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【僕が言ってもいないことを「太田監督はいつもこう言ってる」なんて書く人。何で?】 [再・opinion]

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【僕がいってもいないことを「太田監督はいつもこう言ってる」なんて書く人。何で?】

 映画の世界の価値観というのは、一般の人になかなか理解されない。

その映画界でも太田組の価値観というのは特別。以前はベテランの人からよく批判されたが、今では多くのスタッフが理解してくれていて、毎回、クオリティの高い作品を作れる背景となっている。が、やはり一般の人には分かりづらいようで、誤解発言をときどき聞く。

 先日も「太田監督は******と発言しているが、そこが素晴らしい」とか書かれた。が、それも僕が一度も言っていないこと。興味深いので詳しく説明しよう。「太田監督は常々、俳優は皆平等だと言っている。そこが素晴らしい」とある映画ファンが書いていた。褒めてくれてるようだが、僕はそんな発言をしたことも、その種の文章を書いたこともない。というのも、そんなことは思っていないからだ。ただ、こういったことはある。

「通常の映画では、この人は主人公。この人は脇役。

 この人はエキストラと分ける。でも、人は誰もが自分の人生では主人公なのだから、人生にエキストラなんていない。だから、僕の撮影現場ー太田組では誰もが主人公と考える。エキストラと呼ばず、市民俳優と呼ぶ」

 これはあちこちで言ってるし、ブログ等にも何度も書いている。が、読んでくれれば分かるように「役には上下はない」という意味。「俳優に上下はない」ではない。その映画ファンが指摘した「俳優は皆平等」でもない。明らかに、その指摘は間違いだが、その違いが分かるだろうか? 

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 通常の撮影現場では役に上下がある。

「この人は主人公だから重要。この人は脇役だからどっちでもいい」ということ。でも、僕の考えは脇役だって重要だし、通行人だって重要。それぞれにドラマがあるという意味。だから、誰も主人公なのだ。3人の女子高生が登場する物語だとして、通常は主人公は1人、相手役が2人。でも、太田組では全員が主人公だと考える。ただ、その物語を3人同時に描くと観客が混乱するので、1人を選び、その視点から物語を描く。それが一般に言われる主人公。

 でも、別の2人の視点から物語を見ればその2人も主人公なのだ。つまり、誰もが重要なキャラクターであり、不必要な登場人物などいない。その意味でどの役も主人公であり。どの役も平等なのだ。なのに、その映画ファンは「どの役も平等」というのを「俳優は皆、平等」と勘違いして解釈したのだ。「役」=「平等」であり、「俳優」=「平等ではない」。

 平等な訳がないし、平等ではいけないのだ。

例えば、何十年も役者生活をしているベテラン俳優と、駆け出しの新人は平等ではない。ベテランは実績と実力を持っている訳で、それを尊敬すべきだし、それなりのギャラが払われる。待遇もいい。出てもらうことで映画の格も上がる。

 が、新人はギャラが安い。それは演技力に定評もなく、経験も少ない。その俳優が出たからと、ファンが押し掛ける訳ではない。むしろ、現場は若手にとって勉強の場。ベテランと同じギャラ、同じ待遇がある訳がない。なのに、その映画ファンは「俳優は平等だ」というので、話がおかしくなる。

 人間は皆、平等だ。「あいつは死んでもいいけど、あの人は重要だから駄目」という考えは間違っている。が、人のために役立つ存在は評価され、優遇される。その人の価値であり、評価なのだ。それを混同してはいけない。俳優で説明しよう。メインキャラを演じる俳優はもの凄い集中力が必要。長台詞があったり、過激な立ち回りがあったり、自分のミスが多くの人に迷惑をかける。作品のクオリティも下げる。替えは効かない。

 それに対して小さな役なら、多少の失敗も監督に怒鳴られるだけで済む。最悪は別の役者と交代することで済む。こういうと勘違いして「差別だ。小さな役だって大変だし、集中力が必要!」というかもしれない。が、違う。メインの役に比べれば、その差は歴然であり、大物俳優、ベテラン俳優と呼ばれる人たちは、そんな経験を何度もして、現在まで来ている。新人とベテランを同じように扱う方が不平等なのである。

 実績や実力。人気に合わせてギャラの額も決まる。

これは「不平等」とではない。小さな努力で済む新人と、長年の経験を駆使して素晴らしい演技を見せるベテランの報酬が同じでは、理不尽。経験だけではない。若くても人気があれば高額のギャラがもらえる。演技力があれば評価される。そこに「平等」という物差しを持ち込むこと自体がおかしいのだ。

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 その意味では会社も同じ。

社長から新入社員まで平等。給料や待遇も皆、同じだろうか? 会社でそれぞれに待遇は違う。それぞれの実績への評価。では、社長が偉いのか?というと、これは違う。営業の達人がいて、技術の鉄人がいて、しっかり者の専務がいて、会社が成り立つ。社長だけでは成り立たない。同じようにドラマの世界も、メインキャラだけでなく、小さな役の存在も大事。暴れん坊将軍だって、斬られる侍がいるから成立する。誰が偉いではない。が、それぞれの待遇は違う。平等ではない。

 の辺を取り違えて「太田監督は俳優に上下がないと常々言っている」なんてブログに書く人がいる。***監督はと伏せ字で書くのならとにかく、僕の名前を上げるのであれば、正確に書いてもらいたい。以上の説明を読めば、そんな世界ではないし、そんな発言をする訳がないこと。分かるはずだ。

 人はすぐ「平等だ」「差別だ」といいがち。それはとても大事なことだが、使い方を間違えている人も多い。人は実力や努力。経験が評価される。それは差別ではない。何もできない。経験もない新人俳優はまず勉強であり、実力派と同じ評価や扱いを受けないのは当然。それを差別というのは大間違い。ときどき、新人俳優で「何日も撮影に出たのにギャラが安い!」と不満をいう者がいるが、バイトではない。ギャラは時給と違う。

 新人はノーギャラであっても、現場に出れば勉強になる。

授業料を払ってもできない経験ができるのに、さらに時給をくれというようなもの。別の新人は「今回はノーギャラで出たので、次回はギャラ下さいね! 他の役者はギャラもらってるんですから不公平ですよ〜」と笑いながら言った。冗談でもこれはアウト。彼の勉強になるので呼んだだけであり、ギャラを払って呼ぶほどの実力はない。それ以降、声はかけていない。

 会社員やバイトの世界ではない。いや、会社だって実力や経験が認められ、給与に反映される。その意味でその新人はバイト感覚でしかない。誰もができる仕事しかしないので、何をやっても時給換算してしまう。その価値観を映画界に当てはめるのは間違い。努力し、いろんな経験をし、多くの人の支持を得る。他の人にはできない実力や素養がある。それが評価されるのが映画の世界。そして実力がある者が集まるからこそ、いい作品ができるのである。


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「向日葵の丘 1983年夏」スチール紹介!あ、あの映画のポスター? [再・LC]

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主人公・多香子の高校時代を演じる芳根京子さんの場面。

うしろに貼られたポスター。何の映画か?分かるかな? 

あの当時大ヒットした日本映画だ。

ヒントは「愛の予感のジュブナイル」がキャッチコピー。

懐かしい時代を思い出すね。




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