、俳優のプライベートを訊くのは悪いことではないと思ってるのだろう。

だが、タレントもプライベートを答えることで、テレビに出られる。今、やっている仕事のPRになる。だから、嫌なことでもレポーターに答えるのだ。ギブ&テイクの関係。一般の人が訊いても答えない。それを勘違い、同じことをFacebook上で訊いて来る。

極々、親しい僕の友人が「***さんってどうなの?」と訊いてくることはある。それは長年の付き合いで、親しいから訊いて来る。でも、言わないのだけど、その「Facebook友達」は会ったこともない方。「申請」からもせいぜい1年。そんな人がなぜ、俳優のプライベートを訊いてくるのだろうか? 

だが、僕も反省がある。Facebook上ではなく、いろいろと応援してくれる一般の人たちと飲み会をした。とても信頼できる人たちなので、撮影現場の大変さなどを話した。***さんが***さんと付き合っているなんて、話はしないが、ちょっと面白い現場での話はオフレコと断ってした。にも関わらず、その1人が翌日のブログにその話を書いてしまった。注意すると「え?マズかったですか?」と罪の意識がない。


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これも先と同じ。ワイドショーでは芸能人のスキャンダルが毎日、放送されているので、あの程度のことなら問題ないと思ったらしい。が、オフレコといって話したことを、わざわざブログに書く。実は週刊誌の記者だった!というのなら分かるが、カタギのサラリーマンさん。そこに何のメリットがあるのか? 訊くと「面白い話だから!」といい「オフレコと言われたのを忘れてました」と笑顔。それ以降、その種の会で僕が話したことは一切、書かない、漏らさないというお願いをするようにした。

「そこまでしなくても?」と思う人もいるだろう。例えばこんなのはどうだろう?「女優の***さんがタバコを吸っていた」と誰かがブログに書いたとする。「別に問題ないでしょう?」「批判をしている訳じゃないし」と思う。だが、年配の人が読めば「若い娘がタバコを吸うなんて不謹慎だ」と思うかもしれない。或いは「**さんって清純派なのにタバコ吸うの? インタビューでは吸わないっていってたのに?」と思う人もいるだろう。

ネットで発信するというのは、本当にいろんな人が読むということ。どんなまっとーなことを書いても、ねじ曲げて理解する人もいる。それも一般の人が噂を聞いて書くならまだしも「昨夜、太田監督が***さんは・・・・と言ってました」なんて、書かれると、えーマジ? ということにもなる。それも僕の言ったことが全然違う話になってたりする。先方にも迷惑をかける。つい先日も、言ってないことを「太田監督は常々、こういっている」とFacebookで書かれたばかり。

僕ですら、そんなことがあるのだから、有名人は余計に気遣わねばならない。だから、人嫌いになり、プライベートを隠し、壁を張り巡らせて密かに生きようとするのだ。まあ、僕はそこまで行かないが、人に注意するばかりでなく、自身も注意せねばならない。特にネット。宣伝ツールとして、Facebook等には毎日、記事を書いているので、いろいろ考えて書かねばならない。あらゆる視点で読み直して、誤解がないか? 拡大解釈されないか?考える。でないと、思わぬところで、誰かを傷付けることがある。なかなか、難しい問題だ。

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半年振りにサラダバーの店。 [公開終了後]

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半年振りにサラダバーの店。



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和歌山応援団の方から。ごちそうさまでした! [みなさんの応援]

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そして、また、一瓶。

和歌山応援団の方から。

ごちそうさまでした!

感謝。

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「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!④ [インサイド・ストーリー]

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ー机の上で書いた脚本は観客を泣かすことができない?

僕の映画を1作目から全て見てくれているある映画ファンはこういう。「太田監督の映画は泣けるぅ」さらにこう続ける。

「普通は映画の最後に1度ウルッとすれば、泣ける映画!と言われるけど、太田監督の映画はそんなもんじゃない。1回2回泣けるのは当たり前! 3回も4回も泣けて、最後にはボロボロに泣けて、ティッシュじゃ足りなくて、タオルもってくればよかったと思ったり。それも全作。彼が監督した4本とも泣ける。そんな監督は他にいないよ」 

ありがたい話だ。ここは「いやいや」と謙遜すべきところだが、そこで喜ぶより、それが本当か?毎回検証する。映画館に一般客の反応を調べに行くのだ。どのシーンでどのくらいの人が泣いているか? 確認すると、確かに、3回4回と泣いている人がかなりいる。1人や2人ではない。半数以上の人が涙を拭いているのが分かる。出口で待っていると、ほとんどの人が目を赤くして、俯き加減で出て来る。

監督としてうれしい話だが、

僕自身なぜ、そこまで観客が涙してくれるか分からない部分がある。もちろん、泣けるということは感動する、悲しさを感じる、喜んだときも、涙するし、映画としては、とても良く出来ていたという証しでもある。では、なぜ、そんなに泣けるのか? そこに太田映画の作りの秘密があり、物語作りで注意している点なのだ。

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最近は映画プロデュサーが持ち込みのシナリオを読むとき、こう訊くとという。「それ泣けるの?」つまり、泣ける映画。感動する映画がヒットするので、そんな作品を作りたいのだ。だから、脚本家も依頼を受けたら、いかに泣かそうか? 四苦八苦する。90年代のテレビドラマ。人気のあるものを見ていて感じたのは、感動シーンや泣けるシーンが海外の名作映画の焼き直しであることが多かった。設定をうまく日本に置き換えて、ドラマに埋め込んであるが、元ネタは海外の映画。

それはパクリというより、見事な技術。ある人気脚本家は「物語で足りないピースは買って来てでも嵌める」という。なるほど、そういうことかと思ったが、書き手は何十枚もの「感動カード」を持っている訳ではないので、そんな手法も必要になるのだ。そんな例を見ても感動させる。泣かせるというのは、なかなか難しい。にも関わらず、僕の映画で観客は何度も泣いてくれる。それを意図している訳ではないのだが、あの手法が功を成していると考える。

通常、よく聞くパターンはこうだ。

脚本家が「んーーーこのあと、主人公をどうするかな? そろそろ、悲しみに陥れたいのだけど、友達を殺すかな? 事故かなんかで、それで悲しみ。続いて、仕事を首になる。視聴者は同情する。いや、彼のミスで誰かが事故するのが悲しいなあ」とか、机の上であれこれ考える。実際、テレビドラマではそんな脚本家が多い。あれこれ考えて、主人公を悲しみのどん底に落とそうとする。

でも、それだと泣けないことが多い。不思議な話だが、机の上で考えたアイディアは見る人に強く伝わることがない。経験があるだろう。主人公が本当の酷い目に遭い、苦しんでいるのに、今イチ見ていて可哀想に思えず、「ふーーーん、で、どうしたの?」と冷静に見てしまう。そんなときは、たいてい机の上で考えたアイディアなのだ。それを脚本家が見事な技術で、時には他の作品から頂いて来て、演出と俳優の力で涙にもっていくことが多い。

では、本当に泣けるエピソードって、どうしてるのか? それは作られた話ではなく、本当にあった話であることが多い。机の上で考えたエピソードも、実際にあった話も脚本にすれば、同じように思えるが、説得力が全く違うのである。「素人がその違いを見抜けるか?」とも思えるが、感じ取ることが多い。山崎豊子さんの小説「白い巨塔」「不毛地帯」「二つの祖国」でも、あれほど胸迫る感動やリアリテぃがあるのはなぜか? ほとんど実際にあったことを書いているからだ。

アメリカ映画でも

「Based on true story」と打ち出したものがときどきあるが、現実に起こった話とは思えないドラマティックさがあり、同時にリアリテぃを感じる。やはり、本物は、現実にあった出来事は重い。僕もそれを実感したのは自作の「朝日のあたる家」だ。あれは福島の原発事故を取材して、被害に遭った多くの人たちから話を聞き、エピソードは全て実際にあったものを使用。いろんな人から聞いた話を主人公の平田一家に集約して物語を作ったのだ。


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もう、話を聞いているときから辛くて、涙が溢れた。そのエピソードをシナリオに書いているときも涙した。そんな場面は映像になり、映画館で見た観客たちも大いに涙し、「朝日」はメジャー企業作品ではない独立系映画にも関わらず日本全国20館を超える映画館、シネコンで上映。大ヒット。6ヶ月を超えるロングランとなった。やはり、本当の話は重い。作家がいくら頭を捻って、机の上で考えても、現実はそれを遥かに超える残酷で悲痛な出来事を作り出す。それを前々から感じていたので「朝日のあたる家」は全て実際にあった出来事を物語にした。

その次に手がけたのが「向日葵の丘」だ。

こちらは僕が本来、得意とする青春もの。映画研究部でがんばる女子高生3人組の物語。そして大人になった3人の話。だが、シナリオを書く前に考えた。もし「朝日」を見た人が「向日葵」を見れば「前の映画の方が感動的だったなあ」と思うかもしれない。だって、本当にあった出来事の方が重いし、リアルだから。

どーすればいいのか? 

現実にあった出来事を映画に負けない。できれば、それを超える物語はどーすれば作れるのだろう? それが「向日葵」を成功させるための、大きなテーマでもあった。が、実際、映画館に行くと「朝日」に負けないくらいに観客は号泣していた。女性も男性も、若い人もお年寄りも涙していた。なぜ、観客はそこまで感動したのか? その秘密。次回、解説する。(つづく)


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「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!③ [インサイド・ストーリー]

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ー「スタンドバイミー」と「赤ひげ」のスタイルに学んだ?

僕が20年振りに訪れたLAでの体験を「映画研究部」物語にプラスすることで、映画ネタでもクライマックスを作ることができる。そう考えて、その構成とスタイルを確認した。まず「スタンド・バイ・ミー」のように現代編をブックエンドのように前後つけて、回想をサンドウィッチにするという方法。

現代(大人になった主人公)=>回想=>現代(エピローグ)

「スタンドバイミー」はこういう構成で、主人公リチャード・ドレイファスが、子供時代の友達が死んだという新聞記事を読むところからスタート。少年時代が描かれ、ラストは現代にもどるというもの。青春ものでときどき使われるスタイルだが、これで行けないか? 考えた。が、このスタイルだと、

現代5分(プロローグ)。回想1時間20分。現代5分(エピローグ)

という形。5分で上映会は描けない。そこである映画のことを思い出す。昔から、いつかやりたい!と思っていたスタイルがある映画。黒澤明監督の「赤ひげ」だ。

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あの映画のスゴイのは途中、山崎努扮する大工・佐八のパート。主人公は加山雄三扮する保本であり、主演は三船敏郎。役は赤ひげ先生。つまり、山崎努の左八はゲストキャラ的存在。なのに、彼が独白する回想シーンになると、その部分は延々、佐八が主人公となり、加山雄三も三船敏郎も登場しない。20分近い物語が続く。通常、回想というと1分2分だ。それが20分!ありえない表現だ。だが、それだけ延々と見せることで、そのあと、保本がお仕着せ(養生所のユニフォーム)を着て、医師としての意味を見いだすという展開に説得力を持つのである。

つまり、1分2分の回想というのは「情報」でしかない。「主人公と***さんは学生時代に親友だった」ということを「情報」として伝えるために、ユニフォームを着て一緒にサッカーをするシーンを見せたりするのだ。

が、それはやはり「情報」でしかなく、観客は「ふむふむ、2人は親友という設定ね?」としか思わない。時間をかけ、じっくりと過去を描いてこそ、観客も主人公と同じ体験をすることができる。「情報」ではなく「体験」に変わるのだ。そこが「赤ひげ」の見事なところなり、情報として頭で理解するのではなく、「経験」として体で感じる。それが大きな説得力となる。

この手法、類を見ないもので、他の映画では思い当たらない。が、実に見事。いつか実践したいと考えていた。その発想を「向日葵の丘」に当てはめてみた。つまり、ヤング多香子のシークエンスが「赤ひげ」の山崎努のシーンにあたるそして「スタンドバイミー」のように現代編=ブックエンドとなるその部分も5分10分でなく、延々と描く。「赤ひげ」でいうと、保本と赤ひげの場面である。そうやって「向日葵」の構成を、現代編(10分)青春編(1時間)現代編(1時間)という形にする。


「スタンドバイミー」+「赤ひげ」

というスタイル。洋画邦画を問わず、あまり例はないだろう(あ、1本だけある!)。これによって問題を解決できる。

もし、83年に映画を上映すれば、何度も書いたように、クライマックスとして弱い。スポーツもののようなドキドキする大会場面を作れない。映画というのは撮影場面が一番動きがあり、見せ場となるが、上映会はただ見るだけ。そこで物語を盛り上げるのはむずかしい。だが、83年に上映できなくて、悲しい思いをしたのを30年後にやっと上映できるというのなら、カタルシスがある。その部分も時間をかけて描く。そうなれば、昔流行った「カルチャー挑戦ムービー」=「シコふんじゃった」「スイングガールズ」等のジャンルを超えた単なる映画研究部物語ではなくなる。

こうして、「スタンドバイミー」のように現代で過去を挟むブックエンド方式を使いながら、そのブックエンドの「現代」も大幅に長く描き。別のいい方でいうと「赤ひげ」スタイルで描く。そんな特殊な方法論を使うことで「映画研究部」物語と、LAで経験した「思い出を探す旅」を合体。「向日葵の丘」という物語を作れると考えたのだ。

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もし、通常の映画のように回想パート。つまり「映画研究部」の部分を1−2分で描いただけでは、クライマックスの上映会はあそこまで盛り上がらない。先にも説明したように1−2分の回想だと「情報」にしかならない。だが、「赤ひげ」のように回想場面を延々と見せられると、それは「情報」ではなく「体験」になり、観客は主人公の多香子たちと共に、映画研究部を「体験」することになり、全てが思い出になる。だからこそ、上映会は多香子たちと同様に感無量。懐かしさと悲しさが溢れるのである。

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結果、現代編が1時間10分。映画研究部編も1時間10分という、通常ではない構成となったが、だからこそ、多くの人が感動に包まれ、号泣したのだと思える。というスタイル、方法論を用いることで「向日葵」の物語を作り上げたのである。ただ、そのスタイルがあれば感動ものができるか?というとそうでもない。実はもうひとつ秘密があるのだが、それはまた別の機会に紹介する。


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まだまだ終わらない。「向日葵の丘」御礼参り。いや、御礼連絡 [公開終了後]

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まだまだ終わらない。

「向日葵の丘」御礼参り。

いや、御礼連絡

本当に多くの人に応援して頂いた。

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「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!② [インサイド・ストーリー]

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ーLAの映画祭体験を物語に加えクライマックスを作る?

前回の続き。「向日葵」の物語を考えていて、行き詰まったときに思い出した話がある。僕の監督作「青い青い空」がロスアンゼルスの映画祭で招待作となり、渡米したときのことだ。LAは僕にとって第二のホームタウン。大学時代の6年間はこの街で過ごした。それから20年も経つが、今でも目をつぶってもどこでも行ける。映画祭の合間に、思い出の場所を訪ねてみた。

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大学はUSC(南カルフォルニア大学)の映画科。一番の思い出の場所。だが、ルーカスやスピルバーグの寄付でもの凄く豪華な建物になっていて、僕が勉強していた頃とはまるで違う場所になっていた。キャンパスを歩く、初めての授業を受けた建物、英語コースのクラス。でも、どこにはもうクラスメートも先生もいない。20年も前なのだから当然だが、何か寂しい。

USCの思い出を探す旅=http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2011-04-23-2

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初めて住んだドミトリーやアパートも訪ねたが、皆、あの頃のまま残っていた。が、やはり、管理人さえも違う人になっている。近所のリカーショップでいつも笑顔で対応してくれたおばちゃんもいない。そんな中で、20年前によく通った近所の小さなマーケットがまだ営業をしていた。ここは日系人のおじさんが経営していて、米やラーメン。おでん等の日本食がたくさん置かれていて、週に何回も通った。

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中に入ると、懐かしさで溢れる。あの頃と同じだ。店員さんも見たような顔。訊いてみた。あの日系人のおじさんはどーしてるか? その女性は答える。「何年か前に亡くなった。もう、いい歳だったからねえ」そこで初めて、そのおじさんのお父さんが広島生まれで、彼はハワイ出身。それからLAに来たことを聞く。そして、そのマーケットも跡取りがいないので、年末には廃業するという。

マーケットの話=http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2011-05-05-2

そして、リトル東京。6年通った床屋さんもなくなり、日本のレンタルビデオの店も潰れていた。そこで働いていたKさん。どこにいるのだろう? あとで、自殺したと聞いた。

ビデオ屋さんの話=http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp/2011-05-02-14

留学中にお世話になった人。もう、誰もいない。店や建物、教室は残っているのに、誰もいない。もの凄い寂しさと悲しさに包まれた。そんな中、行われた僕の監督作「青い青い空」の上映。ラストにはものスゴイ拍手が起こり大絶讃だったが、やはり寂しさを拭うことができなかった。

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USCの先生やマーケットの日系人のおじちゃん。ビデオ屋のKさんにも見てほしかった。皆、僕が映画監督を目指し、USCで勉強していること知っていた。

「オオタさん。本当に監督になったんだね。グレート。おめでとう。映画祭必ず行くよ」

そういってくれると思えた。でも、もう誰もいない。それが2011年。その後、僕は「朝日のあたる家」を監督。そして2013年から「向日葵の丘」の企画がスタートする。前回、紹介したのが、そのプロローグだ。映画研究部の女子高生の青春映画。でも、「映画」等の文化はクライマックスが作り辛い。先の「青い青い空」が書道部なので、近いものがあり、比較され、前作がよかったと言われるのも悔しい。

そう考えていて、思いついたのが、先のLA体験である。その2つをプラスすることで、問題点を解決しようと考えた。そう、「映画研究部」物語として製作すると、クライマックスが盛り上がらない、スポーツもののように大会がない映画研究部では、カタルシスが生まれない。でも、そこに僕が体験したLAでの物語をプラス。主人公の多香子が30年後に故郷に戻り、そこで上映会をするという展開にする。そうなれば、高校時代に上映できなかった8ミリ映画を見る!というカタルシスに繋げることができるはずだ。

(つづく)

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「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したのか?!① [インサイド・ストーリー]

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【「向日葵の丘 1983年・夏」の物語はいかにして誕生したのか?!①】

原作小説のないオリジナル・シナリオで「向日葵の丘」は映画にしている。つまり、僕自身が作ったストーリーを、僕自身が脚本にして、それを自身で監督した。多くの人が感動した。泣けたといってくれて大好評。皆「素敵な物語だった」といってくれる。では、その物語はどんなふうにして作られたのか? 今回はそのことを書いてみる。

ずっと以前から1983年を舞台にした青春ものを映画にしたいと思っていた。というのも僕の母校USC映画科の先輩でもある「スターウォーズ」のジョージ・ルーカス監督が1962年を舞台にした青春映画「アメリカン・グラフィティ」という映画があるからだ。影響を受けて、僕も過去を舞台にした青春映画を作りたいと思ったのだ。特に1983年。当時、僕は高校を卒業後、横浜の映画学校に通いながら、学生映画をやっていた。その時代を、そのときの仲間を物語にしたかった。

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だが、20歳前の男ばかりが8ミリ映画を作る物語は今の時代に合わない。観ている方も楽しくないだろう。そこで主要登場人物を女子高生にして、青春映画にすることにした。女の子がメインは得意だ。というか、僕のこれまでの作品は皆、女子高生が主人公である。映画研究部を舞台にして文化祭のために四苦八苦して8ミリ映画を作るという物語がいいだろう。僕自身が学生映画をやっていたので、詳しい分野だ。

よく日本のドラマであるのが、その題材を知らずにシナリオを書いていること。カメラマンという設定なのに、カメラに関する知識なしで書いていたり、宣伝業界が舞台なのに、おかしな設定だったり。例え、その世界を知らない人が見ても「何か変だな?」と感じて、物語に入り辛くなる。まして、詳しい人が見ると「ありえないだろー!」と思え、拒否感を持ってしまう。

だから、8ミリ映画作りについて勉強しないとシナリオを書けない。が、先にも書いた通り、学生時代に経験があるので、問題なし。以前作った「青い青い空」のときは書道部の話だったので、まず書道を勉強するところからスタートしたが、今回はノープロブレムだ。カメラの機種。フィルム。現像。全てOKだ。

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しかし、問題がある。その書道映画「青い青い空」がめちゃめちゃ評判が良かった。つまり、前回は書道部、今回が映画研究部。業種(?)は違うが、同じく女子高生がゼロから学んで、クライマックスに向かうという同じパターン。「青」では書道のデモンストレーション大会。そこで大字(大きな紙に大きな文字を書く)がクライマックスがあり、多くの人が涙して見てくれた。

では,今回はどうか? 文化祭で8ミリ映画上映? んーーーそれでは盛り上がらない。前作は大会で主人公たちが大きな筆で大きな文字を書くという、派手なクライマックスなので、観客は「がんばれ!」と応援したくなった。が、映画の場合は、フィルムを上映。主人公たちは見ているだけだ。観客は「がんばれ!」とは思わない。

主人公たちが作った8ミリ映画が30分ものだとして、その30分を全て見せても観客は感動はしない。ここが文化系クラブを映画にするむずかしいところなのだ。野球でも、サッカーでも大会というクライマックスを作れるが、美術部とか、写真部とか、作品の発表会があっても、作品を飾るだけなので、映画的に盛り上がることはない。

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書道も本来そうだが、実在しない書道デモンストレーション大会(あるテレビ局がそのアイディアをパクリ実際に開催したが、こちらが先!)をクライマックスにして、スポーツものと変わらぬ映画にすることができた。が、映画研究部も先の文化部と同じ。8ミリ映画を上映するだけでは、盛り上がらない。さらに「青い青い空」はもの凄く評判がよくて、多くの人が感動してくれた。だから、必ず比較され「青」の方がよかったなーーと言われるだろう。

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前作を超えるというのも映画作家として大事なこと。まともに作っては「青」には勝てない。これは撮影現場での努力ではなく、いわゆるカルチャー挑戦ムービー(「シコふんじゃった」「スイングガールズ」等)の路線では映画研究部ではクライマックスを作れないということなのだ。どーすればいいか? ここで行き詰まってしまった。

いろいろ考えて、数年前のある出来事を思い出した。まさに、前作の「青い青い空」がLAの映画祭に招待され、渡米したときのこと。そのときの体験が「映画研究部」物語を感動のドラマにしてしまうのだ.....が、長くなったので、それは次回。お楽しみに!(つづく)


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