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【向日葵の丘ー1983年・夏。人生とは何かを描く物語】 [昨年アクセス数500超え記事紹介]

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[昨年アクセス数500超え記事紹介]

今回の撮影を終えたあとに感じたこと。もしかしたら、”向日葵の丘”のテーマ、こんな言い方も出来るのではないか? 

「人生とは何か?」

今回の作品では、いくつかの人生が描かれる。高校時代に仲が良かった3人。30年後。未だ結婚せずに東京で1人暮らす多香子。古里で結婚、2人の子供を生み、主婦業を送るみどり。そして、古里に愛想を尽かせLAでアメリカ人と結婚したエリカ。

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その3人を取り巻くのが一攫千金を狙う北さん。松田優作に憧れる本屋のおじさん。映画だけが楽しみのおばあちゃんウメさん。旦那に死なれたあともタイ焼きを続ける桜子さん。名画を若い人に伝えたい映画館の梶原支配人。その他、多くの愛すべき人物が登場する。

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しかし、そのほとんどが悲劇の結末を遂げる。そしてほとんどが実在の人物をモデルにしている。僕がよく知る友人だったりする。何の罪もない、健気に働いて来た友人がなぜ、あんな末路を遂げねばならなかったのか? 

彼はなぜ、若くして家族を残し死ななければならなかったのか? そして彼女はなぜ、あんな仕打ちを受けねばならなかったのか? 皆、悩み、苦しみ、のたうち回り、大きな成功もせず、夢を実現することもなく。消えて行く.....。

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でも、何か彼等にも生きる意味があったはずだ。その答えを物語の中で探してみたくて、この”向日葵の丘”を作った。なぜ、人は愚かな悲しみを繰り返すのか? なぜ、人は絶望し続けねばならないのか? 本当に希望は存在するのか? その答えを物語の中で探し出し、観客に伝えたい。


「幸せとは何か?」を「向日葵」編集で見つけ出したい。 [【再掲載】]

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(一昨年夏、編集時のブログです)

日曜の午後。まるで真夏の太陽。

強い日差しが照りつける。休みの日ということもあり、近所の商店街も人がいっぱい。編集機が完治しないが、空腹で遅い昼飯にでかける。汗を拭きながら歩く若い人たち。お年寄り。親子連れ。手をつないで歩く恋人たち。多くの人がそれぞれの人生を背負って行き交う。そんな光景を片目で見つめながら歩いた。

僕の映画のテーマは「親子に伝える大切なこと」最初は「子供たちに伝える大切なこと」だったが、いろいろ考えて行くと、親がバカなので子供たちが苦労していることに気づく。それからは子供だけでなく「親子に伝える大切なこと」になった。それを突き詰めると、家族の幸せとは何か?に行き当たった。そうだ、親子に伝えるべきひとつは「家族の幸せ」ではないか?

そんな「家族の幸せ」を考えていて、気がついたのは、「だったら、人生って何だ?」ということ。それを見つめることで、また「幸せの形」が見えてくるのではないか?

1970年代から、親たちは子供をよりよい学校に行かせて、よりよい安定した企業に入れて、定年まで不安なく生活できることこそが「幸せ」だと思い。子供たちを受験戦争に送りこんだ。そして父親たちは家族に少しでもいい生活をさせようと、そして家を建て、車を買うために深夜遅くまで働いた。物を売ることで経済的に潤い。物を買うことで豊かになる。そう日本人は信じて生きてきた。

そして庶民が求めたもの。

「カー」「クーラー」「カラーテレビ」その全てを今、ほとんどの日本人は手に入れることができる。それで幸せか? それどころか今ではパソコン、携帯、DVDと、かつてSF世界でしか存在しない製品まで手にしている。それで幸せになれたか?


1980年代後半。女の子たちは、「3高」という結婚条件を求めた。「身長が高い」「学歴が高い」「収入が高い」しかし、今、そんなことを求める女性は多数派ではなく。3高を求めて結婚した女友達たちは今、旦那の不満ばかり口にする。一流企業に入った友人はバブル崩壊で会社が倒産。今は小さな会社で働いている。それが幸せを求めた結果なのか?

今、多くの日本人は希望を失い、

未来に不安をかかえ、その日その日を生きている。苦しみ、耐えて、悩み、足掻き、嫉妬し、生きて行く。そんな中で、小さな幸せを見つけて、希望に繋げる。友達の言葉に、仲間の行動に励まされ、自分が行くべき道を探している。親は「子供たちにために何をするべきか? 何を残すべきか?」を考え、子供たちは「どう生きるべきか? どこに向かって歩んで行くべきか?」に悩む。

311以降。時代の価値観は大きく変わり、

これまでの大事だったものが音を立てて崩壊して行く。とるに足らないと思っていた、昔はどこにでもあったものが今、本当に素晴らしいものだと気づき始めている。

しかし、滅亡寸前の恐竜のような人たちが、まだまだ蠢き、古い価値観にこだわり、目先の利益を求めて搾取するために、多くの人々を先導、現代のタイタニック号への乗船を呼びかけている。それに乗ることが「幸せ」に繋がると信じる人もまだまだ多い。本当に大切なことは何か? そして人生とは何か?人はただ、悲しむために生きていくものではないはず。その意味を、その価値を探したのが「向日葵の丘ー1983年夏」である。

日曜の午後。真夏のような太陽の下。

行き交う若者。年老いた人。親子連れ、それぞれがそれぞれの人生を背負い、苦しみ、悲しみ、憤りながら、ささやかな幸せを求めている。人はなぜ生きて行くのか? 別れ、裏切り、失望、悲しみの中にも、小さな希望と可能性を積んで人生は前に進んで行く。「向日葵の丘」の編集作業の中で、その答えを見つけ出したい。

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35年前の成人式。僕が式に出なかった理由?! [思い出物語]

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 昨日は祝日だったが、

 映画屋をやっていると盆暮れも関係なく土日祝日も、ほとんど休まない。何の祝日か?なんて考えもしない。そうしたらメールで「うちの娘も20歳になりました!」と連絡が来た。えーーー、この間まで小学生だったのに〜と驚いて、あ、今日は成人式か!と分かった。

 確かにニュース番組では各地の成人式を伝えていた。相変わらず、式で暴れているヤツらもいるようだ。そんなに嫌なら行かなきゃいいのに〜と思う。卒業式ならまだ分かるが、何で自由参加の成人式で荒れるの?って感じだ。

 僕が20歳になったのは、もう35年ほど前。えーーそんな昔か.....成人式は行かなかった。昔からひねくれ者で、儀式というのが嫌いだったからだ。結婚式とか特に嫌いで、好きで結婚すんだから、いちいち人を呼ぶなよ!とさえ思っていた。葬式も嫌い。とにかく、偽善的な式が嫌いだった。

 そんな歪んだ性格をしていたので、

 カタギにはなれず、映画の仕事に就くことになったーいや、そういうと、業界の人に失礼。言い直す、だから映画監督になった。変人でなければなれない職業でもある。そんなだから、20歳のときも成人式には行っていない。なんで20歳にもなって、役所が主催の式に行き、まじめな講演を聞かねばならない!と反感を持っていた。

 ら、僕よりも不良な友人が「俺は式に出たで〜!」というので、こいつ堕落したな?(いや、本当は更生したというべき)と思ったら「式に出たら、タダ酒飲めるんや〜!」と言っていた。........らしい。と納得したが、その日に3カ所もはしごして成人式に出たらしい。その行く先々で飲み倒して、20歳になったとたんに悪酔いして、二日酔いだったという。

 僕は彼ほど不良ではないので、

 式自体に行かない。だから、出なくてもいい式に行き暴れるヤツの気持ちが分からない。それから35年。未だに僕は成長せず、自治体であろうが、巨大組織であろうが、会社であろうが、納得できないことがあると、素直に従わない。理不尽を許せない。それで仕事がなくなっても、妥協しない。

 そんな性格なので、何度も何度も損をしてきた。トラブルメーカーとも言われたが、そのことは以前に書いた。理不尽なことを押し付けたのは会社であり、僕はそれはおかしい!と抗議しただけなのに、「太田がまたトラブルを起こしている」と皆に言われた。通常は理不尽でも我慢して、また次の仕事をもらうようだ。でも、それができないで、何度も仕事をなくした。

 それができるくらいならサラリーマンになれている。成れないから映画監督業をしているのだ。だから「これを撮りたい!」と思うものを監督する。納得できない仕事ができるようなら映画監督なんてしない。いや、少し違う。ダメだと思う作品でも我慢して撮れば監督業も仕事が続く。僕は断るからたまにしか仕事ができない。でも、作品は評価される。だって真剣に「やりたい!」と思った作品だから。ま、20歳の頃からそうだったので、今更もう変わらないだろう。ちゃんと成人式に出る人はちゃんとした人生を送る。ま、そんなものだ。成人式と聞いてそんなこと思い出した。

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