【向日葵の丘=感想。40代男性】日本中の家族に見てもらいたい! [再・感想]
【向日葵の丘=感想。40代男性】
太田監督作品は老若男女問わず、それぞれの目線・感覚で観れるのが素晴らしい。そしてそれは今回の向日葵の夏ー1983年夏も同じ。日本中の家族に観てもらいたい映画です。
先ずはヤング3人組。1983年は私も世代ドンピシャです。あの頃は一生懸命やることが良いこととは思えず、適当に周りと上辺だけ調子合わせて、ひょうひょうと過ごしていました。この3人組のように『これがめっちゃ大好き!』ってモノが自分には無かった。勉強が全てではない。一生懸命打ち込めるものがあれば必ず成長するってことをあらためて3人に教わりました。
最初はクラスの誰もが相手にしなかった3人の思いが徐々に周りに伝わり、町中を巻き込んでの一大イベントになっていくのにはワクワクが止まりませんでした。そしていよいよ…という時に突然の上映会中止。3人の関係と多香子の家族が崩れたまま時は流れる……大人になった3人。多香子とみどりが再会した場面はスクリーンを直視出来ませんでした....。
嫌われてこそ映画監督? 「いい人」と呼ばれる奴は駄作しか撮れない? [【再掲載】]
嫌われてこそ映画監督? 「いい人」と呼ばれる奴は駄作しか撮れない?
知り合いの製作会社にいくと、
よく他の監督のうわさ話を聞く。「A監督の新作、惨敗らしいよ。この間も、客が2−3人。厳しい〜。A監督、ほんといい人なのにな。がんばってほしいよねえ」
逆にこんな話も聞く。「B監督とはもう仕事することはないなあ〜。あそこまでわがままだと付き合いきれない。もう少し、チームワークとか考えないと、誰も相手にしてくれなくなるなあ」
こう聞くと、A監督はいい人だが、新作がヒットせず苦戦しており、同情を集め、応援したいという状況。比べてB監督は身勝手で嫌われている。離れて行く人が多く、存亡の危機にある。という印象を持つだろう。が、ここで抜けている情報がある。B監督の映画はヒットしているのか?というのが分からない。
実はB監督の作品は毎回ヒットしている。
比べてA監督は毎回惨敗。どういうことなのか? 何度も記事を書いて来たが、その背景に映画界的な事情があるのだ。A監督。いい人で、製作会社が「この女優で行きましょう! テレビドラマのレギュラーも決まったし」というと「じゃあ、その子で行きましょう」と従う。
が、B監督は「その子じゃ無理、シナリオのイメージと違う!」ということを聞かない。一事が万事、A監督は皆と協調し、仕事をする。B監督は全てを自分で決め、人のいうことを無視。こう書くと、「仕事なんだから、やはり協調性が大事。A監督はそれを理解しているが、B監督は常識がない」と思う人もいるだろう。
しかし、映画というのは皆の意見を取り入れて、
全員が満足する形で進めるといいものができない。1人の作家がやりたいようにやったときに、名作と呼ばれる作品が生まれたりする。黒澤明だって、キューブリックだってそう。巨匠と呼ばれる監督は皆、完全主義者で我がままで、誰も止めることができない。その意味でいうと、皆のいうことに従うA監督にいい作品が作れないのも当然。
さらに、製作会社というのはご存知の通り。いかに製作費を抜き、自社の利益にするか?としか考えないところが多い。いい映画を作ろう!と思ってる社は少ない。そして、面倒なことはしたがらない。さらに、自社と癒着した芸能プロダクションの俳優をキャスティングすることで、キックバックをもらったり。いざというとき大物俳優を都合してもらうときのための恩を売りたい。というようなことばかり考えている。
なのに、監督が「この俳優はダメだ」というと、
キックバックももらえないし、恩も売れない。撮影も適当にやれば、そこそこで終わるが、熱を入れてがんばられるといろいろ面倒。つまり、製作会社にとって「いい監督」というのは、自分たちの言うことを聞き、面倒なことをせず、不正や癒着に目をつぶる人たちのことなのだ。だから、「A監督はいい人だ」というのだ。
それに対してB監督が嫌われるのは、本当にいいものを作ろうとして妥協せず、無理をして、努力をするから、時間も費用もかかり会社としてはマイナス。通常以上の労力を強いられる。自分たちのいうことを聞かない。不正や癒着ができない嫌な奴なのだ。だからこういう。
「B監督とはもう仕事することはないなあ〜。
あそこまでわがままだと付き合いきれない。もう少し、チームワークとか考えないと、誰も相手にしてくれなくなるなあ」
製作会社のいう本当に意味が分かってもらえたと思う。僕も人の意見を聞かず、絶対に自分を曲げない方だから、製作会社とはよくぶつかった。一度やったところは二度と声をかけてくれなかった。プロデュサーはあちこちで悪口をいいまわっているようだ。が、まだまだ、悪評を聞くことは少ない。むしろ「太田はよくやっている」という話を聞く。これはまだまだ我がままが足りないということだ。
映画監督というのは、嫌われている人ほどいい映画を作る。
「いい人だ」と言われてる人ほど、ろくでもない映画を作っている。不思議な世界ではあるが、事情を知れば「なるほどそうだな!」と思ってもらえただろう。
感想「それぞれの向日葵の丘が存在するのでしょうね」 [再・感想]
【「向日葵の丘」DVD。amazonで再び完売間近!お早めに?】 [DVD発売]
オオカミさん「向日葵の丘」感想=泣ける、泣ける。(つд`) [再・感想]
応援団のオオカミさんが東京公開初日に来てくれました!
(ご本人のブログより)
「さて、映画ですが‥‥。。
上映時間は、他の映画の予告編を含め、2 時間30分余り。
少し長く感じるかも知れないですが、
現在と過去とを、しっかり押さえてこそ、
物語に奥行きが出来ますから、納得の内容です。
泣ける、泣ける。(つд`)
とくに、「青い青い空」「朝日のあたる家」を、
ご覧に成った皆さんには、
あの人が、こんな役を!?と
驚くと共に、懐かしさなどで、じーーんとしてしまいました」
(続きは以下のアドレスから)
http://ameblo.jp/80027349/entry-12064537298.html
昨年の今頃。映画館で記念写真コーナーを作っていた? [思い出物語]
震災で全国公開が中止になった幻の作品ー青春書道映画「青い青い空」が待望のDVD化!予約受付開始。 [DVD発売]
僕が5年前に監督した映画「青い青い空」
この11月DVD化、発売が決定。
これで監督した映画4本全てがDVD化された。
感激!
(以下、Amazonの説明より)
この映画は2011年の書道映画ブームのきっかけとなった作品。2010年にロケ地浜松市で大ヒット4ヶ月に及ぶロングラン。涙と感動の映画と話題になり、3万人を動員。
翌2011年に東京公開されたが、5日目に東日本大震災で上映中止。全国公開も行なわれずに終了。幻の作品となった。が、その感動的な物語からDVD化の声が絶えず、太田監督の新作「向日葵の丘」のヒットを機会に待望の発売が決定した。
出演: 相葉香凜, 草刈麻有, 波岡一喜, 長門裕之, 松坂慶子
監督: 太田隆文
発売予定日は2016年11月2日です。
「青い青い空」監督日記はこちら=>http://takafumiota08.blog.so-net.ne.jp
シナリオ執筆からロケハン。撮影。海外での映画祭参加まで!を監督が綴るブログ。
【向日葵の丘ー観客の感想「もう、ただただ凄いっ!の一言です!」】 [観客の感想]
映画を観た方の感想「もう、ただただ凄いっ!の一言です!」
今回一番注目したのは、やはり、「多香子(常盤貴子)と家族の再会」です!監督のFBでも拝見してたので、凄く楽しみでした!感想としては、もうただただ、凄いっ!の一言です!
大人・多香子のショックから戸惑いと怒りなどいろんな感情が入り混じった表情が堪りませんでした!そして、お父さんの****姿…あれはもう心臓の奥まで切り刻まれそう…
あんなに酷いことをしたお父さんの生き方が不器用で最後は凄く可哀想に感じてしまいました。役者って凄いなと、心底感じたワンシーンでした。
お母さんとの再会では年をとったお母さんを見てショックの多香子が、自分と重ねてしまい、いつか自分にもこんな瞬間がくるのかと思ったら、切なくなりました。
胸を締め付けられるシーンは沢山ありますが、中でも個人的に一番感動したのは、支配人と多香子のシーン。時が止まり、音がなく、支配人の笑顔…もう号泣ものです。
昨年の今日。書いたブログ記事!= 「向日葵の丘」劇場情報ーー品川プリンスシネマ週末は1日4回上映に! [思い出物語]
真っ白に燃え尽きた日 [思い出物語]
ヤングヤング多香子ちゃん。可愛い写真を3連発! [思い出物語]
1年前「向日葵の丘」完成披露試写会! 常盤貴子さんらが浴衣姿で登場。 [思い出物語]
「向日葵の丘」感想「胸を突き刺されるような思い。自分の事のようで涙が溢れました」 [再・感想]
この映画、一番の感動シーンは主人公の多香子(常盤貴子)がトラウマとも感じていたと思える胸痛む思いの決着場面です! ネット記事などでは、微かに暗示させる記述はあったのですが…胸を突き刺されるような思い。自分の事のようで涙が溢れました
そして、これだけ数多くの登場人物に対して、様々な人生模様を、繊細な洞察力を持って重たくならずに、さらりと描かれる、深い描写。まるで上質な推理小説をスルスル紐解くようで、次の展開が待ちきれない思いでした。
限られた上映時間の中で 其々の登場人物が、それぞれに主人公として観ても成り立つくらいのしっかりと細やかなストーリ—造りに監督の限りない人々に対する優しさと愛情溢れた監督の人柄、人間味を感じました。
最後に俳優陣が豪華で、其の演技力には圧倒されました。本当に凄い演技力です!!試写室にいたマスコミの方々からも、あちらからも、こちらからも 鼻をしゅんしゅん鳴らす音が 鳴りやまず。
正直、そのような現象は めったに見られないので、ちょっとやそっとの事では、感動しない私も、実はすでに、しゅんしゅんしていたのですが、本当に驚きの反応に思わず周りを何度も確認した程です。
私にとって「向日葵の丘」は家族や、友人の意味。そして本当に大切なものは何なのかを、思い知らされ、反省させられる映画でした。
「友達」という言葉で全てを許す人たち? でも、大事な夢を実現するための「仲間」だ。 [【再掲載】]
【「友達」という言葉で全てを許す人たち? でも、大事な夢を実現するための「仲間」だ】
「監督は女優さんなんかと、よく飲み会するんでしょう? いいなあ」なんてよく言われるが、そんなことはまずない。俳優とは基本、一線を引き、プライベートではなるべく会わないようにしている。連絡もまず取らない。キャストだけではなく、スタッフとも距離を置く。撮影前は打ち合わせで何度も会うが、用もないのに、飲みに誘ったりはしない。
なぜか? それは「友達」と「仲間」の線を引くため。「友達」というと、とてもいい響きがあり、かけがえのない大切な存在と思いがち。が、同時に「友達」という美名の元に勘違いした人たちが、夢破れて消えて行った姿も見てきた。少し長いがそんな話をする。
学生時代。自主映画というのをやっていた。友達を集め、8ミリフィルムを使い、映画を作る。大学の映研のような活動。僕もそんな1人、友達を集めて映画撮影していたが、なかなか大変。「将来、プロになる!」と断言する連中と映画を作った...。
例えば午前8時に代官山駅集合。ロケバスはないので、電車を使いロケ場所の公園まで行き撮影する。が、必ず遅れてくるものがいる。時間がもったいないので、置いて行こうとすると、こう言う奴がいた。
「可哀想だから待ってやろうよ!」
すでに30分待っている。が、彼は「待とう!」という。待つことで、どれだけ多くのものを失うかが実感できていない。
撮影ができるのは夕方まで、だから、朝早くに集合して撮影。もし、撮り残しが出たら、もう一度、別日にその公園に来て残りを撮らねばならない。撮影終了が1日遅れる。交通費も食費も自腹だ。皆、それを負担せねばならない。その日だけ。という約束でバイトを休んで来てもらった友人もいる。その人にも、頼み込み、もう1日来てもらわねばならない。みんなの負担が増える。
実際、そうなったことがあったが、遅刻者を庇った友人は「日が暮れたんだから仕方ない」という。1人が遅刻したことで多くの負担が出てしまうこと。どれだけの被害が出るか?を理解していない。彼がお手伝いに来た大学生なら分かる。或はサークル活動ならいいだろう。けど、プロの映画監督を目指して映画作りをしている友人たちが、これでいいのか?
「プロの映画監督を目指している!」
という同じ夢を持つことで親しくなった同士。なのに、遅刻したり、その友人を庇うのはどういうことか? 共に夢を追う友達同士なら、助け合い、励まし合うものであり、トラブルを起こしたり、撮影の邪魔をしてしまったことを庇い許し合うべきではない。
その手の友人はメンバーから外れてもらった。しかし、問題を起こした者に多くが同情する、その後も付き合いを続け、次第に僕だけ、飲み会に声がかからなくなった。で、彼らはというと、飲み会で映画談義で盛り上がり、「太田のやり方は間違っている」「あいつはダメだ」と悪口大会。
しかし、自分たちで別の映画を作ろうとはせず。やがて、メンバーは夢破れて、1人また1人と映画学校を辞め、東京を去って行った。その後、彼らは連絡を取り合うこともなく、互いに会うこともなかったという。そんな友人たちの背景を考えると、いろんなことが見えてきた。
もともと彼らははみ出し者。クラスで友達も少なく、勉強もできず、映画が好きなだけ。家族にも疎まれた高校生だった。それが「映画監督になろう!」と東京に出て来て、同じようなタイプの存在と出会った。共感し、仲良くなる。
友達がいなかった彼らは嬉しかった。それゆえ、撮影に遅れて来ても、トラブルを起こしても、責めるより庇ってしまった。あまりに寂しい高校時代を送ってきたので「友達」に対する強い思いを抱いていたのだ。プロを目指していたのは嘘ではないが、それより目の前にいる友達の方が大事だった。
しかし、結果、傷ついた者同士が、共に夢に向かって励まし合うのではなく、傷を嘗め合う形となる。やがて、夢破れて古里に戻って行く。彼らはとても友達思いだった。が、「友達」という意味をはき違えたていた。結果、映画も作れず、夢破れて、友達も失った。
そんな経験があるので、僕はキャストやスタッフとも一線を引く。そして彼らは「友達」というより「仲間」だと考える。感動的な映画を一緒に作るための「仲間」。友達ありきで考えると、自主映画時代の悲劇を繰り返すからだ。
例えば、親しい俳優がいて「友達」だったとする。そいつは頑張り屋だが、なかなか出演依頼がない。それを「友達」なので応援、出演させる。でも、芝居がうまくない。そのために映画のクオリティが下がる。どんなに親しい「友達」でも、それをしてはいけない。
そんな訳で、僕は一線を引く。互いのことを深く知ると、どうしても甘えが出る。同情する。そして、相手に罪があっても許そうと思える。俳優は「監督は私のことを分かってくれているから、許してくれるはず」という甘えがでる。僕も「こいつのために何とかしてやりたい」と思う。本来それは「友情」と呼ばれるものだが、諸刃の件。映画作りではマイナス。だから距離を置く。
監督業で一番大事なのは何か? 「感動してもらえる素敵な映画を作ることか?」だ。「仕事に影響しても、友達を庇うこと」ではない。大切なのは「仲間」と素晴らしい作品を作ること。その「仲間」というのは手を抜いたり、作品を阻害することを許し合う存在ではなく、同じ夢や目的を持ち、助け合う存在。そんなふうに考えている。
【「向日葵の丘」DVD。amazonで再び完売間近!お早めに?】 [DVD発売]
「ファンです!」という人たち。でも、その俳優の映画は見ない? [【再掲載】]
もう何年も前になるが、ある町で映画のロケをした。出演している人気俳優のNさんがオフの日に町のカフェを訪れた。そこの店長は彼の大ファン。大喜びでサインをもらい、店に飾ったという。その話を聞いて「それなら!」と、僕はポスターと大量のチラシを持って、その店を訪れた。
「今月の*日から公開。頼むぜ!」というと、店長は「うちの店員は全員Nさんのファンですから!」と笑顔で答えてくれた。店から映画館までは1分足らず。チラシも置くだけでなく、客に配ってくれそうだし、店員さんは毎日でも映画を観に行ってくれそうな勢いだった。
映画が公開され、あの店のチラシもなくなっただろうと思い、再度訪ねてみた。ら、チラシは結構、残っていた。そして「店長さん。映画観てくれた?」と訊くと「忙しいんで、まだ行ってないんですよ」との答え。チラシも店頭に置いているだけで、積極的に配ってくれてはいないようだった。
本当にNさんのファン? そんな気がした。が、レジの横に彼のサインは飾られている。それはウソではないようだった。映画は大ヒットして、3ヶ月のロングランになった。で、三たび店を訪れてみた。チラシは相変わらず残っている。そして店長はいう。
「忙しくて観てないんですよ〜」
店は夜の7時まで、定休日もある。映画は夜の部もあり。毎日上映している。3ヶ月もやっていて行けない訳がない。チラシはすでに他のチラシの下に埋もれている。Nさんのファンといいながら、応援している訳ではないことを感じた。その後、ある人気俳優がその件を解説してくれた。
「ファンです!という人は多いのよ。ま、ウソじゃなくて、サインすれば喜んでくれる。でも、多くの人は私たちの映画や芝居を観に来てくれるほどのファンでなく、たまたまテレビで観ていて、あーこの人いいなーというレベル。私たちの出た映画のチラシを配ってくれたり、宣伝してくれたりというファンは本当に一部。ほとんどはファンだといいながら、ドラマや映画も観てくれない。そのくせ会うとサインしてほしい。写真を撮ってほしいと言われるの...」
なるほど、そういうことか。その店の店長は確かにNさんが好きで憧れを持っていた。といって、わざわざ彼の映画を観に行かない。チラシを配り、彼の映画をより多くの人に観てもらいたいとも思わない。個人的に思うのだが、ファンを名乗り、サインをもらったのなら、それも地元で撮影された映画に彼が出ているのなら、映画を観に行くのが筋ではないか? それも3ヶ月も上映していたのだ。
だが、有名俳優さんはこういう。「ファンってほとんどが、そんな感じよ。ファンはありがたいけど、同時に信頼すると大変な目に遭う。忙しくてサインを断ると、私のブログに悪口を書き込んだり。結構大変」そんな話を聞くと悲しくなるが、近い話は僕のまわりでもよくある。それを思い出すと分かる部分が多い。その後、その店を訪れると、閉店していた。客が来ないので潰れたようだ。
結局、店長や店員たちは映画を観たのだろうか? 経営危機で借金に奔走。時間がなかったのか? でも、店員たちは時間があったはず。それもまた「ファンです!」という人たちなのだと感じる。
財布を失くした! [2016年]
10年か20年に1度、大きな失敗をする。といいながら今年2度目の大失敗である事に気付く。1回目は5月。財布を自宅に忘れてシナハンに行き、大阪まで行ったのに、そこから名古屋に戻り友人に金を借りた。そこから目的の街へ。シナハン費は持っていたんだけど、自分の食事代、土産物等は自腹なので財布に入れていたのだ。名古屋に着く頃は300円しかなかった。どこも行くことができず。駅前の喫茶店でその300円でコーヒーを頼んで3時間。友人を待った。なんと間抜けな〜!
そして2回目がつい先日。朝、出かけようとして鞄を開けると財布がない! 昨夜、帰宅してから開けていないので、外出中になくしたんだ。いや、でも、と、部屋も大捜索。見つからない。やはり外だ。思い出してみる。
製作会社に行き、打ち合わせ=>歩いて渋谷方面へ=>ランチ。ハンバーガー=>渋谷駅バス=>自宅。
Suicaを携帯と一緒にしているので、バスには乗れる。この経路の途中で財布を出したのは、ハンバーガー屋だけ。でも、カウンターで代金を払ったあと。財布をバッグにしまったこと。しっかり記憶している。では、そのあと客席は? 一瞬だけ、バッグを置いてトイレへ。アメリカでは絶対にしないし、日本でもしないが、このときは疲れ切っており、置いてトイレに行った。
でも、客がそこそこいる中で、他人のバッグを開けて財布を探すのはかなり勇気がいる。その上、僕は30秒ほどでテーブルに戻る。他の客は誰も席を離れていない(帰っていない)。その上、男性は財布をズボンのポケットに入れるので、バッグに財布があることは気付きにくい。だから、あの瞬間に盗まれた!という可能性は低い。
そのあと、徒歩で渋谷駅。バスに乗る。車内でヘッドフォンを出して、iパッドで音楽を聴く。そのときに財布が飛び出し、床に置いたとか? けど、結構、デカい財布なので、気付くはず。そうすると、落とす、置き忘れる。盗まれるというチャンスは他にない。
そこからも、あれこれ考えた。忘れていることはないか? 何度もその日の行動を思い出してみた。舞わりに座っていた客の顔も思い出してみた。でも、怪しい奴もいない。盗まれる機会もない。では、財布はどこ?
ま、実は財布の中には2000円しか入っていない。損害は少ない。ただ、バンクカードや免許証は入っており、それらを再発行してもらうのに時間と手間がかかりかなり面倒。クレジットカードはないので、使われる心配はない。バンクカードも大丈夫だろう。プロの手で暗証番号が解読されればヤバいが、口座にも微々たる額しか入っていないので安心?!
とは言え、財布をなくすのはショック。あと、TSUTAYAカード、ポンタカード、新宿ピカデリーのカード等、いろんな会員カードも入っている。何より、財布がないと、現金を銀行から降ろせない。というう訳で、昨日1日。アパートの部屋を出れず。食事もあるもので作る。
夜中。あーーパンが食べたいなあ〜と思いながらも現金ゼロでコンビニにも行けず。部屋にある酒を飲んでいたら、思い出した! ハンバーガー屋でノートパソコンをカバンから取り出して、ブログの記事を書いたこと! もしかしたら、そのときに財布デカいので邪魔で、一度出して、テーブルの隅に置いたかもしれない。そして、朝まで待ち。その店がオープンする時間に電話。
「金曜日に財布。忘れたかもしれないんですけど...」
「ええ、ありましたよ。でも、近所の交番に届けました!」
「おーーーーー」
形や色を聞くと間違いない。ということで、その交番に向かう。バスで200円。その後、地下鉄を使えば、さらに近くまで行けるが、Suicaの残高は1000円。無駄使いはできない。渋谷駅からは真夏の太陽の下、30分ほど歩いて交番へ。でも、これで財布が戻る!ラッキーーーーー。交番で確認したら、確かにその財布は届いているという。が、交番の巡査はいう。
「届けられた物は本署に送られました」
えーーーーー、どの本署ですか?と聞くと、
「**署です。でも、今日は日曜日なので、受けとることはできません。月曜日以降に受けとってください」
なんじゃそれーーーーーーーーー!さすが、公務員。やることがお役所!とも思ったが、財布が戻るだけでもラッキーだ。しかし、Suicaはあと800円しかない。今日、このまま一度、自宅に戻り、その署まで行く交通費はあるのか? そして、今日1日。何も外食や買い物はできない。何で、財布は届いているのに受けとれないのか? その理不尽さと、でも、ラッキーという気持ちが交差するが、暗い気持ちで自宅へ。バスを使うーSuicaで200円。残りはあと600円。
自宅に戻り、本日もスパゲティ。ソース作ったのがあるので、自炊。夜は買い置きのカップラーメンか? もらいもののソーメン。ま、何も食えないよりはいい。そう思いながら、ささやかな仕事。何だか人生に疲れてるなあ.....。
。