京都の方の感想『向日葵の丘 1983年・夏』に2回叩かれ1回押される [観客の感想]

京都でご覧になった方の感想。紹介させてもらいます。
『向日葵の丘 1983年・夏』に2回叩かれ1回押される
本日京都みなみ会館で向日葵の丘 1983年・夏を夫婦揃って拝見しました。見終わってしばらくの間、私は身動き出来ませんでした。映画を見ると言うより学生時代にお世話になった今は亡き料理屋の大将とじっくり話をさせて頂いたようなそんな感覚です。叱られて、励まされて、背中を押される。いや、頭を叩かれ、肩を叩かれ、そっと背中を押される。そんな感じです。
多香子の父を見ていて、私は自分の父親に感謝しなければならない事を思い知らされました。封建的で、子どもが言うことを聞かなければ平気で殴るような父でしたが、不思議と何かに熱中し出すとそれを応援してくれたものです。それが当たり前だと私は思っていました。

私が父親になって、多香子の父の様な失敗を犯さずに済んだのは、そんな父の影響が大きかったように思うのです。でも私はそんな父に感謝の言葉すら言っていません。今言いたくても、もう父はこの世にいないのです。私はこの映画に思いっきり頭を叩かれたような気がしました。
私は子供たちが中学高校生になったころから結構やりたいことを好き勝手に選ばせていました。そのことで、いろいろわがままを言われ正直後悔したことも1度2度ではありませんでした。でも親の思い通りに子どもを歩まそうとする愚にはまらず、子供たちの夢の邪魔をしなかったそのことについてのみ、この映画に肩を叩いてもらった様な気がしています。
最後に映画について。私の場合は映画ではなく記録映像です。私は子供たちが卒業してから綴るの出身校のクラブ活動の撮影のボランティアをずっと続けています。しかしながら歳月が過ぎ、もう子供たちのことを知る後輩はいません。そんな中でボランティアを続けていくことに正直疑問も感じていました。
しかし、高校時代に撮影した映画を涙しながら見る多香子・みどり・エリカの3人の姿を見て、すぐには撮影している意味など見えないけれど、やがて必ずその記録映像が人を勇気づける、それが映像の魅力なのだと教えてもらったように思いました。もう映像記録を撮り続けることなど止めてしまおうと考えていた私の背中をこの映画は「撮り続けなさい」と、そっと押してくれたのです。

映画についての細かい解説や評価は、私よりももっとこの映画について詳しい方がたくさん書き込まれる事でしょう。私が駄文を連ねて申し上げたい事は1つ「この映画を作った全ての方々に感謝申し上げたい」と言うことです。
人生に迷い、親として迷い、結局迷走したまま親としての役割を終わろうとしている今、この映画は『映画』と言う名の触媒を使ってすべての人に送られる応援歌ではないかと思えてならないのです。

2015-10-26 17:28
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