「向日葵の丘」に出演・仲代奈緒さんが演出、出演。 朗読と歌で綴る「大切な人〜私の家族が見た戦争〜」2015年・冬・関西公演ツアー。 [キャスト]
「向日葵の丘」に出演・仲代奈緒さんが演出、出演。
朗読と歌で綴る「大切な人〜私の家族が見た戦争〜」
2015年・冬・関西公演ツアー。
京都、箕面、綾部で開催
「大切な人~私の家族が見た戦争~Special Ver.」
出演 仲代奈緒 林勇輔 DAI 田中志帆(pf)
12/20(日)16:00~ open15:30
綾部 交流プラザ
京都府綾部市とよさか町4番地
tel 0773-43-1236
¥3800
「大切な人~私の家族が見た戦争~Original Ver.」
出演 仲代奈緒 草壁カゲロヲ(VOGA) 山下智子 DAI 増田将也 黒川雄司(pf)
12/26(土)17:00 ~ open16:30
京都 錦鱗館
京都市左京区吉田神楽岡町3番地 tel 090-5974-8372
¥3800
仲代奈緒さんのブログ。
http://ameblo.jp/nao-style-room/entry-12095862608.html
予告篇。
「向日葵の丘」全国公開、終了のご挨拶。 [公開終了後]
「向日葵の丘 1983年夏」
御陰さまで12月上旬で、全国公開が終了しました。
8月22日に東京で公開。それから何と5ヶ月の及ぶロングランとなり
全国各地の映画館で上映されました。
渋谷、名古屋、大阪、静岡では予定した日数を超える延長上映となり、
東京では3館。大阪でも3館でムーブオーバー(映画館が変わりながら上映されること)
多くの観客から涙涙の感動作。と言われました。
さらにロサンゼルスの映画祭ーJFFLAの招待作品にもなり、
会場では多くのアメリカ人が涙し、国境を越えて感動を伝えました。
このような形で広がったのも、多くの皆さんの応援と感謝しています。
広島地区だけが未だ映画館の都合で上映できず、
早急に公開して頂けるように、お願いを続けています。
「向日葵の丘」に関する新しい展開。ニュース等がありましたら
このサイトでお知らせします。
来年もよろしくお願いいたします。
監督 太田隆文
和歌山の応援団の方から。今年もみかん。ありがとうございます! [みなさんの応援]
和歌山の応援団の方から。
もう10年、毎年送ってくれています。
ありがとうございます!
【映画作りは恐怖新聞を読むのと同じ???】 [公開終了後]
【映画作りは恐怖新聞を読むのと同じ???】
「向日葵の丘」の全国公開が終了(広島はこれからです)ほっとしたこことで疲労が吹き出してきた。が、後片付けをしながら少しずつ休息するようにしていたので、寝込むことはなかった。予想以上に疲労困憊していること実感している。
不思議なもので、自分が重度に疲れていることが分からない。だから、平気で仕事を続けて、過労死するのだろう。昨日も仕事で渋谷に行ったのだが、打ち合わせ中は元気いっぱいなのに、終わってほっとすると疲れが溢れて来た。映画でも見て帰ろうと思ったのに、体力なし。
部屋に戻るとまだ夕方前なのに、寝てしまう。食欲もなく、眠り続け、夜中に目が覚める。仕事の電話をして、夕飯にしようか?と思ったが、やはり食欲がなく、いつもは必ず飲む酒も進まず。再び寝てしまう。
これでも4年前よりはずっとマシ。あのときは、外出すらできなかった。今回は大丈夫だろうと思っていたが、程度の差あれ、やはり4年間の戦いは体も、心もボロボロになっているようだ。映画を1本作るということは(いや、4年で2本も作った)は寿命を減らして行くことだと思える。
やはり映画作りは「恐怖新聞」? 読むと1年寿命が縮まるという恐怖新聞(つのだじろうさんの有名な漫画です)と同じように、1本映画を撮ると、5年寿命が縮むという説(?)ーま、僕が勝手に思っているのだがー正解かもしれない。
体が疲れていると、心も疲れており、考え方がネガティブになる。前向きな気持ちがなくなり、小さなことでクヨクヨしてしまう。詰まらないことで後悔したりする。そんなときはしっかり休まなければならないのだが、ブラックな映画業界ではむずかしい。
しかし、ものは考え方。「やっと終わったぞ。よし、次だ!」と新たなる戦いをすぐにスタートするのは、一見かっこ良く見える。「過去を振り返っている時間なんてないんだ!」といえば、前向きに思える。けど、それは違う。
ここは4年間を振り返り、反省し、考える時期だと考えるべきだろう。何が正解で、何が失敗だったか? 何が原因でうまく行ったのか? 行かなかったのか? その中で得たものは失ったものは何か? そんなことをあれこれ、いろんな角度から考えることが大事。
今回はうまく行った方法論でも、次はそうとは限らない。その方法論は不変なのか? 今回たまたま成功しただけなのか? それを見極めずに次の戦いはできない。今、笑顔で協力してくれている人も、次応援してくれるとは限らない。今回、何もしてくれなかった人も、次の戦いでは大いなる力になることもある。
疲労回復をしながら、そんなことを考えて、同時に、時代の動きをしっかりと感じて、いつか来る次の戦いまでの時間を過ごす。ま、歳取ると、回復遅いのが辛いところだけどね....。
1時間働けば時給がもらえるのが当然!ーと考える若者たち?! [【再掲載】]
【1時間働けば時給がもらえるのが当然!ーと考える若者たち?!】
友人が大学生の頃。こんなことを言っていた。「普通の会社に就職するのは嫌だ。映画の仕事がしたい。月20万もらえるなら脚本家の仕事をしてもいいんだけどなあ」?????当時、僕はすでに映画界で働いていたので、もの凄い違和感があった。が、脚本家の求人なんてある訳がなく。彼は普通の会社に就職した。
友人だけではない。ときどき専門学校に呼ばれ特別講義をする。そこでこんな質問を受けた。「映画監督業は食えますか?」「月いくらの収入がありますか?」そんな質問が出ること自体に腹が立ち正直に答えた。「監督業はブラック企業を超える。アルバイトをすれば時給900円とかもらえるが、監督業は時給50円。いや、日給50円。月収50円ということもある。それが監督業だよ」
そういうと生徒たちは「映画監督なんてなるものんじゃないなあ」という顔をする。だが、それが現実。年収ゼロ円という監督もいる。奥さんに食わせてもらっていたり。アルバイトで生活している先輩もいる。監督業は厳しいという話ではない。そもそも、大学生の友人や専門学校の生徒の発想が間違っていると言う話をしたい。
彼らの発想はバイトが基本になっている。1時間働けば900円。たいていのバイトはそんな感じ。1日10時間労働で9000円。1ヶ月に20日間働けば18万。「それならどーにか生活できるかなあ?」という考え方だ。しかし、それはバイトや会社員の世界での価値観。映画の仕事は監督でも、脚本家でも、カメラマンでも、技術がいる。質問をした生徒たちは、まだ何も技術を持っていない。にも関わらず1時間働けばいくら? 1日働けば***円という計算ばかりしている。
何の技術もない彼らが撮影現場に来ても、何の役にも経たない訳で、1時間いくらどころか、1円たりとも払われることはない。いや、現場に呼ばれることすらない。そのことに気付かず。「監督をやれば、いくら? 脚本家なら**万円?」と時給計算をしている学生たちは、基本的におかしい。
バイトというのは、ちょっと教えてもらえれば出来る仕事。特別な技術は必要ない。だから、1時間900円とかいう賃金をもらえる。だが、映画の仕事は誰にもでできるものではない。技術があった上にセンスも必要。それを持った人にギャラを払って働いてもらう。その違いを学生たちは理解せず。1時間働けば***円とバイトの感覚で考えるので、ズレてしまうのだ。
ベテランのスクリプターさん。彼女は若い頃からスクリプターの仕事をしたかったという。が、経験がない。そこで友人に頼み込み、ノーギャラで、それも見習いで撮影に参加した。1年仕事をしたがノーギャラ。何の技術も経験もない人に賃金は払われない。逆に本来なら彼女は現場でいろいろと学ぶのだから、授業料を払わなければならない。ノーギャラでもメリットは大きい。
頼み込んで低予算テレビ番組の撮影に参加してもらい、1年間勉強しながら現場をこなした。が、彼女の本当の目的は映画のスクリプターだった。テレビと映画のシステムは違う。そこでまた1年間、見習いで映画撮影に参加。仕事を学んだ。今は一人前のスクリプターとして、それなりのギャラをもらっているが、映画の世界では、技術も経験もない者には1円たりともギャラは払われない。
そもそも経験のない人は撮影の邪魔になったり。足を引っ張ったりすることが多いので、撮影には参加させてもらえないことが多い。1年間も現場で働いたということは、彼女がかなり優秀で頑張り屋だったということ。今の映画界に新人を育てようという思いはないし、低予算化の波で、役に立たない者はすぐに解雇というのが現状である。
さて、思い返してほしい。そんな世界で「月20万円もらえるなら脚本家になってもいい」という大学生。何の技術もない生徒が「監督業は月いくらもらえますか?」と質問。学生にありがちなバイト感覚でしかないことが分かる。だが、これは映画の世界ばかりではない。一般の会社も昔のように、新入社員は業績を上げなくても、数年は月給もらって勉強というところは少なくなっている。何らかの技術やスペシャリティのない者は採用しない会社が多い。
「月給は30万はもらわないとね!」とかバイト感覚で言っていると、社会からはじき出されてしまうだろう。時間の切り売りをして、賃金をもらえるのは、アルバイトだけなのだ。その発想で「仕事」を考えてはダメ。「仕事」を得るためには、それなりの「技術」や「経験」が不可欠。映画界だけでなく、一般の社会もそうなって来た。
大学の4年間。或は専門学校の2年間。バイトして、コンパして、旅行して、さあ、就職だ!といううときに、技術も経験もないと大変なことになるだろう。
最後に少し前に専門学校に行ったとき、出た質問を紹介する。
「太田監督の撮影現場はボランティアでお手伝いしている人がいると聞きましたが、僕らも参加できますか? それから1日いくらもらえますか?」
僕は答えた。
「通常は撮影現場に一般の人は入れない。技術も経験もない人が参加すると、トラブルを起こしたり、隠れて俳優の写真を撮ったり、大変なことになることが多い。だから、よほど信頼できる人で、映画愛のある人。この映画を応援したい!という人だけを厳選。撮影の過程を経験、一緒にがんばることを楽しんでくれる人たちのみ。お願いする。その意味で君はダメ。ボランティア・スタッフでいくらもらえる?なんて質問する段階でアウトだ」
その生徒はあとで「よく分かりました。ノーギャラでもいいので、手伝わせてください」といってくるかと思ったが「何だ、タダかよ!」という顔で帰って行った。バイトというシステムが若者たちに勘違いさせ、時代を逆行していることを改めて感じた。学校教育で与えられたことだけをやっていたら、社会に出て大変な事になる時代。なのに気付かぬ若い人が多い。悲しい話である...。
【俳優になるにはイケメンで美女でない方がいい?】 [【再掲載】]
「俳優」というと皆、背が高く、美形で、かっこいい人と思うだろう。女優というと、美人で、あるいは可愛いい。主役級の俳優さんの多くは、そんなタイプ。だから、「俺、俳優になる!」というと、「お前みたいなブ男には無理だよ」「あんたのようなブスはダメ」と言われることが多い。
だが、考えてほしい。映画やドラマに出ているのは美男美女ばかりではない。脇にいる個性的な俳優たちがいるからこそ、主役のイケメン。美人が華やぐのである。古くのアメリカ映画でいえば、ロバート・レツドフォードやアル・パチーノだけではダメ。まわりに曲者的な俳優が出てくるから面白い。ピーター・ボイル、ドナルド・プリーゼンス、ハービー・カイテル、デニス・ホッパーと、その手の存在がいるから物語も面白くなる。
そして、これも意外に皆、気づかないが、主役級を演じられるイケメン俳優は長く仕事はできない。思い出してほしい。90年代にテレビのゴールデンタイムで主役をやっていた男優たち。今も活躍している人は2−3人だ。というのも、イケメン俳優、美人女優というのは、すごい数いて、物凄い競争がある。また年齢の問題もあり、長く主役の座にい続けるのは至難の技なのだ。
それに対して、脇にいる個性派俳優というのは、ものすごく息が長い。例えば大滝秀治さん。60年代から亡くなる最近まで、50年以上に渡って第1線で活躍。田中邦衛さんも、長門裕之さんも、千秋実さんも、皆、名優だった。そして皆、長きに渡って活躍している。
女優も同じ。20代を超えると急激に仕事が減る。学園ものに出られなくなるから。20代になると、女子大生役。。。。といってもそんなドラマはほとんどないし、OL役といっても、主人公の同僚くらい。そのあとは40歳過ぎてから母親役。女優業も本当に厳しい。
しかし、個性的な脇役なら仕事がある。特に重要ななのはハゲ、デブ、チビ、メガネ、この辺は非常に大切。学園ものでも、刑事物でも、ホームドラマでも、ラブストーリーでも、その手の人材は必要。それに個性的だから視聴者や観客に覚えてもらいやすい。
その枠で注目されれば、かなりの年月、仕事ができる。が、イケメン。美女は10年越えて頑張れるのは数人。毎年、宝くじで1億円当てるようなものだ。その意味からも、個性的な脇役がいかにお得(?)で、仕事に恵まれているか?が分かる。もちろん演技力あってのことだが、その種の俳優たちはドラマや映画にとっても重要であり、彼ら彼女らの存在なしに物語は成立しない。
にも関わらず、「女優になる!」というと、皆、美女を目指すし。男たちは二枚目を目標とする。そして、一般の人は「あんたには無理だよ〜」と厳しいことをいう。皆、不思議だが「俳優」というと二枚目と美女をイメージする。もし、あなたが俳優を目指しているなら、個性的な俳優を目指すことをお勧めする。イケメンや美女の競争率はものスゴく高い上に、長生きできるのは数人。
でも、個性派なら、一生俳優業を続けることも可能。ま、いずれにしても個性が重要。誰かのモノマネではなく、かっこよくなくても自分らしさを持つことが大事。僕がオーディションをするときは、いつも、そんなタイプを探す。