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 ついに、最後の場所へ! [編集]

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とうとう、物語の最後となる場所にたどり着いた。

ここは数シーンで構成されている長い場面ではあるが、

この場所で物語が終わる。

そして、あの3人。

全員がここに集結する。

さあ、編集作業もいよいよ佳境だ。

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 市民俳優、次々に登場! [編集]

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ついに、涙のシーンの連続を超えて、あの場面へ! 

市民俳優さんも多数出演。

いよいよ、物語はクライマックスへ。

さて、写真は映画の一場面。

この男性たちは誰で、何をしようとしているのか?

内緒です....



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編集は魂を削って演じた俳優たちとの戦いである! [編集]

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これまでの作品。編集は1ヶ月少々で終了させた。が、今回は2ヶ月を予定した。というのも、いつもはNG抜きをせずに、すぐに編集をしたのだが、今回は「慎重に作業するべき」と感じて、まずNG抜きをした。そのことで素材を全て確認することができる。なぜ、それが必要だったかという説明をする前に、編集とはどういう作業か?もう一度、書いてみる。

編集というのは映像と映像を繋いで、物語をスムーズに見られるようにする作業。だが、編集作業を長年やっていると、そうではないと思えて来る。映像を繋ぐ仕事というより、恐竜の化石を掘り出す作業ではないか? 埋まっている恐竜の骨をまわりから少しづつ掘り出し、ここが尻尾? ここが足? この大きさだとチラノサウルスか? いや、アロサウルスか? と考えながら、化石を傷つけぬように掘り出して行く。

編集も同じで、「こう繋ごうか?」「ああしようか?」ではなく、すでに存在する物語を傷つけぬようにするにはどうするか?を考えて作業している。よく彫刻家も似たようなことを言う。石を掘って仏像を作るのではなく、石の中にいる仏様を掘り出すと...。同じ感覚なのだろう。だから、今回の「向日葵の丘」がいかなる物語なのか? 全ての素材を見て再度把握する必要があった。

だが、当初予定の2ヶ月もかかっても終わらないのには、さらに理由がある。編集の霊が降りて来るのに時間がかかるというのは何度も書いたが、今回、その強い味方の「霊」が降りて来ても、ガンガン進まない理由がある。

重いシーンはもの凄い集中力が必要だが、その手のシーン。通常の映画にはいくつもない。それは「泣けるシーン」「感動するシーン」でもある。映画1本に1.2回というところ。それが今回は5回6回とある。さらに、それぞれの場面のクオリティが高い!

クオリティが高ければなぜ、時間がかかるか? そこに多く人の思いが込められているからだ。俳優の思い、カメラマンの思い、照明部の思い、様々な人の思いが映像に焼き付いている。もっと言うならば、そこで俳優が「人生と何なのか?」「幸せとは何なのか?」を考え抜いた末の表現をしているのだ。その思い、そのパワーたるものは、もの凄いものがある。

1人でも凄いのに、2人3人になると、2倍3倍。それを名優が演じると10倍20倍になる。当然、編集する方も限りなく同じパワーで挑まなければ吹き飛ばされてしまう。現場でも同じだが、編集はさらに覚悟しないとならない。

キャストやスタッフの思いが詰まった映像は編集していても圧倒され、もの凄く消耗する。1シーン編集するだけでヘトヘトになり、神経がすり切れる。また、それらのシーンを編集する前には覚悟が必要。バンジージャンプをする前というか? 清水寺から飛び降りるような感じ。

前作「朝日のあたる家」の取材で原発事故を体験した方々からお話を伺ったときも同じだった。全てを失ったあまりにも過酷な体験は聞いているだけでも、圧倒され、打ちのめされる。途中で何度も涙が零れる。取材というのは、そんな辛い話をさらに切り込み。悲しみを引き出す仕事。それを全身で語ってくれる被災者の方のお話を伺うこと。1日に何人もできない。あまりにも壮絶な体験に、こちらもボロボロになってしまう。

そう。取材も、編集も、もっといえば演じることも同じ。引き裂かれボロボロになった気持ちを演じるには、受け止めるには、編集するには、自身も同じ気持ちにならなければならないのだ。同時に客観的に受け止め、それをどう表現すればいいか? 考える。

つまり、編集という仕事(演技も、取材も、シナリオを書くのも)は、特に今回のような悲しみを見つめる話の場合は、作業というより、自身もボロボロに傷つきながら答えを探すということなのだ。

だから、重いシーンでは朝早くから始めているのに、結局、作業にかかったのが午後とか。1シーン終わったら、心がズタズタで、その日はもう作業ができなくなったこともある。

もし、その辺を気にせずにビジネスライクにシナリオ通りに映像を繋いで行けば、もっと早く作業は進むだろう。でも、それでは魂を削り演じた俳優の思いや、自分を追いつめて撮ったカメラマンの思い、照明部、録音部、演出部らの心の内を受け止めることができず。他人事のような物語となるのだ。

本来、編集やシナリオ書きというのは戦いだ。シナリオは無から有を生み出すから理解されやすいが、編集はすでに撮影した映像を繋ぐだけの作業に見えてしまうので、その辺が理解され辛い。テレビドラマが軽くなりがちなのは、大量に早く作らねばならないので、ひとつひとつの物語と対峙していられないこと。俳優やスタッフも魂を削る以前に及第点で早く進めることが重要視されるからだ。

だが、今回の「向日葵の丘」は違う。来月の放送に間に合わせるように、適当でも早く作業せねば!ということはない(というよりテレビでは放映されない。映画館公開は来年の春以降)何年でもかけてなんてことはしないが、残りのシーン。1つ。1つと対峙しながら、最後まで力を抜かずに戦いたい。今回、出演してくれた俳優たちの「思い」もの凄いものがある。それに応えるためにも、全力で編集すること。大切なのだ。では、今日も作業開始だ。

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並樹史朗さんの名演技。号泣...。 [編集]

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そして、いよいよ、現場のスタッフまで涙を流した凄いシーンの編集。出演するのは並樹史朗さん。僕の前作「朝日のあたる家」で観客を何度も号泣させた名優。今回もぜひ、出演して頂きたかった俳優さんだ。

その期待を裏切ることなく、今回も大ホームラン! 撮影現場でも多くのスタッフが声を上げて泣きそうになるのをタオルで口を押さえて我慢したという曰く付きの場面。本番中に声を上げれば、NG 。せっかくの名演技が台無し。皆、それを承知しているので、口を押さえながら、涙した。

対する多香子=常盤貴子さんも凄かった。もう芝居を超えている。心の叫び。さらにスタッフの涙を誘う。名優2人の場面。こんなにも凄いものなのか? 1+1=100という盛り上がりを見せる。編集しながら、音楽もまだ入っていないのに、涙をボロボロ零しながら作業している。


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市民俳優O嶽さん登場! [編集]

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多香子が実家に帰るシーン。市民俳優の方々が登場。なかなか、いい芝居を見せてくれる。(写真の画面は暗いですが、完成した映画では明るく見えます)次はいよいよ、あの方! ここは泣ける場面ベスト3に入る、あれ 。


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編集は魂を削って演じた俳優たちとの戦いである! [編集]

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これまでの作品。編集は1ヶ月少々で終了させた。が、

今回は2ヶ月を予定した。というのも、いつもはNG抜きをせずに、すぐに編集をしたのだが、今回は「慎重に作業するべき」と感じて、まずNG抜きをした。そのことで素材を全て確認することができる。なぜ、それが必要だったかという説明をする前に、編集とはどういう作業か?もう一度、書いてみる。

編集というのは映像と映像を繋いで、物語をスムーズに見られるようにする作業。だが、編集作業を長年やっていると、そうではないと思えて来る。映像を繋ぐ仕事というより、恐竜の化石を掘り出す作業ではないか? 埋まっている恐竜の骨をまわりから少しづつ掘り出し、ここが尻尾? ここが足? この大きさだとチラノサウルスか? いや、アロサウルスか? と考えながら、化石を傷つけぬように掘り出して行く。

編集も同じで、「こう繋ごうか?」「ああしようか?」ではなく、

すでに存在する物語を傷つけぬようにするにはどうするか?を考えて作業している。よく彫刻家も似たようなことを言う。石を掘って仏像を作るのではなく、石の中にいる仏様を掘り出すと...。同じ感覚なのだろう。だから、今回の「向日葵の丘」がいかなる物語なのか? 全ての素材を見て再度把握する必要があった。

だが、当初予定の2ヶ月もかかっても終わらないのには、さらに理由がある。編集の霊が降りて来るのに時間がかかるというのは何度も書いたが、今回、その強い味方の「霊」が降りて来ても、ガンガン進まない理由がある。

重いシーンはもの凄い集中力が必要だが、

その手のシーン。通常の映画にはいくつもない。それは「泣けるシーン」「感動するシーン」でもある。映画1本に1.2回というところ。それが今回は5回6回とある。さらに、それぞれの場面のクオリティが高い!

クオリティが高ければなぜ、時間がかかるか? そこに多く人の思いが込められているからだ。俳優の思い、カメラマンの思い、照明部の思い、様々な人の思いが映像に焼き付いている。もっと言うならば、そこで俳優が「人生と何なのか?」「幸せとは何なのか?」を考え抜いた末の表現をしているのだ。その思い、そのパワーたるものは、もの凄いものがある。

1人でも凄いのに、2人3人になると、2倍3倍。

それを名優が演じると10倍20倍になる。当然、編集する方も限りなく同じパワーで挑まなければ吹き飛ばされてしまう。現場でも同じだが、編集はさらに覚悟しないとならない。

キャストやスタッフの思いが詰まった映像は編集していても圧倒され、もの凄く消耗する。1シーン編集するだけでヘトヘトになり、神経がすり切れる。また、それらのシーンを編集する前には覚悟が必要。バンジージャンプをする前というか? 清水寺から飛び降りるような感じ。

前作「朝日のあたる家」の取材で

原発事故を体験した方々からお話を伺ったときも同じだった。全てを失ったあまりにも過酷な体験は聞いているだけでも、圧倒され、打ちのめされる。途中で何度も涙が零れる。取材というのは、そんな辛い話をさらに切り込み。悲しみを引き出す仕事。それを全身で語ってくれる被災者の方のお話を伺うこと。1日に何人もできない。あまりにも壮絶な体験に、こちらもボロボロになってしまう。

そう。取材も、編集も、もっといえば演じることも同じ。引き裂かれボロボロになった気持ちを演じるには、受け止めるには、編集するには、自身も同じ気持ちにならなければならないのだ。同時に客観的に受け止め、それをどう表現すればいいか? 考える。

つまり、編集という仕事

(演技も、取材も、シナリオを書くのも)は、特に今回のような悲しみを見つめる話の場合は、作業というより、自身もボロボロに傷つきながら答えを探すということなのだ。

だから、重いシーンでは朝早くから始めているのに、結局、作業にかかったのが午後とか。1シーン終わったら、心がズタズタで、その日はもう作業ができなくなったこともある。

もし、その辺を気にせずにビジネスライクにシナリオ通りに映像を繋いで行けば、もっと早く作業は進むだろう。でも、それでは魂を削り演じた俳優の思いや、自分を追いつめて撮ったカメラマンの思い、照明部、録音部、演出部らの心の内を受け止めることができず。他人事のような物語となるのだ。

本来、編集やシナリオ書きというのは戦いだ。

シナリオは無から有を生み出すから理解されやすいが、編集はすでに撮影した映像を繋ぐだけの作業に見えてしまうので、その辺が理解され辛い。テレビドラマが軽くなりがちなのは、大量に早く作らねばならないので、ひとつひとつの物語と対峙していられないこと。俳優やスタッフも魂を削る以前に及第点で早く進めることが重要視されるからだ。

だが、今回の「向日葵の丘」は違う。来月の放送に間に合わせるように、適当でも早く作業せねば!ということはない(というよりテレビでは放映されない。映画館公開は来年の春以降)何年でもかけてなんてことはしないが、残りのシーン。1つ。1つと対峙しながら、最後まで力を抜かずに戦いたい。今回、出演してくれた俳優たちの「思い」もの凄いものがある。それに応えるためにも、全力で編集すること。大切なのだ。では、今日も作業開始だ。


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ついに多香子が実家に戻る..... [編集]

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この映画でもっとも泣ける場面

ーという言い方はあまり良くないが、そのひとつである病院での多香子VSみどりのシーンを終えたが、そのあとの将太兄ちゃんとの会話も編集していて泣きそうになった。別所さんが本当に素晴らしい。

そして、主人公の多香子はついに、30年振りに我が家に帰る。心に引っかかるのは30年前の事件。未だ彼女はそれを忘れられずにいる。だが、母の病気を知り、高校時代に歩いたあの懐かしい道を戻る。公会堂の横。工場の前。そして、ガスボンベのある道。やがて、子供時代を過ごしたあの家が見えて来る。

もう読者に皆さんは呆れていると思うが、

また泣きそうなる。何だ、この物語は? この映画は? ずっと泣きっぱなしだ。いや、でも、本当に悲しいのはここからだ。多香子はそこで30年の歳月と対峙する。親子とは、幸せとは、歳月とは何か? 今日はかなり胃が痛い。珈琲の飲み過ぎ。作業を続ける。


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大人・多香子VS大人・みどりの場面。編集。 [編集]

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ついに大人・多香子VS大人・みどりの場面を編集した。

予想通り、泣いてしまった。自分で書いた物語で泣いていれば世話ないが、何度も書くが、もう僕が書いた物語ではなく、名優たちが演じている現実なのである。

病室のベットの上で想い出を語るみどり(田中美里)。30年間そのことを知らずに過ごした多香子(常盤貴子)その事実が互いの胸に突き刺さる。編集をしながら、この場面の意味をもう一度噛み締めていた。

「人生とは何か?」「生きるとはどういうことか?」人は生まれ、やがて死んで行く。先に逝く者。残される者。何のために生き、何のために死んで行くのか? そんな人生の中で、幸せとは何なのだろう?

金持ちになることか? 仕事で成功することか? 

夢を実現することか? それぞれに価値観はあるが、本当に幸せはやはり、すぐ身近にある青い鳥だと思える。主人公・多香子が見つめる悲しみ、どうすることもできない苦しみ。古里で、親友と再会することで、間もなく答えが見えて来る。

そう、ここから多香子は希望を探す戦いを始める。そして、再びあの映画館。懐かしの、かもめ座を舞台に、全てのキャラクターが再集結。クライマックスを迎える。

いや、まだだ。その前に多香子は30年振りに両親と再会する。ここもまた全編の中で泣けるシーンベスト5に入る名シーンの予感がしている。乞う、ご期待!


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このシーンも凄い。打ちのめされる! [編集]

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主人公はヤング多香子(芳根京子)からバトンタッチした

大人・多香子(常盤貴子)のシーンを編集中。30年振りに古里を訪ねた多香子。そこに待っていたものは? その場面を終えて、一度、通して見てみた。

その前のシーンも、かなり泣きの連続なのに、このシーンも凄い。打ちのめされる。写真上のカメラ屋の場面。本屋のシーン。そしてたいやきや。月日とは何か?歳月とは何か?  その時の流れの中で、本当に大切なことは何なのか? いよいよ、物語は核心へと進んで行く。その前に、

多香子は親友のみどり(田中美里)と30年振りに再会。

ここは心してかからねば、はじき飛ばされてしまうほどの重いシーンだ。昨日もこの場面の前で止めた。気力も体力もないと、編集できない。本日、このシーンとの戦いだ。


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編集はクライマックスに向かって進む! [編集]

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主人公はヤング多香子(芳根京子)から、

大人・多香子(常盤貴子)にバトンタッチ。物語は1983年から現代へと移る。多香子が久々に訪れる古里。想い出場所。懐かしい店。友達と通った所。月日の歳月。時の流れ。時代の波はその多くを変えてしまっていた。

ここも涙なしでは編集できない。なんて書くと「また〜」と言われそうだが、本当にそうなのだ。通常の映画は最後の最後に1回、涙が零れて「あー泣ける映画だった」と言う。が、僕の作品は上映中に2度3度、いや、4回5回と泣ける。「ストロベリーフィールズ」は4回、「青い青い空」は5回。「朝日のあたる家」も5回泣けると言われた。果たして今回の「向日葵の丘」はどうなるのか? 

もちろん、泣ければいい

ということではないが、心を揺さぶられるからこそ涙が溢れる。それは監督の力だけではなく、俳優たちがいかに思いを込めて演じているか? が大きい。ヤング多香子も、大人多香子も本当に素晴らしい。

さて、物語はいよいよ、多香子が親友のみどり(田中美里)と再会するのだが....ここからがさらに胸抉られるドラマが展開。ここからまた、涙の連続となるのだ。「向日葵の丘」いよいよ、本当のクライマックスが近づいて来た。

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