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「幸せとは何か?」を「向日葵」編集で見つけ出したい。 [【再掲載】]

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(一昨年夏、編集時のブログです)

日曜の午後。まるで真夏の太陽。

強い日差しが照りつける。休みの日ということもあり、近所の商店街も人がいっぱい。編集機が完治しないが、空腹で遅い昼飯にでかける。汗を拭きながら歩く若い人たち。お年寄り。親子連れ。手をつないで歩く恋人たち。多くの人がそれぞれの人生を背負って行き交う。そんな光景を片目で見つめながら歩いた。

僕の映画のテーマは「親子に伝える大切なこと」最初は「子供たちに伝える大切なこと」だったが、いろいろ考えて行くと、親がバカなので子供たちが苦労していることに気づく。それからは子供だけでなく「親子に伝える大切なこと」になった。それを突き詰めると、家族の幸せとは何か?に行き当たった。そうだ、親子に伝えるべきひとつは「家族の幸せ」ではないか?

そんな「家族の幸せ」を考えていて、気がついたのは、「だったら、人生って何だ?」ということ。それを見つめることで、また「幸せの形」が見えてくるのではないか?

1970年代から、親たちは子供をよりよい学校に行かせて、よりよい安定した企業に入れて、定年まで不安なく生活できることこそが「幸せ」だと思い。子供たちを受験戦争に送りこんだ。そして父親たちは家族に少しでもいい生活をさせようと、そして家を建て、車を買うために深夜遅くまで働いた。物を売ることで経済的に潤い。物を買うことで豊かになる。そう日本人は信じて生きてきた。

そして庶民が求めたもの。

「カー」「クーラー」「カラーテレビ」その全てを今、ほとんどの日本人は手に入れることができる。それで幸せか? それどころか今ではパソコン、携帯、DVDと、かつてSF世界でしか存在しない製品まで手にしている。それで幸せになれたか?


1980年代後半。女の子たちは、「3高」という結婚条件を求めた。「身長が高い」「学歴が高い」「収入が高い」しかし、今、そんなことを求める女性は多数派ではなく。3高を求めて結婚した女友達たちは今、旦那の不満ばかり口にする。一流企業に入った友人はバブル崩壊で会社が倒産。今は小さな会社で働いている。それが幸せを求めた結果なのか?

今、多くの日本人は希望を失い、

未来に不安をかかえ、その日その日を生きている。苦しみ、耐えて、悩み、足掻き、嫉妬し、生きて行く。そんな中で、小さな幸せを見つけて、希望に繋げる。友達の言葉に、仲間の行動に励まされ、自分が行くべき道を探している。親は「子供たちにために何をするべきか? 何を残すべきか?」を考え、子供たちは「どう生きるべきか? どこに向かって歩んで行くべきか?」に悩む。

311以降。時代の価値観は大きく変わり、

これまでの大事だったものが音を立てて崩壊して行く。とるに足らないと思っていた、昔はどこにでもあったものが今、本当に素晴らしいものだと気づき始めている。

しかし、滅亡寸前の恐竜のような人たちが、まだまだ蠢き、古い価値観にこだわり、目先の利益を求めて搾取するために、多くの人々を先導、現代のタイタニック号への乗船を呼びかけている。それに乗ることが「幸せ」に繋がると信じる人もまだまだ多い。本当に大切なことは何か? そして人生とは何か?人はただ、悲しむために生きていくものではないはず。その意味を、その価値を探したのが「向日葵の丘ー1983年夏」である。

日曜の午後。真夏のような太陽の下。

行き交う若者。年老いた人。親子連れ、それぞれがそれぞれの人生を背負い、苦しみ、悲しみ、憤りながら、ささやかな幸せを求めている。人はなぜ生きて行くのか? 別れ、裏切り、失望、悲しみの中にも、小さな希望と可能性を積んで人生は前に進んで行く。「向日葵の丘」の編集作業の中で、その答えを見つけ出したい。

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