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「向日葵の丘」のストーリーはこうして作られた 第1話 全ては2年前にスタート [インサイド・ストーリー]

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まだまだ、余裕はないが、無事に東京先行公開がスタート。精神的には少し余裕ができた(緊張が解けたので疲労もジワジワやって来るが)。観客の入りもまずまずなので安心。だが、1ヶ月後には大阪、名古屋、金沢等で公開。この辺で客が入らないとかなり厳しい。だから、まだまだ宣伝活動を続ける。

ただ、ここまでは映画の中身についてのアピールをしてきた。どんな映画で、どんな物語で、誰が出ているか? けど、東京先行ロードショーが始まったので、少し違う話も書いて行こう。

「向日葵の丘」がスタートしたのは2年前の夏。

あのときもホント暑くて大変だった。そんなときに映画製作の依頼を頂いた。で、僕が昔から映画にしたかった1983年の物語を映画化しようと考えた。実は1983年。今から30年前以上のその年から考えていた企画。本当に面白い年で、映画も、音楽も、テレビドラマも凄く盛り上がった年だった。

そんな時代。僕は「向日葵」の主人公と同じように、8ミリ映画を撮っていた。その経験を生かし83年という年を背景に、青春ものを作りたいと長年考えていたのだ。

ただ、僕の経験そのままに、男の子の物語にすると、観ていて辛いものがあるので、主人公は女子高校生にした。というと、よく「監督は女子高生好きですからね〜?」と言われるが、そうではない。

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そうしておいた方が話としては面白いのだが、本当のところを書く。ただ、説明的に書いても面白くないので、こんな話をしよう。渡辺美里は作詞もするシンガー。僕は大好きで初期のアルバムは繰り返し聴いたものだ。苦しいとき、辛いときに彼女の歌に励まされた。そんな歌を聴いていて気付いたのは、美里が作詞する歌の一人称が「僕」であることが多いということ。

女の子なのだから「私」になるところが「 僕」。アルバム「Loving You」だと「悲しき願い」「嵐が丘」「Loving you」は全て人称が「僕」そのあとのアルバムもそうだ。これはきっと美里が自分の人生を歌うとき、「私」にすると客観的に自分を見れないから「僕」にすることで物語を作り、作詞したのではないか?と想像する。

たぶん、僕も似たような理由で似たようことをしているのだろう。ただ、映画に描かれた物語が全て、僕の経験という訳ではない。当時の友達の物語であったりもする。ま、そんなこんなで女子高生が映画研究部で8ミリ映画を作るストーリーを考えた。しかし、問題がある。このままでは僕が以前に作った「青い青い空」と似たような感じになる。

「青」は書道部の物語。今回が「映研」? 

部活が違うだけで、同じ青春ストーリーだと面白くない。と考えていて思いついたことがある。あの話を加えよう。そう。あれがいい。と思えることがあった。さて、その話とは? 2011年5月にLAに行ったことだ。また別の機会に書く。

(つづく)


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