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【「天空の蜂」は原発を攻撃するという衝撃的な映画だが.....】 [映画の話]

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【「天空の蜂」は原発を攻撃するという衝撃的な映画だが.....】

「標的は原発」というセンセーショナルなキャッチコピーで興味を惹かれた映画「天空の蜂」をようやく観ることができた。「朝日のあたる家」で同じく原発を題材とした映画を作っている僕としては、どこまで踏み込んでいるか?関心があった。映画サイトの紹介では「大手映画会社がタブーに挑む」と見出しを出すこともあり、注目した。が、それほど踏み込んだ物語にはならないのではないか?とも予想をしていた。

すでに原発の問題点、事故の被害の凄惨さは報道されており、多くの人が知るところである。だが、次第に事故は風化して、多くの人が関心をなくし、それを待っていたかのように日本中の原発を再稼働を進める人々がいる。そんな時期に大手映画会社が原発の危険性を訴え、再稼働の妨げになるような映画を作るとは思えなかった。

その「天空の蜂」をようやく観たのだが、まず映画としてはドキドキハラハラとても面白くできている。手に汗握るとはこのこと。日本映画はこの種のエンタテイメントがうまくないのに、かなり面白い。ただ、注目の原発の扱い方。確かに原発の危険性は描いている。原発は上空からの攻撃に弱く。ボーリングのボールひとつ落とすだけで大惨事となると言われている。まして巨大ヘリコプターが落ちれば大変なことだ。

その危険性を描きながらも、物語は原発を批判するのではなく、危険を見て見ぬ振りをする人々への批判へと展開する。さらに小学生のいじめ問題にスライド。次第に原発の危険性は物語が外れ、それを必死に守ろうとする原発職員たちと警察や関係者の活躍が描かれる。

この辺はバランスを取ったと思えた。311以降に原発は安全だ!といっても説得力がない。そして、危険なことは皆知っている。だから、危険性を描いても今なら原発を推進する人々は批判できない。でも、なんらかの圧力がかかって公開できない。宣伝できないということもある。そこで推進側も納得するように、心ある原発職員たちが活躍する物語も描いたのではないか?

もともと原作にあった部分かもしれないし、実際にも事故にならないように職員たちは命がけで安全を守ろうとしているだろう。しかし、それを描くことは「こんなに職員ががんばっているのだから、原発は安全だ」「前回は1000年に1度の津波だから事故ったけど、あんなにがんばれる人たちがいるんだから、次は大丈夫だ」と思う観客もいたかもしれない。

それに危険から守るという以前に、この1年以上、原発が全部止まっても電力危機にならなかったことを考えると、もともと原発は必要がない危険なものだることを多くの日本人が気付いている。なのに「こんなに職員は懸命に危険回避のために努力している」という物語を今、描く事にどういう意味があるのか?

その背景は原作小説が311以前に書かれたというところにあるだろう。原発の危険性を描きながらも、先に書いたように「原発は危険です。やめましょう!」という物語ではなく、テーマが逸れたように思えた「見て見ぬ振りをする人々」に対する批判こそが、原作のテーマだとしたら全てに筋が通る。

その意味で311を経験した我々が、今、「原発の危険性」を警鐘されてもすでに痛感していることだし、タブーであった原発を扱った映画と思ってみると、実は原発問題ではない「見て見ぬ人たち」を考えるテーマであり、肩すかしを食う訳である。そして、映画作家も、その辺のテーマを深く描くよりエンタテイメントとして仕上げようとしたと思える。

僕は原発問題に関心があり、まだまだ皆で考えて行く必要があると思っているので、その辺が物足りなかったのだ。宣伝で「標的は原発」と謳っているのはやはり単なるアピールのためだったのだと、痛感した次第だ。ただ、言えること。311以前ではこの原作を映画化することはできなかった。ヘリが原発に突っ込むなんて設定は絶対に許されなかっただろう。

しかし、現代は違う。原発は非情に危険ということを多くの人が実感している。だからこそ、この原作を映画化することができた。そして「見て見ぬ人たち」はまだまだ多いことは事実であり。小説のテーマである部分は考えねばならない。ただ、そのことが映画では物語とあまり結びついていない。やはり、この映画は純粋にエンタテイメントなのだ。

しかし、現代は違う。原発は非情に危険ということを多くの人が実感している。だからこそ、この原作を映画化することができた。そして「見て見ぬ人たち」はまだまだ多いことは事実であり。小説のテーマである部分は考えねばならないだろう。ただ、そのことが映画では物語とあまり結びついていない。大手映画会社にとって本当の意味での原発問題を描くことは今もタブーなのだ。

ただ、この映画に「原発問題が描けていない」というのは当て外れ、もともとエンタテイメントとして作れた映画なのである。




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【「ラブ&マーシー」=ビーチボーイズの苦悩が胸に刺さる映画】 [映画の話]

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このところ映画を見る余裕もなかったが、次の打ち合わせが3時間ほど延びたのでラッキー! ネットでその時間から観られる映画を探した。で、見つけたのがこれ。ビーチボーイズのブライアン・ウイルソンの伝記(?)物語。

ビーチボーイズといえば説明無用。1960年代の大人気バンド。日本ではビートルズとベンチャーズが人気を二分したが、アメリカではビートルズVSビーチボーイズだった。「1983年」風にいえば聖子派VS明菜派というところ。

僕の高校時代は70年代後半だが、アメリカン・ポップスが好きでビーチボーイズもよく聴いていた。「アメリカン・グラフィティ」に使われた「サーフィン・USA」と「オール・サマー・ロング」が印象的だった。分かりやすくいうと、山下達郎やチューブの元祖というバンドである。

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だが、その超人気バンドもさまざまな苦労と事件があったことを描くのが、この映画。昨年ヒットしたイーストウッドの「ジャージーボーイズ」路線の物語である。フォーシーズンスでも、ビーチボーイズでも、世界中にファンがいて、今も残るスタンダードナンバーを何曲も持つスーパーバンドで、メンバーは大金持ちなのに、その生活は荒み、いがみ合い、病んでいた。

表面だけ見ればアーティストはうらやましいばかりだが、曲を作るための苦悩。嫉妬。仲間内の争い。親族の暴走。それを知ると有名になること。金持ちになることは決して幸せではないとも思える。金儲けの道具として利用しようと、笑顔で近づいて来る輩。権利を勝手に売り払う父親。ため息のでることばかり。

僕は決してブライアン・ウイルソンのように有名でもなく、成功もしてないが、ここ数年、似たような事件が多い。たかだか無名の映画監督でも、笑顔で近づいて来て、利益を横取りしようとする連中がいる。「監督の力になりたい」といいながら、裏で映画を食い物にしようとする。嫉妬心から悪口をいってまわる業界の知人もいる。誤解される事も増え、次第に人が信じられなくなる。

金持ちにならなくても、有名にならなくても、業界で前に進もうとするだけで、批判、否定、妬み、いろんな思いをぶつけられる。たぶん、ブライアン・ウイルソンなんかは、その100倍、いや1万倍くらいの思いをしているだろう。

それを乗り越えて成功したときに金も名誉も手に入るのかもしれないが、心がボロボロになり、誰が味方か?分からなくなり、不信感が募り、そんなことで経済的に潤っても本当にハッピーと言えるのか?と考える。

ブライアン・ウイルソンが、そんな心なき人々が寄ってたかって、食い物にされ、心も体もボロボロになって行く様を描いたのがこの映画である。エルビス・プレスリーの人生を見てもそうだが、有名人は決して幸せではない。本当に幸せなのは誰なのか? 実は名もなき、庶民こそが一番ハッピーなのではないか?と思えて来る...。

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「ターミネーター 新起動」はなかなか面白い。 [映画の話]

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このシリーズ。ここ数作は未来から来たロボットとの戦いがメインのアクション映画になっていた。ま、もともと、それがこのシリーズのパターンなのだが、それでは「仮面ライダー」のライダー対怪人の構図と同じで、製作費をかけて派手にやっているだけになっていたようにも思える。

が、もともとこのシリーズはタイムとラベルという設定が面白く、単にエイリアンや秘密結社と戦うアクションものとは違うところだった。その設定が今回、久々に重きが置かれぐんと面白くなっている。

ネタバレするので、控えめに書くと、「バック・トウ・ザ・フューチャー2」と同じ構図。このアイディアを持ち込むのは考えつかなかった。見事! 脚本家たちがもの凄く時間をかけて、苦労してアイディアを練ったことを感じる。

ちょっと辻褄の合わない部分もあるが、いろいろと笑えて楽しめる展開になっている。ちなみに、シリーズの1作目は1984年の作品。日本公開は85年。ちょうど、僕が映画の舞台となるロスアンゼルスに留学した年。

物語でも1984年のダウンタウンが出てくるが、ちゃんと84年になっていて、90年完成したファースト・インターステート・ビルがない。そのビルこそ「インディペンデンスデイ」で最初に円盤に破壊される有名な建物。

そして1作目のオマージュか、同じシチュエーションがいくつもあり、ファンはニヤニヤできる。ただ、1作目で印象的だったセカンドストリートのトンネル(これも「インディペンデンスデイ」に登場)が出て来ないのが残念。

あと、あえて文句を付ければ感動的な展開に繋がる伏線がいくつかあるのに、それが???という形で終わっている。単なるSFアクションではない、素晴らしいテーマなのに、それがもったいない。

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「向日葵の」主人公と同じく、30年振りに帰って来た「マッドマックス 怒りのデスロード」。 [映画の話]

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30年振りの続編だ。「マッドマックス 怒りのデスロード」。

金にもの言わせたハリウッド製アクション映画だと思いつつ、過去の3本は全て観ているので、劇場に向かった。確かに「これでもか!」という製作費のかかったアクションの連続の映画ではあったが、予想を超える作品でもあった。

簡単にいうと、物語のベースは西部劇の名作「駅場所」である。いろんな人の運命を乗せて、荒野を突っ走る大型トラック。襲撃するのは「駅場所」ではインディアンだが、こちらはパンクなアウトローたち。ただ、主人公のマックスは最初から捕まり、しばらくは拘束されたまま。ん?活躍しないの?という疑問。だが、それはあとで解き明かされる。

緑の地を求めてひた走る大型トラックと逃亡者たち。しかし、その結末は? そのあたりから物語が行こうとする場所が見えて来る。この先はネタバレになるので、「観る!」という方はここまでにして、まずは映画館に行って頂きたい。価値ある1本だ。さて、すでに観た方。そして、まだ観るか?迷っている方は先に読んでほしい。

結局、緑の地=楽園はすでに荒廃した沼になっていた。失望する逃亡者たち。ここから凄いのは、マックスが「砦に戻ろう」ということ。シナリオの仕事をしているものとして、物語を逆行するのは面白くならない。前へ進むからこそ盛り上がるので????と思うのだが、この映画がやろうとしている本質を僕は理解していなかった。

要は、この映画。今の日本といっても過言でない物語なのだ。砦には貧しい人たちが大勢住み、狂った権力者と一部の人間が水を独占して、裕福な生活をし、貧しい民を支配している。耐えきれず、そこから逃げ出したのが先の逃亡者たち。しかし、その場所にマックスは戻ろうというのだ。そう、この物語は「過酷な現実から目を背け、楽園を探して逃げ出してもダメなんだ。本当の楽園は今いる場所にある。そこで、戦い、勝ち取り、自らの手で楽園にしなければならない」というメッセージなのだ。

まさに今の日本ではないか? そして青い鳥であり「約束された土地」を探す物語なのだ。残酷極まりないクライマックスのアクションシーンで涙がこみ上げる。そして、全ての意味を提示するラストのクレジットで涙が溢れた。極論を言えば、これは日本人へのメッセージなのだ。「諦めてはいけない。戦え!」それを監督のジョージミラーは伝えたかったに違いない。

これでなぜマックスが最初、主人公らしくないかも分かる。この物語を作る上で、そのメッセージを多くの人に伝えたいとミラー監督は考えただろう。「女戦士が活躍する近未来アクションでは、どれだけヒットするか?分からず、映画会社は資金を出し渋るかもしれない」そこで「これはマッドマックスの新作です」ということで、もの凄い額の製作費を引き出し、ミラー監督はこの作品を実現したのだろう。

山田太一さんが車いすの青年の物語を書きたかったが、なかなかテレビ局が受け入れないことで、人気シリーズ「男たちの旅路」の1編として実現したこと(車輪の一歩)。井筒和幸監督が在日の歴史を描く映画を作るために大ヒット「パッチギ」の続編として「ラブ&ピース」を監督したのも。大切なテーマだが、ヒットしにくい題材をヒットシリーズの1本として制作したのを思い出す。

「怒りのデスロード」はまさにそんな1本。だから、本当は「マッドマックス」シリーズではない。「外伝」的な存在。そこに何とかマックスを入れ込んだ作品にしているのだ。だから違和感はあるが、それでも素晴らしい。まさか「マッドマックス」で泣けるとは思わず。僕の新作「向日葵の丘」と通じる、まさかのテーマもあり。仰天した。

もちろん、日本人に向けて作られた訳ではないが、今の日本の姿と、今の日本人を勇気づける作品になっている。お勧め!

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「グッドライ」最高に素晴らしい感動作なのに....ヒットしていない理由? [映画の話]

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先日、たまたま映画館で見た「グッドライ」。Yahooレビューで調べてみると感想はたった15件。あまりにも少なすぎる。ほとんどの感想は「感動した」「泣けた」なのに、なぜ、この映画を多くの人が見ていないのか?

やはり宣伝に尽きる。昨日も書いたが、このチラシ。ポスターも同じデザインだが、これでは「見たい!」とは思えない。何より内容が伝わらない。見たい見たくない以前に内容が分からなければアウトだ。

そしてタイトルも意味不明。「グッドライ」=良いウソ。映画を見れば分かるが、このタイトルではアピールしない。

ただ、この手の映画を宣伝するのがむずかしいことも分かる。これがラブストーリーとか、アクションものとか、ジャンルでわかりやすく伝えられるならいいが、そういうジャンルではない。難病ものとか、親子ものとか、感動物語という表現ができればいいが、それらも違う。

また、有名俳優が誰も出ていない。メリル・ストリープが主演とか、キャメロン・ディアスが出ているならアピールするが、出演者は全員無名。それどころか、メインの難民役は本物の元難民だったり。だからリアリティがあり、素晴らしい演技をしているのだが、それは映画を見なければわからない。

こうなると、どうやって映画の魅力を伝えるべきなのか? 宣伝部の立場に立って考えるが、かなりむずかしい。ポスターだって、文句つけるのは簡単だが、だったらどんなデザインがいいか?提案しろと言われたら困る。

これは他人事ではない。僕の映画も一言で語りづらい物語が多いからだ。ビジュアルもむずかしい。毎回、苦労する。今回の「向日葵の丘」もそこを苦労した。

1983年が舞台の映画だが、それをどうやってビジュアルで表現するのか? それに単に「あの時代はよかった」「懐かしいなあ」という作品ではないので、懐かしい風景やグッズをポスターで描いても、意図が違ってくる。

もちろん、映画の宣伝はポスター&チラシだけではない。予告編もある。が、宣伝費の少ない作品はマスコミの紹介記事、番組、批評は当てにはできない。そんな状況でどう映画の魅力を伝えるべきか? 感動作の「グッドライ」が映画ファンにあまりアピールできていない状態を見て他人事だと思えないでいる。

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「クレヨンしんちゃん おらの引越し物語」最高です! [映画の話]

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笑って、ハラハラして、泣けて、感動!

この春一番の名作。マジです。是非!


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作家の「思い」が観客の心を揺さぶること。教えてくれる1本の小さな映画。 [映画の話]

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 昨夜、「クレウァニ 愛のトンネル」という作品を新宿の小さな映画館で観ていて考えた。「映画」というと大作で、有名スターが出ていて、お金がかかっていて、秘密基地が大爆発したり、目を見張る大群衆が出てきたり、CGを使ったスペクタクルがあったり....というハリウッド映画のような作品を思い浮かべる人が多いだろう。その映画「愛のトンネル」はそれとは対局の位置にある作品ではある。

 日本映画も近年、ハリウッドを真似て、巨額の製作費がかかった人気タレントが出ている映画が量産されている。が、本当に面白い!という作品がほとんどないのが実情だ。なぜ、日本映画はおもしろくないか? 「ハリウッドの物まねをしても、所詮、製作費の桁が3つ違うからね!」という人もいるだろう。それも理由のひとつだが、一番大切なものが抜け落ちているからだ。

大作の日本映画を作るのは主にテレビ局や企業が集まった製作委員会。それらが映画を作るとき、最初にするのはベストセラー原作を探すこと。そして、人気タレントのスケジュールを押さえる。そこから脚本家に原作の脚色を頼み。最後の監督が決まるということが多い。

映画の責任者は監督なのに、一番最後。全てお膳立てが揃ってから呼ばれる。その監督は撮影現場を仕切り、スケジュール通り、製作費を超えないようにして作品を作る。いわば雇われ現場監督。この環境こそがハリウッド映画のような「面白い」作品ができない背景でもある。

ハリウッドの場合。大作でも、監督であるジョージ・ルーカスやスピルバーグ。そしてジェームズ・キャメロンでもそうだが、彼らが企画し、自分たちがやりたい作品を作る。だから、超大作でも、SF大作でも、CGを使った巨額の製作費の映画でも、そこに彼らの「思い」が反映。貫かれている。

一方。日本の大作映画では監督は雇われた現場監督。作品を企画したプロデュサーや企業に「思い」はない。「知名度のあるベストセラー原作の映画化だからヒットして儲かるな!」ということしか考えていない。申し訳にテーマを「愛」とか「絆」とか付けるがそれは上辺だけ。監督も「それを描きたい!」という強い思いはなく「愛がテーマですね? やってみます」てな感じ。

脚本家も「思い」がなく、ベストセラー原作をどうやって映画に置き換えるか?だけを考えて執筆する。数年前に公開された人気アニメの映画化作品でも、脚本家はそのアニメに対する愛はゼロ。アメリカの「スパイダーマン」や「バットマン」のパクリのようなエピソードにして、そのアニメのファンから大ブーイングを受けた。もともと原作アニメへの愛はなく、その人はアメコミが好きだったのだ。

そんなふうに製作会社から脚本家、監督まで、誰も「この作品を映画化したい!」「オレの思いを伝えたい!」と思っていない。作品に対する愛もない。知名度のある原作を映画化すれば儲かる!というだけ。それが日本の大作映画。だから巨額の製作費がかかっているのに詰まらない。

それに対して、スピルバーグやルーカスも、キャメロンも、デビッド・リンチやティム・バートンも、現場監督ではなく、自分たちの「思い」を伝えるために映画を作っている。だから感動する。だから、感銘を受ける。たまに超大作でビジュアルは凄いのに、何かもの足りない映画がハリウッドにもあるが、それは日本と同じで、興行目的だけで、プロデュサーが企画。雇われ監督と使った作品であることが多い。

そんなふうに実は観客が本当に感動するのは、製作費の額やスターの有無ではなく、監督なり、製作者の「思い」に打たれるときなのだ。それは別に「平和メッセージ」や「愛」「絆」という「いかにも」というテーマである必要はない。その作家が人生をかけて追求するもの。求めるもの。それを映画という世界でギリギリのところまで対峙したとき初めて「感動」が生まれるのだ。

昨夜観た「愛のトンネル」はまさにそんな1本。監督自身が主人公にダブった。監督が主役を演じているのではないか?と思えるほど。似ているということでなく、乗り移っていた。禁断の恋。教師と生徒の愛。決して斬新な題材ではないが、そんなことはいい。そこに込められた「思い」が観客の心を打ち抜く。

若くして命を落とした女性生徒。その責任を感じ何度も死のうとしながら生き続ける教師。そして、ウクライナにある死んだ人にもう一度逢えるという愛のトンネル。「逢いたい。もう一度、逢いたい。彼女に逢いたい.....」これを雇われ監督が演出しても、よくあるラブストーリーにしかならない。なのにこの映画は限りない悲しみを抱き、観客の心を揺さぶる。

それは何か? 監督の「思い」なのだ。たぶん、監督自身が何年も何十年も、主人公の教師と同じ思いを抱き続けてきたに違いない。どーしても消し去ることのできない、その悲しみを全力で映画にぶつけたのだろう。人としての叫び。血を流し続けた魂の告白。だから、観客の心を打つ。

その映画を見る観客も、事情は違えど抱える悲しみが呼び起こされ共感せずにいられない。それが映画。それが物語。製作費や有名俳優ではなく、作家の心からの叫びが感動をよびおこす。もちろん、それだけではない、まるでヨーロッパ映画のような美しい映像。ドキュメンタリーか?と思えるヒロインの存在。何度も劇中に登場する8ミリフィルムの映像。素晴らしいセンスを感じさせる。それらが相まって、かつてない光と影のアンサンブルを生み出している。

だが、残念なことに、そんな「思い」を抱いて作っている日本映画は本当に少ない。だから、いくら製作費をかけても面白くない。そんなことを「愛のトンネル」を観ながら考えた。日本映画に失望している人。ヨーロッパ映画が好きな人ならぜひ、観てほしい。低予算でも、有名タレントが出ていなくても、CGが使われていなくても、心を揺さぶる映画というのは作ることができること。痛感するはずだ。

僕も監督業をする者として、もの凄く励まされた。映画は製作費だけではない。「思い」こそが感動を呼ぶこと。改めて教えられた。東京の公開は本日3月6日まで。新宿のKsシネマで午後8時50分からレイトショー。地方では順次公開。ぜひ!

HP=>http://www.is-field.com/klevani/


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「アメリカン・スナイパー」凄かった!  [映画の話]

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イーストウッドにハズレなし。いや、全てが名作。それも1年に1本監督している。80歳超えているのに...本当に凄い。そして、毎回、観終わってから、凄い嫌な、やり切れない思いを引きずる。さわやかな感動ではない。が、それは本当に厳しい重い現実を見事に描いているから。

あの「ジャージーボーイズ」でさえ、重かった。が、今回は一段と重い。そして、イスラム国人質事件を経験した日本人が観ればさらに重い。観客は戦場へと導かれ、主人公と共に銃弾の嵐の中をさまよう。映画館を出たとき、戦場から戻った気持ちにさえなる。

普通のハリウッド監督が撮れば単なるヒーロー物語になるだろう。が、イーストウッドは違う。このやり切れなさ。理不尽。悲しみ。でも、それが現実なのだ。詳しくは書かない。ぜひ、観てほしい。単なる反戦映画でも、アメリカ万歳でもない。厳しくも悲しい現実を見つめる物語。今回も打ちのめされる...。

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映画「ゴーンガール」。真実が伝わらないもどかしさ。人々の愚かさ。 [映画の話]

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映画「ゴーンガール」。真実が伝わらないもどかしさ。人々の愚かさ。

先日、デビット・フィンチャー監督の新作を見た。「セブン」「ゾディアック」と問題作を撮り続ける人なので今回も注目。そろそろ上映も終盤なので、多少の中身を書く。これから見る人は読まないように。

毎回、フィンチャーの映画はまるで悪魔がほくそ笑みながら「人間なんて愚かなものよ」というような、テーマを感じる。今回もまさにそれだ。物語の前半は行方不明になった妻を探す話だが、次第にいろんな事情が分かってくる。そして妻探しのミステリーから、妻が計画した夫への復讐物語となっていく。

最初は妻が行方不明。悲劇の夫としてマスコミに報道される。が、やがて浮気をし妻を殺したと非難される全米1の悪辣な夫となる。それで終わるかと思いきや、妻の方にトラブルが起こり、計画を完了できず、さらなる展開があり、妻は夫の元に戻る。が、夫は全てを知っているが、最愛の妻が戻ったという芝居をせねばならなくなる。

興味深いのはその2人を取り巻く人々。アメリカ国民の反応。最初は「同情」そして「非難」「誹謗中傷」そして最後は「祝福」「賞賛」しかし、国民は誰も真実を知らない。テレビ報道やワイドショーで伝えられる上辺だけを見て、自分とは何の利害もない夫婦を応援したり、批判したり、賞賛したりしている。マスコミに振り回され、現実を見ていない。

これは今の日本も同じだ。実際は金持ち優遇策でしかない、何とかミックスをマスコミが「経済がよくなる」と伝えると多くが支持してしまう。そもそもの発端を知らず「悪いのはテロリストだ!」と憤る人たち。正確な情報や現実を知らず、マスコミの報道を鵜呑みにして、怒ったり、賞賛したりする。「ゴーンガール」に登場する人々。アメリカ国民と同じである。

フィンチャー監督はまさに、それを描きたかったのだと思える。人間の愚かさを悪魔があざわるように「お前ら何も分かってないくせに、愚かな...」と言いたいのだろう。それは凄く分かる。映画作りも同じで、例えばあまりにアホなスタッフがアホなことをして、製作を妨害し製作中止の危機を迎えたとしても、それを理解しない人たちがいる。

「ゴーンガール」で描かれたように「妻が家出したのは夫の浮気のせいではないか?」「邪魔で殺したのではないか?」と邪推する人たちと同じで、何も知らない人たちが、見た目や聞きかじった情報で、アホな者を庇ったり、支持したり、賞賛したりして大混乱することがある。

誰に問題があるのか? 何が問題なのか? 誰に責任があるのか? その真相を見つめることなく。表面的なことだけで判断。そんな人たちがよりトラブルを大きくする。フィンチャー監督も映画製作で同じ思いをした経験があり、今回の題材に興味惹かれたのではないか?とさえ思える。

表面だけ見て「酷い」「許せない」「裏切られた」と憤ることがあるが、それはある種の人たちの思う壷であったり、事実と違うことで罪なき人を攻撃し、本当に責任ある者を野放しにしてしまうことに繋がる。そんなことを感じさせる作品。興味ある方はぜひ。

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「アンブレイカブル」DVD買った。安かった! [映画の話]

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VHSしか持ってなかったし、安かったので。

結局、同じ映画を何本も買う羽目に! 

この映画。本当に素晴らしいテーマなのに、

理解する人が少なく残念。

シャマランは「最後にどんでん返し」の監督としか思われてないのが悔しい。

よくオチが分かったと得意にいう映画ファンがいるが、それでは駄目。

テーマを理解してこそ、彼の映画の素晴らしさが分かる。

僕の映画のテーマとも近いしね。

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