「太田監督はナイスキャラだ」?という新聞記事紹介。 [【再掲載】]
この記事。とても面白い! 舞台挨拶を俳優ではなく、監督にスポットを当てて紹介。僕も「向日葵」初日で取り上げてくれています。笑える監督としてかなりの評価! ぜひ、ご一読ください。
(文中より)22日に都内で初日舞台あいさつを行った「向日葵の丘 1983年・夏」の太田隆文監督もナイスキャラだった。主演の常盤貴子ら女優6人と登壇し、自らマイクを握って司会。
常盤が最近見て感銘を受けた他の作品について熱く語り始めると「宣伝!?」と絶妙のトーンで突っ込みを入れ、役作りで金髪にしたまま登場した藤田朋子には「パンクロックにしか見えない…」とバッサリ。
ムードメーカーとなって会場の空気を暖め、女優陣との信頼関係が伝わるやりとりもアットホームな雰囲気を生み出し、観客だけでなく報道陣まで思わず笑ってしまう進行ぶりだった。(続きは以下で)
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/08/26/kiji/K20150826011007320.html
こちらは拳銃無宿のジョーさんの場面。 [LC]
「向日葵の丘」のストーリーはこうして作られた!第2話 LAの思い出 [インサイド・ストーリー]
【「向日葵の丘」のストーリーはこうして作られた!第2話】
1983年の思い出ー友達と8ミリ映画を作った経験をベースに物語を作ろうと考えていた。女子高校生が映画研究部で映画撮影をする、ひと夏の物語。でも、以前に監督した「青い青い空」が書道部を舞台にした青春物語だったので、似て来るだろう。さらに「青」はもの凄く評判よかった。それを超える感動ドラマにするのもかなり大変。
そこで当初、考えたのが「スタンドバイミー」方式。大人になった主人公が過去を振り返るというスタイル。だが、さらに考えて、ある事件を物語に取り入れたようと思った。2011年にロスアンゼルスの映画祭に招待されたとき。そう、今年も間もなく「向日葵」を持って訪れるその映画祭のために、20年振りにLAを訪れたとこのことだ。
僕はその町にあるUSC(南カルフォルニア大学)という大学で映画の勉強をしていた。帰国後、7年かかって監督業を始める。やがて映画を監督。その2作目を抱えて渡米。20年振りに母校のあるLAを訪ねたのだ。町はあの頃とほとんど変わっていなかったが、長い歳月はいろんなものを変えてしまっていた。
よく通った店がなくなっている。笑顔でいつも迎えてくれた店員さんがいなくなっている。ある人は自殺していた。ある人は高齢で亡くなっていた。しかし、僕が住んだいくつものアパートはまだ残っていて、今も住人がいる。大学時代に勉強した教室も残っていた。でも、恩師はもういない。
その現実に、言葉にはできないものに打ちのめされた。時の流れって何だろう? あの20代の日々は何だったのか? この町で過ごした6年の意味とは? 死んで行った人。いなくなった友人。英語クラスの先生は今、どこにいるのか? もう一度あの頃に戻りたい。でも、それは適わぬ夢。
帰国してからもしばらく、ショック状態。それから3年。その思い出と1983年がダブり始める。いつも思い出は「懐かしさ」と「悲しさ」が交差する。なのに映画で描かれる「思い出」はその「懐かしさ」が中心になりがち。「あの頃はよかった」「あの時代が懐かしい」と描く。でも、いつの時代も懐かしいだけではなく、「後悔」や「やり切れない思い」むしろ、忘れてしまいたいことだってある。
そんな思いがあって、単に「1983年」」を懐かしく描くだけでなく「現代」をもしっかりと描くことで、いろんなことを見つめることができるのではないか? 単なる懐かしいだけの物語にはならない。僕がこれまで作って来た「涙と感動の青春ストーリー」とは違う作品ができそうな気がしたのだ。
「スタンドバイミー」は現代パートは10数分。ほとんどが過去の物語。そして、通常の映画では「思い出」部分は2−3分で描く。ダイジェストのような表現。それを「現代」も「過去」もたっぷりと描くという、あまり実践されたことのないパターンで映画にできないか?
単に現代と過去を描くだけではなく、その2つの物語が足し算ではなく、かけ算になる作品にする。過去はこうでした。現代はこうです。というだけではなく、その2つを比較、重ねることで、1本ずつの物語では描けない効果が出るに違いない。そうすればきっと、今の日本人が、僕らが忘れている大切なことも見えてくるはずだ。そう思えてスタートしたのが「向日葵の丘」である。
そしてシナリオ執筆となるのだが、当時は前作「朝日のあたる家」の全国公開直前。もう、猫の手も借りたい状態。全国を飛び回ることになる。そんな中、移動中の電車やバス。飛行機や空港で「向日葵」のストーリーを考え続けたのだが.....(つづく)
「表参道高校合唱部」で人気沸騰中の芳根京子が出演!映画「向日葵の丘」 [キャスト]
この夏いちばん泣ける映画「向日葵の丘 1983年夏」
品川プリンスシネマで絶賛上映中!
常盤貴子さん演じる主人公。
その高校時代を演じるのが「表参道高校合唱部」で人気沸騰中の芳根京子!
映画館HP http://www.princehotels.co.jp/shinagawa/cinema/
「向日葵の丘」のストーリーはこうして作られた 第1話 全ては2年前にスタート [インサイド・ストーリー]
まだまだ、余裕はないが、無事に東京先行公開がスタート。精神的には少し余裕ができた(緊張が解けたので疲労もジワジワやって来るが)。観客の入りもまずまずなので安心。だが、1ヶ月後には大阪、名古屋、金沢等で公開。この辺で客が入らないとかなり厳しい。だから、まだまだ宣伝活動を続ける。
ただ、ここまでは映画の中身についてのアピールをしてきた。どんな映画で、どんな物語で、誰が出ているか? けど、東京先行ロードショーが始まったので、少し違う話も書いて行こう。
「向日葵の丘」がスタートしたのは2年前の夏。
あのときもホント暑くて大変だった。そんなときに映画製作の依頼を頂いた。で、僕が昔から映画にしたかった1983年の物語を映画化しようと考えた。実は1983年。今から30年前以上のその年から考えていた企画。本当に面白い年で、映画も、音楽も、テレビドラマも凄く盛り上がった年だった。
そんな時代。僕は「向日葵」の主人公と同じように、8ミリ映画を撮っていた。その経験を生かし83年という年を背景に、青春ものを作りたいと長年考えていたのだ。
ただ、僕の経験そのままに、男の子の物語にすると、観ていて辛いものがあるので、主人公は女子高校生にした。というと、よく「監督は女子高生好きですからね〜?」と言われるが、そうではない。
そうしておいた方が話としては面白いのだが、本当のところを書く。ただ、説明的に書いても面白くないので、こんな話をしよう。渡辺美里は作詞もするシンガー。僕は大好きで初期のアルバムは繰り返し聴いたものだ。苦しいとき、辛いときに彼女の歌に励まされた。そんな歌を聴いていて気付いたのは、美里が作詞する歌の一人称が「僕」であることが多いということ。
女の子なのだから「私」になるところが「 僕」。アルバム「Loving You」だと「悲しき願い」「嵐が丘」「Loving you」は全て人称が「僕」そのあとのアルバムもそうだ。これはきっと美里が自分の人生を歌うとき、「私」にすると客観的に自分を見れないから「僕」にすることで物語を作り、作詞したのではないか?と想像する。
たぶん、僕も似たような理由で似たようことをしているのだろう。ただ、映画に描かれた物語が全て、僕の経験という訳ではない。当時の友達の物語であったりもする。ま、そんなこんなで女子高生が映画研究部で8ミリ映画を作るストーリーを考えた。しかし、問題がある。このままでは僕が以前に作った「青い青い空」と似たような感じになる。
「青」は書道部の物語。今回が「映研」?
部活が違うだけで、同じ青春ストーリーだと面白くない。と考えていて思いついたことがある。あの話を加えよう。そう。あれがいい。と思えることがあった。さて、その話とは? 2011年5月にLAに行ったことだ。また別の機会に書く。
(つづく)
「向日葵の丘」を 品川プリンスシネマで観て、帰りはフードコートで 叙々苑の弁当を! [公開中]
「向日葵の丘」を
品川プリンスシネマで観て
帰りにフードコートで
叙々苑の弁当を食べよう!
980円で、かなり美味。
HPはこちら!
http://www.princehotels.co.jp/shinagawa/restaurant/shinakichi/menu/
「向日葵の丘」本日の水曜。またまた1日4回上映だ! [公開中]
どんな映画でも、公開されて週を追うごとに上映回数が減る。「その内に行こう!」と思っていて、いざ映画を見ようとHPをチェックすると「えーー夜1回上映!!」なんてことがある。
なので、上映時間が選べる今の内にぜひ、品川プリンスシネマへ。本日水曜日は1日4回上映なので、特にお勧めだ。
9月2日(水)
① 09:20 ー11:50
② 12:15 ー14:45
③ 15:05ー 17:35
④ 17:55 ー20:25
映画館HP http://www.princehotels.co.jp/shinagawa/cinema/
公式P http://himawarinooka.net