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映画「向日葵の丘 1983年・夏」撮影現場ルポ・その2 [撮影ルポ]

  
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その2/1983年当時流行った聖子ちゃんカットの娘たちがいっぱい!?

by 永田よしのり(映画分筆家)


 4月20日・日曜日。
 いよいよ「向日葵の丘―1983年・夏―」のロケ初日。
 前日から宿泊所に入ったわけだが、夜中になっても美術スタッフらは作り物を続けていた。
 作業部屋には翌日以降で使う小物が山のように(生徒たちの上履き、制服、ペンケースなどの文具、ビデオ、テレビ、ベータビデオデッキ、8ミリ映写機、フィルム缶、レジスター、ベータ・テープなどなど)。はたして何時に寝たのかは確認できていないが、かなりの時間まで作業していたことは間違いない。

 そんな夜を過ごして朝8時に宿舎を出発。
 ロケ車を何台にも分乗して(僕はメイキング・ビデオ、作品スチールの2人を自分の車に乗せて出発)、ロケ現場に向かう。
 雨模様の1日になる予報(深夜0時過ぎから降り始めている)ではあるが、今日の撮影はほとんどが室内なので、まあ心配はないだろう。

 宿舎から小1時間ほどかけてロケ現場に到着。
 今回のロケはとにかく移動の時間がかかる場所ばかり。
 もちろん、僕は初めて来た場所なので、前日に受け取った地図を頼りに車のナビゲーションに入力して出かけることに。

 宿舎からはかなりの間、細いつづら折りの山道が続くので、下手にスピードを出して走るわけにはいかない。それも移動に時間がかかる要因のひとつ。
 中学校を使用してのロケ。

 スタッフは少し早めに到着したので、学校のカギが開くのをしばし待つことに。
 僕も荷物の搬入を手伝う。
 3階の教室を使っての撮影。
 芝居の段取りなどが始まると、途端に慌ただしくなってくる。




 教室内部は5×5の25席の並び。各机には教科書た筆記用具がそろえて置かれている。
 スタッフ間でトランシーバーのやり取りが続く。

 監督はキャメラ位置をどんどん決め、各々生徒たちのポジション決め、それぞれの出演者たちに芝居の中での動きの流れを決めて、キャメラの方向などと共に伝えていく。
 本日のスタッフは約30名。誰もが自分の役割をこなす。
 撮影の地代設定は1983年。

 女子生徒たちは当時流行った聖子ちゃんカットの娘ばかり。男子9名、女子16名合計25名の生徒構成のため余計に女子たちの髪形は目だって見えてくる。

 それぞれの生徒たちの座り位置も決まり、授業開始前の風景の段取り。キャメラと教室内の人間の配置へ動きをスムーズに流れるように段取りが進む。そこではそれぞれの生徒たちの集団の固まりも確認(よく仲の良い生徒で集まった記憶が誰にでもあるだろう。そうしたカタチも教室の中で作っていくことが、生徒たちの集団意識や時代性の中でのひとつの表現になるのだ)。生徒たちは日常会話から劇中のクラスメイトと同じように関係が出来上がっていく。それは自然と雑談から入るのだろう。

 それぞれの生徒が持っている小物(レコード、雑誌など)のキャメラへの写るポジションも確認。
 いよいよファースト・カット、シーン・8の撮影が始まる。



 まずはそれほど緊張感を感じないようなシーンから。
 教室は3階にあり、そのベランダにも教室内部への照明がセットされる。照明は〃時間〃の表現にもなる。ただ撮影のためだけに当てているわけではない。その照明の強さや角度で1日の時間も表現していけるのだ。

 気温16度。照明が点けられると教室内部の気温もぐんぐん上昇していくのが分かる。
 最初にカセットテープの貸し借りのシーンがある。
 現在の子供たちはカセットテープというものを触ったこともないような世代。そこを30年前のカルチャーとしてどう知っていくか、そこから監督は子供たちにひとつづつ当時の音楽メディアがどうだったか説明していく。

 傍から見ていると当時のことを知らない子供たちに、その時代のことを教えながら撮影を進めていかなくてはならないのだから、ひとつひとつの動きを確認する作業が必然必要となる。そこにはやはり当時のことを知らない子供たちを起用する、という大変さがあろう。ましてや生徒たちは一般から選ばれた市民俳優たち。30年前のカルチャーを予習してくるような子供はほとんどいなくて当然なのだろう。1980年代をリアルに生きてきた者からすると、過ごした時代の違いというのは明確に現れてくるもの、そこをどう埋めるか、に監督はまず苦慮しているように思われる。

 撮影はひとつの教室の中で三つほどの生徒の固まりが作られる。それぞれの集団の中でそれぞれの動きをいかに自由度を合わせて見せていくか、そこが撮影のポイントとなる。
 それでも夏前の制服姿の生徒たちがそれぞれに動きだすと教室の中の喧噪が表出してくるから不思議だ。

 日曜日の早朝であっても、近くの講堂では剣道部の朝練習が行われている。スタッフはその練習の声を押さえてもらうようにお願いに走っていた。
 撮影は一連の芝居を受けての何度かチェック。
 監督は芝居の長さを確認し、何人かの男子生徒に芝居の変更を注文。キャメラ位置もどんどん移動しながら撮影は進んでいく。

 最初はやはり緊張ぎみだった生徒たちも撮影が進むにつれて堅さが取れていく。生まれて初めての映画撮影の現場に居ることを彼らは後でどう感じたことだろうか。
 多分実際の映画の画面では分からないことだろうが、撮影ではキャメラのスペースを作るために教室の机を微妙に動かしている。それは例えてみればかつて「ウルトラマン」などの特撮怪獣テレビドラマで、ウルトラマンと怪獣が戦うシーンには都市のど真ん中でも広大な格闘スペースが確保されていたようなものかもしれない(ちょっと違うか?)。

 そうして今日は教室内で展開していく場面を集中的に撮影していくことになる。
 監督は生徒たちにウォークマンの使い方を教えたり、レコードの説明をしたりしている。
 そしてそれぞれに動きを決めてタイミングでカットを割っていく。今日だけでシナリオの12ページ分を撮影する予定になっているのだから、進行状況は常に把握されていく。

 芝居がしやすいように机を少し動かしたり、廊下に人を歩かせたりと、普段の学校の様子を表現することにも神経は使われていく。
 また男子生徒たちの間でのアイドル話などもグラビアを写すと権利関係が発生するために、写真などは写さずに撮影は進む。

 撮影が行われていない隣の教室では、美術スタッフがクラスに張る壁新聞などを作成中。
 太田監督の前作「朝日のあたる家」でも手伝いに来ていた応援団も(このために浜松、湖西、和歌山、東京等からやって来ているのだ)参加して小道具作りを行っていた。

 撮影が行われている島田市の、この学校のそばにはSLが走る大井川鉄道がある。1日に何度かSLが通るためにその汽笛が聞こえてくることがある(それは毎日同じ時間に聞こえるのだ)。地元の人に聞くと日曜日は1日に2回通るのだそう。




 午前中の撮影は見ているとなかなか遅々として進まない。子供たちはやはり初めての撮影で勝手が分からないことと、ひとつひとつの自分たちの動きが画面の中でどう写るかも分からない。そのために時間がかかってしまうのは仕方がないことだろう。

 そこを監督はひとつひとつ指示していき、なぜそう動くのか、という心理面もていねいに説明していくことになる。子供たちの演技に変化が出てくるのは、現場に少しづつ慣れたこともあるが、そうした監督のていねいな指示に納得して演技をすることが出来る(覚える)からだろう。
 昼近くになってクラスの担任・尚子先生(仲代奈緒)の出演シーンがやってくる。
 一連の教室での動きを全部通して撮影してしまうようだ。

 そして、ひとたび仲代が動きだすと、それまでの撮影の時間が早く動きだすかのように感じられる。やはり役者を生業としているプロと、初めての撮影現場にいる子供たちとの差は如実に現れてしまうのは仕方がないところ。そのバランスをどう取るか、監督の演出が全体の構成を作ってから少しづつ構築されていく。

 それがあるゆえに教室の中での土台作りが成され、監督の演技プランも含めひとつひとつのシーンがやがて大きな固まりになっていくことになるのだ。
 仲代の履くサンダルのサイズが合わないで脱げやすいために、足の裏とサンダルの間に両面テープを張ったりするのもスタッフの仕事。
 午前中は同じ教室内で撮影が続くことに。

 途中ひとつの台詞がどうしても言えない男子生徒にテイクを15回ほど重ねるという場面もあった。それはほんの一言の短い台詞なのだが、言えなくなると全く言えなくなる事態に。
 それでも根気よくそのシーンをなんとか終え、午前中の撮影は終了、シーン8だけを集中的に撮影して昼食となった。

 昼食は弁当。生徒たちと一緒に50人以上がひとつのフロアで食事をする。まるで修学旅行か合宿の食事風景のようだ。
 午後からは多香子たちが、自分たちで文化祭のためにあることをしようと進言するシーン27から始めることに。
 午前中の撮影が少し時間がかかったため、昼食時間は30分。すぐに撮影を再開することになった。


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「向日葵の丘 1983年・夏」撮影現場ルポその1・撮影が始まる前から寝不足のスタッフたち!? [撮影ルポ]

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 BY 永田よしのり(映画文筆家)

 2013年の太田隆文監督「朝日のあたる家」の撮影現場取材におじゃましてから早1年。
 2014年も前年と同じ静岡県(今年は島田市)にて、新作映画「向日葵の丘/1983年・夏」のロケにおじゃますることとなった。
 昨年と少し違うのは、今年の僕はオフィシャルという立場にいること。
 これにより、昨年とは少しばかり立ち位置が変わって、太田監督曰く「今回はオフィシャルなので堂々とスタッフの顔をして来てください(笑)」と、ある意味お墨付きをいただいたのだ。
 しかしながらオフィシャル、という立ち位置にいる、ということは僕の思いだけで好き勝手に物事を書き、紹介してはならない、という当たり前の制約もつく。
 そのために撮影ルポの公開もこの時期になってしまった。
 それはルポを読まれる読者の方々にもご理解していただきたいと思う。
 
 今回のロケは、2014年4月20日の日曜日から5月6日の火曜日までが撮影期間。
 監督らスタッフは数日前から前乗りをしている。
 僕は前日に市民俳優たちの衣装合わせがあるとの情報を受けて、
島田市の文化センターで、19日の土曜日夕方から行われる現場に入ることにした。
 自宅を自分の運転する車で出発したのは、19日土曜日の午後2時半頃。高速道路情報では東名高速道路も混んでいる様子がなかったので、その時間に出ることにしたのだ。
 道中まったく混雑した箇所はなく、片道約250キロの道を少しのんびりと3時間ほどかけて島田市に到着したのは、夕方6時頃。

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 衣装合わせをしている島田駅近くの、文化センターではすでにもろもろの作業が始まっている時間。
 会場に入り挨拶、市民俳優らの衣装合わせの様子を拝見することに。
 この日の衣装合わせの人数は10人ほど。
 それぞれの役どころと姿形に合わせた衣装が選ばれていく。
 隣の部屋ではヘアメイク、ヘアカットもされていて、学生役の女の娘たちが軒並み1983年当時流行っていた松田聖子のヘアスタイルにしているのだそうだ(果たしてどんな集団になっているのか、明日見るのが楽しみ)。

 部屋には、監督の他、アソシエイト・プロデューサー、衣装部、ヘアメイク、スチールやメイキング班など10人ほどのスタッフ。
 順番に入って来る俳優さんたちの衣装を、監督のイメージに合う雰囲気の服装になるように、持参した服と、衣装部の用意した服とで何度か着てみてから決定(着替えは部屋の一角に仕切られたコーナーの中でする)。ちょっとした着せ替え人形状態なのだ。
 そこでは衣装だけでなく、髪形も決定。
 一人短い人で10分ほど。

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 中には太田監督映画には欠かせない岡本ぷくさんも(故・清川虹子の弟子であり、現在は静岡県在住で演劇活動あろゑプロジェクトでの活動も。映画では山本薩夫監督の「ああ、野麦峠・新緑篇」やテレビドラマでは「翔んだカップル」に当時は岡本珠子として出演している)常連俳優らしく、スタッフらとも顔なじみ。
 常に明るい雰囲気で笑いの絶えない中での衣装合わせとなった(実はこの岡本ぷくさん、後に役者仕事以外で僕らを大変支えてくれることを知るのだが)。

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 衣装は着てみて、一見してイメージと合わないものはすぐに却下。着ている服が変わるだけでその人のイメージは随分と変わるので、ここでの作業はとても重要なものなのだ。
 ぷくさんの役は「たいやき屋・桜屋」のウメおばさん。ぷくさん曰く、実際にロケハンされたたいやき屋のオバあちゃんが短髪だったため、撮影では「自分も髪の毛を短くしようと思っていた」のだそうだ。だが、監督との話し合いの末に髪を切ることなく撮影に臨むことになったという話も。

 若い頃の将太という主人公の隣人を演じる小池亮介(上記・あろゑプロジェクトですでに何本もの舞台にも出演している若手俳優)の場合は「もみあげが長いので切れる?」と注文。それはかなわなかったので、ヘアメイクでうまくもみあげを短く見せることに。追加で監督からは将太のきまりごとのような癖をひとつ考えておくこと、と注文が入っていた。

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 劇中で主人公たちの重要な場所となる映画館・かもめ座の梶原支配人の孫役・信子に選ばれたのは市民俳優の女性・Mさん。映画館での服装ということで衣装合わせではポロシャツが選ばれた。明るい色のポロシャツに、靴紐の色を明るくすることで決定。髪の毛は黒くすることに。彼女は市民俳優として映画出演が初めてなので、色々と不安もあるらしく、監督に細かい心構えや自身の不安感を取り除くかのようにいくつも質問を繰り返していた(その気持ちはよく分かるというもの)。
 さらに彼女は出演シーンが終わっても現場の手伝いをしたいと申し出ていて、製作部スタッフと追って打ち合わせをすることにもなった。
 映画撮影現場ではたくさんの人が働いており、専門的な仕事をする人以外に現場の中で雑用をこなす人員は必ず必要なのだ。そうした場所にMさんのように申し出てくれる人はとても有り難く、大事なものとなり、ありがたいものなのだ。
 部屋では監督と助監督が、衣装合わせ以外で空いている時間を見つけては様々な打ち合わせをしている。撮影開始前日とはいってもけしてのんびりと構えているわけにはいかない、むしろあれはどうだったか、これはどうすべきだったか、と考え出すとキリがなくなるもの。多分に懸案事項はたくさん残されているに違いない。

 そして、最後に主人公となる高校生たちの担任・尚子先生役の仲代奈緒(仲代達矢の娘であり、舞台や朗読劇などに出演をしている/自ら企画・製作・演出を手掛けた、戦時中の家族の姿を描いた朗読劇『大切な人』が好評で、全国で公演中))さん。
 監督から役どころの説明が細かく再確認され、映画の中での先生に似合った服装が決められていく。
 5パターンほどが決められ、そこから劇中で着る服が選定されていくようだ。
 監督からは尚子先生の悲劇性という言葉が何度か使われた。それはある人の一言が、言われた人の人生を良くも悪くも変えていくことがある、という監督の考えでもあろう。
 それは太田監督の映画に一環している「何が一番大切なことなのか?」というテーマにつながっていくものでもある。
 そこでの人としての悲しみ、教師としての葛藤をどう見せていくのか? そこは「自分の中で消化しない不安な状態のままで演じてもいいのかもしれない」と監督。
 仲代は「今から踊りのシーンが一番不安」と言う(どんな踊りかは映画のストーリー上今はまだ明かせないが、とても重要な心に響くシーンなのだ)。
 そしてそれは撮影初日から演じることになるのだが。
 そんな衣装合わせも午後9時半過ぎに終了。
 片付けをして、宿泊所に向かうことに。


 宿泊所は島田市街から車で30キロほど離れた場所にある。
 監督曰く「入ったら逃げ出せない場所(笑)」なのだそうだ。
 宿泊所は以前学校だったものを改装して合宿所にように使えるもの。
 僕の部屋は2階の8人部屋。二段ベッドの上を確保した。

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 廊下やトイレ、洗面所などが、通る度に自動で明かりが点くのにちょっと感動してしまった(笑)。
 宿泊所に到着したのは、午後の11時頃。その時間でも食事が摂れるのは非情にありがたい。
 しかもその食事の用意をしてくれていたのが、映画に出演もしている岡本ぷくさん。

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 なぜにぷくさんが食事を作ってくれているかというと、当初は撮影スタッフらのために地元ボランティアの方々が食事の用意をしてくれることになっていたのだが、断りの連絡が入り、スタッフ一同困っていたところ、ぷくさんが名乗り出てくれたのだそうだ。
 ぷくさんは毎日違うメニューを考え、「スタッフが食事で不自由する現場はろくなもんじゃない(笑)」という信念と男気(!?)のもと、今回の食事の準備も担当してくれることをここで知る。
 自分の出演シーンもあるのに、毎朝毎晩食事の用意もしてくれる。本当に頭の下がることだ。
 本当に映画撮影の現場はどこで何が起こるか分からない。それを現場で即時対応していくことで、映画撮影の現場は進んでいく。
 翌日のロケ出発時間は朝の8時予定。

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 それでも撮影初日前日、美術スタッフたちは後で聞くと明け方の4時くらいまで作り込みの作業をしていたのだという。
 もう初日はほとんどのスタッフが寝不足状態。それでも映画撮影は始まり、いつかは終わる。
 撮影の期間の数週間を、役者やスタッフ、そして映画に関わった者たちがどんな思いで撮影現場を後にすることが出来るのか。
 そこで笑顔の弾けるような終わり方をしたとしたら、この映画の成功も想像できていくような気がする。
 いよいよ翌日から撮影開始。どんな時間をここで皆が過ごすことになるだろうか。

 (つづく)

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「向日葵の丘 1983年・夏」撮影現場ルポその1・撮影が始まる前から寝不足のスタッフたち!? [撮影ルポ]

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 BY 永田よしのり(映画文筆家)

 2013年の太田隆文監督「朝日のあたる家」の撮影現場取材におじゃましてから早1年。
 2014年も前年と同じ静岡県(今年は島田市)にて、新作映画「向日葵の丘/1983年・夏」のロケにおじゃますることとなった。
 昨年と少し違うのは、今年の僕はオフィシャルという立場にいること。
 これにより、昨年とは少しばかり立ち位置が変わって、太田監督曰く「今回はオフィシャルなので堂々とスタッフの顔をして来てください(笑)」と、ある意味お墨付きをいただいたのだ。
 しかしながらオフィシャル、という立ち位置にいる、ということは僕の思いだけで好き勝手に物事を書き、紹介してはならない、という当たり前の制約もつく。
 そのために撮影ルポの公開もこの時期になってしまった。
 それはルポを読まれる読者の方々にもご理解していただきたいと思う。
 
 今回のロケは、2014年4月20日の日曜日から5月6日の火曜日までが撮影期間。
 監督らスタッフは数日前から前乗りをしている。
 僕は前日に市民俳優たちの衣装合わせがあるとの情報を受けて、
島田市の文化センターで、19日の土曜日夕方から行われる現場に入ることにした。
 自宅を自分の運転する車で出発したのは、19日土曜日の午後2時半頃。高速道路情報では東名高速道路も混んでいる様子がなかったので、その時間に出ることにしたのだ。
 道中まったく混雑した箇所はなく、片道約250キロの道を少しのんびりと3時間ほどかけて島田市に到着したのは、夕方6時頃。

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 衣装合わせをしている島田駅近くの、文化センターではすでにもろもろの作業が始まっている時間。
 会場に入り挨拶、市民俳優らの衣装合わせの様子を拝見することに。
 この日の衣装合わせの人数は10人ほど。
 それぞれの役どころと姿形に合わせた衣装が選ばれていく。
 隣の部屋ではヘアメイク、ヘアカットもされていて、学生役の女の娘たちが軒並み1983年当時流行っていた松田聖子のヘアスタイルにしているのだそうだ(果たしてどんな集団になっているのか、明日見るのが楽しみ)。

 部屋には、監督の他、アソシエイト・プロデューサー、衣装部、ヘアメイク、スチールやメイキング班など10人ほどのスタッフ。
 順番に入って来る俳優さんたちの衣装を、監督のイメージに合う雰囲気の服装になるように、持参した服と、衣装部の用意した服とで何度か着てみてから決定(着替えは部屋の一角に仕切られたコーナーの中でする)。ちょっとした着せ替え人形状態なのだ。
 そこでは衣装だけでなく、髪形も決定。
 一人短い人で10分ほど。

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 中には太田監督映画には欠かせない岡本ぷくさんも(故・清川虹子の弟子であり、現在は静岡県在住で演劇活動あろゑプロジェクトでの活動も。映画では山本薩夫監督の「ああ、野麦峠・新緑篇」やテレビドラマでは「翔んだカップル」に当時は岡本珠子として出演している)常連俳優らしく、スタッフらとも顔なじみ。
 常に明るい雰囲気で笑いの絶えない中での衣装合わせとなった(実はこの岡本ぷくさん、後に役者仕事以外で僕らを大変支えてくれることを知るのだが)。

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 衣装は着てみて、一見してイメージと合わないものはすぐに却下。着ている服が変わるだけでその人のイメージは随分と変わるので、ここでの作業はとても重要なものなのだ。
 ぷくさんの役は「たいやき屋・桜屋」のウメおばさん。ぷくさん曰く、実際にロケハンされたたいやき屋のオバあちゃんが短髪だったため、撮影では「自分も髪の毛を短くしようと思っていた」のだそうだ。だが、監督との話し合いの末に髪を切ることなく撮影に臨むことになったという話も。

 若い頃の将太という主人公の隣人を演じる小池亮介(上記・あろゑプロジェクトですでに何本もの舞台にも出演している若手俳優)の場合は「もみあげが長いので切れる?」と注文。それはかなわなかったので、ヘアメイクでうまくもみあげを短く見せることに。追加で監督からは将太のきまりごとのような癖をひとつ考えておくこと、と注文が入っていた。

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 劇中で主人公たちの重要な場所となる映画館・かもめ座の梶原支配人の孫役・信子に選ばれたのは市民俳優の女性・Mさん。映画館での服装ということで衣装合わせではポロシャツが選ばれた。明るい色のポロシャツに、靴紐の色を明るくすることで決定。髪の毛は黒くすることに。彼女は市民俳優として映画出演が初めてなので、色々と不安もあるらしく、監督に細かい心構えや自身の不安感を取り除くかのようにいくつも質問を繰り返していた(その気持ちはよく分かるというもの)。
 さらに彼女は出演シーンが終わっても現場の手伝いをしたいと申し出ていて、製作部スタッフと追って打ち合わせをすることにもなった。
 映画撮影現場ではたくさんの人が働いており、専門的な仕事をする人以外に現場の中で雑用をこなす人員は必ず必要なのだ。そうした場所にMさんのように申し出てくれる人はとても有り難く、大事なものとなり、ありがたいものなのだ。
 部屋では監督と助監督が、衣装合わせ以外で空いている時間を見つけては様々な打ち合わせをしている。撮影開始前日とはいってもけしてのんびりと構えているわけにはいかない、むしろあれはどうだったか、これはどうすべきだったか、と考え出すとキリがなくなるもの。多分に懸案事項はたくさん残されているに違いない。

 そして、最後に主人公となる高校生たちの担任・尚子先生役の仲代奈緒(仲代達矢の娘であり、舞台や朗読劇などに出演をしている/自ら企画・製作・演出を手掛けた、戦時中の家族の姿を描いた朗読劇『大切な人』が好評で、全国で公演中))さん。
 監督から役どころの説明が細かく再確認され、映画の中での先生に似合った服装が決められていく。
 5パターンほどが決められ、そこから劇中で着る服が選定されていくようだ。
 監督からは尚子先生の悲劇性という言葉が何度か使われた。それはある人の一言が、言われた人の人生を良くも悪くも変えていくことがある、という監督の考えでもあろう。
 それは太田監督の映画に一環している「何が一番大切なことなのか?」というテーマにつながっていくものでもある。
 そこでの人としての悲しみ、教師としての葛藤をどう見せていくのか? そこは「自分の中で消化しない不安な状態のままで演じてもいいのかもしれない」と監督。
 仲代は「今から踊りのシーンが一番不安」と言う(どんな踊りかは映画のストーリー上今はまだ明かせないが、とても重要な心に響くシーンなのだ)。
 そしてそれは撮影初日から演じることになるのだが。
 そんな衣装合わせも午後9時半過ぎに終了。
 片付けをして、宿泊所に向かうことに。


 宿泊所は島田市街から車で30キロほど離れた場所にある。
 監督曰く「入ったら逃げ出せない場所(笑)」なのだそうだ。
 宿泊所は以前学校だったものを改装して合宿所にように使えるもの。
 僕の部屋は2階の8人部屋。二段ベッドの上を確保した。

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 廊下やトイレ、洗面所などが、通る度に自動で明かりが点くのにちょっと感動してしまった(笑)。
 宿泊所に到着したのは、午後の11時頃。その時間でも食事が摂れるのは非情にありがたい。
 しかもその食事の用意をしてくれていたのが、映画に出演もしている岡本ぷくさん。

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 なぜにぷくさんが食事を作ってくれているかというと、当初は撮影スタッフらのために地元ボランティアの方々が食事の用意をしてくれることになっていたのだが、断りの連絡が入り、スタッフ一同困っていたところ、ぷくさんが名乗り出てくれたのだそうだ。
 ぷくさんは毎日違うメニューを考え、「スタッフが食事で不自由する現場はろくなもんじゃない(笑)」という信念と男気(!?)のもと、今回の食事の準備も担当してくれることをここで知る。
 自分の出演シーンもあるのに、毎朝毎晩食事の用意もしてくれる。本当に頭の下がることだ。
 本当に映画撮影の現場はどこで何が起こるか分からない。それを現場で即時対応していくことで、映画撮影の現場は進んでいく。
 翌日のロケ出発時間は朝の8時予定。

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 それでも撮影初日前日、美術スタッフたちは後で聞くと明け方の4時くらいまで作り込みの作業をしていたのだという。
 もう初日はほとんどのスタッフが寝不足状態。それでも映画撮影は始まり、いつかは終わる。
 撮影の期間の数週間を、役者やスタッフ、そして映画に関わった者たちがどんな思いで撮影現場を後にすることが出来るのか。
 そこで笑顔の弾けるような終わり方をしたとしたら、この映画の成功も想像できていくような気がする。
 いよいよ翌日から撮影開始。どんな時間をここで皆が過ごすことになるだろうか。

 (つづく)

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「『向日葵の丘 1983年・夏』撮影現場ルポ 序文 [撮影ルポ]

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 BY 映画文筆家 永田よしのり

 太田隆文監督の新作映画の脚本を読ませていただいたのが、2013年の夏のこと(たしか7月頃、有楽町の居酒屋で渡されたと記憶している)だった。
 その頃は、まだ僕の中ではその「新作映画の脚本を読む」ということに現実味がなく、太田監督の精力的な創作意欲にただただ圧倒されていた、と言ってもいいかもしれない。
 だが、最初の脚本を読んで、心を掴まれてしまった。
 脚本を読んで泣けてしまったのだ。
 僕は「脚本を読んで泣けない映画は出来上がった映画を観ても泣けないものだ」と思っている。
 まさにその新作脚本を読んで泣けてしまった、ということは、その映画が〃心に共鳴する何か〃を、持っているにほかならないということだ。
 それを太田監督に伝えると、にやり、とされたのを思い出す。
 脚本はその後、何回かの改稿を経て決定稿に。
 その決定稿には、最初に読ませていただいたものからさらにエピソードに厚みがあり、洗練されたものとなっていたのは言うまでもない。 
 そして、2014年の4月末からは新作映画の撮影がスタートすることになった。
 タイトルは「向日葵の丘 1983年・夏」と決まった。
 今回の太田映画の舞台は、そのものズバリ〃映画的〃な世界。
 時代は1983年と現在。
 その30年の時間軸の中で、登場人物たちの心の動きが描かれていくことになる。
 まだ携帯電話もDVDもなかった時代、高校生だった映画好きの女子生徒たちの青春と現在とを繋ぎ、本当に大事なこととは何だったのか? 伝えていくものは何なのか? を我々に提示していく。
 主演となるのは常盤貴子。
 最近では大林宣彦監督の「野のなななのか」(2014年5月17日公開)に主演している。
 実は大林監督と太田監督とは師弟の間柄。そんなことから常盤貴子の出演に至った経緯も一端にはあるのだ。
 前作「朝日のあたる家」の撮影時では、頼まれたわけでもないのに、静岡県の撮影現場に帯同して、撮影現場ルポを書いた。
 それが少しでも太田映画の宣伝になれば、と思ったからだ。
 それがあり、劇場用パンフレットを書き、今回の新作映画ではオフィシャル・ライターとして、4月19日からロケ現場である静岡県島田市の撮影現場に赴くこととなった。

今回はスタッフらと一緒に寝泊まりしながらの、撮影現場帯同。また前回とは違った側面から映画撮影の現場をリポートすることとなろう。
 新作はまさに〃青春映画〃のカテゴリー。
 これまで太田映画を観る機会に恵まれていなかった人にはぜひ観てもらいたいと思う。
 僕が太田映画を好きなことの理由のひとつに、描かれる題材を的確な演出で観せてくれることがある。
 〃日本映画〃というカテゴリーにはかつてから、登場人物たちのやたらと長い感情表現を画面で見せられることがある。それは時として成功するが、だいたいにおいて「長い!」と感じてしまうことが多い。最近のデジタル化ではフィルムを使わない(かつてはフィルム代が一番の予算確保のひとつだった)からか、よけい安易にそうした場面が挟み込まれることもあったりする。
 それがまずない。
 それはつまり、観客の心が同じ場面にずっと立ち止まることをせずに次の展開についていけるということにもなり、ひいては映画を観ていくうえでのテンポの良さにも繋がっていく。
 映画は観ていて「長いなあ」と思われたら最後。
 もしもテレビドラマだとしたら、視聴者はすぐにチャンネルを変えてしまうだろう(そういう意味では、映画は観客が自分で選んでお金を払って観るので、最後まで観るという責任もあるのだ/しかし、途中で席を立つ自由も当然ある)。
 もちろん、太田映画の特筆すべきところはそうしたテンポの良さ(しかしながらそれがあるゆえに、観客は映画の世界にどんどん引き込まれていくことにもなるのだ)だけではないが、それはここで僕がくどくどと説明するべきものでもなかろうと思うのでやめておこう。
 なにより、観客が映画館で太田映画を観ることさえすれば、その映画が観客にとって心のどこかに残る大事なものを残してくれることは明白なのだから。そしてそれこそが太田映画の太田映画たる部分でもあるのだ。
 
 最近は映画も情報の一部として取り扱われることが多い。
 それゆえに情報をシャットダウンされてしまうと、そこからよほどの興味を持って探さなければ自分の欲している情報にたどり着くことが困難な時代。
 大きな予算をかけた宣伝展開ばかりが映画のヒットに通じることではないとは思うが、宣伝がなければ情報が拡散していかないのも事実。
 これからのルポが映画の宣伝の一環になり、「向日葵の丘 1983年・夏」が広く一般観客の目と心に届くことを願いつつ、僕は撮影現場に入っていく。
 長い時間になるか、短い時間になるか、それは撮影現場に入ってみて体感することになるだろう。

 本ブログでは映画宣伝の一環として、この撮影ルポを映画公開までに毎週1回の予定で順次アップしていく。
 昨年からずっとこの現場ルポを待っているという読者の声もずいぶん聞いていた。
 お待たせ。
 「向日葵の丘 1983年・夏」がどのように撮影されていったのか、撮影現場はどんなものだったのか、をみなさんに想像してもらえるようなものになることを。
 いよいよ次回から毎週金曜日アップで、「向日葵の丘 1983年・夏」撮影現場ルポの連載開始します。
 よろしくお付き合いくださいますよう。

2015年初春・映画文筆家・永田よしのり


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『向日葵の丘 1983年・夏』撮影現場ルポ 序文から好評! [撮影ルポ]

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『向日葵の丘 1983年・夏』撮影現場ルポ 序文

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 第1回目前の序章なのに、かなりの数字。

 コメントでも、「予想通りの面白さ!」「これから毎週金曜日が楽しみ」との書き込みも。

 これから公開に向けての5ヶ月。かなりアクセス数が増えて行きそう。

 来週の金曜日が第1回目の記事UP。

 よろしく!


 まだ読んでない方はこちら=> http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp/2015-01-09


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「『向日葵の丘 1983年・夏』撮影現場ルポ 序文 [撮影ルポ]

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 BY 映画文筆家 永田よしのり

 太田隆文監督の新作映画の脚本を読ませていただいたのが、2013年の夏のこと(たしか7月頃、有楽町の居酒屋で渡されたと記憶している)だった。
 その頃は、まだ僕の中ではその「新作映画の脚本を読む」ということに現実味がなく、太田監督の精力的な創作意欲にただただ圧倒されていた、と言ってもいいかもしれない。
 だが、最初の脚本を読んで、心を掴まれてしまった。
 脚本を読んで泣けてしまったのだ。
 僕は「脚本を読んで泣けない映画は出来上がった映画を観ても泣けないものだ」と思っている。
 まさにその新作脚本を読んで泣けてしまった、ということは、その映画が〃心に共鳴する何か〃を、持っているにほかならないということだ。
 それを太田監督に伝えると、にやり、とされたのを思い出す。
 脚本はその後、何回かの改稿を経て決定稿に。
 その決定稿には、最初に読ませていただいたものからさらにエピソードに厚みがあり、洗練されたものとなっていたのは言うまでもない。 
 そして、2014年の4月末からは新作映画の撮影がスタートすることになった。
 タイトルは「向日葵の丘 1983年・夏」と決まった。
 今回の太田映画の舞台は、そのものズバリ〃映画的〃な世界。
 時代は1983年と現在。
 その30年の時間軸の中で、登場人物たちの心の動きが描かれていくことになる。
 まだ携帯電話もDVDもなかった時代、高校生だった映画好きの女子生徒たちの青春と現在とを繋ぎ、本当に大事なこととは何だったのか? 伝えていくものは何なのか? を我々に提示していく。
 主演となるのは常盤貴子。
 最近では大林宣彦監督の「野のなななのか」(2014年5月17日公開)に主演している。
 実は大林監督と太田監督とは師弟の間柄。そんなことから常盤貴子の出演に至った経緯も一端にはあるのだ。
 前作「朝日のあたる家」の撮影時では、頼まれたわけでもないのに、静岡県の撮影現場に帯同して、撮影現場ルポを書いた。
 それが少しでも太田映画の宣伝になれば、と思ったからだ。
 それがあり、劇場用パンフレットを書き、今回の新作映画ではオフィシャル・ライターとして、4月19日からロケ現場である静岡県島田市の撮影現場に赴くこととなった。

今回はスタッフらと一緒に寝泊まりしながらの、撮影現場帯同。また前回とは違った側面から映画撮影の現場をリポートすることとなろう。
 新作はまさに〃青春映画〃のカテゴリー。
 これまで太田映画を観る機会に恵まれていなかった人にはぜひ観てもらいたいと思う。
 僕が太田映画を好きなことの理由のひとつに、描かれる題材を的確な演出で観せてくれることがある。
 〃日本映画〃というカテゴリーにはかつてから、登場人物たちのやたらと長い感情表現を画面で見せられることがある。それは時として成功するが、だいたいにおいて「長い!」と感じてしまうことが多い。最近のデジタル化ではフィルムを使わない(かつてはフィルム代が一番の予算確保のひとつだった)からか、よけい安易にそうした場面が挟み込まれることもあったりする。
 それがまずない。
 それはつまり、観客の心が同じ場面にずっと立ち止まることをせずに次の展開についていけるということにもなり、ひいては映画を観ていくうえでのテンポの良さにも繋がっていく。
 映画は観ていて「長いなあ」と思われたら最後。
 もしもテレビドラマだとしたら、視聴者はすぐにチャンネルを変えてしまうだろう(そういう意味では、映画は観客が自分で選んでお金を払って観るので、最後まで観るという責任もあるのだ/しかし、途中で席を立つ自由も当然ある)。
 もちろん、太田映画の特筆すべきところはそうしたテンポの良さ(しかしながらそれがあるゆえに、観客は映画の世界にどんどん引き込まれていくことにもなるのだ)だけではないが、それはここで僕がくどくどと説明するべきものでもなかろうと思うのでやめておこう。
 なにより、観客が映画館で太田映画を観ることさえすれば、その映画が観客にとって心のどこかに残る大事なものを残してくれることは明白なのだから。そしてそれこそが太田映画の太田映画たる部分でもあるのだ。
 
 最近は映画も情報の一部として取り扱われることが多い。
 それゆえに情報をシャットダウンされてしまうと、そこからよほどの興味を持って探さなければ自分の欲している情報にたどり着くことが困難な時代。
 大きな予算をかけた宣伝展開ばかりが映画のヒットに通じることではないとは思うが、宣伝がなければ情報が拡散していかないのも事実。
 これからのルポが映画の宣伝の一環になり、「向日葵の丘 1983年・夏」が広く一般観客の目と心に届くことを願いつつ、僕は撮影現場に入っていく。
 長い時間になるか、短い時間になるか、それは撮影現場に入ってみて体感することになるだろう。

 本ブログでは映画宣伝の一環として、この撮影ルポを映画公開までに毎週1回の予定で順次アップしていく。
 昨年からずっとこの現場ルポを待っているという読者の声もずいぶん聞いていた。
 お待たせ。
 「向日葵の丘 1983年・夏」がどのように撮影されていったのか、撮影現場はどんなものだったのか、をみなさんに想像してもらえるようなものになることを。
 いよいよ次回から毎週金曜日アップで、「向日葵の丘 1983年・夏」撮影現場ルポの連載開始します。
 よろしくお付き合いくださいますよう。

2015年初春・映画文筆家・永田よしのり


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「向日葵の丘」撮影現場ルポ いよいよ今夜0時頃から連載スタート [撮影ルポ]

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元「キネマ旬報」編集者で、現在は映画文筆家として活躍する永田よしのりさんによるルポ。いよいよ、今夜から掲載スタートとなる。

これまでは映画公開前に、僕自身がブログで撮影日記を連載。撮影時の出来事を紹介していたのだが、今回は第三者。作家さんが見た太田組撮影現場のルポとなる。僕は一足先に読ませてもらったのだが、かなり面白い! ああ、そんなことあったよなあ〜とか思い出すエピソードも多く。永田さんは本当に細かく観察、記録してくれている。

撮影時にタイムスリップ。その光景を第三者が見るとどんなふうに見えるのか?興味深い。また、僕の知らないエピソードもあり、監督の目の届かぬところで、スタッフや市民俳優の方がそんな苦労をしていたのか...と知ることもあり。感謝したり、申し訳なかったり。やはり、撮影現場というのは本当にいろんなドラマが起こることを実感した。

そして、現場を知らない一般の方が読んでかなり面白いと思う。映画って、どんなふうに撮影され、進行するのか? そしてスタッフはキャストは? 何を思い、何を考えて、挑むのか? その辺も実に細かく描写されていて、撮影現場の1等席で見学するような気持ちになる。

それを知っていると、映画を観たとき、2倍3倍と面白く観れるはずだ。そして映画ファン。そして映画界を目指す人にはさらに、興味深く読めるだろう。映画スタッフの役割。葛藤。知恵。努力。様々なドラマを垣間みれるので、へたな映画学校へ行くより勉強になってしまう。

すでに「楽しみ〜」という声は数多く届いている。その「向日葵の丘」撮影現場ルポは、いよいよ今夜0時(正確には明日の0時)からスタート。週一で、映画館公開時まで連載が続く。では、あと11時間後に。このブログで掲載を開始する。

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「向日葵の丘」撮影ルポー間もなく連載開始! [撮影ルポ]

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 「向日葵の丘」撮影ルポー間もなく連載開始!

 撮影はどんなふうに行なわれたのか? 

 俳優たちはどんなふうに、がんばったのか? 

 スタッフは? 

 市民俳優は? 

 その全てを夏公開まで毎週、伝える「撮影ルポ」

 間もなくスタートします。お楽しみに!


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