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「出身はどちらですか?」というパターンの質問をする人たちの背景? 気持ち悪いものが見えてくる [My Opinion]

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映画祭とか呼ばれていくと、

地元の名士とか、地元マスコミの方とお話することがある。が、僕はテレビに良く出るような有名監督ではないし、誰もが知る大ヒット映画を監督したこともない。なので、彼らと話していて、非常に困る。

というのも、みなさん、声をかけてくれるとき、一番よく訊かれるのが「出身はどちらですか?」ということ。「和歌山県です」と答えると「そうですか、和歌山で生まれて育ったんですね?」と言われる。が、それは違う、和歌山県生まれだが、育ちは関西を点々としているので、和歌山にそれほど詳しくない。なのに、相手は和歌山県の話を訊こうとするので「よく知りません」と答えるしかなく、会話が止まる。

次に訊かれるのが映画のこと。最近は「朝日のあたる家」を持ってまわっているので、そのことを訊かれる。「毎回、こんな社会派の映画を作っているんですね?」と言われるので「いえ、今回が初めてで、いつもは青春映画を撮っています」と答える。相手はキョトンとして会話が続かない。相手は社会派の映画を撮り続ける硬派な監督だと思っていたようで、「青春ものの監督?訳分からん」という顔をして、会話が止まる。

僕は世間話が苦手だ。

というか、好きではない。ま、知らない同志が出会ったとき、何か共通点を探し会話をしようということで、「生まれはどちら?」とか「ご兄弟は何人?」とか、訊くのだが、そんなことを訊いて何になる?とか思ってしまう。それに映画祭なんだから、もっと映画の話を訊けばいいのに、故郷の話をしてどうなる?と思えるのだが、あまり訊かれたことがない。

また、その手の質問をする人の多くは思い込みがあり、「和歌山県生まれ」と聞くと、和歌山で生まれ育った人と思い込む。原発事故が題材の家族映画と聞くと、毎回、社会派の映画を撮っていると思い込んで話を進めようとする。これは映画祭に限ったことではなく、目上の人と、会社員の人と話すとよくある展開。これは何かというと、パターンで物事を考える大人が多いということ。

もう一歩進めて言えば、レッテルを張りたいのだ。分かりやすいように。「この人は大阪の人」=「だから、面白い」とか、「この人は**大学を出ている」=「だから賢い」とか。自分でその人と話をし、判断するのではなく。事実を探り、パターンで判断。レッテルを貼る。そうやって安心したい。理解しやすいということなのだろう。

以前に書いたが日本の教育は暗記中心で

「考える」という勉強があまりされない。成績だけで、その人の価値を決めてしまうところがある。もっと言えば、大学や会社で、その人を判断する。その人の考え方や生き様やモットーではなく、肩書きで決めてしまう。僕が毎回感じる「世間話」の違和感はそれが原因のような気がする。

相手を白紙の状態で知ろうとするのではなく、その人が知る「人間パターン」に当てはめて把握しようとする。「関西産まれなら面白い」とか「***大学を出ているからインテリだ」とかいうふうに。それでいて、皆、「あーそうですか」とか納得したような顔をするが、実は相手のことを何も理解していない。

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僕の場合。先に上げたように、故郷と育った場所が違う。社会派映画は1本。いつもは青春もの。という理解しづらいところがあるので、パターンに嵌らりにくい。だから彼らは黙ってしまうのだ。そんなパターンに嵌めて理解しようという姿勢にいつもイライラして、世間話を努力して続けようとは思えなくなる。だから、一般社会では生きづらく。映画の世界に来てしまったのかもしれない。

子供の頃、正月に親戚からよく訊かれた。

「大学はどこへ行くんだ?」「成績はどうだ?」そして大人になると「彼女はできたか?」「まだ結婚しないのか?」「就職はどうするんだ?」ーー大きなお世話だ。何年かに1度しか会わない親戚になぜ、そんなことを答えなければならないのか? 真面目に答えても「しっかり勉強しろ」「まあ、がんばってみろ」としか言わない。皆、パターンに押し込めて理解しようとし、世間的な価値観でしか発言しない。

何なんだ、この大人たちは? 子供の頃からそう思っていて、今でも正月の宴会や結婚式、葬式には極力出ないようにしている。「その人は何を考えているのか?」「何に興味があるのか?」「どんな夢を持っているのか?」なぜ、個人の思いを訊こうとしないのか? なぜ、故郷や大学。会社ばかりを先に聞きたがるのか? それはパターンに嵌めやすいからだ。

今にして考えると、多くの大人たちは自分の頭で、相手を分析し、考えるということが苦手なのではないか? もちろん、世間話だから、差し障りのないことを話すというのもあるだろうが、やはり、パターンで把握したいということだと思える。が、パターンでしか考えられない。そんな大人たち。世の中の価値観が変われば、本当に何も理解できなくなるだろう。

すでに、そんな時代が到来している。

一流とか、伝統ある歴史とか、いうものが、どんどん崩れている。なのに母親たちは一流大学、一流企業を今も追い続けるのは、先に上げた大人たちと同じで、パターンでしか人を理解できず、子供たちの可能性や価値観を把握する能力に欠けるからではないか? その子供に秘めた能力を見つけ延ばすことこそが母親の役目。なのに、今も、それをせずにパターンで把握しようとする。よりよい大学や会社に行かすことで、我が子の将来が安泰だと判断している。

昔はそれでよかった。でも、今の時代はパターンでは駄目。時代は大きく変わっていること。価値観は常に変化していることをまず、大人たちが理解すること。大事ではないか? パターンに嵌った幸せを押し付ける親は、結果、子供たちに無意味な努力を強い、不幸に押しやることになってしまうはずだ。


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