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「向日葵の丘」東京、北区滝野川店でもレンタル中! [DVD]

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 東京、北区滝野川店でもレンタル中!


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【「シン・ゴジラ」素晴らしかった! その魅力を分析。実はあの映画....】  [映画の話]

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【「シン・ゴジラ」素晴らしかった! その魅力を分析。実はあの映画....】 

期待をしながらも不安も大きかった。が、「終」の文字が出ると思わず拍手してしまった。今年の日本映画ではベスト1。「ゴジラ」映画でもトップクラスのクオリティと思える。その魅力とテーマを僕なりに分析した。

(以下、ネタバレ多数あり)

名作と言われる第1作の「ゴジラ」は水爆ー原爆。そして太平洋戦争の象徴がゴジラだった。街を破壊し、人々を恐怖に陥れる巨大な怪物。しかし、シリーズを追うごとにゴジラは正義の味方となってしまった。そのゴジラを悪役に戻しただけでなく、1作目で原爆や戦争の象徴として描いた怪物を今回は「原発事故」の象徴として描いている。ここが本当に凄い。映画界では原発事故はタブーだ。それを大ヒットシリーズである「ゴジラ」を使って描いてしまったのだ。

物語は東京湾に怪物が現れるところから始まる。そこからもう聞き慣れた311のときの台詞が次々に発せられる。「ただちに被害はありません」「想定外だ」「御用学者」そしてゴジラが津波のように東京に襲う。ここでもう津波ー原発事故を連想させる。あの福島の原発事故と同様、御用学者は何の役に立たず、自衛隊もゴジラには通用しない。ただ、都民は避難するだけ。そしてゴジラが移動したあとには放射能が検知。これは動く原発事故だ。

よくあの東宝がこの映画にゴーサインを出したものだと驚く。黒澤明監督の「夢」。あの映画では原発事故のエピソードがあるが故に製作費を出すのをしぶり、結果アメリカのワーナーブラーザースが出資と聞く。結果「夢」は日本映画ではなくアメリカ映画となった。その東宝がよくぞ!と思うほどに、「シン・ゴジラ」は原発事故映画なのである。そのことはゴジラとの最終決戦からも伝わる。

第1作の「ゴジラ」はオキシジェン・デストロイヤーという新兵器で倒すのだが、今回は違う。新兵器ではなくゴジラを冷却するのだ。つまり、メルトダウンを冷温停止するという行動。ミサイル等を打ち込むのではなく、ゴジラの口から冷却液をクレーンで流し込むのである。

その行為は福島原発の原子炉を冷やすために水を流し込んだ巨大なクレーンを思い出させる。1作目の「ゴジラ」が単なる怪獣ものでなく名作となったのは単に怪獣が暴れるだけの物語ではなく、その背景に戦争や原爆の悲劇を描いたからである。同じように「シン・ゴジラ」は原発事故の悲劇を怪獣映画として描いている。

といって、社会派映画か?というとそうではない。特撮ファンが大喜びする場面が連続する。その前にこの映画一番の功労者は誰か?というと、やはり総監督の庵野秀明だ。「エヴァンゲリオン」の庵野だ。「シン・ゴジラ」は完全に彼の映画である。何より、ゴジラが最初、登場するところは使途かエヴァか?というルックス。さらに放射能光線を吐くときはもう巨神兵だ。そう宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」に登場する炎の巨人。あの動画は当時無名だった庵野が描いている。そんなふうに「シン・ゴジラ」では庵野ワールドが次々に登場する。

また、庵野監督は「ウルトラマン」好きでも知られる。「シン・ゴジラ」でも後半のストーリーは「帰って来たウルトラマン」のあるエピソードをベースにしていると思える。パクリではない。あのエピソードが好きで溜まらないのだろう。実は僕も「ウルトラ」シリーズ屈指と思っている大好きな1編。そう、「決戦! 怪獣対MAT」の回である。

グドンとツインテールが東京を襲う。ウルトラマンさえ歯が立たないので、MATの岸田長官(藤田進)はスパイナーという小型水爆と同じ破壊力のある爆弾で怪獣を退治しようとする。そんなことをしたら東京は死の街になる。

なのに都民を避難させてスパイナーを使うという。MAT隊員たちはその命令を待ってもらい2大怪獣に捨て身の攻撃をかける。もうお分かりだろう。「シン・ゴジラ」でアメリカがゴジラを核爆弾で攻撃するというのは、その話を踏襲している。「帰って来た」の名曲「ワンダバ」が流れるのではないか?!と思うほどだった。

さらに最終決戦では「地球防衛軍」のマーチ等。以前の「ゴジラ」映画の名曲が次々に流れ、ファンとしては狂喜乱舞の連続。庵野監督の特撮マニア振り全開の展開となる。だが、単なる特撮ファンのための映画という訳ではない。後半戦。特別チームを編成してゴジラと戦う展開。ここにメッセージがある。

劇中の台詞でもあるように、縦割りで役所同士がいがみ合い争うから前に進めない。しかし、役所には優秀な人材がいる。プライベートを犠牲にしてがんばる人たちがいる。はみ出し者、嫌われ者、異端児、オタク。でも、優秀な人材を集めて、詰まらない枠を外して行動すればゴジラは倒せるという展開なのだが、これは原発事故にもいえる。英知を傾けて努力すれば福1も本当の意味で収束できる! そして、不況が続き未来が見えない社会にも「日本はまだまだ行ける。必ず困難を克服して前に進める。がんばれ!」という日本人への応援歌なのだ。

この部分が本当に素晴らしい。1作目の「ゴジラ」が戦争や原爆の恐怖を伝えたが、今回は原発事故の恐怖を伝えるだけでなく、希望を描き、日本人にエールを送る物語となっている。アメリカからいろんな横やりが入るが(核爆弾を使うとか内政干渉)それを撥ね除けて、各国に根回しを行けば、未来を掴めるという具体的なメッセージなのである。

だから、最終決戦の前。防護服を着た数多くの自衛隊員を前に主人公はスピーチをするが、隊員たちの顔や表情を見せない。なぜか? 本来なら彼らの決意の顔を見せるのが映画。でも、そうではない。この場面のスピーチは隊員たちより、この映画を見ている観客に向けてされたものだからだ。だから、隊員たちの顔を見せない。映画を見ている僕らへのメッセージなのだ。

「みんな死んでしまえ!」がキャッチコピーだった劇場版「エヴァンゲリオン」の1作目。その庵野監督が「希望」を語っているのだ。その変化は2作前の新劇場版「エヴァ」からも感じていたが、そのメッセージは今の日本に本当に必要なものだと思え、心から共感した。

その「シンゴジラ」のラストシーン。どんな場所だか覚えているだろうか? ビルの屋上から冷温停止?したゴジラを見つめる主人公たち。あの場所。「太陽を盗んだ男」のクライマックスの場所。沢田研二と菅原文太が死闘を演じるあの屋上の隣。庵野監督あの映画が大好きなようで、2作前の新劇場版「エヴァ」でもそのテーマ音楽をこっそり使っていた(「怪奇大作戦」の「京都買います」のテーマも!)僕も「太陽」は大好きなので、あのロケ地!あーーと思ってしまった。

では、なぜ、あのロケ地の近所を使ったのか?(同じ場所は何らかの理由で撮影できなかったと想像)単に「太陽」ファンということではない。沢田研二扮する高校教師は原爆を作る。それを爆発させまいと菅原文太演じる刑事がその屋上で戦う。原爆を使う者、止める者の最終決戦の場だ。そこから原発=ゴジラが冷温停止した姿を、原発=ゴジラを止めた主人公たちが見つめる。その構図をダブらせたのだ。最後の最後まで庵野監督の趣味や世界観を生かした作品となっている。

そしてエンドロールの旧「ゴジラ」のテーマミュージック集。素晴らしい。アメリカ番「ゴジラ」を遥かに超える映画だ。スタッフ・キャストに大いなる拍手。贈りたい!


【お待たせしました!「向日葵の丘」DVDーAmazonで再入荷!】 [DVD発売]

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【お待たせしました!「向日葵の丘」DVDーAmazonで再入荷!】

売り切れから1ヶ月。ようやく、Amazon、楽天でもDVD購入が可能になりました。

今回も定数の発売。

ソールドアウトした場合にさらなるプレスがあるか?どうか?分かりません。

ぜひ、この機会にお求め下さい。

特典映像のメイキングも大好評。

ヤング三人組ー芳根京子らの撮影現場での活躍を記録。

こちらも涙ものです。







向日葵の丘ーDVD発売をはがきでお知らせ! [DVD発売]



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 真ん中。映画完成時のマスコミ試写会用のはがき

 右側。その裏で、試写会の日時が印刷されている。

 もう1年前なので、使うことがないが、これが100枚ほど残っている

 普通は捨ててしまうのだけど、カラーで印刷されているし、もったいない。

 そこで裏側に白いシールを貼り、再利用

 左側。DVD発売のお知らせを印刷したシールを貼ったもの

 これに切手を貼り郵送

 ネットをやっている方はすでにDVDのことはご存知なので

 それ以外の方に発送

 誰にいわれた訳ではないけど、せっかく全国のTSUTAYAでレンタル中

 それを知らない人も多い

 せめてはがきでお知らせしたい。



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「向日葵の丘」名古屋公開時ートーク 藤田朋子x監督・太田隆文 [キャスト]



「向日葵の丘」名古屋公開時ー舞台挨拶前に収録したトーク
藤田朋子x監督 太田隆文

藤田さんとは20年以上の友人。古い話も飛び出します!?
しかし、よくしゃべるね〜。この2人!

https://youtu.be/aHU7h3OCIrM






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【「苦言は薬なり、甘言は病なり」と大人はいうが、本当は違うんだよね?】 [【再掲載】]

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「うるせーなー放っておいてくれよ〜」

といいたくなるような苦言ほど、役に立つ。と、若い頃に大人からよく言われた。が、今になってみると、実はそうではなかったと思える。

アメリカ留学から帰国して、アルバイトをしながらシナリオを書き続けていたころだ。親しいプロデュサーや脚本家。監督や俳優。と業界で仕事をする人たち。そして同世代のカタギ友人にも書き上げたシナリオを読んでもらった。プロデビューする前であり、まだまだ、書く力もないし、物語を作る力も貧しかったので、とにかく書いて読んでもらい、上達しようと思った。

だが、その人たちの批評はほとんどが否定だった。それどころか「君、才能ないんじゃない?」「こんなものじゃプロにはなれないな」とまで言われた。

「僕はまだまだ、力が足りないんだ....」

と何度も落ち込んだ。だが、いろんな人の意見を聞いている内に「あれ?」と思うことが出て来た。僕の書いたシナリオがまだまだだとしても、多くの人が物語の世界観や設定を理解しておらず。当て外れな指摘をしていることに気付いたのだ。

「理解できない」=>「面白くない」というのは違う。「理解できない」=>「分からない」が本当だ。「理解できる」=>「でも、面白くない」なら分かるが、そうではなく、多くの人は間違った解釈をして、間違った批評をしていた。

当時、僕はSFのシナリオを書いていた。今ほどSFが認知された時代ではなく。SFになじみのない大人たちには理解しずらかったということもある。今日でこそ「ターミネーター」のような人間型ロボット。タイムスリップ。

「マッドマックス」のような荒廃した未来。エイリアンの襲来も映画ではお馴染みな設定だが、日本映画がそれらを取り入れたのは極々最近のこと。幽霊が出て来ると「ホラーだね?」といわれる時代だった。幽霊ファンタジーはホラーか?

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ただ、同世代のマニアックな友人はその手のハリウッド映画や日本の漫画、石ノ森章太郎や永井豪を読んで来ているので理解して賛同してくれたが、当時のオジさんたちは全く理解を示してくれなかった。ここでもし「苦言は薬なり、甘言は病なり」と考えたら、どうなっただろう? 業界の大人たちの批判が「苦言」であり、同世代の友人たちの賛同が「甘言」と解釈しただろう。

「そうだ。僕はまだまだ甘い。努力が足りない。同世代の賛同なんかで喜んでいてはいけない。大人たちの厳しい批判こそが薬なんだ。彼らに認めてもらえるような、いいシナリオを書けるようにがんばろう!」

そう思ったに違いない。しかし、今にして思えば、業界の大人たちは当時としても、頭が古く、新しい価値観を理解できない人たち。それから20年、日本映画のほとんどが漫画原作となり、エイリアンやロボットが当たり前に出て来る作品になっている。ジャンルだけの問題ではない。あの当時も感じたが、やはり彼らはセンスが古く、過去の価値観を振り回していた。

もし、それを「苦言」であり「薬」だと思ったら「僕には実力がない。映画の世界で働くのは無理だ」と考えたかもしれない。が、生意気だったのでこう考えた。

「何でこの世界感が分からない。プロってアホが多いんだな?」

彼らの批評や感想を重用視することはなかった。だからこそ、その後、脚本家デビューもできたのだと思える。

若い人に伝えたいこと。大人の忠告や意見の全てを聞く必要はない。それは「薬」ではなく、単に古い価値観を振り回し、新しいセンスを理解できないことが多いからだ。何より日本人は批判が好きであり、がんばる人を否定するのが大好き(?)だ。自分が「正しい」と信じることを続けるべき。「苦言は薬」ではない。




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「向日葵の丘」批評=評論家・切通理作さん=たしかに「泣ける」映画だが、それだけじゃない [再・感想]

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「向日葵の丘 1983年夏」批評=評論家・切通理作さん

@risaku:
タイミング悪く試写伺えなかった『向日葵の丘』ようやく拝見。
<映画愛>に集約されるすべてがある映画。
時は残酷で、絶対に戻る事はない。
だから映画は永遠なのだ。
そして映画は永遠であるとともに、見る人間にとってその一回は一度限りの時間。
その一回が、30年後に来る事もある

@risaku:
一本の映画がある。
たいして映画好きでなくても知っている場面をなぞってつぎはぎした、高校生が初めて作った自主映画という想定。
その一本の映画が実際に上映された時「ここには映画に必要なすべてがある」と震撼出来るように作られているのが『向日葵の丘』。
映画で劇中劇が成功した稀有な例では?

@risaku:
一本の映画が、思い出深い作品になったり、その人にとっての「この一本」になるのはなぜなのか。
『向日葵の丘』はそれを解き明かしてくれる内容になっているのに驚いた。
たしかに「泣ける」映画だが、それだけじゃない。









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【我慢して仲良くすることが大切か? いや、価値観を同じくした同士が前に進むこと】 [【再掲載】]

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【我慢して仲良くすることが大切か? いや、価値観を同じくした同士が前に進むこと】

 映画製作はチームが肝心。

 映画界では黒澤組、大林組、市川組、山田組と監督を中心に実力あるスタッフが集まりファミリーのような形で映画を作る。監督が優秀であるだけではなく、スタッフもまた優秀でなければ、いくら監督が優秀でも、素晴らしい作品はできない。そして、ただ単に実力ある人たちが集まっただけでは優れた映画はできない。

 実力と共に価値観や方向性も問われる。新しい技法や方法論を取り入れて映画を作りをしようとする監督に、古い価値観やルールを重んじるスタッフがいると、監督のやり方を批判し、足を引っ張るだけとなってしまう。いくら技術があっても、方向性が分からなくては力にならない。

 まず、監督の意向を理解し、

 賛同できる人がスタッフとして参加しなければ、単なる抵抗勢力を抱えるだけになってしまう。監督デビュー直後は僕のまわりにもそんなタイプがいた。悪い人ではない。が、考え方が古い。過去の価値観を掲げて、新しい方法論を馬鹿にしている。なので、古くからの方法論、よくいえば伝統的な撮影、悪くいえば古めかしい撮影法が大事だと主張する。

 どんな主義でも、方法論でも構わない。だが、それを撮影現場で監督である僕や、他のスタッフに強要するのが問題だった。本人は新しい方法論が理解できない。「そんな訳分からない撮影法でいいものが出来る訳がない。太田はまだ新人監督だから、それが分かっていない。ベテランである俺が教えてやらなくては!」と技術部のスタッフが、演出や撮影の仕方に口を出し、あれこれ指示を始めたのだ。

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 だが、映画の世界では、

 それぞれのパートが別のパートの仕事に口を出すのは御法度だ。トラブルの元となる。撮影部が録音部に音の録り方をあれこれ指示する。照明部が演出部のやり方を指図する。これはもうアウト。もちろん、各パート同士で頼み事は出て来る。それをお願いすることはある。が、価値観や方法論を押し付けるのは大問題。

 会社でいえば、技術開発部が営業部に「その営業の仕方は違う! 俺の言う通りやれ」というようなものだ。それぞれのパートはそれぞれの分野のプロ。それを別の分野からあれこれ言われれば揉めるのは当然。そのベテランスタッフは「太田のために、俺が言わなければ!」と僕だけでなく、方針を理解し実践する他のパートにまで、「そんなことじゃロクな作品にならない!」と古くからの方法論を強要したのである。

 結果、そのスタッフは足を引っ張るだけの存在となってしまい、チームの空気を悪くし、作品クオリティを落とし、何をしにきたのか?分からなくなってしまった。が、そんな人はときどきいる。特に世代が上の人たちは、そんなタイプが多い。自分たちが若い頃から培った方法論や価値観を大事にし、若い世代にもそれを伝えねばならない!という責任感を強く持っている。


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 ただ、映画界はこの10年ほどで大きく変わった。

 フィルム撮影からデジタル撮影へ。10年前はまだフィルムで撮影される映画がほとんどだったが、今はほとんどがデジタル。映画館でもフィルム上映できるところは、非常に少ない。ほとんどがデジタル上映である。フィルムとデジタルはかなり違う。特性も方法論も違う。同じ武器でも刀とピストルが違うように、それぞれに使い方は別だ。

 映画も同じで、デジタル撮影になったにも関わらず、フィルム時代の価値観や方法論を未だに実践しようとする旧世代が、そんなふうに古いやり方を振り回してしまうことがある。そして、その方法論の意味を顧みれば、もはや無意味であることが分かるのに、彼らの多くはフィルム時代のひたすら古い方法論を信じて押し付けようとする。本人にとっては「これが正義だ!」という感覚なのだろうが、そんな人が1人いるだけでも撮影は大いに無駄な時間を費やしてしまう。

 本来、そのスタッフに悪意はないので、その辺のことを説明して上げられればいいのだが、ベテランの人たちは古い方法論が深く染み付いており、またそれらをプライドに思っていたりする。若い人ならまだいいが、残念ながら、そんなタイプの人は同じ古い価値観を持つ監督と仕事をしてもらうしかない。

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 世代問題だけではない。

 若い人たちでも、テレビドラマを多くやっている人。CMを中心にやっている人。ドキュメンタリーをやっている人。それぞれの分野の価値観や方法論が染み付いている。それを映画の現場で頑に主張することがある。例えばドラマの人は「クオリティはいいから、早く撮らないと!」と思いがち。CMの人はスポンサーのことばかり気にする。そんなふうに、その業界の価値観が出てしまう。

 それでも映画の現場では映画の価値観で仕事をしてくれればいいが、なかなかできない。もし「俺はCMの価値観が大事だ!」というのなら、問題ではあるが理解はできる。だが、多くは「お前は間違っている!」という態度を取る。え、ここは映画の現場だぜ!というのに、CMの論理で仕事する。おいおいおい! と思える。

 だが、彼らの多くは「CMだ。映画だ。関係ない。これが正しいスタイルだ!」と思い込んでいて。映画の現場でCMの方法論を振り回す。若い頃から学んで来たことが、ひとつの世界の価値観でしかないのに、別の世界でそれを振り回していることに気づかない。アメリカ人が日本の家に入るとき、靴のまま畳に上がり「これがアメリカのスタイルですから」というようなものである。


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 分野だけではない。

 フリーのスタッフと会社に所属しているスタッフでも価値観が大きく違う。会社に属すスタッフというのはあまり聞き慣れないと思うが、カメラマンでも、照明部でも、技術部で、会社に所属している人がいる。或いは登録してあり、仕事がくれば派遣されてくる。フリーで個別にお願いするより、カメラ&照明込みでー安くなることが多いので、テレビの仕事はその種の会社にお願いすることがある。

 ただ、会社に所属しているスタッフは

 あれこれうるさい人が結構いる。「夜中まで撮影したくない」「危険な撮影はできない」「家が遠いので集合時間を遅くしてほしい」とか、事情は分かるものがあるが、映画はまず「やる気!」だ。低予算でも、時間がなくても「いいものを作りたい!」という思いを持つからこそ、素晴らしいものができる。なのに、あれこれうるさい。

 会社員というより「やる気のない公務員」という感じなのだ。とにかく多くのエネルギーを使わずに、なるだけ楽して仕事をしたいという姿勢。「どーせ、たくさんある仕事の1本だしね」という思いがありありと伝わって来る。現場でもやる気が見えない。そう、役所にいけばよく見かけるタイプ。

 自分の仕事ぶり、クオリティは考えず「8時間働いたんだから、それなりの月給もらわなければねー」と思っている人。それに近いことがある。製作会社は人件費を安くするために、そんな社員スタッフを引き入れることが多い。そのために現場のテンションを下げてしまう。もちろん、社員でもやる気がある人もいるが、生活が保証されている人は「どーせがんばっても、給与は変わらないから!」という意識を持つことが多い。

 それに対してフリーは会社員ではないので、

 誰もカバーしたり、保護したりしてくれない。待っていれば会社が仕事を持ってきてくれる立場ではない。だから、一生懸命に仕事をして、また次も呼んでもらえるようにがんばる。いや、それ以前に映画愛がある人が多い。「この作品はギャラ安いけど、いい映画になるので絶対やりたい!」とか「ギャラはいいけど、本当に詰まらないアイドル売り出し映画だから断ろう」とか、自分が「やりたい!」という思いを大切にしている。よく知るチーフ助監督はこういう。

 「社員はほんと嫌だ。やる気ないし、文句が多いし。やっぱフリーだよね。社員がいると、それだけで現場の空気が悪くなる。現場の空気は大切だ。でないと、いいものは絶対にできないんだよ!」

 会社に所属しているスタッフも悪意はない。ただ、映画作りより、生活や安定を大事にする。そして必要以上のエネルギーを使わないようにする。そこがやはり会社員なのだ。なら、映画ではない世界で、或いは、それが許される組で仕事をしてほしいと思える。そんなふうにスタッフといっても、世代で、カテゴリーで、フリーか社員かで、価値観や姿勢が変わってくる。

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 いやスタッフだけではない。

 製作会社の存在も大きい。製作費を抜くだけ抜いて何もしない会社とか、社長の趣味で作品を歪めてしまうところ。誤摩化しと手抜きでスタッフのやる気をなくすところも多い。映画会社の体質も同じ。その会社が関わると映画が根本的にダメなる!という会社もある。その理由を書くと長いので、別の機会にするが、愛のない会社が絡むと素晴らしい映画はできない。

 こんなふうに考えて行くと、いい映画を作るためには、いい組で作らねばならないが、そのためには素晴らしいスタッフ、会社が集まらなくてはならない。その中に別の価値観を振り回す者がいれば、現場でトラブルが起こり、他のスタッフのやる気を削ぎ。ダメな会社が関われば、根こそぎアウトになる。なかなか、大変なことだ。だからこそ、名作と呼ばれる映画はなかなか出来ないのである。


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 少し映画を離れて考えてみたいが、

 何かを成し遂げるには、やはり同じ価値観を持つ者が集まり、ひとつの方法論を信じることが大事なのだと思える。しかし、日本的発想では「みんなで仲良くやろう」とか「協調性が大事」とかいわれる。それは間違ってはいないのだけど、「みんなで仲良くやろう」は違う価値観を持った人が互いに妥協しながら我慢している状態ではないか?「協調性」も同じ。

 古い価値観が今も通用する分野もある。新しい方法論を用いなければ滅んで行く世界もある。カテゴリーによって、価値観やルールも違う。それを押し付け合うことでトラブルが起きているのではないか? 同じ日本人とはいえ、全く違う価値観や世界観を持っていることが多い。だからこそ、妥協して仲良くすることではなく、同じ価値観を持つものが集まることで、大きな前進ができると感じる。

 批判するヤツ。価値観が違う者。

 古い伝統を押し付ける人。いろんな人がいる。あれこれ主張する者同士が足をひっぱりあっている。だから、大手企業が不振なのではないか? 或いは、社内にいる新しい方法論を持つ人たちが古い価値観に縛られた人たちに足を引っ張られている。でも、集団というのは調和を大事にする。

 そこからも学ぶこと。主義主張の違う様々な人たち、価値観を押し付けるその種の人々と協調、仲良くすることより、理解し合える者同士が前に進むこと。この混濁の時代を乗り切る上でそれが大切なことではないか? と考えている。





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【夜空を見上げながら考える。幸せはどこにあるのか?】 [【再掲載】]

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【夜空を見上げながら考える。幸せはどこにあるのか?】

「幸せって何だろう? どこにあるんだろう?」それが今の僕のテーマだ。前作「朝日のあたる家」あたりから、それを探している。その答えはなかなか見つからず、「向日葵の丘」でそのひとつを提示したが、今もなお答えを探し続けている。

金持ちになることか? それだけではないと思う。ただ、お金は生きて行く上で必要だ。必要だが、それに執着すると大切なものをなくしてしまう。友人の1人はかなり稼いでいるが、長時間労働。家に帰ると最愛の幼い娘はすでに寝ており、朝は友人より早く小学校に行ってしまう。

たまの日曜日は、彼自身が疲れ切っていて昼まで寝ている。娘と過ごせる時間は本当に僅かなのだ。それもそれでひとつの幸せかもしれないが、彼は仕事を減らしてでも娘と過ごす時間がほしいという。ただ、仕事がそれを許さない...。

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「有名になりたい!」という友人もいた。「俳優になって、スターになって、有名女優と結婚したい」といっていた。結局、それは適わなかったが、有名になった俳優を見ていても幸せ感がない。皆が笑顔で寄って来る。誰が本当の友達か?分からないという。プライベートにどんどん入り込んでくる人たちがいる。もう、放って置いてほしいと嘆く。

「自分がやりたい仕事をすること」という友人もいる。彼はミュージシャンを目指していたが、挫折。故郷に帰り就職した。友人はいう「太田がうらやましい。お前は映画監督になりたいといい、本当になった。ラッキーな奴だ」でも、羨ましがられるほどのものではない。映画は毎年撮れる訳ではない。

仕事がないからと、昔のようにアルバイトもできない。50歳を過ぎて何をすればいいのか? 日本の監督業は過酷。ハリウッド監督のように金持ちには絶対なれない。退職金もない。家も買えない。いや、結婚すらできない。好きでやっているのだが、幸せ感はない。

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つまり、夢は適えばハッピーだが、監督になることは目標へのスタート地点。「監督になれて嬉しい!」ということではない。作った映画を見て観客がハッピーになるーそこで始めて僕の「思い」が果たされる。

そこが大事なのだ。職業として監督になることが夢を果たしたことにはならない。そうなると、観客が感動してくれる、どんな映画を作るか?が次のテーマになる。そのテーマこそが「幸せとは何か?」となのだ。

結婚して愛する人と生活することか? 子供の成長を楽しみに生きることか? 理解ある友人たちがいることか? 仕事の上で素晴らしい仲間がいることか? しかし、人は変わり、妬み、堕落して行く。詰まらぬことで争い、批判し合い、下らない優越感をひけらかす。

何を信じて、何を掲げればいいのか? 時代の風が吹き始めている。その風はどこに行こうとしているのか? 流れる夜空を見ながら、その答えを探している...。




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シナリオは自身との対峙。情けない自分を見つめる作業? [映画業界物語]

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シナリオは自身との対峙。情けない自分を見つめる作業?

 シナリオを書くというと、多くの人はこんなイメージを持つ。「ここで主人公を絶体絶命にして....そのあと、死んだと思わせて....実は助かっていて、観客をホッとさせて...」というふうに作家は考えながら、面白い物語を作る作業だと思われがち。確かに、その一面はある。純文学でなければ、特に映画の多くはエンタテイメントであり、観ていて面白くなければならない。ワクワク、ドキドキさせることが大切。

 でも、それだけではいけない。作家の思いやメッセージが入っていると単なる娯楽に終わらない作品となる。それが文芸作品なのだろう。黒澤明監督の映画全般に通じるのは「いかに人は生きるべきか?」を問い続けていること。「生きる」「赤ひげ」「素晴らしき日曜日」はもちろん。「用心棒」や「七人の侍」でさえ、その種の問いかけがある。

 スピルバーグ映画の多くに共通するのは家族が再会する物語。つまり「家族の再生」だと感じる。「続激突 カージャック」では子供を取り戻そうとカージャックする夫婦の話。「未知との遭遇」はUFOにさらわれた子供が母親と再会する。「インディジョーンズ 魔宮の伝説」は誘拐された子供たちを助け、親元に返す話。「ジュラシックパーク」は恐竜に追われる子供たちが親ものに戻るまでの物語。「カラーパープル」は姉妹が再会するまでの話。「太陽の帝国」も子供が両親と再会するまでの苦難を描いている。

 こんな多くの作品で家族の再会を描くのはなぜか? それはスピルバーグが子供の頃。コンピューター技師だった父とピアニストだった母が離婚した経験が強いと思える。「ET」の主人公・幼いエリオットこそがスピルバーグ自身。彼の家庭も父がおらず、淋しい思いをしている。そこでETと出逢うという物語。同じように淋しい幼年期を送ったスピルバーグ。お父さんが戻ってくればいいのに...と思っていたはず。

 そんな心の傷を埋めるために彼は映画の中で、家族の再会を描き続けている。そうやって幼き頃の孤独感を癒そうとする。スピルバーグだけでなく、アーティストというのはそんなふうに過去の辛さを埋めるために作品作りをする。でも、その思いは前面に出ることはなく、物語の背景に存在し、観客が気付かないことも多い。ただ、そんな心の叫びが描かれているからこそ、作品は強くなり、単なる娯楽作を超えて記憶に残るのだ。

 その意味で自分の場合は何だろう?と考える。僕のテーマは「親子に伝える大切なこと」だ。近年、それがさらに明確になり「幸せって何だろう?」ということ。親がすべきこと。子供たちに伝えるべきことは何か? それをずっと考えてきた。でも、親がバカ過ぎて気付かないケースが多い。どうすればいいのか?

 そして子供たちもまた親の思いを気付かずにいることも多い。では、誰が大切なことを伝えればいいのか? それがなぜ大切なことなのか?をどう証明していけばいいのか? そんなメッセージが今回のシナリオでしっかりと描かれているか? 観客に伝わるのだろうか? そんなことを毎回考えながらシナリオを書く。

 シナリオ執筆は戦い。自身と対峙する苦しい戦い。自分の「情けなさ」や「哀れさ」「醜さ」を直視して、人生を考える作業。だから、ボロボロになる。でも、それを避けて書いた物語は心に届かない。だから、毎回、死の物狂いの葛藤を続ける。










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この子は誰ーだ? [キャスト]

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 この子。誰だか?分かりますか?

 出演者の1人。

 そう。常盤貴子さん演じる多香子の子供時代

 を演じてくれた市民俳優さん。

 あれから2年。大きくなりましたねー。

 



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シナリオを読む、難しさ? [映画業界物語]

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 シナリオを読み感想を言うこと。とても難しい。シナリオを読むとき、主人公を演じるのは誰か? どの俳優か?を想定して読む。それをせずに「主人公の個性が弱い」と指摘する人もいるが、シナリオの場合は俳優が演じることで、様々な要素が加わる。

 小説の場合は細かな設定やエピソードによって、登場人物を紹介するが、映画やドラマの場合は、俳優の存在感で表現することが多い。だからといって、それに頼ってしまってはいけないのだけど、小説的な紹介をすると、観客が退屈してしまう。

 なので、どの俳優さんがこの役を演じるといいかな?と考えながら読む必要がある。例えば、山口智子なのか? 鈴木保奈美なのか? 賀来千香子なのか?それによって、物語全体のトーンも変わる。

 「スターウォーズ」も当初、オビワン・ケノービ役は三船敏郎だったが、断られてアレック・ギネスになった。あれが三船ならかなり世界観が変わっただろう。誰がベストか?はなかなか決めにくいが、シナリオを読むときに、全然、当て外れの俳優をイメージして読むと、「何か盛り上がらないなあ〜」と思え
その人は「シナリオがダメなんだ」と解釈することがある。

 でも、問題なのは俳優想定が間違っているのだ。俳優イメージだけではなく、どんな音楽が流れるか?も想像せねばならない。ロック調か? クラシック調か? 電子音楽か? それによってもかなりイメージが変わる。「スターウォーズ」もロンドン交響楽団の演奏で、古いタイプの交響曲にしたことあの世界観が生まれている。シンセサイザーではかなり違ったものになったはず。

 演出も同じ。同じシナリオでも監督によって演出が違う。ハラハラドキドキの展開にすることも、地味な文学作品になることもある。あらゆるパターンを想定して、シナリオを読まなければならず、なかなか、大変。

 デビュー前には多くの人にシナリオを読んでもらったが、物語を正確に受け止めてくれる人はほとんどおらず。本当に参考になる意見をくれるのは、とても少なかった。なので、それ以降、読んでもらう人も厳選している。

 が、そんな人たちの意見でさえ、全てが正解ではない。どの意見を取り入れ、どれを参考にし、何を受け止めるか?それもなかなか難しい。物語に正解はない。本当に難しい。







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映画「向日葵の丘 1983年夏」解説と物語を英訳! [再・向日葵解説]

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映画「向日葵の丘 1983年夏」解説と物語を英訳しました。「向日葵」世界に発信!!

Movie【Sunflower on the hill 1983 summer】

(Introduction)
"Sunflower on the Hill" is an emotional movie set in the countryside of Japan in 1983, you can't see without tears.


The main characters are played by known actresses, Takako Tokiwa, Misato Tanaka, and Tomoko Fujita ("Wataru seken wa oni bakari"), who all are famous for their roles in the popular TV dramas as part of the most-watched time slot, NHK's Renzoku TV Shosetsu, "Mare," "Aguri," and "Non-chan no yume" respectively. Tokiwa has established her position in Japanese cinema and starred in "Seven Weeks," directed by Nobuhiko Obayashi, who appeared at JFFLA as a guest in 2013.


The same characters in their youth were played by Kyoko Yoshine, Takemi Fujii, and Haruka Momokawa, who were cast out of over 400 young actresses.
Supporting actors include veteran actors such as Masahiko Tsugawa, Tetsuya Bessho, Setsuko Karasuma, and Shiro Namiki.


It's directed by Takafumi Ota, who has found a mentor in Director Nobuhiko Obayashi. He studied at USC School of Cinematic Artsand has kept shooting films about hometowns, set in beautiful rural Japan. Setting "Important messages for parents and kids" as his theme, he's presenting a story, which must bring you tears and touch your heart this time too. Each of his films has screened all over the world including Cannes Film Market and Japan Film Festival Los Angeles, and is internationally acclaimed.



(Story)
A struggling screenwriter in Tokyo, Takako, played by Takako Tokiwa, receives e-mail from her classmate from high school, Midori, played by Misato Tanaka, living in hometown, for the first time in 30 years.

Suprised to hear that Midori is expected to live only for a few months, she contacts another friend from high school, Erika, played by Tomoko Fujita, who married an American man and doesn't believe the news.

Takako still lingers in the past after a sad incident from high school days, and she has never gone home. After struggling with her past, she decides to go home for the first time in 30 years. While going home, she remembers going to traditional cinema house every week with the best friends to see musical movies and chatting at taiyaki cafe after school. She also remembers she had a crush on a college student. She is stuck by nostalgia. But what awaits her back home is sad reality and separations...
It's a moving story you can't see without tears.




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これからの時代を生きるために必要なことって何だろう? [【再掲載】]

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自分の人生のことってなかなか分からない。

客観的に見つめることはむずかしい。先日、ある業界の先輩と話したとき。面白いことを言われた。

「最近の太田を見ていて思うんだけど....お前は学生時代、教育に疑問を感じて勉強しなくなった。日本で大学に行くのも拒否して、映画監督を目指した。でも、それは当時として単なる落ち零れ。映画界を目指したのは敗者復活戦のようなものだ。ま、だいたい、勉強できない奴が小説家や漫画家。ミュージシャンを目指すものなんだけどね。

でも、多くの場合。夢破れて就職したり、家業を継いだりする。なのにお前は本当に映画監督になった。どーにか、その世界で生きている。サクセスストーリーと羨む奴もいるかもしれないが、不安定な世界だ。来年はどうなるか?分からない。けど、興味深い部分がある。

一昔前は映画や音楽の仕事は浮き沈みがあって不安定。

だから、皆、固い会社に就職して安定を計った。なのに今は会社員でも来年どうなるか?分からない。倒産したり、窓際に飛ばされたり、リストラされたり。昔のように、おとなしくしていたら路頭に迷うことになる。

つまり、今の時代。映画やるのも会社員やるのも大差ない。ただ、違うのは映画や音楽をやってる奴らは考える。道なき道を探して、そこまで来ている。与えられたことをやるだけでなく、どうすれば道が開けるか? 前へ進むか?を思案して、ここまで来ている。でも、会社員やってる奴らは太田がよく言うように、与えられることをやるだけの暗記中心の教育で育ってきた。だから、自分で考えることが苦手。

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その意味で、当時は落ち零れと言われたお前らの方が、

これからの時代を生きて行く力があるだろう。学生時代にまじめに勉強し、いい成績を取ろうと努力して来た連中は、その力がない。与えられた道を走るしかできない。ま、自分に考える力がないことに気づいていない奴も多いんだけどね。成績優秀=頭がいい、と思いがちだけど、それは違って成績優秀=与えられたことを確実にできる、にしか過ぎない。与えられないことはできないだよ。

何だか皮肉だよな。本来は親や先生、その背後にある教育システムや政府が設定した、優秀なサラリーマン育成システムの乗ることで、安定した生活が送れるはずだったのに、時代が変わり、それは崩壊、与えられたことをしているだけでは生きのびることはできない。不安定な時代を生き抜く知恵があるのは、その教育システムから落ちこぼれた連中。拒否した奴らという現実。ドラマティックだよな?」

なるほど、そういう面はあるだろう。

カタギの友人たちを見ていると本当に苦闘している。が、映画の世界で生きて行くことも簡単ではない。映画や音楽で身を立てようとして消えて行った友人も多いので、その世界を目指すことがベターな生き方とも思わない。

しかし、先輩の言う通り、これからの時代は大人たちのいうように真面目に学校で勉強しているだけでは生き延びて行けないことは確かだ。自分で風を感じ、波の大きさを見極める力がないと、混濁の時代を超えて行けないと思える。そんな時代に子供たちに何を伝えればいいのか? 考えている。それが僕の映画のテーマでもあるのだから。





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「向日葵の丘」ロケ地・静岡県の方々の感想です! [再・感想]

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「向日葵の丘」ロケ地・島田市の方々の感想です!

 文章の一部を引用させて頂きます。

「映画が始まってから自分がいつ出てくるのか
ドキドキしながら観ました!
落ち着かない‥
映画を観るのに人生で初めての感覚でした~笑
貴重な体験!
ありがとうございます♡
気になっていた私が出演するシーンは
カットされずにありました~!」

(続きは以下で)
http://ameblo.jp/ayano-w518/entry-12084064337.html

今日は、藤枝シネ・プレーゴで映画 「向日葵の丘」 を見ました。

「この映画は、島田市が舞台となっており、しかもヒロインの重要な
思い出の場所 「かもめ座」 は、私の住む金谷中町の建物をつかって
撮影されておりました。

さらに、この「かもめ座」となった建物は、アクトホームで30数年前に
建築したものでしたので、これは見るしかないだろうと思って行きました。

映画を見ていたら、ヒロインの高校時代の年代もちょうど私が高校生だった
ころで、いろいろな思い出がよみがえりました」

(続きは以下で)
http://acthome.eshizuoka.jp/e1562746.html

「殆どのロケを島田市で行ったという映画「向日葵の丘」を
BBさんと観に行ってきました。
映画にはぼくの大好きな場所が一杯出て来て嬉しくなりました。
エキストラには知り合いの柴田さんの姿も見ることができ
映画の内容もよく久しぶりの映画鑑賞を楽しんできました」

(続きは以下で)
http://youkiniiko.exblog.jp/22339245/







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「向日葵の丘」ーTSUTAYA新宿店でレンタル中! [DVD]

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「向日葵の丘」ーTSUTAYA新宿店でレンタル中!


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【「向日葵の丘」DVD。ネットサイトで売れ切れ中ですが...】 [DVD発売]

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現在、工場で追加プレス中。

ただ、そんなたくさん作らないようなので、

お買い求めの方はお早めにAmazon、楽天等でご予約ください。

さらなる追加プレスはどーなるか?

分かりませんので。よろしく!



絵理 さんの2015年映画ベストー「向日葵の丘」が一位! [再・感想]

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嬉しいツイートを見つけた。ご本人の許可を頂いて掲載。

絵理 さんの2015年映画ベスト

※今年観た映画は105本
①太田隆文監督/向日葵の丘
②塚本晋也監督/野火
③ハミッシュ・ハミルトン監督/デヴィッド・ボウイ・イズ
④松本貴子監督/氷の花火〜山口小夜子〜
⑤堤幸彦監督/悼む人




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「向日葵の丘」ー埼玉・越谷レイクタウンでもレンタル中 [DVD]

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「向日葵の丘」ー埼玉・越谷レイクタウンでも

レンタル中


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1983年でない流行語が使われている訳。時代は過去を背負って存在するから [再・向日葵解説]

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「ヒデキ。感激!」という多香子のクラスメートも実在する。名前が本当にヒデキで、何かあると「ヒデキ、感激」といい、学校でウケしていた。

その元となったのは、ハウスバーモンドカレーのCM。西城秀樹が決め台詞として言う「ヒデキ。感激」。これは1973年頃に人気だったもの。映画の舞台となる1983年にはもう放送されていない。

だが、その友人はそのあとも年数に渡って「ヒデキ感激!」を使っていた。同時にあのCMのインパクトは凄く。僕らは何年経っても、あのCMでは「ヒデキ感激」といっていると思っていた。当時は今ほど、流行の移り変わりが早くなく、かなり古いギャグを使っても皆、分かってくれるという時代でもあった。

その辺を指摘「あれは83年の流行語ではありませんよ」と批判する人もいるが、「向日葵」は83年の流行を紹介する映画ではない。時代というのは、過去と未来が融合している。そこに今が存在する。今回、ロケ地となった島田市の町のいくつかも83年を代表する町ではない。むしろ、70年代、60年代の面影が残る町。

しかし、町も時代も同じ。特に地方は時代に遅れて進化していく。以前にロケした別の地方でも、2000年代になり、ようやく80年代のバブルのような建設物が出来たり。都会とはスピードが違う。その意味で、70年代が多く残る町こそが83年を象徴していると考えた。

同じように83年の流行語ばかりを台詞に多様するのを避けた。「ヒデキ感激」は先に説明した通り。用務員さんは「あっと驚くためゴロー」という。これは70年代どころか、60年代。当時の人気番組「ゲバゲバ90分」でハナ肇が言っていた。それも時代考証がおかしいという人がいた。繰り返すが「向日葵」は83年の風俗紹介ビデオではない。

過去のギャグを何年経っても使うズレた人は少ないがどこにでもいる。それをその人の個性として表現しているのだ。用務員さんは未だに60年代を生きており。クラスメートは「聖子ちゃん」「明菜ちゃん」で83年を生きている。アイドルに興味のない多香子たちは「オードリー」「ジーンケリー」こちらは50年代だ。

それぞれが全く違った趣味志向をしている。それによってキャラクターが明確に見えてくる。ちなみに多香子(芳根京子)は古いハリウッド映画が大好きで新しいものは、そこそこだが、みどり(藤井武美)はもともと新しいハリウッド映画が好き。多香子とつきあうようになってから古い映画の魅力を知る。

多香子が古い映画に興味を持ったきっかけは、ウメさん。鯛焼き屋で古い映画の話ばかりするので、1度観て観よう!とテレビ洋画劇場で観て嵌ったのだ。その辺を紹介するエピソードはないが、物語から感じとってもらえるようにしている。映画は全てを説明しない。が、よく観ると、あーそういうことか?というヒントが必ずある。その辺を探すのもなかなか楽しい。

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TSUTAYAー東京、浜田山店でもレンタル中! [DVD]

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「向日葵の丘」東京、浜田山のTSUTAYAでレンタルできます。

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との情報を頂きました。

よろしく御願いします。




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日本版「ニューシネマパラダイス」と宣伝するのに、実はそうではない話? [再・向日葵解説]

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「向日葵の丘」は日本版「ニューシネマパラダイス」と宣伝しているが、実際はそうではない。ああいう映画を作りたくて製作したのではない。「ニューシネマ」を観たのはアメリカ留学時代。シネフレックス・オデオンというシネコンのチェーンで観た。アカデミー外国映画賞も穫り、アメリカでも人気の映画だった。

観て驚いたのは、主人公のトトと僕は似たような人生を送っていたことだ。トトほど幼くはなかったが、中学時代。僕も勉強より映画が好きで、映画館に通い、支配人と親しくなり、いろんな話を聞かせてもらった。

その後、町を離れる。当時はLAにいて、「あーー同じだ」と共感した。映画を観てから20年少々。さらなる奇遇は続く。僕はトトと同じように、映画監督になり、町に戻る。すでに映画館はなく、支配人はどこに行ったか?分からなかった...。

その思い出に、8ミリ映画を撮っていた1983年夏の思い出。さらには後日紹介するLAでの思い出の3つを合わせて「向日葵の丘」という物語を作った。意地の悪い人は「ニューシネマ」のパクリというが、あの日本版がやりたかったのではなく、あの映画と非情に似た経験をしていて、それをベースにしたということなのだ。

そんなふうに「向日葵」はいくつもの側面を持つ物語。友情あり、青春あり、親子の絆あり、映画研究部の話あり、再会物語あり。それをどうアピールしようか?考えて、日本版「ニューシネマパラダイス」というキャッチコピーを考えた。あの映画の日本版を作ろうとした訳ではないが、そういう説明が一番分かりやすいからだ。

「ニューシネマ」もたぶん、あの監督の自伝的な作品だと思える。彼自身の経験、思い出をベースに作っているだろう。だから、作られたものではない感動がある。同じように「向日葵」も僕の思い出が数多く、散りばめられている。だからこそ、多くの観客が感動してくれたのだと思える。

先にも書いたが、物語は机の上で想像して書いたものでは観客を感動できない。本当にあった、現実の話をベースにすると不思議なくらに伝わり、感動を撒きこす。今回の「向日葵」でも、改めてそれを感じた。


「向日葵の丘」ーTSUTAYA東京笹塚店でもレンタル中! [DVD]

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「向日葵の丘」ーTSUTAYA東京笹塚店でも

レンタル中!


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【向日葵の丘 感想。20代女性】忘れてしまっていた大切な何かを思い出させてくれる [再・感想]

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言葉にしたり文章にしたりするのが苦手なので、いつもどうしたらいいのかわからなくなるのですが、少しでも伝わってると嬉しいです。

試写が終わり、現実の世界へなかなか戻れないぐらい向日葵の丘にどっぷり浸かってしまいました。映画見た後戻れなくなる作品は今までそうそうなく、戻れない自分に戸惑ってしまったぐらいです。

特にヤング三人組の存在感でぐいぐい話に吸い込まれてました。
エリカは一人称が「僕」というあたりからもう個性的キャラがプンプンだったので、どんな感じになってるのか興味深々でした。

大人エリカ(藤田朋子)は個性的なのに自然な感じで、ヤングエリカ(百川晴香)の登場シーンはとても不思議な空気感があり、三人の中で一番キャラが強かったです^ ^

この向日葵の丘は、様々な感動的なドラマに誰もが何処かで共感できるところがあり、笑いや感動のストーリー。見た目も内容も凄く綺麗な作品で、最後は忘れてしまっていた大切な何かを思い出させてくれるラストで、優しい気持ちになりました。





#向日葵の丘ー1983年夏 [DVD発売]

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#向日葵の丘ー1983年夏

解説

今や日本映画に欠かせない存在として確固たる地位を確立し、2014年は大林宣彦監督の「野のなななのか」に主演、2015年前期のNHK朝の連続テレビ小説「まれ」に主演の母親役で出演するなど活躍中の常盤貴子が主演。国民的女優・田中美里「あぐり」、藤田朋子「ノンちゃんの夢」「渡る世間は鬼ばかり」の3人をメインに。また、それぞれの若き日の三人を400名を超えるオーディションで決定した芳根京子、藤井武美、百川晴香が好演。さらに、津川雅彦、別所哲也、烏丸せつこ、並樹史朗らベテランが脇を固めて、1983年の田舎町、小さな映画館を舞台とした涙なしには見れぬ感動の物語。

監督は大林宣彦の愛弟子である太田隆文。USC(南カルフォルニア大学)映画科に学び、日本の美しい地方を舞台に古里映画を撮り続けている。「親と子に伝える大切なこと」をテーマに、今回も涙と感動の物語を届ける。カンヌ映画祭のフィルムマーケット、アメリカのジャンパン・フィルム・フェスティバルLA等、毎回、映画祭や海外の国々で上映され、国境を超えた高い評価を受けている。


ストーリー

東京で売れないシナリオライターをしている多香子(常盤貴子)の元に故郷で暮らす高校時代のクラスメートみどり(田中美里)から30年ぶりに連絡が届く。「病気であと数か月の命」との内容に驚いた多香子はもう1人の同級生、アメリカ人と結婚したエリカ(藤田朋子)に相談するが、相手にされず。悩んだ末に30年ぶりの帰郷を決意する。高校時代に起きた悲しい出来事を今もひきずっており、一度も帰郷していなかった故郷に向かう多香子の胸を通り過ぎるのは、あの頃の思い出。地元の名画座に3人で行き、ミュージカル映画を毎週観ていた。学校の帰りはいつも鯛焼き屋でおしゃべり。片思いの先輩もいて懐かしさが蘇る。だが、30年ぶりに帰った故郷で待っていたのは「悲しい現実」と「別離」だった……。
涙なしでは観られない感動の青春ストーリー。


 公式HP=>http://himawarinooka.net






「向日葵の丘」ーTSUTAYA札幌・豊平店でもレンタル中! [DVD]


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「向日葵の丘」ーTSUTAYA札幌・豊平店でも

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【(速報)げげげげーーー「向日葵の丘」DVD売り切れ続出!】 [DVD発売]

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【(速報)げげげげーーー「向日葵の丘」DVD売り切れ続出!】

先ほど、こんなコメントを頂いた。

「向日葵の丘DVDを、ネットで購入しようとしましたが、アマゾンだけではなく楽天もセブンネット、ローソンネット、ツタヤ通販も入荷待ちです。追加増産しますか?よろしくお願いします」

なにーーーーーと思い調べたら楽天も入荷待ちだーーー。

どーなっているのーー。

こんなこと映画の世界で聞いたことない〜。

とりあえず見たい方はTSUTAYAへ!




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向日葵の丘ー感想「いい映画を一本だけでも観たいのなら、これを観るべきだろう」 [再・感想]

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繁栄で得たもの、失ったもの

~常盤貴子主演『向日葵の丘-1983年夏』~

ものすごい俳優陣で固めながら、日本の繁栄の先にあったはずの「本当に大切なもの」とは何かを問う社会派映画、などと簡単に言ってしまうとこの作品の美をすっかりそぎ落としてしまう。

主演の常盤貴子(主人公・多香子)の演技はNHK連続ドラマとはまったく異なる次元で、映画の世界に棲(す)む女優とは何かを私たちに思い出させてくれる。連ドラの彼女も魅力的で好きだが、この映画の彼女はものすごくいい。脚本・演出までつとめた太田隆文監督は、前半は彼女のゆるやかなリズムを活かしつつ後半は演劇のような長いセリフ・間合い・表情を語らせながら、観る者の力量を試すように格闘を挑んでくる。私たちは常盤貴子のいつものゆるやかなリズムに安心していると、知らぬ間にこの作品の世界1983年に迷い込み大きな格闘から逃げられなくなってしまう。

さびれた映画館のオーナーをつとめる津川雅彦は、高校を卒業し東京の大学に向かう多香子に、ほしいモノを全部手にした後で「本当に大切なもの」は何か分かったら教えてくれ、と話す。津川は全体のテーマを微笑みながら最後までじっくりと染み込ませてくる中心的な役だ。ポスターの写真がもっと大きくてもいいのではないかと思った。他に別所哲也、田中美里などベテランが固めるが、僕は男の子の口調ではっきり意見を言う藤田朋子(写真左)が好きだった。これは、役柄のリズムをアンサンブルに仕上げていく脚本がいいのだろう。

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監督の前作『朝日のあたる家』は原発事故という日本人が強い関心をもっている大きな題材を通して逆に最も身近な「家族の幸せとは何か」というテーマを鮮明にする感じだったが、今回の作品は映画という表現手法、力、感動のさせ方のフルモデルチェンジがされており、笑い、驚き、感動そして何度も泣いちゃうエンターテインメント。ところが涙が止まらずすっかり困り果てているとテーマがゆっくりと胸の中に浮かび上がってくる、ここが観客にその場で映画を消費させずに当事者意識を持たせるこの作品の底力といえる。この点は、過去の美をテーマにした「ニュー・シネマ・パラダイス」を超えた美だと思った。

多香子が女子高生だったときに仲間と作る白黒8mm映画の迫力のあるカットの数々、しかも、できあがったその内容はなかなか見ることができない大仕掛け。階段を登った向こうにある向日葵(ひまわり)の丘に仕掛けられた衝撃。多香子が母と分かれて家を去っていくとき、カメラは泣きながら歩く多香子の表情をアップで離さず背後にどんどん小さくなる母を、母が消え次に現れるふるさとの象徴お茶畑を、そして日々の営みを暗示する街灯の淡い光、自然の川のせせらぎ、と人の涙の背景をどんどん変えながらこれをワンカットでおさえていくところは、監督の映画人としての根性も伝わり胸を打つ。

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2時間20分くらいだっただろうか、時間を忘れる仕掛けの連続。説明的なところをカットしてもう少し観客に想像させてもいいのかなと所々思ったが、ちょっと儲かった感じもする。多香子の父役の並樹史朗そして母役の烏丸せつこの演技も良かった。後半のこの二人の演技は圧巻だ。そしてラストの役者総動員で失った「本当に大切なもの」は何かを取り戻す場面は、分かっていてもしゃくなことに何度も何度も泣かされた。参加している役者は誰もが完全に監督の世界に棲んでいた。

この夏、「いい映画を一本だけでも観たい」のなら、これを観るべきだろうと思う。この監督はこんなスピードで力量を上げていったら、この先どうなるのだろうか。だが、それを決めるのはどれだけ多くの観客が商業主義に流れないこうした映画を支えるかという、日本の文化レベルが、今、問われていることは確かだ。




【(速報)「向日葵の丘」DVD、Amazonで売り切れ!?ぜひ楽天で!】 [DVD発売]

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【(速報)「向日葵の丘」DVD、Amazonで売り切れ!?ぜひ楽天で!】

今入った情報ですが「向日葵の丘」DVDーAmazonでは予約だけで売り切れ状態。

現在、入荷待ちとのこと。時期はいつになるか?分かりません。

これから注文する方は楽天をぜひ、ご利用ください。

Amazonより25円高いですが、こちらはまだ在庫があるようです。

DVDが売れない時代に嬉しいことですが、

申し訳ありません。


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これからの時代を生きるために必要なことって何だろう? [My Opinion]

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自分の人生のことってなかなか分からない。

客観的に見つめることはむずかしい。先日、ある業界の先輩と話したとき。面白いことを言われた。

「最近の太田を見ていて思うんだけど....お前は学生時代、教育に疑問を感じて勉強しなくなった。日本で大学に行くのも拒否して、映画監督を目指した。でも、それは当時として単なる落ち零れ。映画界を目指したのは敗者復活戦のようなものだ。ま、だいたい、勉強できない奴が小説家や漫画家。ミュージシャンを目指すものなんだけどね。

でも、多くの場合。夢破れて就職したり、家業を継いだりする。なのにお前は本当に映画監督になった。どーにか、その世界で生きている。サクセスストーリーと羨む奴もいるかもしれないが、不安定な世界だ。来年はどうなるか?分からない。けど、興味深い部分がある。

一昔前は映画や音楽の仕事は浮き沈みがあって不安定。

だから、皆、固い会社に就職して安定を計った。なのに今は会社員でも来年どうなるか?分からない。倒産したり、窓際に飛ばされたり、リストラされたり。昔のように、おとなしくしていたら路頭に迷うことになる。

つまり、今の時代。映画やるのも会社員やるのも大差ない。ただ、違うのは映画や音楽をやってる奴らは考える。道なき道を探して、そこまで来ている。与えられたことをやるだけでなく、どうすれば道が開けるか? 前へ進むか?を思案して、ここまで来ている。でも、会社員やってる奴らは太田がよく言うように、与えられることをやるだけの暗記中心の教育で育ってきた。だから、自分で考えることが苦手。

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その意味で、当時は落ち零れと言われたお前らの方が、

これからの時代を生きて行く力があるだろう。学生時代にまじめに勉強し、いい成績を取ろうと努力して来た連中は、その力がない。与えられた道を走るしかできない。ま、自分に考える力がないことに気づいていない奴も多いんだけどね。成績優秀=頭がいい、と思いがちだけど、それは違って成績優秀=与えられたことを確実にできる、にしか過ぎない。与えられないことはできないだよ。

何だか皮肉だよな。本来は親や先生、その背後にある教育システムや政府が設定した、優秀なサラリーマン育成システムの乗ることで、安定した生活が送れるはずだったのに、時代が変わり、それは崩壊、与えられたことをしているだけでは生きのびることはできない。不安定な時代を生き抜く知恵があるのは、その教育システムから落ちこぼれた連中。拒否した奴らという現実。ドラマティックだよな?」

なるほど、そういう面はあるだろう。

カタギの友人たちを見ていると本当に苦闘している。が、映画の世界で生きて行くことも簡単ではない。映画や音楽で身を立てようとして消えて行った友人も多いので、その世界を目指すことがベターな生き方とも思わない。

しかし、先輩の言う通り、これからの時代は大人たちのいうように真面目に学校で勉強しているだけでは生き延びて行けないことは確かだ。自分で風を感じ、波の大きさを見極める力がないと、混濁の時代を超えて行けないと思える。そんな時代に子供たちに何を伝えればいいのか? 考えている。それが僕の映画のテーマでもあるのだから。





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