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【夢を追いかけるあなたに伝えたいこと。必ず掴める!】 [My Opinion]

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【夢を追いかけるあなたに伝えたいこと。必ず掴める!】

映画監督になりたい! 高校時代にそう思った。では、どーすれば映画監督になれるのか? その話は以前にも書いたが、日本映画黄金時代は映画会社に試験を受けて入社。10年ほど助監督経験をして、ようやく監督をさせてもらうというシステム。黒澤明監督も、大島渚監督らもそのコース。しかし、映画産業が斜陽になってから、そのシステムは崩壊。映画会社に所属する監督はほとんどおらず、社員監督は取らなくなった。

現代は大学や専門学校に映画コースがあり、多くの若者がそこで学ぶ。が、卒業して映画監督になれるものでもない。学校が就職を世話してくれる訳でもない。そこまでは、高校時代にいろんな本や雑誌で調べて分かった。でも、これでは映画監督になる方法が分からない。そこで、アメリカの映画監督の経歴を調べた。スピルバーグは以前に書いたので省く。

ジョン・ランディス(アニマル・ハウス、ブルースブラザーズ)は撮影所でメールボーイをやっていて、そこからチャンスを掴む。コッポラはUCLAの映画科時代から、プロデュサーであるロジャーコーマンのスタジオで働いていて、B級映画を撮るようになった。ジェームス・キャメロンも同じ。ウイリアム・フリードキンはドキュメンタリー映画の会社で働いていた。アラン・パーカーはもともと広告代理店の社員。

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ま、ハリウッドの事例が日本で応用できるとは思わなかったが、調べた。では、日本ではどうすれば映画監督になれるのか? 親戚に映画関係社もおらず、ツテを頼って元映画プロデュサーだった人も訪ねたが、昔の自慢ばかりされて、何の役にも立たなかった。

おまけに帰り際には「まあ、諦めが肝心だな」とまで言われた。そんなこんなで、とにかく、映画の専門学校に行った。大学の映画科も考えて、夏休みに見学に行ったが、そのキャンパスを歩いている学生たちを見て「ダメだ。こりゃ!」と思えて、一番まともそうな専門学校を選んだ。

その頃から僕は傲慢で、その学校も1学期で愛想が尽きた。「こんなところで学んでも何のプラスにもならない!」と18歳のガキなのに、そう感じて登校拒否。当時、ブームだった自主映画を始めた。教室で年老いた先生たちの映画論を聞くより自分で作る方が意味あると思えたのだ。というのも、8ミリ映画を撮っていた学生たちが、メジャー映画を監督するという事件が数年前にあったからだ。

日活で「高校大パニック」を監督した石井聰互。「オレンジロード急行」の大森一樹。2人とも助監督経験はなく、8ミリ映画を撮っていて、いきなりプロの監督に抜擢された。そこにはハリウッドでスピルバーグやルーカスのように8ミリ学生映画をやっていた若い監督がヒットを飛ばしたという背景があり、日本でも若い人にチャンスを!というものだった。

が、その後も、森田芳光、手塚真、今関あきよしら、8ミリ映画出身の監督が続々とデビューした。その波に乗ろうと多くの大学生たちが学生映画を作った。それまでなかった「映画監督への道」が開けたのだ。にも関わらず興味深いのは、監督になりたくて映画学校に通う若者たちは、そんなムーブメントが起きているのに、8ミリカメラを手に取ろうともせず、毎日、勤勉に学校に通い、授業を受け続けていた。

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卒業したからと、映画会社に就職できる訳もなく。当然、映画監督へのパスポートがもらえる訳でもない。なのに、黙々と授業を受ける。意味が分からなかった。のちにその中で監督デビューした者が1人いるらしいが、あとは皆、夢破れて行った。どう考えても目標に向かっていない道をなぜ歩み続けたのか? 僕には理解できなかったが「夢を追う」といいながら、多くの若い人は夢には繋がらない努力をしていることが多い。

といって、学生映画を作ればプロになれるのか?というと、それももの凄く厳しいものがあった。結果としてプロになれたのは20人くらい。それでも僕が高校生のころは「監督への道」は全くなかったので、スゴイと思うのだが、本当に実力のある連中が、それもチャンスを掴むことができ、出会いがあった人たちだけが「監督」へのパスポートを勝ち取り、デビューした。

僕はそこで落ち零れた。まわりでは少しずつ認められて来ていたが、デビューした人たちは、素人なのに、日本全国の映画学生が名前を知るような存在。僕なんて遠く及ばなかった。そんな選ばれた若者たちも、監督した作品がヒットせず。1本で消えて行く者。2本で終わる者が出て来て、スピルバーグのような大ヒット作を監督する者はおらず。業界的にも「やっぱ、8ミリ撮っているくらいじゃダメだな」ということになり、学生映画ブームも終ってしまう。

僕はそのブームの中でデビューすることはできず。大きなチャンスを失う。「映画監督への道」は閉ざされた。まじめに映画学校を卒業した友人たちもスタッフの仕事に着いた者はいたが、多くは映画以外の仕事に就職。夢破れた者がほとんどだった。また、業界に入れても、昔のように10年助監督をしたら監督になるというシステムもなく。そこから監督になった人は僕のまわりにはいない。

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絶望的な状況。どーするべきか? いろいろ考えて「アメリカに留学しよう!」と決意するのだが、ここからが太田物語・第2部「ロスアンゼルス編」になるので、また別の機会に書きたい。波瀾万丈の物語なのだが、いずれ。ただ、この章まででいえることがある。本当に目指すものがあれば、夢があれば、おとなしく学校で勉強しているだけではダメだということ。チャンスがあれば、それに賭ける。そのチャンスをうしなっても、方法論を変え、アプローチを変えて、時代に合わせたやり方でがんばることが大切だということ。

そして本当に夢を追うのなら、5年や10年で諦めないことだ。「えーーそこまでしなきゃダメ?」と思うのなら、今諦めた方がいい。僕の場合はアメリカに6年。帰国してアルバイトをしながらシナリオを書き5年がかりで、脚本家になり、さらに10年かかって映画監督デビューした。自分でも呆れるほど年月がかかった。ま、僕の場合は要領が悪いとか、頑固で、傲慢だから、いろいろと難しかったとは思う。

ただ、言えるのは考えて考えて、考え抜けば、必ず答えが見つかり、道が見えて来るということ。僕は決して一流大学出身でもなく、8ミリ映画コンテストで入選したこともない。それでもたどり着けたのだから、きっと、あなたも夢を掴むことができるはず。大切なのは「努力」ではない「方法論」だ。その正しい方法論で前に進む。そこで初めて「努力」が必要となり、チャンスや出会があって、ゴールが見えて来る。

もちろん、ゴールは新たなるスタートではあるのだが、まずはそこまで行けるはずだ。大事なのは「方法論」ー考えること。そして時代の風を読むことだ。そう思えている。


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【「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!⑤】 [インサイド・ストーリー]

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【「向日葵の丘」の物語はいかにして誕生したか?!⑤】

ー事実を元にした物語は観客を打ちのめし感動させる?

「朝日のあたる家」で描かれるエピソードは福島で起こった事実を元にして、主人公である平田一家に集約したものである。なので、悲しみが伝わる。それが目的なのだけど、胸を打ち、涙が溢れる。

山崎豊子さんの小説が重くのしかかるのも同じ。「不毛地帯」「沈まぬ太陽」も「大地の子」も、徹底した取材で事実を元に、架空の主人公(モデルがいる)たちの物語として描いているからだ。

そのくらいに「事実」は強い。そんな形で作った「朝日のあたる家」に続いて脚本を書いた「向日葵の丘」。最初は単なる青春ものとしてスタートした。そのジャンルの方が僕の得意とするところなのだが、前作を見た人はたぶん「今回は軽いなあ」「前回の方が泣けたなあ」と思うだろう。もちろん、ジャンルが違うのだが、感動という面に置いては同じであり、別の分野であっても「前作を超える」というのは作家としての使命だと思える。

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だが、「向日葵」は映画研究部でがんばる3人の女子高生の物語。僕自身、18歳のときから学生映画をやっていたので、背景は分かるし情報も持っているが、僕自身が高校時代に映画研究部だった訳でもない。さらに、主人公の3人は女の子だ新たに物語を作らねばならない。それを実際に8ミリ映画をやっていた女子高生に取材してシナリオを書いても、それも違うと思える。そこが今回、一番考えたところだ。

感動させる。泣かせるーというのが目的ではないが、結果として感動した。泣けたと言われると、それは映画のテーマが伝わった。物語が評価されたということなのだ。そのために「向日葵」はどうすれば、感動的な作品となるのか? そこが問題なのだ。原発事故の現実を描いた前作「朝日のあたる家」を超える、いや、迫るだけでもいい。そんなクオリティを目指したかった。

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しかし、厳しい現実を超える創作なんてありえない。だからこそ、山崎豊子さんは毎回、膨大な量の取材をし、それぞれの分野で専門家顔負けの勉強をしたのだ。僕の監督第二作「青い青い空」も書道が題材なので、かなり勉強した。映画を見た書家の先生方は「よく勉強している。書の心が描かれている」と評価してくれた。もちろん、その上で、一般の人にも感動してもらうことが大事。なのに、よく日本映画では「どーせ、観客は知らないからテキトーで大丈夫」といい、題材を勉強せずに映画を作ることが多い。

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「青い青い空」のときも、ある業界関係者は「歌舞伎みたいに書家の襲名披露とかあると面白いんじゃない?」といってきた。それはもの凄く無責任で、書道に対する関心がないから言えること。そんなことだけは絶対にしてはいけないと思ったものだ。もし、書道の在り方を勝手に変えるのであれば、題材は書道である必要はないということ。書道の中にある何かを物語にするから意味があるのだ。

そんなことをいろいろ考えて、決めた。「向日葵」も事実を元に描こう。それが観客に一番伝わり、感動を届けられるのではないか? そう考えた。次回はその辺の話を紹介する。(つづく)

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