「夢見る力」シリーズ 「実力があれば認められる....というのは間違い。決め手は趣味?」 [再・opinion]
シナリオライターを目指す若い人から
よくアドバイスを求められる。「脚本家になりたい!」といいながら、シナリオを書いたこともない人が多いのが現実だが、努力している人もそこそはいる。助監督を続けながら、シナリオを書く努力家もいる。これまでも、それらの人たちに向けた応援文を書いたが、今回は少し違う方向で書いてみる。
ある助監督君。撮影撮影の毎日で体力的にも大変なのに、オリジナル・シナリオを書き続けている。完成したらプロデュサーに見せて「映画化したいんです」とアプローチする。が、ほとんどが却下。「そうか....まだまだ、オレに実力がないんだ。次は、誰もが映画化したくなる面白いシナリオを書こう!」と前向きにがんばっている。
が、プロデュサーのほとんどはシナリオを読めない。映画化するのはベストセラー漫画か小説。で、ないと企画会議を通せない。オリジナルを映画にしようなんてまず考えない。そんな人たちにシナリオを見せても乗ってくる訳がない。なのに彼は「オレの実力がまだまだ」と考えてしまうのが痛々しい。
同じく小説家を目指す若い人がいる。
原稿が書き上がると出版社を訪ね、編集者に読んでもらう。が、こちらも何だかんだで採用されない。「実力がないから認めてもらえないんだ....」と毎回、落ち込んでいる。が、それも少し違う。編集者は映画のプロデュサーよりずっと読む力がある。「表現力が貧しい」と言われれば、それは正解。けど、出版されなくても落ち込むことはない。
これは漫画でも同じなのだが、編集者という人たちは頭のいい人たちが多く、小説や漫画をよく読んでおり勉強家。だが、こんな問題点がある。
あの大ヒット作「リング」も当初は
どこの出版社でも「???」という反応。出版されることはなかった。が、角川の名物編集者といわれる個性的な人が気に入り、出版。大ベストセラーとなった。京極夏彦さんの小説も、ある編集者が気に入って出版したが、「あの人じゃなきゃ、絶対に出さないよ」とあちこちで言われた。でも、これも大ベストセラーとなる。
つまり、編集者Aさんが「ダメ。これは出版できない」といっても、Bさんが「これは面白い。出版したい!」ということがあるのだ。もし、持ち込み原稿をAさんが読んだら、そこで終わり。たまたま、Bさんが読んだら出版!ということになる。要は編集者というのは実力ある人を選ぶのではなく、ある程度は実力がある作品で、大事なのは趣味。
だから、趣味が合う編集者と出会えるかどうか? が大きい。あの宮部みゆきさんの「魔術はささやく」だって、原稿を何ヶ月も読んでもらえず、保留のままだった。その後、別の出版社に持ち込み世に出たと聞く。「ドラゴンボール」の鳥山明さんだって、何度も原稿持ち込みしたけどダメで、その編集者の隣席の編集者が読んで気に入り掲載、大人気になったと聞く。
シナリオライターも同じだ。
オリジナルは映画化されることはまずないが、その物語テイストがプロデュサーの趣味に近ければ別の形でも、仕事が舞い込むことがある。結局は趣味! そんなことで作家はデビューしたり、消えて行ったりする。なので「オレの実力がないから....」と悩んだりするのは本質を突いていない。ダメでも「趣味が違うだけ」と自信を持とう。
そして「誰でも映画化したくなる力あるシナリオを書こう」なんて、考え方は間違い。基本は趣味なのだ。誰もが賛同する作品なんて本来ありえない。だから、「ウケる作品を書こう」とか「この路線が今は売れるから」なんて姑息なことを考えて書くのもダメということ。
自分が書きたい作品を書き、
そこに趣味&志向がにじみ出したとき、同じ志向性を持つ人が、その作品を認めてくれるのだ。もちろん、表現力があった上でのことであり、実力もないのに「そうか、趣味で書けばいいんだ」というのは間違い。実力は大切だ。
これらのことは新人作家だけの問題ではない。製品でも、食事でも、玩具でも、サービスでも、同じ。お客さんの志向と合うときに売れる。でも、「誰もがおいしいと思う料理を作ろう」とか「今、***が流行だから」という思いでは成功しない。
シナリオや小説と同じで、自分はこれが好きだ!という自分の趣味や思いがそこに反映されてなければ受け入れられないのだと思える。もっと言えば、自分は何が好きなのか? どんな思いを持っているのか? それをしっかりと把握せねばならないということ。「好き」ということ「趣味」ということ、とても大切だということ。改めて感じる。