「向日葵の丘」舞台は1983年。当時の物を紹介②ブラウン管のテレビ [1983年を紹介]

今では薄型の液晶テレビが主流。というか、全部そうだけど、あの頃はブラウン管のアナログテレビだった。チャンネルが押しボタン式のものも出てきていたが、多くは円形のものをまわしてチャンネルを変える。
長年使っていると、まわせなくなり、あるチャンネル以外見れなくなったことがある。それが教育テレビとかで壊れると、そのチャンネルのみ視聴。できれば、民放で壊れてくれたら...と思ったものだ。
あの時代はやはりテレビ全盛。朝起きるとまずテレビを付けた。部屋に帰るとテレビ。夜もテレビを消して寝る。というくらいだった。僕は横浜の六畳一間、風呂なしトイレ共同のアパートに住んでいて、新聞も取らない。雑誌も買わない方だったので、テレビだけが情報源だった。
そして今に比べてテレビ番組もおもしろくて、日本映画より明らかにテレビドラマの方が面白かった。そしてバラエティ番組もパワーがあった。「オレたちひょうきん族」「欽ドン」「欽どこ」「週刊欽曜日」「世界まるごとHow Much」
ドラマでは「おしん」「積木くずし」「スチュワーデス物語」「ふぞろいのリンゴたち」「金妻」と大ヒットしたもの、その後シリーズになったものも多い。最近はパソコン等の影響で、どんどんテレビ離れしていると言われるが、見たい!と思う番組がないのも大きな理由だと思う。
そんなブラウン管テレビ。「向日葵の丘」劇中にも登場し、重要な存在となっている。

向日葵の丘」舞台は1983年。当時の物を紹介①ラジカセ [1983年を紹介]

今はiPhoneやiPod等を直接スピーカーに繋いで音楽を聴くが、当時はやはりラジカセだった。ラジオとカセットテープレコーダーが一緒になったもの。83年当時はダブルカセットといって、2本のミュージックテープが入るものが流行った。宣伝していたのは原田知世。
僕は音楽に少しこだわりがあったので、ラジカセではなく、カセットデッキ。そこからアンプを通して、大きなスピーカーから音を出して、音楽を聴いていた。六畳一間、風呂なし、トイレ共同のアパートだったが、音楽だけはこだわっていた。
当時から映画監督を目指していたのに、ビデオデッキは持っていなかった。まあ、あの当時は10万円以上したので、簡単には買えなかったのだが、せめて音楽だけは!とドルビーもどきの機能が付いたデッキを持っていた。
そんなラジカセ。「向日葵の丘」劇中にも登場し、主人公の部屋に置かれており重要な存在となっている。
