【「向日葵の丘」広島では映画館で記念上映も!本日7月8日まで】 [全国公開]
【「向日葵の丘」広島では映画館で記念上映も!】
福山シネマモードではDVD発売を記念。一週間だけ「向日葵の丘」を上映。HP=> http://www.furec.jp/nowshowing/index.php
本当に最後の映画館公開! 広島の方。お見逃しなく!
7/2 ~ 7/2 レイトショー21:20
7/3 ~ 7/3 レイトショー21:30
7/4 ~ 7/8 15:25
シナリオを書くときに考えること? [2016年]
シナリオを書くとき。ストーリーは決まっているのに、あれこれ考えなければならず、なかなか書けないことがある。シナリオは単に物語を文章にすればいい訳ではない。どんな場所で撮影するか?考える。また、どこまでの展開をその場所で見せるか?考える。
あまり、多くの展開を同じ場所で見せると退屈する。その場所が決まったら、それがロケ可能かどうか?考える。撮影時に借りられる場所か? 借りれない場合は別場所で飾り込めばできるか?等も考える。同時に、そこに出る役者のスケジュールも考える。
つまり、他のシーンとセットにできるかどうか?でないと、そのシーンのためだけにロケ地に来てもらうことにもなる。そうなると、東京からの交通費と宿泊費がいる。大物俳優なら、スイートルームを用意せねばならない。その辺で経費が嵩む。てなことも考える。
あと、前後のシーンの場所も考える。部屋=>部屋=>部屋と続くと観ていて息が詰まる。単にストーリーを展開させるだけでなく、その辺も大事。シナリオ学校では、「製作費なんて考えずに書け!」と教えるが、そんなことをして、完成してから、予算に合わせて行くと、結果的にカットになる。場所を変更になる。役者を整理するーーストーリーが変わって来る。それは作品クオリティが下がることに繋がる。
なら、最初からできる形で書くべき。貧乏性だが、出来ない事を描いても無意味なのだ。ストーリーだけでなく、そんなことも考えて書く。言い換えれば、ルービックキューブ。6面を同時に合わせるようにして書くのだ。
天気指定も、現場泣かせ。当時の時代の再現もお金がかかる。製作費。時間。天気。美術。ロケ場所。スケジュール。役者と。あらゆることを考えながら、感動的な展開を考えねばならない。だから、もの凄く頭を使う。もの凄く糖分を消費する。運動しなくても、やたらお腹が減る。
でないと、その物語を映画化するのに何億円もかかることになる。それが今の映画界....。
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「岡村洋一のシネマストリート」に出演させて頂きました! [DVD発売]
「向日葵の丘」感想 30年という月日の重さ、残酷さ、 [再・感想]
「向日葵の丘」の感想 脚本家・西川美也子さん
1983年という時代背景をチョイスされたのも、本当に心憎いです。何と充実した年だったのだろうと。
あの頃への郷愁に身をゆだねていると、烏丸せつこさんが登場。
このキャスティングがまた絶妙で、当時のご活躍を知る世代にとってはたまらないと感じ入りました。
映画館支配人役の津川雅彦さんの自然体の演技が素晴らしく、誰の心にもある「心の映画館」「心の映画おじさん」という存在を思い出させてくれます。
30年という月日の重さ、残酷さ、そして優しさ。
情報が人を幸せにするのではない、技術が人を幸せにするのではない。
そういう真摯なメッセージを「映画という永遠」に託し、見る者に贅沢な時間を提供する、そんな作品だと思いました。
【太田監督、川崎FMの「シネマストリート」出演決定。7月4日「向日葵の丘」DVD発売を記念 [DVD発売]
太田監督7月2日のFM番組「上野淳の東京☆夜会」にゲスト出演ーDVD化される「向日葵の丘」についてお話します [DVD発売]
「向日葵の丘 1983年夏」全国のTSUTAYAでレンタル開始! [DVD発売]
田中美里さんのFM番組に太田監督が出演決定!ー7月2日放送 [キャスト]
悲観主義者は成功しない。最後に勝つのはオプティミスト? [【再掲載】]
なぜか?日本人はペシミスト(悲観主義者)が多い。ものごとを悪い方にばかり考える。例えば「俺は会社を作り世界と商売をするぞ!」といったする。まわりは必ずこういうだろう。「甘いなあ〜」「身の程知らず」「そんなの無理に決まっている」多くの人は夢や目標を批判、否定しようとする。
その背景には日本人の考え方があるだろう。「世の中に期待しない」「夢は所詮、夢」と厳しくものごとを考えることが大人の発想であり、世間を知っていることだという意識があるからだ。だから夢を語ると、だいたい先のような批判をされる。
僕自身も経験がある。高校時代に「映画監督になりたい!」といったら、友達や先生、親、大人からもの厳しく批判、否定された。「世の中、そんな簡単にいかない!」「もっと現実を見つめろ!」「小学生みたいなことをいうな!」「お前、才能あるのか?」ともう総攻撃。その後は夢を語らないようにした。
それがアメリカ留学し、大学の先生やクラスメートに「夢」を訊かれて答えたときは全然、違う反応だった。「映画監督か!グレート。がんばれよ」「グッド!いいね」「絶対になれるよ。応援する」ほとんどが好意的な意見で、背中を押すものばかり。日本は止めようとする人ばかりだったのに、何が違うのか?
僕が留学したのは23歳。日本なら大学卒業、就職の歳。後ろめたいものがあった。大学でそんな話をしたことがある。「僕はもう23歳だから…」というと「何いってんだ。まだ、23歳じゃないか!」「まだまだ、これから、何だってできるさ!」と、これまた何人もから言われた。アメリカは楽天家ばかり? でも、とても励まされた。
確か、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースも60歳を超えてから成功したと聞く。さすが、アメリカン・ドリームの国。大学で出会った人たちも、皆前向きだった。で、気づいたのは日本は何で夢を語ると否定したがるのか? なぜ、夢を否定する? 厳しい現実を受け入れることを大人の考え方だと思い、何かにがんばろうとすると「子供じゃないんだから」などというのか?
日本に帰ってからも、僕は「映画監督になること」を目標にして、アルバイトをしながら、シナリオを書き続けた。相変わらず、友達も、親も、知人も、声を揃えてこういった。「いい加減。現実を見ろ。いい歳なんだから、早く会社に就職しろ」そして相も変わらず「世の中、甘くない」と言われた。
身のまわりでも、ミュージシャンになりたい! 俳優になりたい! 小説家になりたい!という友人がいたが、1年、2年と経つと、次第に脱落。ふるさとに帰る者。会社に就職する者が出てきて、5年も経つと皆、いなくなった。「やっぱ、食って行けないから」「しょせん夢は夢なんだよな」そんな言葉を残して消えて行く。大人たちは、そんな彼らを見てこう言う。
「世の中、甘くない。諦めが肝心だよ」
しかし、それは違う。彼らは全力で努力して諦めたのではなく、ほとんどが努力不足。見ていると、少しばかり足掻いてみて駄目だと、落ち込んで悩む。その期間の方が努力する日数より長い。そして、彼らはもともと「日本でもアメリカン・ドリームを実現するぜぇ!」という楽天家タイプではない。彼らを批判する大人たちと同じように、何かにつけ「どーせ無理だ」「世の中、甘くない」などと言っていた。
「俳優になりたい!」といいながらも、現実の厳しさを知っているペシミストだったのだと思える。だからこそ、2年3年で諦めてしまったのだ。そもそも、数年で俳優や小説家になれる訳がない。でも、彼らは自分の努力が足りないのではなく、「世の中が厳しい。だから無理なんだ」という解釈をしていた。
気持ちは分かる。僕も何度か挫折しそうになった。いろんな努力をしても、なかなか映画監督へのチケットは手に入らない。近づくことさえできない。でも、人が机の上で考える方法論なんて、ものすごく限られたもの。本当は別のところに、違った方法論があるものだ。なのに、ペシミストはそうは考えず。「世の中は甘くない。厳しいんだ」と解釈して諦めてしまう。
一方、オプティミィスト(楽天家)はもう少し、がんばれば、別の出会いがあるかもしれない。別の方法論が見つかるかもしれないと考えて、諦めない。そう、この「諦めない」ということが大切なのだ。ペシミストは努力しないのに、「世の中甘くない」と決めて、諦める。だから、それで終わったしまうのだ。
実際、僕は5年目で脚本家になるチャンスを掴み、2年後に監督になる。そして、さらに8年後に映画監督デビューする。それから4本の映画を撮り。最新作は日本全国50カ所の映画館、シネコンで公開される。もし、途中で諦めていたら今の自分はない。
振り返ると、アメリカ時代にもらった言葉に支えられたと思う。「まだ、23歳じゃないか」「今からだってできる」「映画監督。グレート。がんばれ」「絶対になれるよ。応援する」特別の人ではない、普通のアメリカ人から何度もそう言われた。だが、僕がアメリカには行かず、ずっと日本で生活していたらどうだったか?
バイトを続けながら、映画監督を目指していたら? ほとんどの大人、そして友人たちがこう言い続けただろう。「世の中、甘くない」「夢は所詮、夢だ」「どーせ、無理だ」「可能性は低い」そんな言葉を何年も何年も聞いていると、「そうだよな。やっぱ無理だよな」と思えたはずだ。そして、夢を諦めることこそ、大人だと思い、就職。そして、がんばる若い人を見れば「甘いんだよなー」といいたくなったろう。
でも、それは違う。こんな言葉を聞いたことがある。「最後に勝つのはオプティミスト」そして「世の中には失敗した人と成功した人がいるのではなく、諦めた人と成功した人がいる」アメリカン・ドリームというのは決してアメリカ固有のものではない。ただ、日本人の多くはペシミストであり、何かがんばる人がいると、頼みもしないのに「世の中甘くない」「現実は厳しい」と言いに来る人たちが多い。
それで若者は結局、諦めてしまう。けど、夢でも、目標でも、テーマでも、自分が掲げるもの、目指すものを掴むことはできるんだ。それには努力や洞察力も必要だが、一番大切なのはペシミストにならないこと。オプティミストでいること。そして「諦めない」ことなのだ。何事も諦めてはいけない!
【太田監督、川崎FMの「シネマストリート」出演決定。7月4日】 [宣伝]
アーティストは、抉れた心の傷を癒すために作品を作る。 [【再掲載】]
俳優。歌手。小説家、脚本家、画家、
いわゆるクリエーター。或はアーティスト呼ばれる人たちは、「才能」ある(という言葉を僕は使わないが、多くの人はそれで理解しようとするので)素晴らしい人たち。と羨望の目で見つめられる。成功すれば、お金も名誉も手に入り。多くの人の尊敬を集める。表面的にはそうだが、実像は人々が想像するものとは大きな隔たりがある。
ミュージシャンにしても、
ギター片手に武道館でシャウト。多くのファンの声援に応えオリジナルソングを歌う。しかし、彼ら彼女らが抱えるダークサイドを人々は知らない。
アーティストがなぜ、作品を作れるのか? 素晴らしい歌や物語。芝居や小説。それは「才能」があるからーなんてことではない。作品を作ってるつもりでも、無意識の内に抉れた心を癒すために、血を流しながら人生を見つめるのだ。その過程で過去の傷と対峙する。だからこそ、作品は多くの人を感動させる。
もちろん、センスと器用さで作品を作る人もいるが、多くは自分と対峙している。だから、作品で涙する。机の上で「こんな物語を書けば、読者は泣くはずだ」と想像して書いた物語で観客を感動させることはできない。
子供の頃から差別され、踏みつけられ、
不幸だった人。親に愛されなかった子供。いや、何不自由なく成長したように見えても、人には分からない悲しみを引きずったまま、大人になってしまった人たち。彼ら彼女らが、意識するしないに関わらず、抉られた心を見つめ、埋めようとするのが表現なのだ。ハリウッドを思い出してほしい。成功した多くの作家はイタリア系かユダヤ系だ。どちらも阻害され差別され続けた民族だ。
スピルバーグ、ウッディ・アレン、バーブラ・ストライサンド、ダスティン・ホフマン、カーク・ダグラスはユダヤ系。コッポラ、アル・パチーノ、シルベスター・スタローン、らはイタリア系。アングロサクソン系は意外なほど少ない。日本でも実は同じ、芸能界でがんばっているのは同じような環境の人たちだ。
つまり、忘れられない悲しみや苦しみを背負い、
それを作品にすることでしか昇華できない人たちが、アーティストとして成功する。さらにいうと、金持ちになった。有名になった。人気者になった。それで満足できる人はクリエーターを続けることはできない。そんなことで癒せない「悲しみ」を抱えた人が作品を作り続ける。ミュージシャンの尾崎豊も、そんな壁にぶつかった1人。
大人たちに反抗。高校を中退。が、傷ついた十代の思いを歌った「17歳の地図」で人気を得た。が、アルバムが売れ、認められたことで、誰も彼を批判しなくなった、むしろ賞賛。だから、2枚目のアルバム。かなり厳しかった。悲しむ必要がなくなったのだ。そしてサードアルバムでは、歌を作れないでいる惨めな悲しみを歌い。復活するのだが、結局、ドラッグに走りムショに入る。
歌手のASUKAも同じだ。
曲がヒットし、人気が出て。お金も名誉も手に入ると、悲しみがなくなり、作品が作れなくなるのだ。ドラッグに手を出すアーティスト。そんな背景であることが多い。
歌手だけではない。僕のよく知る若手女優も同じだった。最初は家族から反対され、事務所もさじをなげ、映画やドラマのオーディションには落ちてばかり。悲しみの中で、もがいていた。が、チャンスを掴み映画に出演。輝かしい活躍をした。
そのことで家族も女優業を認め、応援してくれるようになった。ファンも増え、恋人もできた。事務所も有名なところに移った。出演依頼も続き、幸せいっぱい。だが、ハングリーな思いをなくし、人の心を打つ芝居ができなる。
プライベートなことで、演技に集中できず。
素人レベルの芝居をしてしまう。女優失格ともいうべき事態。映画が大変なことになり、多くの関係者がが迷惑した。なぜ、女優業よりプライベートを優先したか? それは女優として成功しなくても、家族の「愛」で傷は癒えたのだ。
だから、演技よりプライベートに気が行ってしまい、気持ちの入らない素人芝居をしてしまった。そのたために多くのスタッフやキャストに迷惑がかかった。作品はレベルダウン。応援しているファンは失望、期待していた関係者は落胆。プロの世界では許されない事。業界からのオファーはその後、なくなった。彼女の女優人生はこうして終わった....。
それに対して、小さな成功では癒されない深い傷を心に負った人々。一生作品を作り続けるアーティストたち。名声と経済的成功では癒されない心の深い傷を抱えて戦う。
本当に幸せなのはどちらだろう? その女優の方が幸せなのかもしれない。親が理解し、恋人ができれば癒される程度の傷。女優業を辞め平凡な結婚をすることが、今の彼女にとって一番の幸せだろう。もう「悲しみ」と対峙する必要はない。大成功して、金持ちになり、有名にならなくても、ハッピーなのだから。
傷が浅ければ小さな成功で癒すことができる。
が、アーティスト生命もそこで終わる。傷が深ければ作品は作り続けられるが、一生幸せにはならない。人は「才能」があるから作品が作れると思うが、そうではない。作品を作り続けないと、抉られた心を癒すことができないから。だから、心の深い傷を埋めるために格闘する。それがアーティスト。遠くで見ているほど幸せでも、ハッピーでもない。本当に幸せなのは「私は才能も何もない小市民だね?」と笑える人なのではないだろうか?
シナリオ執筆は人生を見つめ直すこと? [思い出物語]
撮影現場の記憶というのは、何年経っても覚えているのだけど、シナリオ書きの期間の記憶というのは意外なほど思い出せないことが多い。何だか、楽々書いていたかな〜と思い気や悪戦苦闘の連続だったりする。
そこで本日のランチに「向日葵の丘」のときはどーだったか? ブログを見直す。「シナリオ」のカテゴリーを見ると、結構詳しく記録している。
夏に依頼があり、秋に公開の3作目の宣伝が終わり次第に執筆開始。だったのだが、その作品が映画館で大ヒット。ロングラン。次々に舞台挨拶や記念イベントが決まり、地方に何度も行ったりしてなかなかシナリオに書かれず。結局、書き始めたのは翌年の1月だ。開始から毎日、どのくらい進んだか?記録があった。
*A4サイズの原稿用紙で執筆ーその日何ページまで行ったか?
1月 9日 7p
16日 17p
24日 28p
25日 36p
26日 41P
27日 47p
28日 51P
30日 59P
2月4日 73P
12日 ラストまで
リライト(原稿をシェイプアップして)
18日 完成 68P
(B5の通常シナリオにすると136P)
執筆スタートから1ヶ月と9日。
スタートするまでに数ヶ月。
大幅に〆切から遅れて完成。
あー何だか、悪戦苦闘の連続〜。
でも、これがシナリオ執筆。何でもいいからページ数を稼げばいいというものではない。
心に突き刺さる台詞や設定をあらゆる角度から考えた上で
書かねばならない。
早ければいいというものではない。
今だから言えるが、シナリオができない内に、ヤング3人組のオーディションをしている。
ま、ストーリー自体はかなり前にできていたので。
しかし、改めて、シナリオ執筆の大変さを思い出す。
書くというより、魂との対峙。人生を正面から見つめる作業
映画の全てはここで決まるのだ。
【「夢見る力」シリーズー何歳からでも夢をスタートできる。やればできる!】 [My Opinion]
ロサンゼルスでの留学生活を終え、帰国したのは29歳のときだった。同年代の友人たちはすでに就職。それなりの給与を得て社会人として活躍していた。そんな段階で僕は日本で映画監督を目指しスタート。いろんな人から「詰まらぬ夢を追うより就職した方がいい!」といわれた。
中には「某大手テレビ局に中途採用の口利きをするけど?」といってくれた人もいる。でも、夢を捨てるつもりはなかった。といっても、当時、1991年にはバブルも弾け、簡単に新人が映画の監督をできるチャンスは皆無といってよかった。80年代には自主映画ブームもあって、多くの友人がプロデビューしたが、そんな風潮は欠片もない。
思いつくのはシナリオを書いて営業すること。生活を支えるために昼はレンタルビデオ。夜は居酒屋でバイトしながら、深夜帰宅して朝までシナリオを書いた。1年かけて、ようやく1本書き上げ、映画会社に営業をかけた。が、ほとんどが門前払い。「そんなもの読む暇な奴はいない」といわれた。読んでくれても「何だかよく分からないね」と不評だった。32歳になっても状況は変らず。アルバイトをしながら、次のシナリオを書いたが、長年の付き合いである友人たちにこういわれる。
「まだ映画なんかやっているのか? いつまでフラフラしてんだよ。いい加減現実見て将来のこと考えないと駄目だぞ〜」
映画監督を目指し、バイトをしながらシナリオを書くことがフラフラすることだろうか? 何の目標もなく、仕事もせずに、遊んでいるのが「フラフラ」ではないか? そう思ったが、世間に染まった彼から見ると32歳にもなって会社というところに所属していないこと自体がフラフラなのだろう。
そんなときに出会ったベテランの漫画家さん。シナリオを読んでくれたが、こう言われた。
「お前、もう30代だろ? 何をやるにも10年はかかるんだよ? 今からスタートしてもデビューできるのは40代だぞ? シナリオ学校とか行ってるのか? こんなシナリオ書いているようじゃ無理。世の中甘くないんだよ」
素人に言われても気にしないが、クリーエーターである漫画家さんの言葉は応えた。それでもシナリオを書き続けた。この辺を詳しく書くと長編小説になるので簡単に説明するが、一番嫌いな青春もののシナリオを書くと評判がよかった。やがて自分が描きたい作品と、自分が作るべき作品が違うことに気づく。その方向で書き続けた。
漫画家さんに「10年かかるんだよ」と言われた翌年にシナリオライターデビューした。そして、その2年後に監督業をスタートさせる。さらに時間は掛かったが、その9年後。念願の映画監督デビューを果たす。自主映画時代の友人は20代でデビューしたが、僕は40代になっていた。
「フラフラしてるんだ」と言ってた友人は会社が倒産。田舎に帰った。そして、あの漫画家さん。あれから連載漫画を持つことはなく、数年後に亡くなった。「詰まらぬ夢を追うより就職した方がいい!」といっていた人たちは今、僕を応援してくれている。ありがたいことではあるが、その昔、「お前は才能あるのか?」「世の中は甘くないぞ」「現実を見ろ」と言っていた人たちが、誰もあのときの弁明をせずに応援するのは、少し引っかかるところはある。まともに人の忠告を聞いてはいけないということだ。
いつの頃からか、監督を目指す若い人や俳優の卵たちが集まってきた。そして質問をされる。「どうすれば映画監督になれるんですか?」「どうすれば俳優になれますか?」「もう30歳ですけど、無理ですかね?」僕はこう答える。
「遅過ぎるなんてことはない。今からでもやればできる。ただ、人と同じことをやっていたら駄目。真剣に考えて、命がけでがんばれば絶対に夢を掴める。マニュアルなんてない、学校では何も教えてくれない。けど、諦めなければ絶望しなければ、そして希望を探し続ければ必ずできる」
ただ、夢はたどり着くまでも大変だが、そこからがもっと大変。戦いは続く。2015-6
【「向日葵の丘」DVDが7月2日発売。Amazonで予約受付中!】 [DVD発売]
【「向日葵の丘」DVDが7月2日発売。Amazonで予約受付中!】
昨年、日本中を涙で包んだ映画「向日葵の丘 1983年夏」がいよいよDVD発売。
映画撮影を記録したメイキング(30分)が収録。
撮影の裏側を見る事ができ、市民俳優として参加した方々も映し出される。
太田監督自ら編集。感動作となっている。これを見られるのはDVDだけ。
ぜひ、予約下さい。
出演 常盤貴子、田中美里、藤田朋子、& 芳根京子(秋からのNHK朝ドラの主人公)
Amazon=>https://www.amazon.co.jp/…/B01E6N…/ref=wl_it_dp_o_pC_nS_img…
収入が安定した仕事なんてもうない。厳しくても自分がやりたい仕事をやるべき! [映画業界物語]
少し前になるが、20歳くらいの映画監督を志望する男の子と話した。映画が大好きで、将来は監督になりたくて、今は映画の専門学校に通っている。でも、将来が不安だという。そんな彼はこう訊いて来た。
「映画監督業の収入は安定していますか?」
へ?? それが第一の質問? 通常なら「どうすれば映画監督になれますか?」なのに「収入は安定していますか?」なのだ。そこで彼のバックグランドがだいたい見えてしまったのだけど、さてどう話そうかと考えた。
まず、映画監督になるのは大変なことだ。実力だけでもダメ。運だけでもダメ。僕は本当にラッキーで今、映画監督の仕事をしているが、今後は分からない。高校時代に「監督になる!」と決めてから、23年ほどかかって映画監督業をスタートさせた。その厳しさはよく分かっている。なのに「どうすれば監督になれるか?」ではなく、「収入は安定しているか?」を訊く若者がいた。
たぶん、彼は映画がとても好きなのだろう。将来は映画の仕事がしたい。できれば監督になり、いろんな映画を作りたい。でも、それで食って行けるのだろうか? 収入がなくなり飢え死にすることはないか? 貧しい生活を強いられることはないか? 欲しいものも変えない生活にはならないか? 結婚して嫁を養うことはできるのだろうか? というごく普通の不安を感じた。だから質問したのだ。
映画業界に詳しい方はここまで段階で憤り。「何じゃそいつは!」と激怒していることだろう。けど、少し我慢して読んでほしい。彼が映画監督を志望しているから、イラつくのであり、別の角度から考えてみよう。
もし、彼がこう考えたらどうだろう? 「絵描きになりたい! でも、絵を売って生活していくのは大変だろうなあ」ーこれは誰でも考えることだ。次はどうか? 「俳優になりたい! でも、芸能界は競争が激しい。とても俺なんて仕事もらえないよなあ」これも誰しも考えることである。就職活動をする前に、**会社がいいか? それとも**商事か? いやいや、***製薬か?と、どこが給料がよくて、待遇がよくて、休暇が長いか? 将来性はどうか?と考える。彼はそれと同じなんだ。
映画が好きだから、映画監督の仕事をしたい。でも、生活は安定しているのか? 心配だなあ。不安定なようなら別の仕事にしよう。という就活学生と同じことを考えているのだ。では、その答えを書こう。もし、安定性を求めるなら、映画監督だけでなく、俳優、ミュージシャン、画家。漫画家、アーティスト、クリエーターになってはいけない。これらは実力の世界であるだけでなく、運も大きく左右する非常に不安定な業界で、食って行くことはとても困難。
これは昔からそうであり、一般の人でも知っていること。わざわざ業界の人に聞かなくても現実である。なので、まず、そんなことを僕に訊くこと自体に驚かされた。映画の専門学校に通っているというから、当然、それは覚悟した上で勉強しているのだと思ったのだが、その段で「安定していますか?」と訊くのはどういうこと?とさえ思えた。
そもそも、映画監督だけでなく、カメラマンも、照明も、演出部も、美術部も、制作部も皆、安定していない仕事だ。今月は仕事があったが、来月はない!ということもある。脚本家なら最初5年は無収入を覚悟すべき。タダでいいといっても仕事はもらない。他のパートも仕事を覚えるまでは、無給ということが多い。
「えーーーそんな酷い」
と思うかもしれないが、仕事ができないのに給与がもらえるのはサラリーマンだけだ。戦後の会社は新入社員を育てるために、最初数年は仕事ができなくても給与を支給して育てるというシステムを採用した。が、それは会社だけであり、板前になるのも、修行中は無給。飯を食わせてくれるだけというのが通常。技術のいる仕事というのは、皆、同じ。会社員だけが違う方法論を採用しているだけ。
なのに、最近はサラリーマンを基本として、技術がない若い人が「1時間働いたから***円ほしい」と主張する。が、それはバイトであり、新入社員の発想であって、映画の現場でお手伝いしたからと、その種の賃金は出ない。その考え方は間違っている。正解はこうだ。映画の技術を学ぶために高い授業料を払って専門学校に通う。それを現場で学べるのは非常に貴重な体験。それも授業料を払わなくていい=なのに、その上、ギャラを寄越せというのはどういうことか? もう分かったと思う。
現場でタダ働きするのではなく、授業料なしで技術を学び、貴重な体験をすることができるということ。それを「1時間働いたらから***円ほしい」がいかに勘違いな発想であるか? 分かってもらえたと思う。さらに言えば、今回の彼である。「映画監督の収入は安定していますか?」というが、その質問自体が大いなる勘違いなのだ。
例えば、インディアナ・ジョーンズのような冒険家にこう訊くだろうか? 「私は冒険家になりたい。でも、冒険中に怪我したり、死亡したりすることはないですか? 安全は保証されていますか?」もう、愚問であることを理解してもらただろう。冒険家という仕事は、危険に満ちている。いつ死ぬか?分からない職業。映画監督も同じ。いつ食えなくなるか?分からない。それどころか、仕事がもらえるか?どうかすら分からない危険な職業なのだ。
もし、安全を確保した上で冒険がしたいなら、ディズニーランドのジャングルクルーズの添乗員とかになるしかない。といって彼を責めている訳ではない。彼のようなタイプの若者は今、とても多い。全てを会社員を貴重に考える。先に上げたように就職活動の発想で考える。
給与はいいか? 有給は取れるか?
将来性はどうか?
さらにバイト感覚。自身の能力はさて置き、1時間働いたから1000円は欲しい。それは誰でもできる仕事であり、何の技術もない者が調理場に立っても何の料理もできない。それと同じで撮影現場でも技術のない者は役に立たず、そんな人間に賃金はでない。
全ての間違いは会社員を基調に考えること。それほど日本という国はサラリーマン養成教育になっているということ。だから、僕はその子を強く責める気にはならなかった。彼のいる環境。家庭。学校が同じ会社員基調の考え方なのだ。そこで育ち、生活している彼はその価値観からしか、物事を考えられない。だから、「映画は好き。監督になりたいが、生活が安定しないなら、考えよう」とという発想を持ってしまうのだ。そこでこう伝えた。
「映画の仕事は不安定。それが嫌なら会社員になった方がいい。でも、今の時代。会社員になるのもむずかしい。派遣社員は大変。給料安いし。期限が来たら仕事がなくなる。正社員になっても、いつリストラされるか? 分からない。会社が倒産するかもしれない。そう考えると今の時代。生活の安定を求めるなら公務員になるしかないよ」
若い彼は「そうですか。。。」といい、悩みながら去って行った。たぶん、映画は好きだ。映画の仕事をしたい。でも、安定しない生活は嫌だ。と思ったのだろう。でも、先にも伝えたように、今の時代。安定しているのは公務員くらいなもの。そんな時代に最初から安定を求めてどうするのか? いや、公務員だって、近い将来、大リストラの嵐が吹き荒れる可能性はある。彼らの高い給与が国家予算を大いに圧迫しているのだ。国民からの批判は大きい。財政赤字の中。彼らが永遠に安泰ということはないだろう。
僕の20歳頃は大学を出てそれなりの会社の会社員になれば、生涯安泰という時代だった。が、今は違う。なのに若い彼はそれを感じていない。僕が20歳の頃。1980年代の価値観を今も持ち続けている。若い人は時代を感じるビビットな感性があるのに、それが分からないのはなぜか?
たぶん、彼の両親が僕と同世代で、古い価値観を息子に教育しているのだろう。僕と同世代。50代はもう時代を感じる力を失い、感性のアンテナは錆び付いている歳である。だから過去の価値観を振りかざす。僕も時代について行くのに必死。苦労している。
そんな親たちに説教されて、堅実に生きねば....と彼は思っているのだろう。でも、時代は大きく変わっている。僕はこう思う。どーせ、どんな職業についても収入は不安定だ。公務員でさえ、どーなるか?分からない。だったら、本当に好きな仕事を選ぶべきだ。食えるか? 食えないか?ではなく、どうすれば食えるか?を真剣に考えることだ。
また「収入が不安定」を気にするということは、その職業を選べば確実に安定するという思いがある訳だ。その発想が間違っている。どの業界でも収入が少ない人と、多い人がいる。映画の世界でも大金持ちになっている人が少ないがいる。会社員でもギリギリの給与で生活している人が数多くいる。間違ってはいけない。職業を選ぶことで安定する、しないではない。会社なら選んだ会社である程度決まるが、今の時代は、自分が選んだ仕事で、いかに収入を上げるか?なのだ。
与えられたことだけしていれば収入は少ない。いや、その前に仕事をもらえない。でも、考えて、努力して、動けば、それなりの収入が得られる。今、日本はそんな時代になっているのだ。そして考えてほしい。いつリストラされるか分からない仕事をして、好きでない職業に就くのと、収入は安定しないが、好きな仕事をするのと、どちらが1度きりの人生で楽しいか? 彼にはそんなことを伝えた。
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「向日葵の丘」DVDー豪華メイキング付き!が7月2日発売 [DVD発売]
【「向日葵の丘」DVDが7月2日発売。Amazonで予約受付中!】
昨年、日本中を涙で包んだ映画「向日葵の丘 1983年夏」がいよいよDVD発売。
映画撮影を記録したメイキング(30分)が収録。
撮影の裏側を見る事ができ、市民俳優として参加した方々も映し出される。
太田監督自ら編集。感動作となっている。これを見られるのはDVDだけ。
ぜひ、予約下さい。
出演 常盤貴子、田中美里、藤田朋子、芳根京子(秋からのNHK朝ドラの主人公)
Amazon=>https://www.amazon.co.jp/…/B01E6N…/ref=wl_it_dp_o_pC_nS_img…
書く仕事をすると、言葉を発することができなくなる? [2016年]
【「向日葵の丘」DVD発売記念で東放学園でトークイベント!】 [2016年]
「才能」という言葉を僕は使わない。だって才能なんて存在しないから [再・opinion]
よく人はこういう。「俺、シンガーソングライターになるんだ」「お前、才能あるのか?」「私、女優になりたい」「才能ないとなれないぞ」そんな会話を嫌というほど聞いて来た。人はこう思う。「歌を歌うにも、絵を描くにも、小説を書くにも才能がいる、才能がなければできない」
では、こう訊こう。「才能があれば小説が書けるのか? 才能があれば芝居ができるのか?」もっと言えば、才能があれば何もしなくてもギターが弾けるのか? シナリオが書けるのか?答えはーNO。楽器を弾くには長期に渡った練習が必要。最初から弾ける人はいない。シナリオだって何本も書いて練習しなければ書けない。では、人はなぜ、「才能がないと」なんていうのか?
天才ギターリストがいる。
その人は若い頃からもの凄い時間練習をして、何よりギターに人生を費やして来た。だからこそ、天才ギターリストと言われるようになった。演技派と呼ばれる俳優がいる。が、彼も若い頃から名演技をしていた訳ではない。時間さえあれば演技について考え、役についてあれこれ想像し。人生のほとんどを芝居のために費やして来た。だから今、演技派俳優と呼ばれ尊敬される。
そういうことなのだ。「才能」ではなく「素質」を持った人が年月をかけてそれを磨き、鍛錬して、「演技とは何か?」「音楽とは何か?」を自問自答して、どんな芝居をすれば人は感動するか? どんな歌を作れば人をハッピーにできるか? 自分にはどんな芝居が、自分にはどんな歌が合っているのか? それを考え続け、試行錯誤した人が、人に感銘を与える仕事をすることができる。その努力を知らずに見ている人が「凄い! 感動した。何であんな芝居ができるのか? 何であんな歌が歌えるのか? きっと才能があるからに違いない」と思うのである。
その努力や覚悟。情熱を想像できない人が、
理解するために「才能」という言葉を使い理解しようというのだ。そう考えると分かりやすい。結局、「才能」なんてないんだ。が、僕も若い頃によく「俺には才能があるのか?」「才能がなければ映画監督にはなれない」そんなことを悩んだことがある。でも、「才能」なんてなかった。成功している人たちは、どの業界でも命がけで血の出る努力をしている。そうして作品を生み出す。その背景を知らない人が「自分になぜできない?」と思ったときに「努力したのに駄目だった」と悔しいときに、「才能」という便利な言葉を使うことで、納得するのだと感じる。
素質、資質はある。どんなに努力しても役者になれない人。小説を書けない人はいる。残念だがそれは無理。その素質、資質を持つ人が、どれだけの時間をかけて、それを伸ばすことに全てかかっている。数字で言えるものではないが、5%の資質しかない人が100の努力をすれば、10%の資質がある努力しない人を追い越すことはできる。
思い出すのはチャップリンの言葉。
「才能とは99%の努力と1%の閃きである」(実はジョンレノンも同じことを言っている!)本当にその通りだ。ただ、自分が賭ける以外の多くのものは犠牲にせねばならない。安定した生活とか、恋愛とか、平凡な家庭生活とか、一般の人が手に入れられる小さな幸せを犠牲にせなばならない。そこまで出来る人だけが認められる。過酷な報われない戦いでもある。その戦いを知らない人が「才能あるからいいよな〜」というのである。
「俺は才能がないから駄目だ」と言う前に、99%の努力をしてみるべき。「お前は才能ないからな」と決めつけるなかれ。人生賭けて挑めば、輝く作品は生まれてくるのだ。「才能」ではない。「努力」なのだ。
「向日葵の丘 」お待たせしました!7月にDVD発売。 [告知]
「向日葵の丘 1983年・夏」お待たせしました!ついにDVD化。
昨年、全国の映画館でヒットした映画「向日葵の丘」7月にDVD発売が決定。あの感動があなたの家で蘇る。後半1時間、涙の連続。懐かしい1983年と現代を結ぶ感動物語。
映像特典は30分にも及ぶメイキング・ドキュメンタリー。映画撮影の舞台裏を紹介。俳優たちがどんな思いで撮影に挑んだか?こちらも感動作。私、監督の太田が自ら編集しました。Amazonではすでに予約受付がスタート。ぜひぜひ、よろしくお願いします。
キャスト
常盤貴子/ 田中美里/藤田朋子/
芳根京子/藤井武美/百川晴香
Amazonで予約受付中!
価格¥ 4,104=>¥ 3,053 通常配送無料
OFF: ¥ 1,051 (26%)
発売予定日は2016年7月2日。
【向日葵の丘 1983年夏ー広島の映画館で7月に特別上映】 [告知]
【向日葵の丘 1983年夏ーDVD化記念、広島の映画館で上映】
昨年の夏から全国の映画館で公開。ヒットした感動物語。
7月のDVD化を記念して、もう一度映画館での上映が決定しました。
7月2日(土)~7月8日(金)まで福山駅前シネマモードにて。
「向日葵の丘」が劇場で観れる最後のチャンス。
繰り返し観れるDVDもいいけど、大画面で観れる映画館は感動も2倍。
ぜひお越し下さいませ。
http://www.furec.jp/fc/yoyaku.php
ここは映画「向日葵の丘」製作日記です! [告知]
「向日葵の丘」の企画時から、
ロケハン、シナリオ執筆、キャスティング、
撮影、編集、宣伝、映画館公開、海外上映。
そして今後の展開を太田監督自身が綴ったブログ。
右側の「マイカテゴリー」の項目を探してもらえると、
読みたい記事を見つけることができる。
ぜひ、
太田映画式、ロケ地を魅力的に描く方法? [【再掲載】]
僕の映画は毎回「親子に伝える大切なこと」がテーマだ。最近はさらに一歩進んで「幸せって何だろう?」も主題となってきた。それと同時に、僕の映画は「古里映画」とも言われる。師匠である大林宣彦監督が尾道シリーズを撮ったように、僕も都会ではなく、地方を舞台にした映画を撮り続けている。
和歌山、浜松、湖西、島田と、皆、有名な観光地ではないが、昔懐かしい風景のある素敵な町だ。映画を観た人は必ず「この町を訪れてみたい!」といい。そして、誰もがそこが自分の故郷であるような郷愁を覚えるという。
これはとてもうれしい話だが、町を魅力的に描くというのはなかなか大変なことで、俳優を魅力的に描くのと同じ愛と努力が必要だ。というのも、有名な観光地を舞台に「***市ロケの映画」というふれこみで作られた映画がときどきある。それを観ると、確かに街を美しくは撮影しているが、何か観光地の絵はがきのように「けど..」という気持ちになる。
そう観光絵はがきというは、美しいが心がない。伝わらない。魅力を感じないことが多くはないか? それはカメラマンがその街を愛していないからだと思える。2泊3日で撮影に来て、ロケ場所にのみ訪れ、撮影が終わればさっさと帰る。そんな仕事の仕方なので、技術で風景を美しく撮れても、愛が籠っていないのである。
では、どうすれば愛が籠るのか? は何度も書いたが、まず、スタッフがその街を好きになること。何度も訪れて、その街を知ること。街の人と触れ合うこと。地元の名産を食べること。そうやって街を好きになってこそ、その街の魅力を理解し、愛が籠った映像が撮れるようになるのだ。いつもスタッフだけでなく、キャストにもそのことを伝え、街を体験してもらう。
費用も、時間も、手間をかかるが、そうして撮影に臨むと、街が微笑んでくれて、いつも見せない素敵な顔を見せてくれる。そのせいか、映画の舞台となる街はいつも評判よく、「ぜひ、一度訪れたい」と言われる。が、ときどき、その地元から逆行する要望が出ることがある。一部の人だが、せっかく地元をPRする機会なのに、それを妨げることをするのか?と思うのだが、また、その話も紹介する。