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編集は映像のことだけ考えていては駄目? [再・映画界]

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 編集作業はNG抜き=>粗編集=>詰め編集

 と進むのだが、僕の場合。粗編とはいえ、かなり詰めた編集をする。以前はNG抜きをせず、いきなり詰め編集をしていたが、今回は特別。基本を踏んで作業。それだけクオリティの高い作品なので、大切に作業。

 なぜ、粗編で完全に詰め編集をしなかったかというと、音の問題が関わるのだ。編集というのは映像をつなぐ仕事。だが、映画には音や音楽というものが加わる。昔、年配の編集者を見ていて思ったのは、音楽や音をあとでどう入れる?ということを考えずに、映像だけをギチギチに繋いでしまう。

 それでいて「この場面。もたないな?」と思うと

 音楽入れるとかいう発想の人が多かった。だから、日本映画というのは(特に80年代)情緒のないものやムードのないものが多かったのだと感じる。その背景には昔の日本映画。黒沢明等の作品でないものは、編集者が編集をして、それを見た監督が「ここは長く」「ここは短め」とかいって直して行くやり方が多かったからだ。

 編集は音楽のことなど考えていない。それどころか「映画は見せるもの。音楽に頼ってちゃいけない」という発想さえあった。だから、日本映画では永遠の名曲という映画音楽が少ないのだろう。デビッド・リーンだって、ウイリアム・ワイラーだって、スピルバーグだって、彼らの映画の音楽はスタンダードになり。それを聴いただけで感動が蘇るが、日本映画でその種のものは少ない。

 それが昔から気になっていて、

 僕はシナリオの段階から音楽を使うシーンを決めて、以前はそのイメージ曲をカセットテープに入れて、それを聴きながらシナリオを書いたものだった。最近はそこまでしないが、音楽がかかる場面は決めている。学生時代に8ミリフィルムで映画を撮っていた頃は、作曲してもらう訳にはいかないので、規正の曲を先に決めて、そのリズムに合わせて編集をしたくらいだ。

 なので、今は作曲をしてもらうので、編集中には曲がなくやりづらい。で、規正の曲を先に決め、それに合わせて編集。音楽家さんには、その曲の方向で作曲してもらう。が、その曲がなかなか見つからないことがある。或はイメージした曲のリズムで編集しても実際合わせて見ると駄目だったり。そんなこともあるので、完全に編集せず、余裕を持たせておく。

 他にもいろいろ理由があるのだが、映像だけ見てギチギチに編集しては駄目なのだ。できあがった映画の後ろで音楽がBGMのように流れているという形では感動は伝わらない。そのために、編集作業以外の視点や発想が必要なのだが、それはまたの機会に。

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