古い価値観を掲げるベテランスタッフ。でも、時代は変わって行く。 [【再掲載】]
撮影現場における新人監督とベテランスタッフとの確執
について、前回少し触れた。今では僕も現場の最年長者の1人になってしまったが、監督業をスタートしたときは、まだまだ若い方で、多くの年配のスタッフががんばっていた。ある人は僕が生まれた歳から撮影現場で仕事をしており、もう先輩というより父親か祖父かという存在であった。
そんなベテランの方々は日本映画がまだまだ元気な頃から仕事をされて来た、尊敬すべき人たち。だが、新しい方法論を撮影に持ちもうとすると一番の抵抗勢力になることが多かった。僕はアメリカ映画を見て育ち、ロサンゼルスの大学で映画を学んだ。自主映画時代からハリウッド式の撮影をしていた(製作費は極貧だったが)。日本の監督は昔から助監督を10年勤めてから監督になったが、僕はまともに助監督業を経験していない。
そして、伝統的な日本映画の作り方では今の観客に伝わるものはできないと考えていた。一番の問題は撮影方式。ハリウッドでは複数のカメラで俳優の芝居をあらゆる角度から何度も撮影する。その中からベストのものを選び編集していく。日本は1台のカメラで必要なものだけを撮影する。編集はただ繋ぐだけ。
なぜ、そんな違いが出たかというと、
日本は貧しかったのでフィルム代を節約していたのだ。現像代。プリントとフィルム時代は高額な出費になるからだ。それに対してハリウッドは豊富な製作費があるので、リハーサルのときからフィルムをまわす。様々な角度から撮影した映像があることで、編集でテンポやスピード感というものを生み出すことができた。
僕が学生時代に好きだったアメリカ映画のほとんどは、そんな編集のセンスとスピード感が魅力だった。が、日本映画は必要最低限しかフィルムをまわさない。カメラの前で延々と俳優が芝居をする。舞台中継のようなスタイルが多かった。
が、デジタルが導入されてからは日本も状況が変わった。現像代がいらない。ビデオテープは消してまた使える。ハリウッド式が日本でもできるようになった。さらにカメラも安くなり、個人でもデジタル・カメラが買えるようになる。
だが、夢のハリウッド式撮影をすると、
多くのベテランスタッフが不機嫌になった。「邪道だ」と批判された。日本映画なのだから1台のカメラで必要なところだけ撮影しろといわれた。はあ? その方式は制作費が十分にないから節約のために行っていた方法であり、フィルム代、現像代がいらない現在はこだわる必要はない。が、ベテランスタッフはこういう。
「ハリウッドのやり方は無駄が多いんだよ。あいつらはバカだから、本当に必要なショットを計算できない。だから、何でもいいからいっぱいまわしていいところを使おうという発想なのさ」
言葉がでなかった.......。日本映画は貧しいのではなく経済的であり、効率がいいというのである。何だか、太平洋戦争の論理のようだ。航空母艦に戦車部隊。それと竹槍で戦っても気合があれば、勝てるといっているかのようだ。同時に、映画の表現を分かっていない。
日本映画方式ではできない表現がハリウッド式ではできる。それに近い方法を実践したのは黒澤明監督だ。彼はマルチカメラ(複数のカメラ)で撮影。それによってよりドラマティックな映画を作り上げた。
彼らに言わせれば黒澤も計算できないから、
何でもいいからフィルムをまわせ!という1人なのか? いくら理屈をいっても「日本映画界は貧しかった!」というのが理由なのだ。それを自分たちの方が頭が良いという風な理屈になっているあたりが、歪んでいる。そんな彼らが新しい方法論を目の当たりにする。全面否定だった。
「何台もカメラを使っていいところを選べば、誰にだっていい映画は作れる」とまでいう。だったら、ハリウッド映画は皆、傑作か? そうではない。マルチカメラで撮ったからと必ず傑作にはならない。でも、従来の日本映画と違う、ハリウッド映画のようなテンポとスピード感がある作品にすることはできる。なのに、年配のベテランスタッフは撮影中。不機嫌で文句ばかりいっていた。
あとで感じたのは、ベテランスタッフはある種の自己弁護をしながら仕事をしてきたのではないか? 豪華絢爛なハリウッド映画を見て「俺たちは貧乏じゃない。無駄をしないだけ賢い仕事をしている」それによって劣等感から逃れようとした。そんな発想の人たち。だから、方法論が違うというより、自分たちのアイデンティティを守らねばというかのような思いだったのだろう。
「映画というのは1台のカメラで撮影。
頭で考えて、必要なところだけ撮影する。それが映画というものだ」ーという発想で凝り固まってしまい、それ以外を認めることができない。そして印象的だったのは「方法論が違う」とか「発想が違う」とは思わず。「お前は全く映画作りというものが分かっていないなあ?」と相手をバカ扱いすること。
これはもう古くからのやり方が体に染み付いていて、それ以外は映画撮影ではないのだろう。だから、「あの新人監督は分かっていない。このままでは駄目だ。まともな映画ができない。俺が何とかせねば!うるさくいって、嫌われてもまともな映画を作らせないと大変なことになる」そう思い込んで、撮影の間中。口うるさかった。
が、こちらにすれば、邪魔されているだけ。撮影の方法論は監督が決めるもの。それをベテランとは言え、技術スタッフがあれこれ、演出法や撮影法に口出しをする。でも、撮影途中で帰ってもらう訳にも行かず。大先輩でもある人を怒鳴ることもできず。大変だった。結局、完成した映画を見てベテランスタッフは感動していた。が、撮影法に関しては最後まで認めようとせず。「いっぱい撮影して、いいところを選べばいいものが出来て当たり前」といっていた。それでいいものができれば苦労はない。
織田信長を思い出した。
彼は従来の刀を使った戦に鉄砲を持ち込み。大きな勝利を納めた武将だ。学生時代。歴史の時間に「だったら、なぜ、他の武将も鉄砲を使わなかったんだろう?」と思った。その答えが分かる。ベテランスタッフと同じように、他の武将たちは「刀で戦うことこそが武士だ!」と信じていたのだろう。きっと信長はこういわれただろう。「あいつは武士ではない。鉄砲なんて邪道だ。戦は刀でやるものだ!」
しかし、古い価値観を守り、新しい技術を拒否していては、やがて滅びるのは常。ベテランの武将が次々に倒れ、信長が天下への道を歩んだように、今、映画界でフィルムを使った映画作りはほどんどない。若手の監督たちは皆、ハリウッド式撮影をする。僕の組でも「それは邪道だ」というスタッフは誰もおらず、当たり前のように複数のカメラで撮影する。
でも、より新しい技術が出て来て、「監督。それは古いですよ」と言われる時代がすぐに来るだろう。古い価値観にしがみついていては消えて行くだけ。とくに、この10年。映画の世界だけでなく、日本時代が変化している。方法論だけではない、価値観が変わりつつある。昔ながらの価値にしがみついていては消えて行くだけ。では、新しい価値観とは何か? それを探したのが新作の「向日葵の丘」である。
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「友達」という言葉で全てを許す人たち? でも、大事な夢を実現するための「仲間」こそが大切。 [【再掲載】]
【「友達」という言葉で全てを許す人たち? でも、大事な夢を実現するための「仲間」だ】
「監督は女優さんなんかと、よく飲み会するんでしょう? いいなあ」なんてよく言われるが、そんなことはまずない。俳優とは基本、一線を引き、プライベートではなるべく会わないようにしている。連絡もまず取らない。キャストだけではなく、スタッフとも距離を置く。撮影前は打ち合わせで何度も会うが、用もないのに、飲みに誘ったりはしない。
なぜか? それは「友達」と「仲間」の線を引くため。「友達」というと、とてもいい響きがあり、かけがえのない大切な存在と思いがち。が、同時に「友達」という美名の元に勘違いした人たちが、夢破れて消えて行った姿も見てきた。少し長いがそんな話をする。
学生時代。自主映画というのをやっていた。友達を集め、8ミリフィルムを使い、映画を作る。大学の映研のような活動。僕もそんな1人、友達を集めて映画撮影していたが、なかなか大変。「将来、プロになる!」と断言する連中と映画を作った...。
例えば午前8時に代官山駅集合。ロケバスはないので、電車を使いロケ場所の公園まで行き撮影する。が、必ず遅れてくるものがいる。時間がもったいないので、置いて行こうとすると、こう言う奴がいた。
「可哀想だから待ってやろうよ!」
すでに30分待っているのだが、彼は「待とう!」という。待つことで、どれだけ多くのものを失うかが実感できていない。
撮影ができるのは夕方まで、だから、朝早くに集合して撮影。もし、撮り残しが出たら、もう一度、別日にその公園に来て残りを撮らねばならない。撮影終了が1日遅れる。交通費も食費も自腹だ。皆、それを負担せねばならない。その日だけ。という約束でバイトを休んで来てもらった友人もいる。その人にも、頼み込み、もう1日来てもらわねばならない。みんなの負担が増える。
実際、そうなったことがあったが、遅刻者を庇った友人は「日が暮れたんだから仕方ない」という。1人が遅刻したことで多くの負担が出てしまうこと。どれだけの被害が出るか?を理解していない。彼がお手伝いに来た大学生なら分かる。或はサークル活動ならいいだろう。けど、プロの映画監督を目指して映画作りをしている友人たちが、これでいいのか?
「プロの映画監督を目指している!」
という同じ夢を持つことで親しくなった同士。なのに、遅刻したり、その友人を庇うのはどういうことか? 共に夢を追う友達同士なら、助け合い、励まし合うものであり、トラブルを起こしたり、撮影の邪魔をしてしまったことを庇い許し合うべきではない。
その手の友人はメンバーから外れてもらった。しかし、問題を起こした者に多くが同情する、その後も付き合いを続け、次第に僕だけ、飲み会に声がかからなくなった。で、彼らはというと、飲み会で映画談義で盛り上がり、「太田のやり方は間違っている」「あいつはダメだ」と悪口大会。
しかし、自分たちで別の映画を作ろうとはせず。やがて、メンバーは夢破れて、1人また1人と映画学校を辞め、東京を去って行った。その後、彼らは連絡を取り合うこともなく、互いに会うこともなかったという。そんな友人たちの背景を考えると、いろんなことが見えてきた。
もともと彼らははみ出し者。クラスで友達も少なく、勉強もできず、映画が好きなだけ。家族にも疎まれた高校生だった。それが「映画監督になろう!」と東京に出て来て、同じようなタイプの存在と出会った。共感し、仲良くなる。
友達がいなかった彼らは嬉しかった。それゆえ、撮影に遅れて来ても、トラブルを起こしても、責めるより庇ってしまった。あまりに寂しい高校時代を送ってきたので「友達」に対する強い思いを抱いていたのだ。プロを目指していたのは嘘ではないが、それより目の前にいる友達の方が大事だった。
しかし、結果、傷ついた者同士が、共に夢に向かって励まし合うのではなく、傷を嘗め合う形となる。やがて、夢破れて古里に戻って行く。彼らはとても友達思いだった。が、「友達」という意味をはき違えたていた。結果、映画も作れず、夢破れて、友達も失った。
そんな経験があるので、僕はキャストやスタッフとも一線を引く。そして彼らは「友達」というより「仲間」だと考える。感動的な映画を一緒に作るための「仲間」。友達ありきで考えると、自主映画時代の悲劇を繰り返すからだ。
例えば、親しい俳優がいて「友達」だったとする。そいつは頑張り屋だが、なかなか出演依頼がない。それを「友達」なので応援、出演させる。でも、芝居がうまくない。そのために映画のクオリティが下がる。どんなに親しい「友達」でも、それをしてはいけない。
そんな訳で、僕は一線を引く。互いのことを深く知ると、どうしても甘えが出る。同情する。そして、相手に罪があっても許そうと思える。俳優は「監督は私のことを分かってくれているから、許してくれるはず」という甘えがでる。僕も「こいつのために何とかしてやりたい」と思う。本来それは「友情」と呼ばれるものだが、諸刃の件。映画作りではマイナス。だから距離を置く。
監督業で一番大事なのは何か? 「感動してもらえる素敵な映画を作ることか?」だ。「仕事に影響しても、友達を庇うこと」ではない。大切なのは「仲間」と素晴らしい作品を作ること。その「仲間」というのは手を抜いたり、作品を阻害することを許し合う存在ではなく、同じ夢や目的を持ち、助け合う存在。そんなふうに考えている。