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ダメな日本映画が多いのは「ドラマ文法」も知らない映画プロデュサーが多いから? [映画業界物語]

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 映画のスタートはシナリオ......ではなく、

まず企画。つまり、物語作りだ。どんな題材で、どんなストーリーにするか?を決める。原作があれば簡単だが、オリジナルを作るならそこからスタートだ。

 例えば、現代に恐竜が蘇る物語? 未来からロボットが送り込まれるストーリー? スパイが巨大組織に挑む話? という具合だ。ま、その前にテーマやジャンルも決めねばならない。20代女性に見せたい=>だから恋愛ものとか、40ー50代男性がターゲット=>だから、社会派ドラマという具合。

 あと、作家、監督が何を描きたいか? 伝えたいか? で決まって来る。友達との友情を描きたいとか、夫婦生活のあり方を問うとか、親子関係を見つめるとか、そんなテーマを決めることで、いろんなことが決まって来る。

 僕の場合。「向日葵の丘」で言えば、

昔から1983年を舞台にした青春ものを作りたいという思いがあった。未来が明るく思える元気な時代。それを描く事で、不況で混沌とした「現代」が対比され、いろんなことが見えてくる。そこで主人公は当時、高校生だった女性にして、過去と現代を対比。物語を作った。

 
 昔はプロデュサーと相談したり、完成したものを見せて意見を聞いた。が、当時から本当に呆れるくらいにプロデュサーという人たちは、物語作りというものが分かっておらず。無意味な批判をするだけだった。


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 とは言え、小説やシナリオ。漫画でもいい。そんなものを書いたことのない人は「物語」とは何か?を把握できていないことが多い。プロデュサーは多くのシナリオを読み、作品にゴーサインを出す役割だが、やはり読んでいるだけなので、その辺が理解できないのである。さらに単に批判してばかりいるので、勘違いして「俺が書いた方がまだマシだ」と思い始める。

 人は不思議なもので、他人の作品を批評すると

無意識に上から目線になり、評論家気分で批評を始めることが多い。Yahoo!映画レビューとか見ると、単なる映画マニアなのに「この作家には荷が重かったようだ」とか「突っ込みどころ満載の作品。自主映画の方がまだマシ」とか偉そうに書く人が結構いる。なぜか、人は批評する立場になると、そんなふうに高飛車になってしまう。

 だが、その批評を見ると「***のシーンはカットした方がいいだろう」「***の場面はもう少し長めに見せるべきだ」とか得意気に書いているが、単に「早く次の場面が見たかった」「あの場面をもっとじっくり見たかった」というだけのことが多い。つまり批評ではなく、感想を述べているだけ。そして趣味思考を訴えているだけなのだ。

 それを評論家風に上から目線で見つめ

「この作家には才能というものが感じられない」とか書く。「才能って何?」「あんた才能を見抜く目があるの?」「そもそも才能なんて存在するの?」と思うのだが、映画マニアにはこの手の人が結構いる。自身でシナリオを書いたり、監督したりしないで、数多くの作品を見ていくとどーしても自称映画評論家になってしまい、自分の趣味思考が批評だと思い込んでしまうのだろう。

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 プロデュサーも同じなのだ。

仕事でシナリオを読む。粗を見つける。「ダメだなあ。辻褄が合わない。このライターは才能がないなあ」と感じる。でも、ゼロから物語を作るより、出来上がったものから粗探しをする方が遥かに簡単でイージーなのだ。なのに「俺が書いた方がマシだ」と勘違いしてしまう(でも、書かないから、批判されることがなく、自分の方が出来る!と勘違いし続ける)そんな環境もありプロデュサーで読む力がある人は少ない。彼らの仕事はシナリオのどこに問題があり、どうすれば面白くなるか?を指摘すること。

 なのに多くのPは「こうしたらどう?」「こんな手もある」と、自身の趣味思考を語っているだけ。ここは難しいところなのだが、物語には文法がある。僕は「ドラマ文法」と読んでいるが、面白い物語には定番があり、いかにそれに乗せるか?という法則がある。それを把握した上で、テーマを鑑みてストーリーを作るのである。

 それらを把握せずに「こうしよう!」「ああしよう!」というのは、「僕はラーメンが食べたい」「私はスパゲティ」と言っているのに等しい。でも、テーマをレストランで例えれば、「伝統的な日本食」だった場合に、ラーメンやスパゲティは外れている。それでも多くのプロデュサーは「あってもいいんじゃないか?」などと言い出す。それならば、そのための方法論を考えねばならないのに、それは持っていない。

 「右へ行こう!」とPがいった場合、

ライターは「違うんじゃないですか?」といっても、「それを考えるのがライターの仕事だろ?」といわれ執筆。プロデュサーが完成したものを読むと「右じゃないなあ。やっぱ左かあ?」とまた違う方向性で書かされる。「んーーまだ違うなあ」とプロデュサーはいう。要は明確なビジョンがなく「ドラマ文法」も分かっていない。ライターは分かっているので、その方向で書いても無駄だと分かっているが、仕事依頼してきたプロデュサーなので我慢して書くが、時間を無駄にするばかり。


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 分かりやすく書くと、物語作りは旅行に似ている。

東京から沖縄に行くのに「電車で行こう!」というプロデュサーがいる。が、ライターは電車で行けないことは分かっている。それを実際に九州まで電車で行き、海を渡れないと分かって「違うなー」というのがプロデュサーなのである。沖縄に行くには船か飛行機しかない。そして東京出発なら西に向かう。それを「東から行こう」と言い出したりする。地球を一周すれば行けるが、時間も経費もかかり過ぎ。ドラマ文法が分かっていればそれに気付くが、知らないとそんな無駄な作業を続けることになる。

 ま、プロデュサーだけでなく監督にもそんな人が多いのだが、なぜ、映画界でそれなりに仕事をしている人たちが「ドラマ文法」すら分かっていないのか? 未だに不思議だが、それだけ安易にベストセラー原作を使い映画作りをしているので、物語を作るという作業を学ぶ機会がないことなのだろう。もちろん、優秀なプロデュサーもいる。

 僕がシナリオライターだったとき、

優秀PとバカPと別作品で同時に仕事をしたことがある。そして、両方の作品で、同じ問題が勃発。どうやって物語を展開させるか議論した。優秀Pとは30分話しただけで、解決法を見つけたが、バカPとは3日に渡り議論。すでに解決法は分かっていたがしたが、彼は納得しない。答えは1日目で見つかっていた。それを何度も説明しているのに、理解せず、他の当て外れのアイディアを出し続け、結局、3日目で先の答えしかないことを理解した.....。


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 後輩たちからよく聞く話もある。よく出来たシナリオがあるのに、Pたちがあれこれ文句を付けて改悪してしまい、結果ダメな映画しか上がらないこともよくある。文句をいうことで自分もシナリオに参加したと感じるPもまた多くいる。それは趣味思考を押し付けただけ。そんなこともあり、プロデュサーの意見を聞くのはほぼ無意味だと思い、その後、映画会社と仕事はせず、プロデュサーは僕自身が兼ねることにした。

 Pたちが無能というのではない。「物語作り」とはそれほどまでに難しいものだということ。そしてPたちが驚くほど勉強をしていないということ。「ドラマ文法」というものが存在していることすら理解していない人も多い。それに従いストーリーを作る事が王道なのだ。が、時として、文法を破ることで面白い物語できることもあるが、それはそれでしっかりとした方法論を持っていなければ成立しない。それが分からずに「過去のパターンを破る新しいものを作ろう!」といってもうまく行かない。

 最近の日本映画。オリジナルものが少なく。面白くないのは

そんなふうに勉強不足のPが多いからではないか? 監督は脚本家のほとんどがフリーなのに対して、プロデュサーは未だに社員の人が多い。それなら映画会社が物語作りを教育すればいい。シナリオ学校で半年間、研修するとか(これはやっているテレビ局がある)自身でシナリオ書かせて提出させるとか。物語は自分で作らないと学べない。人の作品を読み、ケチを付けているだけでは勘違いが進むだけ。それが日本映画をダメにする一因ではないか?と思えて来る。

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ランチ [2016年]

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 ランチ。






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