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朝ごはん。もう、12:00だけど。 [全国公開]


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朝ごはん。もう、12:00だけど。


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【今朝も午前9時からシュープリームスを聴きながらパソコン作業】 [私の日常]

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【今朝も午前9時からシュープリームスを聴きながらパソコン作業】

先週から久々に東京に長期滞在(?)しているので、溜まっていた作業を進めている。横浜の舞台挨拶も終わり、残るのは大阪十三のシアターセブン舞台挨拶のみ。それが11月7日(土)。ここ数ヶ月。そんなこんなの舞台挨拶ツアーで東京にいる日の方が少なかった。

連絡せねばいけない人。会わなければいけない人。訪ねなければいけない会社。礼状を送る。報告する。質問をする。いろんな作業もあり。このところ朝から晩までパソコンに向かっていたので、ようやく片付いて来た。

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しかし、宣伝活動は続いており。横浜ジャック&ベティでは「向日葵の丘」は上映中。「京都みなみ館でこれから観ます!」という友人からメールも来た。ロケ地に一番近い映画館・藤枝シネプレーゴでも延長上映中。それらで映画が観れるのに、知らない人も多い。

「向日葵」何それ?という人ならいいが、「向日葵」絶対に観たい!と思っているのに近所の映画館で上映していることを知らない人が多いのだ。僕のFacebookを頻繁に見てくれている東京の友人でも、3ヶ月近くも上映をしていたのに「えー知らなかった!」と言われたばかり。

だから、せめて、毎日、FacebookとブログとTwitterで情報を発信しているのだが、それに4時間ほどかかる。単なる情報だけでなく、記事を添えたり。写真も入れる。サイズを合わせて、色合いや明るさも修正。見栄えがするように直す。長文が多いので、字の間違いや意味が通るか何度も読み直す。そんなことをしていると、すぐに1、2時間過ぎる。

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Twitterは20通以上。発信。写真を入れるとさらに手間がかかる。そんなこんなで、今朝も9時にスタートした作業。ここまででもう1時になってしまった。4時間だ。これで1人でも多くの人が観てくれれば!と思い、この8ヶ月ほど、ほぼ毎日、舞台挨拶ツアーのときも、ノートパソコンを使い発信して来た。

だが、そろそろ終わりが近づいて来たこと。それと、この種の宣伝を映画が公開されるたびに繰り返しているが、果たして本当に効果的なのだろうか?という疑問も感じている。僕のFacebookを観て映画館に行く人が100人いるとして、毎朝4時間かけることが必要かとも思える。その4時間でもっと効率のいい作業ができないか?とも考える。

いずれにしても、間もなく上映は終了。宣伝活動も終わる。以前はそれでも映画を観てくれた方が楽しんでもらえるように、撮影秘話や後日談をブログ等で綴っていた。が、果たしてそれが何か意味のあることに繋がるのか?とも考えている。やるべきことはいろいろある。お世話になった方々に上映終了時のご挨拶や報告もせねばならない。

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映画館公開終了後の次のステップもある。そして何よりFacebookを宣伝ツールにしているつもりが、そのFacebookに振り回されている自分がいることも感じる。いろいろと思うところがあり、知らない間にいろんなことにがんじがらめになり、本来すべきことができないでいることに気付いた。

まだ、うまく説明できないが、近い例でいうと、夢を追い求めて、それが実現できるはずの会社に就職したが、気付くと夢を追うより、社内でのしがらみやシステム。習慣にがんじがらめになり。夢を掴もうとしているつもりが、どんどん遠ざかっているような感じか? それも全く無駄ではないから曲者。それだけに全てを捨て去ることもできず。悩んでしまう。。。みたいな。

映画学校や映画科に入学してワクワクしたあとの時期もそうだったし。映像の仕事を始めてしばらくしてからも感じた。制作プロダクションでドラマを作れるようになったあともそうだが、もっと高く飛びたいのに何かに邪魔をされている。人ではない何かに? 

このところそんなことを強く感じる。なのでまず、宣伝活動の終わりが近い今、Facebook等の情報発信は続けるが、少しずつ記事を減らし。ネット作業の時間を短縮して行きたい。そうすれば何か大事なものが見えてくるはずだ。

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夕飯。 [全国公開]

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 夕飯。

 豆腐が続く。

 でも、健康にいいかも?

 昔は夕飯にトンカツ食ってたなあ。

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この街で打ち合わせ! [私の日常]

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 2日続けて、この街へ

 

「ファンです!」という人たち。でも、その俳優の映画は見ない? [映画業界物語]

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もう何年も前になるが、ある町で映画のロケをした。出演している人気俳優のNさんがオフの日に町のカフェを訪れた。そこの店長は彼の大ファン。大喜びでサインをもらい、店に飾ったという。その話を聞いて「それなら!」と、僕はポスターと大量のチラシを持って、その店を訪れた。

「今月の*日から公開。頼むぜ!」というと、店長は「うちの店員は全員Nさんのファンですから!」と笑顔で答えてくれた。店から映画館までは1分足らず。チラシも置くだけでなく、客に配ってくれそうだし、店員さんは毎日でも映画を観に行ってくれそうな勢いだった。

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映画が公開され、あの店のチラシもなくなっただろうと思い、再度訪ねてみた。ら、チラシは結構、残っていた。そして「店長さん。映画観てくれた?」と訊くと「忙しいんで、まだ行ってないんですよ」との答え。チラシも店頭に置いているだけで、積極的に配ってくれてはいないようだった。

本当にNさんのファン? そんな気がした。が、レジの横に彼のサインは飾られている。それはウソではないようだった。映画は大ヒットして、3ヶ月のロングランになった。で、三たび店を訪れてみた。チラシは相変わらず残っている。そして店長はいう。

「忙しくて観てないんですよ〜」

店は夜の7時まで、定休日もある。映画は夜の部もあり。毎日上映している。3ヶ月もやっていて行けない訳がない。チラシはすでに他のチラシの下に埋もれている。Nさんのファンといいながら、応援している訳ではないことを感じた。その後、ある人気俳優がその件を解説してくれた。

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「ファンです!という人は多いのよ。ま、ウソじゃなくて、サインすれば喜んでくれる。でも、多くの人は私たちの映画や芝居を観に来てくれるほどのファンでなく、たまたまテレビで観ていて、あーこの人いいなーというレベル。私たちの出た映画のチラシを配ってくれたり、宣伝してくれたりというファンは本当に一部。ほとんどはファンだといいながら、ドラマや映画も観てくれない。そのくせ会うとサインしてほしい。写真を撮ってほしいと言われるの...」

なるほど、そういうことか。その店の店長は確かにNさんが好きで憧れを持っていた。といって、わざわざ彼の映画を観に行かない。チラシを配り、彼の映画をより多くの人に観てもらいたいとも思わない。個人的に思うのだが、ファンを名乗り、サインをもらったのなら、それも地元で撮影された映画に彼が出ているのなら、映画を観に行くのが筋ではないか? それも3ヶ月も上映していたのだ。

だが、有名俳優さんはこういう。「ファンってほとんどが、そんな感じよ。ファンはありがたいけど、同時に信頼すると大変な目に遭う。忙しくてサインを断ると、私のブログに悪口を書き込んだり。結構大変」そんな話を聞くと悲しくなるが、近い話は僕のまわりでもよくある。それを思い出すと分かる部分が多い。その後、その店を訪れると、閉店していた。客が来ないので潰れたようだ。

結局、店長や店員たちは映画を観たのだろうか? 経営危機で借金に奔走。時間がなかったのか? でも、店員たちは時間があったはず。それもまた「ファンです!」という人たちなのだと感じる。


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新作ロビーカード紹介 ゆまグループ! [LC]

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新作ロビーカード紹介 ゆまグループ!


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ランチ [私の日常]

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 野菜がたっぷり。

 というか、野菜のみ!?



「向日葵の丘 1983年夏」太田隆文監督ー舞台挨拶 in 横浜 [舞台挨拶]



「向日葵の丘 1983年夏」太田隆文監督ー舞台挨拶 。

横浜黄金町・ジャック&ベティ。

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2015年10月24日(土)。

監督単独では最後と­なる舞台挨拶。

俳優たちの現場での活躍。

知られざる行動を紹介する。

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向日葵の丘ー監督日記  ラストシーンが駄目なら全てが終わる? [インサイド・ストーリー]

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そんな訳で映画の音楽にはこだわる。先にも書いたように先輩監督たちの多くは映画に音楽をつけるとき、音楽家さんにこう注文する。「ここはちょっと間延びしているシーンだから、音楽を入れてほしい」「ここは何か悲しい曲を入れて、主人公の悲しみを伝えたい」「ここは何となく後ろで音楽が流れていればいいから」中には、音楽家に全てお任せという監督もいる。

で、僕の場合を紹介する。どちらが正しいということではない。監督にもいろんなタイプがあり、いろんな方法論がある。ただ、僕の場合。よく知る先輩監督たちとは少し違う。

まず、編集中から映像に既成の曲を当ててみる。映画やクラシックでイメージする曲を探し、それを貼付ける。そして編集が終わったら、物語の盛り上がるところは音楽も盛り上がるように曲も編集。出来る限り、シーン終わりに音楽も終わるように着ける。

通常は編集が全て完成してから、音楽をどうするか?考えるのだが、僕の場合は編集時からどこに音楽を流すを考えて、音楽が生きるような編集にする。というのも、編集時に音楽を考えないと、ぎちぎちに編集してしまい、音楽が入る余地がないほど詰めて編集してしまう。映像だけで見ていると間が持たないからといって詰めて行くのではなく、音楽を入れることでそのシーンが完結するところもあるのだ。

台詞のないシーンでも、俳優の出てこない風景カットでも、そこに音楽という第二の主役が登場することで、意味ある場面になることもある。映画の主人公は俳優だけではなく、音楽も、風景も、音も、ときとして主人公になるからだ。それを俳優の演技だけで、編集してしまうと、何だか、テレビのホームドラマのように、会話だけで成立している物語になってしまう。


そうやって編集を終え、仮の音楽を着けたら、音楽家さんと打ち合わせ。個々の音楽について説明する。仮に着けた音楽はあくまでも仮であり、それに似た曲を書いてほしいという意味ではない。方向性、テイスト、匂い、そんなものを伝えるためのものだ。で、音楽家さんはこう訊く「この金管楽器はなくてもいいですよね?」うん。仮の曲にはトランペットが入っていても、その楽器を使うことがリクエストではない。また、逆に「ここはピアノで」とお願いすることもある。

そして、音楽が始まる位置。終わる位置を説明。絶対にフェードアウトで終わらないようにお願い。それから大事なのは音(SE)との兼ね合いである。映像に映っていないが、犬の声「わおーーーーーーん」というのを入れて、一拍置いて、♫ダダーーーンと入るとかいうことも伝える。

「ゴッドファーザーPARTⅡ」のラストも、落ち葉がパラパラパラパラ.....と風に飛ばされて行く音があって、あのテーマソングが入るのがいい感じだったし、「PARTⅢ」では最後、マイケルの叫び声はオフになって、インターメッツォが流れるのが鳥肌ものだった。音との兼ね合いも大事。

ただ、本来、音楽家さんはそこまで指定されるとやりにくい。位置は指定するにしても、だいたいのイメージだけ伝えて、自由にやる方がやりがいがあると聞く。とはいえ、全然、イメージの違う曲を書いて来られても適わない。それだけで、全てが崩壊するということがある。

あるヤクザ映画。1曲だけクラシックを使っていて、とても重厚でいい感じなのに、他の場面はギター1本。映画のクオリティを数段下げていた。全編をクラシックにすればもっとよかったのに....と思ったことがあるが、どんなにがんばって撮影しても、音楽がマッチしないと、そこまでの苦労は全て水の泡となる。

もうひとつ大事なのは、音楽が始まるタイミング。これが決まると、見ていてもの凄く感動する。特にラストは大切。主人公、振り返る=>音楽が始まる=>見上げる空=>白くフェードアウト=>クレジット=>同時に、音楽盛り上がりメーンテーマ!これはひとつタイミングがズレてもアウト。センスの戦い。


海外では、コッポラが凄い。さすがイタリア系で父親が作曲家で指揮者だけのことはある。イーストウッドもうまい。が、どちらかというと、アメリカよりヨーロッパの方がセンスがいい。「太陽がいっぱい」のラストなんて本当に凄い。「セニョール、リプレー」と呼ばれて、アランドロンが立ち上がり、微笑む。そしてフレームアウト。ニーノロータの曲が盛り上がり、「FIN」の文字。もの凄いセンス。

日本では北野武監督。「HANA-BI」の終わり方は本当に鳥肌もの。逃亡犯のたけしさんと、岸本加世子。波打ち際のベンチに座る。音楽が流れ始める。カメラは引きになり、パーンして海を映す。音楽が終わり波の音だけが聞こえる。「これで終わるんだなー」と思っていると、ピストルの乾いた音が二発「パーンパーン!」驚いている少女の顔(北野さんの本当の娘)フェードアウトではなく、いきなり暗転。悲壮な音楽がゆっくりと始まり、クレジット。「参りましターーー!」という見事なエンディング。これは音楽と音の見事なコラボで初めてできる芸当なのだ。

そんなふうに、音楽もただ着ければいいという訳ではない。付け方で大感動したり、「だから何?」と不満しか残らない終わりになることもあり。大きな差が出るのだ。エンディングも、1度音楽が終わり、クレジットが始まり、エンディングテーマという形もあれば、その曲が続いたまま、クレジットに入ることもある。

「ストロベリーフィールズ」は映画の最後のシーンの途中で主題歌が流れ出し、そのままクレジットに入る。「青い青い空」では物語最後に流れる曲のまま、クレジットが始まる。「朝日のあたる家」も同じだ。

本当にラストシーンというのは大事で、それで外すと、そこまでどんなによくても、全てが駄目になり、印象が悪くなる。「新幹線大爆破」という映画。めちゃめちゃ面白いのに、ラストシーンの音楽の入り方が全てをぶちこわすセンスのなさ。それに対して「太陽を盗んだ男」は見事な幕切れ。音楽の入り方だけで、名作となるとさえ思える。

そんな感じで「向日葵の丘」も音楽を依頼。MA時にスタジオで映像と合わせる。音楽が素晴らしければ、映像×音楽=3倍にも4倍にもクオリティが上がる。その意味でも、MA作業は楽しみだ。。


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京都の方の感想『向日葵の丘 1983年・夏』に2回叩かれ1回押される [観客の感想]

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京都でご覧になった方の感想。紹介させてもらいます。

『向日葵の丘 1983年・夏』に2回叩かれ1回押される

本日京都みなみ会館で向日葵の丘 1983年・夏を夫婦揃って拝見しました。見終わってしばらくの間、私は身動き出来ませんでした。映画を見ると言うより学生時代にお世話になった今は亡き料理屋の大将とじっくり話をさせて頂いたようなそんな感覚です。叱られて、励まされて、背中を押される。いや、頭を叩かれ、肩を叩かれ、そっと背中を押される。そんな感じです。

多香子の父を見ていて、私は自分の父親に感謝しなければならない事を思い知らされました。封建的で、子どもが言うことを聞かなければ平気で殴るような父でしたが、不思議と何かに熱中し出すとそれを応援してくれたものです。それが当たり前だと私は思っていました。

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私が父親になって、多香子の父の様な失敗を犯さずに済んだのは、そんな父の影響が大きかったように思うのです。でも私はそんな父に感謝の言葉すら言っていません。今言いたくても、もう父はこの世にいないのです。私はこの映画に思いっきり頭を叩かれたような気がしました。

私は子供たちが中学高校生になったころから結構やりたいことを好き勝手に選ばせていました。そのことで、いろいろわがままを言われ正直後悔したことも1度2度ではありませんでした。でも親の思い通りに子どもを歩まそうとする愚にはまらず、子供たちの夢の邪魔をしなかったそのことについてのみ、この映画に肩を叩いてもらった様な気がしています。

最後に映画について。私の場合は映画ではなく記録映像です。私は子供たちが卒業してから綴るの出身校のクラブ活動の撮影のボランティアをずっと続けています。しかしながら歳月が過ぎ、もう子供たちのことを知る後輩はいません。そんな中でボランティアを続けていくことに正直疑問も感じていました。

しかし、高校時代に撮影した映画を涙しながら見る多香子・みどり・エリカの3人の姿を見て、すぐには撮影している意味など見えないけれど、やがて必ずその記録映像が人を勇気づける、それが映像の魅力なのだと教えてもらったように思いました。もう映像記録を撮り続けることなど止めてしまおうと考えていた私の背中をこの映画は「撮り続けなさい」と、そっと押してくれたのです。

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映画についての細かい解説や評価は、私よりももっとこの映画について詳しい方がたくさん書き込まれる事でしょう。私が駄文を連ねて申し上げたい事は1つ「この映画を作った全ての方々に感謝申し上げたい」と言うことです。

人生に迷い、親として迷い、結局迷走したまま親としての役割を終わろうとしている今、この映画は『映画』と言う名の触媒を使ってすべての人に送られる応援歌ではないかと思えてならないのです。


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