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芳根京子さん。映画「向日葵の丘」では映画研究部だけど 「表参道高校合唱部」では合唱部で活躍。 [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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(これは今年9月に掲載した記事です。ドラマは終了しています)

映画「向日葵の丘 1983年夏」で

観客を号泣させる名演技を見せた芳根京子さん。

映画では映画研究部だけど、

ドラマ「表参道高校合唱部」では合唱部。

がんばれ、芳根! 

毎週金曜日午後10時から!  

TBS。

ぜひ!

「向日葵の丘 1983年夏」公式HP => http://himawarinooka.net

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「向日葵の丘 1983年夏」品川プリンスシネマで記念写真を撮ろう! [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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 (この記事は9月にアップしたものの再掲載。上映はすでに終わっています)

シアター入り口そば。

トイレ入り口があるスペースに記念写真パネルがある。

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常盤さんらキャスト陣も写メしました!

映画を観たら記念写真をどーぞ!

僕も撮影しました。

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「向日葵の丘」の常盤貴子さんがLAの映画祭でOutstanding Artistic Performance賞 [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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(速報)LAで開催されたJFFLA2015(ジャパン・フィルム・フェスティバル・LA)で

「向日葵の丘」の常盤貴子さんがOutstanding Artistic Performance賞に選ばれた!

凄い! 

常盤さんに代わって監督の私、太田がトロフィーを預かった! 

ありがとうございました。

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「向日葵の丘ーLA映画祭報告。アメリカ人も号泣! 感動の2時間20分。 [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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昨日、第11回ジャパン・フィルム・フェイスティバルがLAで行なわれた。9月上旬のオープニングでは大林宣彦監督が登場。「野のなななのか」が上映。そして下旬には「向日葵の丘」が招待上映。

リトル東京あるジャパン・カルチャー&コミュティ・センターでの上映。白人。黒人。日系人。この街で働く日本人らが多くの観客が訪れる。日本では大好評だが、果たして映画王国ハリウッドのある街でどう評価されるのか?

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また、LAはどちらかというとエンターテイメント性のある映画が主流であり、アメリカ人は感動巨編より、そちらが好きな人が多い。その意味で「向日葵の丘」はどんなふうに観られるのか? 不安と期待が交差する。

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上映開始1時間後。日本では涙涙の連続となるヒロイン・多香子の帰京シーンがスタートする。場内で観客の顔が見える位置で伺っていると、1人。また1人と、ハンカチを取り出す様子が。眼鏡を外し涙を拭く男性。鼻をすする若者。うつむいてスクリーンを凝視できない年配の女性。

そこからラストまで場内は涙涙の光景が続いた。笑えるシーンでは日本以上に笑い声が聞こえ、「OH!」「YES」と呟く観客もいた。日本と同じシーンで笑い、涙する。「向日葵」はLAでも受け入れられたことを感じる。そしてあのラストシーン。画面が暗くなりエンドロール「常盤貴子 Takako Tokiwa」の文字が出たとたんに大きな拍手!

さらにエンドロールが終わったあとも、もう一度拍手が起こる。最大級の賛辞だ。アメリカでは映画館でも、「素晴らしい」と観客が思えば拍手が起こる。「向日葵」もまた、多くの観客が「素晴らしい」と思ってくれたようだ。詳しくはまた報告する。

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1万アクセスを超えた記事「1時間働けば時給がもらえるのが当然!ーと考える若者たち?! [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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【1時間働けば時給がもらえるのが当然!ーと考える若者たち?!】

 友人が大学生の頃。こんなことを言っていた。「普通の会社に就職するのは嫌だ。映画の仕事がしたい。月20万もらえるなら脚本家の仕事をしてもいいんだけどなあ」?????当時、僕はすでに映画界で働いていたので、もの凄い違和感があった。が、脚本家の求人なんてある訳がなく。彼は普通の会社に就職した。

 友人だけではない。ときどき専門学校に呼ばれ特別講義をする。そこでこんな質問を受けた。「映画監督業は食えますか?」「月いくらの収入がありますか?」そんな質問が出ること自体に腹が立ち正直に答えた。「監督業はブラック企業を超える。アルバイトをすれば時給900円とかもらえるが、監督業は時給50円。いや、日給50円。月収50円ということもある。それが監督業だよ」

 そういうと生徒たちは「映画監督なんてなるものんじゃないなあ」という顔をする。だが、それが現実。年収ゼロ円という監督もいる。奥さんに食わせてもらっていたり。アルバイトで生活している先輩もいる。監督業は厳しいという話ではない。そもそも、大学生の友人や専門学校の生徒の発想が間違っていると言う話をしたい。

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 彼らの発想はバイトが基本になっている。1時間働けば900円。たいていのバイトはそんな感じ。1日10時間労働で9000円。1ヶ月に20日間働けば18万。「それならどーにか生活できるかなあ?」という考え方だ。しかし、それはバイトや会社員の世界での価値観。映画の仕事は監督でも、脚本家でも、カメラマンでも、技術がいる。質問をした生徒たちは、まだ何も技術を持っていない。にも関わらず1時間働けばいくら? 1日働けば***円という計算ばかりしている。

 何の技術もない彼らが撮影現場に来ても、何の役にも経たない訳で、1時間いくらどころか、1円たりとも払われることはない。いや、現場に呼ばれることすらない。そのことに気付かず。「監督をやれば、いくら? 脚本家なら**万円?」と時給計算をしている学生たちは、基本的におかしい。

 バイトというのは、ちょっと教えてもらえれば出来る仕事。特別な技術は必要ない。だから、1時間900円とかいう賃金をもらえる。だが、映画の仕事は誰にもでできるものではない。技術があった上にセンスも必要。それを持った人にギャラを払って働いてもらう。その違いを学生たちは理解せず。1時間働けば***円とバイトの感覚で考えるので、ズレてしまうのだ。

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 ベテランのスクリプターさん。彼女は若い頃からスクリプターの仕事をしたかったという。が、経験がない。そこで友人に頼み込み、ノーギャラで、それも見習いで撮影に参加した。1年仕事をしたがノーギャラ。何の技術も経験もない人に賃金は払われない。逆に本来なら彼女は現場でいろいろと学ぶのだから、授業料を払わなければならない。ノーギャラでもメリットは大きい。

 頼み込んで低予算テレビ番組の撮影に参加してもらい、1年間勉強しながら現場をこなした。が、彼女の本当の目的は映画のスクリプターだった。テレビと映画のシステムは違う。そこでまた1年間、見習いで映画撮影に参加。仕事を学んだ。今は一人前のスクリプターとして、それなりのギャラをもらっているが、映画の世界では、技術も経験もない者には1円たりともギャラは払われない。

 そもそも経験のない人は撮影の邪魔になったり。足を引っ張ったりすることが多いので、撮影には参加させてもらえないことが多い。1年間も現場で働いたということは、彼女がかなり優秀で頑張り屋だったということ。今の映画界に新人を育てようという思いはないし、低予算化の波で、役に立たない者はすぐに解雇というのが現状である。

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 さて、思い返してほしい。そんな世界で「月20万円もらえるなら脚本家になってもいい」という大学生。何の技術もない生徒が「監督業は月いくらもらえますか?」と質問。学生にありがちなバイト感覚でしかないことが分かる。だが、これは映画の世界ばかりではない。一般の会社も昔のように、新入社員は業績を上げなくても、数年は月給もらって勉強というところは少なくなっている。何らかの技術やスペシャリティのない者は採用しない会社が多い。

 「月給は30万はもらわないとね!」とかバイト感覚で言っていると、社会からはじき出されてしまうだろう。時間の切り売りをして、賃金をもらえるのは、アルバイトだけなのだ。その発想で「仕事」を考えてはダメ。「仕事」を得るためには、それなりの「技術」や「経験」が不可欠。映画界だけでなく、一般の社会もそうなって来た。

 大学の4年間。或は専門学校の2年間。バイトして、コンパして、旅行して、さあ、就職だ!といううときに、技術も経験もないと大変なことになるだろう。

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 最後に少し前に専門学校に行ったとき、出た質問を紹介する。

 「太田監督の撮影現場はボランティアでお手伝いしている人がいると聞きましたが、僕らも参加できますか? それから1日いくらもらえますか?」

 僕は答えた。

 「通常は撮影現場に一般の人は入れない。技術も経験もない人が参加すると、トラブルを起こしたり、隠れて俳優の写真を撮ったり、大変なことになることが多い。だから、よほど信頼できる人で、映画愛のある人。この映画を応援したい!という人だけを厳選。撮影の過程を経験、一緒にがんばることを楽しんでくれる人たちのみ。受け入れる。その意味で君はダメ。ボランティア・スタッフでいくらもらえる?なんて質問する段階でアウトだ」

 その生徒はあとで「よく分かりました。ノーギャラでもいいので、手伝わせてください」といってくるかと思ったが「何だ、タダかよ!」という顔で帰って行った。バイトというシステムが若者たちに勘違いさせ、時代を逆行していることを改めて感じた。学校教育で与えられたことだけをやっていたら、社会に出て大変な事になる時代。なのに気付かぬ若い人が多い。悲しい話だ...。

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「私の実力を認めてくれ!と主張する前に、人のために何ができるか?を考えることが大事 [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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【私の実力を認めてくれ!と主張する前に、人のために何ができるか?を考えることが大事】

劇団員というのは大変だ。食って行ける劇団はいくつかしかなく、ほとんどがバイトで生活を支えいる人ばかり。公演時は1ヶ月前からバイトを休み、ノーギャラの上に、チケットを100枚ほど売るのがノルマ。

しかし、毎年行われる公演にさえ2年に1回しか出演できない。そんな劇団に20代のA子がいる。月18万ほど稼ぐバイト料から毎月1万ずつ貯金して、20万溜まったら、芝居に出れるというのだ。

その劇団は小さく、観客のチケット代だけでは赤字。劇場を借り、ポスターやチラシを作り、衣装や小道具を借りると、持ち出しになる。だから、劇団員が1人20万ずつ出し合って公演をする。その金がないと、出演することができない。だが、月18万円で毎月1万の貯金は大変。月1−2回の飲み会に出るともうアウト。節約して生活しても2年かかる。

そのA子の夢はプロの俳優になること。いつか映画やテレビドラマに出られるようになりたい。そう思ってがんばっている。そのA子が以前、僕が講師をするワークショップに来ていたこともあり、その劇団の芝居を見た。抜群にうまくはないが、がんばっている。

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その年に撮影する僕の映画に出演しないか?と訊いてみた。エキストラに毛の生えた役だが、台詞がある。ただ、製作費も厳しいのでノーギャラ。それれでも、撮影現場を経験できるし、プロの俳優たちと並んで芝居ができる。勉強になるはずだ。が、彼女は不満そうにこう訊いた。

「ノーギャラって、どういう意味ですか?」

ノーギャラはノーギャラ。出演料がないという意味だ。それは理解しているはずだ。要は「プロの仕事に出るんだから、それはないでしょう?」という意味だ。もちろん、余裕があればギャラは出したい。が、僕の映画は毎回、ギリギリでやっている。いや、僕だけではない。今、ドラマも映画も本当に節約に節約して撮影をする。プロでも小さな役はバイト料と変わらぬ額だったりする。それでも1本の映画に出演できると、皆、全身全霊で芝居する。

なのに、実績もない、有名でもない、彼女がギャラを要求していた。ここで本来はアウトだが、自分の立場を勘違いしているのではなく、プロの世界を知らないのだと思い、説明した。映画の世界はバイトではない。1時間900円とかで仕事をする世界ではない。実績と実力がものを言う。実力があっても、なかなか認められない。俳優事務所からは「タダでもいいので、ウチの子たちを何かの役で出してください」とよくいわれる。それでも出れない。

小さな実績を積み重ねて、いろんな人と知り合い、チャンスをもらって、階段を上って行く仕事。いや、今は仕事と捉えてはいけない。チャンスだと思ってほしい。僕にできるのは、小さな役だけど台詞もある。勉強になる。A子なら出来る役なので、お願いした。と話した。


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彼女は不満そうだったが、納得。出演した。その後、現場はとても勉強になったと喜んでいた。で、映画公開のとき。劇団員の彼女ならチケットを売るのは得意だろうと頼んだら「友達は皆、忙しいので、映画見れるかどうか?分からないし、買ってもらえません」と断られた。なぜ、自分が出ている映画を同じ劇団員や友達に見てもらおうと思わないのだろう?さらに、試写会に呼んでもスタッフにこんなことを言ってる。

「****さんの芝居がよくなかったなあ。もっと力を抜いてやった方がいいですね」

ちょっと待て、その俳優はプロだぞ。素人のお前が何をいうの? いや、100歩譲って、その通りだとしても、それをスタッフにいってどうすんの? もしかしたら、何かの機会にそのスタッフが別の映画で声をかけてくれるかもしれないのに、一緒に演じた俳優を批判していては「この子何なんだ?」と思われて終わり。

あとで呼びつけて説教したら、反省していたけど、一連の行動は全て同じ背景だ。自分の行動や発言がどう思われるか?を考えていない。一般の素人がいうなら許される。しかし、プロの俳優をめざし、劇団で舞台に立ち。映画の撮影にも出演。台詞ある役を演じている。それはもうプロのスタートラインに立ったのと同じ。にも関わらず、素人気分なのだ。チケットをたくさん売れば、映画会社にも喜ばれる。

「へーあの子、チケット100枚も売ったのか? また、何かあれば声かけて上げようよ」

と言われるだろう。儲けのことではない。そのくらいに作品に対する思いがあり、多くの人に見てほしいという思いを感じるからだ。が、彼女は訳の分からない理由でチケットを売ろうともしなかった。

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初出演なのにノーギャラと言われると不満を表す。そこで声をかけられたことにまず感謝を示すのに「えー?」という顔をしてしまう。そして試写会での感想。どれをどうとっても「やる気」が見えない。不遇の身ではあるが、どこかで「私は出来る!」という自負があるのかもしれない。しかし、彼女はまだプロではなく、その実力を世間も業界も認めてはいない。それなら、まわりにいる応援してくれる人たちに理解してもらう努力をすべきなのだが、いつも空回り。

実はそんな俳優の卵は多い。勘違い。うぬぼれ。気がまわらない。自分の立場が分かっていない。応援してくれる人に不義理をする。芸能界はコネと金だなんて言われるが、それだけではない。一生懸命がんばる人は応援されるし、成功している人は皆、もの凄い気遣いをする。仲間のために神経をすり減らす。

実は他の世界も同じだろう。初心者は「実力があれば認められる」と勘違いしがちだが「私を評価してくれ!」と言う前に、「いかに人のために役に立つか?」を伝えること大事なのだと思える。


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「有名になっても謙虚でいてくださいね。人は謙虚が一番ですよ」という人。その裏にある歪んだ構図? [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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【「有名になっても謙虚でいてくださいね。人は謙虚が一番ですよ」という人。その裏にある歪んだ構図?】

何年も前だが、あるお仕事でご一緒した年配の男性Kさん。昔はラジオの仕事をしていて、いろんな人をゲストに迎えて番組を作ったという。その顔ぶれを聞くと凄い。時代を築いた有名人たちがズラズラ。「凄いですね〜」というと、Kさんは「いやー、たまたまですよ」と満面の笑顔で答え、有名人たちとの交友関係をいろいろと話してくれた。

「ただ、その後に歌手の****さんがレコード売れてブレイクするとねー」と視線を落とす。「番組に来てもらったときは、とても謙虚でいい青年だったのに、二度目に会ったときは尊大な態度で、上から目線。有名になると人は変わるんですよね〜。太田監督が有名になっても、謙虚でいてくださいね。人は謙虚が一番ですよ....」

「有名になると態度がでかくなる」という話はたまに聞く。人はやはり変わるものなのか? だが、その後、Kさんを紹介してくれた友人から、こんな話を聞いた。「彼は有名俳優の***さんと親しいというので、仕事でオファーするので紹介してほしいといったんだ。でも、何かはっきりと返事してくれなくて、直接、事務所に電話してKさんの名前出したら、そんな人は知らないって言われてさあ」????どういうことか?友人は続ける。

「Kさんに会ったときに詳しく聞くと、どーも、彼はその俳優と親しい訳ではないんだ。一度、番組に来ただけ。Kさんは今、フリーでラジオ局も辞めているし、自分が凄いことを伝えるために、有名人と知り合いと言ってるだけみたいなんだ....」

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そこから彼の事情が見えて来た。レコードが売れてブレイクした歌手が尊大な態度になっていたというのも、実は相手がKさんを覚えていなかっただけではないか? 番組にくれば宣伝になるので、低姿勢で、気を使い会話する。でも、その番組のパーソナリティやディレクターの1人1人をアーティストは覚えていない。もの凄い数の番組に出演するからだ。そんな1人であるKさんが、局の廊下でそのアーティストに声をかける。当然、覚えていない。愛想のない対応をされた。それをKさん。こう解釈した。

「レコードが売れたので、態度がでかくなった!」

次第にKさんは有名人好きで有名だと分かって来た。親しくもない人と親しいと思い込んでいたり。いろいろトラブルを起こしているらしい。が、今回の要点はそこではない。「そのアーティストは有名になったから尊大になったのだろうか?」という点。もちろん、そんな人もいるだろう。ただ、僕自身が最近感じているあることと関連する。今回の「向日葵の丘」もの凄く評判がいい。大物俳優もたくさん出ている。

「監督、凄いですねー!」

と言われる。でも、僕が凄いのではなく、俳優たちが実力派揃いで凄いのだ。なのに、多くの人は僕を褒めてくれる。これは危ない。一般の人は「有名俳優が出ている=凄い」という発想を持ってしまう。だが、監督は映画の中身を作る人。「感動的な映画」=>「この監督は凄い」はいいか、先の「有名俳優が出ている」=>「凄い」は違うのだ。

それを勘違いして「オレは凄い」と思うのは間違い。先のKさん。それを混同したのではないか? 「有名ゲストがたくさん出る番組を担当している」=>「だから、オレは凄い!」と思い込んだ。これも「この番組は面白い」=>「だから、担当のKさんは凄い」なら正解だが、「有名俳優が凄い」=「Kさん凄い」ではないのだ。

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なのに廊下で会ったとき、その歌手はKさんを覚えていなかった。「ブレイクするとこれか?」と思い込み「人は謙虚でなければ...」と感じたのだろう。それを僕に求めた。そう思うのは、最近、いろんな人が「監督、凄い!」と褒めてくれる一方で、昔からの知人や同期の映画人から批判されることがあるからだ。「有名俳優が出演してるからって勘違いしてるんじゃないか?」「調子に乗っているよなあ?」とか言われる。

僕は何も変わらないのに「最近、挨拶ないよな?」という知人もいるが、今、挨拶に行く理由はない。もちろん、余裕ができたら報告はしようと思っていたが、宣伝宣伝で、とりあえず目の前の仕事をこなさなきゃいけない。なのにこういわれる。

「ちょっと売れるとこれだ...」

つまり、レコードが売れる。映画がヒットする。と、喜んでくれる人、評価してくれる人がいるのと同時に、妬む人が出て来て、ご無沙汰すると「偉そうに!」と解釈されてしまう。本人は忙しいだけなのに「ちょっと売れるとこれだ...」と思われる。

そしてKさんと同じようにこう思う。「昔はいい奴だったのになあ〜」人は偉くなると態度がデカくなりがち。僕もそう思っていた。Kさんに言われるまでもなく注意していた。が、こちらが注意しても、そんなふうに見られること。ここしばらく痛感している。若い人たちはよくいう。

「有名になりたい」「キャーキャー言われたい」

だから俳優になりたい。歌手になりたい。でも、まだブレイクしていると言えない僕でも、こんなことがある。本当に有名なアーティストたちって、どう なんだろう? そんなことを考えてしまう。


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【人はなぜ、他人のことをあれこれ言いたくなるのだろう?  そして大切なことを見失っているのではないか?】 [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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【人はなぜ、他人のことをあれこれ言いたくなるのだろう? 
そして大切なことを見失っているのではないか?】

ここ数ヶ月。忙しくて食事の時間も取れないことが多かった。移動中にコンビニで菓子パンを買って歩きながら食べるということが何度もあった。先日、カレーパンを食べながら歩いると、80歳前後の腰の曲がったおばあちゃんが前方からやってきた。僕の前で立ち止まり、笑顔でこちらを見てこういった。

「パン食べてるの?」

会ったこともない人だし、ちょっと不審に思ったがお年寄りだし、答えた。

「はい…..」

すると、そのおばあさんは急に険しい顔をしてこういう。

「だから、そんなに太るんのよ!」

と言って立ち去って行った。何なんだ? あの婆さんは????? 想像するにお婆さんは「この人は座らずに食事をしている」と思った。しかし、僕が座って食事をする時間がないとは考えない。座って食事をするだけでなく、歩いているときも食べていると考えた=>賎しい=>だから太るんだ=>一言いってやろう!という理屈だったのだろう。だとしても、見知らぬ他人にそんなことをいうだろうか?

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と思っていると、自転車に乗ったおばさんが通りかかり、目の前で止まる。「あんた。あの人知ってるの?」そう聞かれた。「いいえ。今、会ったばかり….」そういうと、おばさんは「あの人。町内でも有名なのよ…」といい、ため息をつくと自転車を漕ぎ去って行った。

何なんだ??? 想像するに、あのお婆さんは見知らぬ他人にやたら話かけては、あれこれ顰蹙を買うことをいうことで有名な人なのだろう。耄碌しているのかもしれない。

詳しいことは分からないが、耄碌したから見知らぬ人にまで余計なことをいうのか? 或いは耄碌したから思ったことを誰彼構わずにいってしまうのか? どちらかだろう。しかし、近所のおばさんたちの立ち話を聞いていても、「**さんがどうした」とか人の噂や批判ばかりしている。基本、人は他人のことをあれこれ言うのが好きなのだろう。

Facebookでも同じ。僕が書いた記事に対して、あれこれ首を傾げるコメントを書き込んでくる人たちがいる。「目の手術をしたので化膿止めのため毎日、目薬をささねばならない」と書くと、こんなコメント。

「オレ、目薬嫌いなんだよね〜」

ーはあ? あんたに目薬させとは言っていない!或いはこんなの

「目薬はいけない!さしては駄目だ」

これは一般の目薬についてよく言われることなので意味は分かる。が、記事を読めば手術後の化膿止めであることは分かる。が、その人は文章を読まず、「目薬をさした」という部分だけ見て「駄目だ」とコメントしたのだ。

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2人ともFacebook友達ではあるが、面識はない。ネット上で会話したこともない。なぜ、親しくもない相手にあれこれ注意を促したり、必要のないことを言って来るのか?何度も紹介したが、こんなコメントも以前は山のように来た。

「野菜が足りませんよ!」

「もっと運動した方がいいですよ」

「タンパク質が足りませんよ」

—大きなお世話だ! もちろん、僕の健康を気にしてくれているのは分かる。が、当時も多忙で野菜を食べる余裕なんてない。駅そばがランチてなことが多かった。そんな事情も説明しているのに「野菜が足りません」「サラダを食べましょう!」と連日コメント。「品川駅のどこでサラダ食えるか教えてくれ!!」といいたくなる。会ったこともない人たちが毎日のように、そんなことを書き込むので、一時期「プライベートなことは今後書かない!」と宣言したこともある。

僕が監督したある映画がDVD化される予定はない、と記事に書いたときもそうだった。何十人もが「だったら、***に頼むといいですよ」「台湾で作ると安くできますよ」といろんなアイディアが寄せられた。が、それらのコメントは100%当て外れ。

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何より、DVDのプレスができないと書いたのではなく、メーカーから発売できないという旨を伝えたのに、「資金がないからプレスできない」と勘違い。おまけにコメントをくれた全員が業界の人ではなく、「よく分かりませんが***社に頼んだらどーですか?」とか自分の知らない分野のことに、あれこれコメントしていた。

これも「親切」「好意」と解釈することはできる。が、自分の知らないこと。専門外のことを想像でアドバイスすることに意味があるだろうか? その上、アイディアを募集した訳でない。さらには記事の意味を理解していない。問題点ではないことにコメントする。決して悪い人たちではない。少しでも知恵をしぼって助けになれば!という思いで書いてくれたのだとは思う。が、同時に、他人のことを、専門分野でもないのに、あれこれ言いたくなる人の心理が働いてはいないか?

つまり、先のお婆さんも、近所のおばさんも、Facebook友達も皆、同じで、自分がよく知らない人に対しても、あれこれ口出ししたい!という思いがとても強いのだ。それを指摘すると「親切で言って上げてるのに失礼な!」と怒り出したり「だったら勝手にしろ!」と逆切れされたり。意味が分からない。

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なぜ、人はあれこれ他人のことに口出しするのか? 困ってもいない人にアドバイスしたがるのか? 専門外なことまで分かったようなことを言いたがるのか?映画の世界で仕事をしだしてからも、飲み会に行くと、人の噂話しかしない会が多い。

「***監督は才能ないのに何で毎年撮るんだ?」

「役者の***はもう駄目だ。仕事がなくなるよ!」

とか、そんなことばかりいう飲み会が結構あって、近年は忘年会にも出ない。成功している人や失敗した人たちの仕事ぶりを分析、自分のプラスに繋げるのならいい。が、あれこれ聞きかじったことを、あれこれ批判していても何のプラスにもならないと思うのだが……、

ふと気づくとFacebookも似たような一面のある世界だと思える。一時に比べて、その手のコメントは激減したが、僕自身もその手の人たちの輪の中に陥っているのではないか? と思うことがある。

大切なのは何か? 日常に忙殺され、自分を顧みる余裕もなく。隣の芝生をうらやみ、嫉妬して、批判し、否定することだろうか? そうやって憂さを晴らすことではないはずだ。大切なことは何か? それを考えなければならない。

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【一般の人には分かり辛い映画界のルール。人生を賭けた戦いということ】 [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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【一般の人には分かり辛い映画界のルール。人生を賭けた戦いということ】

友人Aは後輩監督。彼が選んだ若手の女優はときどきブレイクする。僕もよく「実力派の若手女優を見つけるのがうまい」と言われるが、後輩もなかなかだ。そんなA君が期待している若手女優B子がいた。ただ、その魅力は他の監督たちには理解されず、オーディションに落ちてばかり。

で、彼は自作で起用。毎回、違う役に挑戦させた。いろんな役を経験させて、自分以外の作品にも出演できるようになってほしかったからだ。B子は頑張り屋で役作りに、もの凄いエネルギーと時間をかけて、毎回、観客の心を打つ演技を見せた。まさに人生を賭けて芝居をしていた。

しかし、ある映画でB子の芝居、ど素人もビックリの酷いものだった。棒読みもいいところ。中学生の朗読だ。彼女を評価する人たちは「今回の役はむずかしいから仕方ないよ」といったが、そうではない。明らかに役に対するアプローチ不足だ。

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その役はどんな役で。どんな人生を送っている人で、どんな経験をし、どんな家庭で、どんな幼少期を過ごし、今があるのか? どんな性格で、どんな趣味で、どんな心の傷を受けているのか? そんなことを徹底して考えて役作りをする。それにかける時間が少なく、真剣に考えていないための結果であることはすぐに分かる。そのことを後輩監督のA君に訊いた。彼は答えた。


「やっぱ、分かりますか? 映画に使ったのは彼女の芝居の10分の1ほど。あとは酷すぎて使えませんでした。だから、ほとんどカット.....本当に辛かった....でも、カットしないと作品自体がどーしようもないレベルになる.......で、B子ですけど....気づいてはいたんですけど、彼氏ができたんです...」

だろうと思っていた。そのために潰れていった女優の卵を何人も見て来た。役者を続けるのは大変なことで、無名俳優の多くはアルバイトをしながらオーディション等で受かると、休みを取り撮影に参加。終わるとまたバイトという生活。精神的にもかなり大変。そんなときに自分を理解してくれる彼氏が出来る。

一見、精神的にも支えられて、よりがんばれるかと思えるが、実際は逆のことが多い。甘えてしまい、辛い心が癒されてハングリーさを失う。死に物狂いで演技プランを考えるより、彼との幸せな時間を選んでしまう。男でも彼女が出来たことで、不安定な役者を辞めてカタギの仕事に就くことがあるが、僕が見て来た限りでは女性の方が、夢を諦めることが多い。後輩は続ける。

「B子に訊くと、彼氏と揉めてイライラしていて演技プランに集中して考えられずに撮影に挑んだそうです。親が死んでも、カメラの前で笑顔で演じるのが俳優。なのに彼女はそれができなかった。もう俳優失格です....」

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分かる話だ。俳優として一番ダメなパターンとさえ言える。松田優作は手術して車椅子生活すれば助かると医者に言われたのに、手術を拒否「ブラックレイン」に出演して亡くなったのだ。まさに命と引き換えに芝居をした。多くの俳優は人生をかけて芝居をする。だから、感動が伝わる。そんな中で新人のB子が彼氏と揉めて集中できなかったは通らない。後輩は他の友人たちにもそう説明した。が、多くがこういったらしい。

「でも、これを糧に次がんばるということがあるだろう? もう一度チャンスを上げたらどうだ。可哀想じゃないか?」

それは違う。熱がある体調が悪かった。だから芝居がうまく行かなかったなら、まだ、次はこの経験を教訓に体調管理をしっかりしようということはあるだろう。だとして、許されないこと。体調管理できていないところで俳優失格。B子の場合はさらに悪く。体調も良好で、時間もあったのに、役作りをせず、彼氏のことばかり考えて、何もせずに撮影現場に来たのである。

これはもう次がんばるという問題ではなく、二度と俳優業をやってはいけないというレベル。映画作りは趣味や遊びではない。命がけの戦いだ。だが、後輩の友人たち。カタギの人たちには理解できないようでこういうらしい。

「B子が可哀想だよ。俺もエキストラで現場に行ったとき会ったけど、とてもいい子だし。ずっと応援していたんだ。もう一度チャンスをやれよ!」

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その友人は分かっていない。映画作りをサークル活動と同レベルで捉えているのだ。或は会社で恋人のことを考えていて、大失敗した。それを上司に叱られたというレベルで考えているのだ。映画は1人の失敗で、その作品自体が崩壊することがある。誰もが魂を削る戦いをしている中で、彼氏のことを考えて芝居ができないなんてありえない。

特に後輩の現場は皆、真剣。事情を知らなくてもスタッフは「もう、B子はダメ。あの演技ではもう無理」となっている。そこにプロと一般との落差がある。何よりB子自身が「もう、A監督の作品には出られない。あんな芝居をして許されるとは思わない」と言っているらしい。これまでの彼女の演技は本当に素晴らしかった。人生賭けていた。それだけに役者として今回のことは許されないと悟ったのだ。

それでいえば、人生賭けるほどの子なのに、彼氏のことで芝居が出来なかった段階で、もう女優は辞めた方がいい。第1線まで上り詰める多くの女優は、恋より仕事を選ぶ。もの凄い強い思いを持っている。ある意味で平凡な幸せを捨ててかかっている。そこまでしないと生き残れない世界。

でも、A君の友人たちには分からない。「もう1度チャンスをやれよ〜」そんなことをして同じ失態を繰り返したらどうするのか? 今のB子の優先順位は「彼氏」が1番。「演技」は2番。そんな子をキャスティングしてまた作品存亡の危機を招くようでは後輩が監督失格となる。俳優失格というより、B子はすでに俳優ではないのだ。なのに、後輩のまわりのB子ファンたちが、彼女のブログにコメントを書き込んだ。

「がんばってください!」「これからも応援しています!」

これが一般のファンならいい。B子も良く知るA監督の友人たちからの激励。これは応援にはならない。より責任を感じて、心破れるばかり。しかし、友人たちはB子を励まそうと純粋に思っている。極端な見方をすれば嫌がらせとさえ言えるのだが、彼らは気付かない。コメント返しは誰にもなかったという。

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その後、B子は仕事がなく。引退。結婚したと聞く。A監督の作品にしか出れない子が、自分を一番評価し、期待した監督の作品で素人のような芝居をした。自分で可能性を潰したようなものだ。いや、A監督の作品さえ崩壊させたかもしれない。罪は大きい。なのに、後輩の友人たちは未だにこういってる。

「A監督は冷たい。やさしくすれば、B子はまたがんばれたかもしれない。あいつがB子の女優人生を潰したんだ!」

一部始終を見て感じた。僕も似たような経験を何度もしている。結果として言えるのは、短い間だがA監督と出会ったことで俳優になる夢も果たした。そのあと彼女は「芝居」より「恋」を選んだ。「仕事」を失うより「彼」を失いたくなかった。

だから、A監督に期待を裏切ってしまった。「仕事」より「恋」を選んだという意味でもある。両方は選べない。結婚しても女優を続ける人はいるが、その場合は「結婚」の優先順位は2番だったりする。そうでないと生きていけない業界。しかし、その世界で生きることが全てではない。B子は幸せになれたのだと思う...。

なのに、後輩の友達たちは「女優としてがんばれ!」という。仕事より恋が大切となった子に芝居でもう一度がんばれ!という。コメントを書き込む。そのくせに、プロに徹した後輩監督を批判する。その辺が一般の人には理解できない部分なのだろう。

クドいようだが解説すると、A監督の思いを例えると、巨大タンカーの船長。B子が機関室長。なのに、彼女は仕事を放棄。船が座礁しかけた。だから解雇した。対して友人の発想はこう。サークル活動に参加したとき、B子という可愛い子がいた。好感を持った。それを些細な失敗で、A監督が解雇した。許せない!もう1度チャンスを上げろよ!

同じ事実がそれぞれに、そんなふうに見えているはず。だが、映画撮影はサークル活動ではない。まさに巨大タンカーで航海するようなもの。でも、一般の人には分からないだろう。そんふうに映画の仕事はなかなか理解されないものなのだ。


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「向日葵の丘」感想 by 御茶漬海苔氏(人気漫画家) [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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「向日葵の丘」感想 by 御茶漬海苔氏(人気漫画家)

「向日葵の丘」は本当に素晴らしいい映画です。見るたび涙してしまいます。常盤貴子さんは多香子を素晴らしく、はかなく、そして力強く演じています。

田中美里さん演じるみどりさんに、命の大切さを知ることができました。そして藤田朋子さん演じるエリカさんに力強さを感じていました。

そして学生時代の三人芳根京子、藤井武美、百川晴香も素晴らしい演技を披露し、怒り感動。そして思いやりを演じています。

そして津川雅彦さんの存在がお客様の心をとらえてはなさない。素晴らしいです。そして別所哲也さんの素晴らしい演技が引き立てているのです。

「向日葵の丘」は心にのこる素晴らしい映画です。皆様も是非一度見に行ってくださいよろしくお願いいたします。

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【映画公開時の舞台挨拶。俳優さんはいくらもらえるの?】 [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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【映画公開時の舞台挨拶。俳優さんはいくらもらえるの?】

映画が公開されるとき、大きな都市ではキャストが勢揃い。華やかな舞台挨拶が行われる。ワイドショー等でもよく紹介されるので、実際に行ったことはなくても、テレビで見たことがあるだろう。「向日葵の丘」でも東京初日8月22日には常盤貴子さんを始め、大人組とヤング組の6人が勢揃い。多くのマスコミも詰めかけて、盛り上がった。

あのときは人気者勢揃いということもあり、オンラインでのチケット発売からわずか6分で完売。ま、どんな舞台挨拶でも、人気俳優がナマで見られるとあって、数分で完売すると映画館スタッフに聞いた。いつもはスクリーンでしか見れない俳優たちが、実際に観客の前に現れるのだから多くの人がチケットを取ろうとする。

そんな舞台挨拶は誰が企画し、どのようにして行われるのか? これは意外と知らない人が多い。「映画館が俳優を呼ぶんだよ」と思っている人も多いが、そうではない。今回はその辺を説明しよう。

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まず、東京公開初日に舞台挨拶があるのが定番。多くの皆さんの協力で映画が完成。無事に公開されました!という御客様への報告の意味もある。そして、マスコミが来てくれるから。ワイドショーやバラエティ番組で紹介。スポーツ紙や雑誌に掲載。多くの人にその映画が公開されたことを伝達できるからだ。要は宣伝になる。

もうひとつは「人気俳優がナマで見られる!」ということで、観客がたくさん来てくれる。初日が大入り。満員御礼になることは大事。その日、たくさんの客を入れるということも大事だが、舞台挨拶をすることで、その日来ていない人たちにもアピールできる。というのも、初日に来た観客も映画の話題だけでなく、舞台挨拶についても、あちこちで語ってくれる。そこから口コミがスタートする。

その日の客席を満杯にするだけでなく、舞台挨拶をすることで明日からのお客にもアピールするのだ。それを公開の真ん中や最終日に舞台挨拶をやっても、声が広がる頃に上映終了となってしまう。だから、初日にやらねばならない。映画というのは最初が肝心。スタートして徐々に盛り上げてという方法論では駄目。初日がガラガラだが、口コミで広がり、客が増えてくるというのはありえない。

初日満員でスタートして、あとは数が減る一方だが、その減少幅を少なくしながら、いかにロングランするかが、映画では勝負なのだ。ま、極々稀に、途中から人気が出てくる作品もあるが、それは何か事件やニュースがうまく絡んで注目された場合のみ。やはり映画は初日が勝負なのだ。その意味で初日に舞台挨拶をして盛り上げることが重要。あとあとまで効果が続く。

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基本、東京初日は舞台挨拶をするが、地方でも舞台挨拶は実施される。今回も金沢では田中美里さん。大阪、名古屋は藤田朋子さん。あと、横浜ではヤングみどり=藤井武美さん。十三では仲代奈緒さんが登壇。その全てに僕も参加した。基本、映画館側から配給会社に「うちでも舞台挨拶をしてください」との依頼から始まる。配給会社はキャストがその街で舞台挨拶することで、より多くの客が来てくれるかどうか?を判断。承諾する。

だから、キャストが来ても客がさして来ないであろう人口の少ない町では舞台挨拶をしない。場内ガラガラで舞台に立たされる俳優も気の毒。告知するのは配給会社の仕事。さらにキャストが出演する番組、ブログ等でも告知してもらって、アピール。旅費、宿泊費、食費は皆、配給会社が負担。映画館は出さない。少々、疑問あるシステムではあるが、それが映画界の習慣だ。

そして、キャストは1日かけて、その町まで行き、舞台挨拶をしても、ギャラは1円も出ない。一緒に登壇する監督も同じ。「えー何で?」と思うが、それも映画界の習慣。基本、俳優は舞台挨拶を始めとする宣伝は断ってもいい。それをなぜ、受けるか?というと、一生懸命演じて、素晴らしい作品が出来た。だから、それを1人でも多くの人に見てもらいたい!という思いからだ。監督も同じ。多くの人は登壇すればギャラがもらえると思いがちだが、実は皆ノーギャラで舞台挨拶を行う。

よく映画館公開終了後のイベント上映。自主上映のときに「俳優さんに来てほしいんですけど!」との連絡が、主催団体から来ることがあるが、それは舞台挨拶ではなく「営業」というカテゴリーに入り、かなり高額なギャラを払わねばならない。あくまでも、映画館上映時に「素敵な映画が出来たので、皆さん見てください!」という俳優の思いによって、舞台挨拶は実現する。

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それが映画の世界。昔からの習慣なのである。舞台挨拶だけではない。マスコミの取材も、バラエティ番組に出演しての告知も、基本ノーギャラ。全て俳優の好意だ。だから、ある映画のある主演女優さん。映画の出来が気に入らなくて、全ての宣伝を拒否したことがある。それもアリ。舞台挨拶は強制ではない。ただ、俳優たちが「金」のためでなく「映画」のために骨を折るというところが素敵だと思う。

自分たちが懸命に作った映画。その映画を見てほしい! そのために、大阪でも、名古屋でも行く。そのことで1人でも多くの人が映画に関心を持ってくれれば....という思いなのだ。監督業も同じ。以前の映画では数ヶ月に渡り、全国縦断舞台挨拶ツアーをしたが、ギャラは1円ももらっていない。でも、僕が映画館で登壇することで、観客が1人でも2人でも増え、地元でマスコミ取材を受け、映画の存在がアピールされる。それはありがたいこと。(数ヶ月。無収入であとは大変だったけど!!)

今の時代。何かというと金金金!という人が多い。1時間働いたから時給900円だとか。もちろん、正当な報酬はもらうべきだ。しかし、お金のためではなく、労力を費やす、時間をかけるということ。本当に自分が真剣になれることを時給換算するべきではない。お金では買えないものが、そこにあるのだから。舞台挨拶というのは、そんなひとつだと考える。


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「向日葵の丘」感想ー「8ミリは思い出のタイムカプセル」★★★★★ [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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Yahoo!映画レビューの感想

とにかく好きな映画。時代設定の1983年はまさに自分もこの映画の主人公たちのように8ミリ映画を作っていた。寝ても覚めても映画のことばかり考えていたあの時代。そんな記憶と映画の多香子たちの姿がダブり(性も容姿も全然違うけどね)ワクワクしながら悪戦苦闘ぶりを楽しめ、懐かしい気持ちに満たされた。でも「だからこの映画が好き」ってことの全てではない。

物語の設定は1983年と現在。それぞれが同じくらいの比重で描かれている。その30年の間にバブル景気や大不況、映画には描かれていないが2度の未曽有の天災や様々な事件・事故。そんな30年の重みが大人になった多香子たちから伝わってくる。昔の大切なものはことごとく失われたり形を変えたりしてしまった。その喪失感と無常観。時の流れは残酷で容赦ない。そう思うと気持ちが暗くなるものだが、そんな中で残ったものは何か、大切にすべきものは何か、といったテーマが胸を刺し感情を揺さぶられ、気が付けば大落涙しているのだ。

それにしても上手いなと思ったのは8ミリ映画の扱い。封印された映画は30年の時を経て突然現代に現れる。多香子たちと共に観客もみんなで一緒にタイムカプセルを開けたような錯覚に陥る。あの日、あの時のあの感じ、あの思いが蘇る。

これでふと思い出したのがドラマ『北の国から』。後半怒涛の回想の連続で涙を搾り取られた記憶があるが、この映画の8ミリには同様の効果があると思えた。『北の国から』は長い年月を要して作られたため、その長い年月や様々なエピソードを思い出して感動したのだが、対して『向日葵の丘』は僅か2時間ちょっとの時間で同じくらいの気持ちにさせてくれたのだから見事だ。それに回想はあざとく思えるところもあるのだが、8ミリ映画にはあざとさは無く、物語の流れの上で必然的に使われている。

…と書いてきたら、もう一度観たくなってきた。おそらく今後、何度でも観たくなる映画だろう。自分の人生を振り返るように『向日葵の丘』を振り返ろう。そして多香子(芳根京子)が家を後にして、ただ歩いていくだけのシーンが「凄い」と感じてしまった理由も解明しよう。



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【なぜ、「向日葵の丘」を2度3度と観るリピーターが多いのか?】② [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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【なぜ、「向日葵の丘」を2度3度と観るリピーターが多いのか?】

「向日葵の丘」もそうだが、僕の映画はリピーターが多い。通常、映画は1度見れば十分なのに、2度見た!3度見たという人が毎回いる。最初は僕自身、そのことを知らなかった。公開中の映画館に行くと、見たことのある人ががいて、「あれ? 初日も並んでいたよなあ」と声をかけ「2度目ですよね?」と訊くと「3度目です...」と言われたこともある。


「青い青い空」に至っては30回以上見た人がいるし、「朝日のあたる家」は2度3度は当たり前!という人たちがかなりいる。そして「向日葵の丘」も3回目、4回目と何人からもいわれた。声の出演をしてくれたタレントのまねだ聖子さんも関係者として、初号試写会に来て頂いたのに、映画館でさらに2度見てくれたという。そんな方、結構いるのだ。

これは何なのか? 例えば、人気アイドルが出ていて、その子を見ているだけでハッピーというファンが何度も見るなら分かるが、そんなアイドルが出ている映画ではない。また、難解なので繰り返し見ないと分からない物語でもない。そして、感動作とはいえ、繰り返し見ると、感動は冷めて泣けなくなっていくのが映画である。

にも関わらず、「何度も見ても泣ける」「見るたびに泣き所かが変わる」といってくれる人たちがいる。僕自身。何度も見れるような作りをしている訳でなく。その辺が以前から疑問だった。ただ、2回、3回見ることであることに気づく作りにはしている。

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例えばタイトルあとの多香子(常盤貴子)の部屋がそれだ。最初、見たときは気づかないが、部屋には1983年パートで活躍する8ミリカメラが置かれている。1度目の人は、「シナリオライターだから8ミリカメラ持ってんのかなあ?」「インテリアなのかな?」

と思うくらいで、深く考えない。が、2度目だと、「あーーー高校時代に映画を撮った8ミリカメラが置かれてるーーー!」と分かり、一連の悲しい物語をこの時点で思い出し、あの悲劇に向かって進んで行く物語をドキドキしながら観ることになる。

1回目は「どうなるんだろう?」「何があったんだろう?」という先が分からないドキドキで物語を追って行くが、2度目は「あんなに楽しそうな高校生生活が、あんなことになるのに....」という先が分かっていることで不安になるハラハラで観ることになる。同じ物語なのに、違った関心事で観ることになり、別の楽しみ方が出来る訳だ。

そして、多香子の部屋にはヒッチコックの本「映画術」も本棚にある。これは「83年編」でエリカ(百川晴香)と最初に出会うときに、彼女が読んでいた本なのだ。そのヒッチコックの映画を3人で初めて見る。そして、みどり(田中美里)の子供たちがヒッチコック映画が好きになり、繰り返し見ていたように、脚本家になった多香子(常盤貴子)もヒッチコックを勉強して、自作のシナリオに生かしているであろうことも想像できる。

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また、8ミリカメラは後半戦の現代編でも、多香子はまず、病室のみどり(田中美里)に見せ、次に、映画館でエリカ(藤田朋子)に見せる。カメラが親友たちとの絆と思い出を取り戻す役割を果たしている。そのカメラが多香子の部屋に置かれているだけで、2度目の観客はこれから展開する感動物語をその時点で思い出し、「あーこのカメラが3人を引き戻すんだ...」と胸熱くなる。

また、1度目は分からないけど、2度目だと、多香子は30年近くも故郷には帰っていないが、8ミリカメラやヒッチコック本の存在で、あの時代の影響や経験を今も持ち続けていること。エリカやみどりたちのと絆を感じていることが分かる。そんな仕掛けが映画の全編に渡って配置しており、2度観れば、それに気づき、別の意味で「あーそういうことか!」とか「ああ、そうだったよなあ」と感銘を受けたり、感動したりできるようになっている。

3度観れば、さらなる発見があるし、1、2度では分からなかった部分の意味が分かって来て感動できたりする。もちろん、1度でも十分感動できるのだが、2度目、3度目でないと分からない感動も隠してある。それが太田映画の特徴なのだが、そんなことが、リピーターの多い理由のひとつか?と考える。といって10回20回観てくれるのはまた別の理由かとも思うのだが、ありがたいことである。

そんな「向日葵の丘」本日が大阪公開の最終日。埼玉は5日の土曜日まで。広島の公開がまだ未定だが、この半年、日本のどこかで上映されていた「向日葵の丘」が終了となる。1度しか見てない方はぜひ、リピーターが多い秘密を確かめに行ってほしい。







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その昔、僕がトラブルメーカーと呼ばれた理由? [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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その昔、僕がトラブルメーカーと呼ばれた理由?

昔、先輩から「太田はトラブルメーカーだからなぁ〜!」とよく言われた。といっても僕は仕事先で暴れたり、怒鳴ったりしたことはない。飲んで取り乱したこともない。にも関わらず、なぜ、トラブルメーカーと呼ばれるようになったのか?

映像の仕事はいろんなことがある。ま、通常の会社でもそうだが、理不尽なことや筋の通らないことがときどきある。上司が無茶なことを言い出したり、これまでの努力が水の泡になることもある。

あるとき、製作会社の社長から直接、任せられていた仕事があり、それが始まるのを待機。他の仕事を入れないでいた。ら、その仕事がすでに違うスタッフがやっているという話を聞いた。どうーなっているのか? 担当者に連絡すると、「別の人間に任せましたよぉ」という。だったら、まずこちらに連絡をして、依頼をキャンセルして謝罪するのが筋というものだ。

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そのためにスケジュールを空けて待っていたのだ。仕事がなくなったからと、すぐに別の仕事がある訳ではない。その月の収入がゼロになる。「来月どーやって生活すればいい?」ということになる。が、担当者は悪びれず「誰に任せるかは、こちらが決めることだよ」と開き直る。が、すでに僕は社長から依頼を受けているのだ。それを部下が何も僕には連絡せず、別の人に仕事をまわしたのだ。 

そんな理不尽なことが映像の世界ではよくある。が、ほとんどは仕事をもらうフリーのスタッフが泣き寝入りして終わる。文句をいって印象を悪くしたら、次から仕事がもらえなくなるからだ。だが、僕は黙っていない。そのときも許せなくて、殴り込みに行こうかと考えた。が、結局、徹底して抗議。何週間も揉めて、結局、事情を理解した社長が謝罪。仕事は戻らなかったが、キャンセル料が出た。

だが、その会社からは二度と仕事依頼は来なかった。社長もその社員に非があったと認めたのに、理由はともあれ会社に抗議してくるフリーのスタッフは許されないということなのだろう。おとなしく、理不尽に耐えれば、悔しくても、我慢すればまた仕事をもらえるかもしれない。それがこの業界。

なのに抗議するから事件になる。で、「トラブルメーカー」と言われるようになった。つまり、僕自身は事件を起こさないのだが、理不尽な奴がいると、黙ってられなくなり、抗議する。それを「またトラブルを起こした」と思われるのだ。

そのために、いくつもの製作会社から出入り禁止にされ、二度と仕事をくれないプロデュサーも多い。大手の会社から嫌われたことがある。「太田は世渡りが下手。単なるバカ!」と皆に言われた。けど「トラブルメーカー」と名付けた先輩は意外に僕を理解。原因は他にあること把握していた。ただ、こうもいう。

「普通、許せないことでも、相手が会社の人間とか、社長だと、仕方ないなと諦めるのに、お前は平気で抗議する。相手が強気に出たら、余計に対抗して行く。不思議な奴だよな?」

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それから10年以上が経ち、今は仕事を依頼されるより、自身で企画し、僕が中心となってプロジェクトを進めることが多くなった。上からものいう奴がいなくなり、その種のもめ事はなくなる。が、こちらが仕事を頼んだ会社や取引しているタレント事務所が理不尽なことを始めたら許さない。バカなことをするプロデュサーは追放、いい加減な俳優は出入り禁止だ。

けど、それを「また、太田がトラブルを起こしているよ」とはもう言われない。ようやく、トラブルを起こしたのだが誰か? 理解される環境になったということか? ま、僕は言い出したら聞かないので、まわりが何とかしようとしてくれたりはする。ただ「***さんの顔を立てて我慢」とか、「***社とは今後も取引があるので穏便に」はしない。映画を歪めたり、足を引っ張る奴はそこで終わりと思っている。

「監督。もう少し大人になりましょうよ?」

と若いスタッフにも言われたこともあったが、それは譲れない。まわりにいい顔をしたり、無難に仕事ができることではなく、大事なのは素晴らしい映画を作ること。誰かの機嫌を取ることではない。それも次第に理解されて、今では大きな事件になることは少ない。が、「トラブルメーカー」で居続けることは大切だと思う。

おとなしく、我慢して、理不尽に耐えていても、次のステップには上がれない。大事なのは耐えることではなく、どうすれば問題を解決できるか? を考えること。喧嘩すればいいというものでないことも分かっている。が、耐えていても問題は解決しない。どんなときでも足掻き、声を上げ、戦うことは大事。そんなふうに考える。

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今年500アクセスを超えた人気記事13本を再掲載だ! [今年アクセス数500超えの記事紹介]

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 年末スペシャル?!

 今年、8月に公開された「向日葵の丘」

 このブログは

 その映画館公開情報や製作秘話。

 或いは、映画界の話。監督業の話。
 
 さらには僕が感じたこと。考えていることなどなど
 
 このブログにはいろんな記事を掲載してきた。

 その中で、9月ー12月で

 500アクセスを超えた記事を再掲載する。

 映画館情報や舞台挨拶の日時告知などは、簡単に1000アクセスを超えるので除外。

 記事で高アクセス数のものを紹介する。

 中には600超え、1000超えも含まれている。

 そしてなんと、1万アクセス超えもある。

 「あーーこの記事読んだ読んだ!」

 と思ってもらったり

 「へー何で、この記事が人気だったんだろう?」

 とか、思って読んでもらえると、また違った楽しみ方ができると思う。

 年末、年賀状も書いた。大掃除もした。テレビも詰まらないし

 という方。1時間ごとに12本ほどアップして行くので、ぜひ。

 続けて読むと、僕と「向日葵」のこの数ヶ月が見えて来るかも?

 よろしく!

 

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