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アメリカ映画が力をなくした理由(中編) [映画業界物語]

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実際、アメリカ映画は

1990年代以降、振るわない。「マトリックス」や「タイタニック」はあったが、ヒットするのは過去のシリーズものとリメイクばかり。昔のような感動や驚きはもうない。何が変ってしまったのか? 実はその製作システムに問題があるのだ。

ハリウッドでは高額の製作費をかけて、合理的に、機能的に作られている。労働時間の規制も厳しく、スタッフも十分なギャラが支払われる。スターには天文学的な報酬があり、監督もヒット作を出せば大富豪になれるビジネスとして確立しているのだ。

これが電化製品や車であれば、

よかったのかもしれない。が、映画は娯楽であり、芸術であり、文化だ。ビジネスライクで作れるものではない。そこには「愛」や「思い」が必要なのだ。さらに例えばアーティストが貧しく、無名のときには素晴らしい作品を作るのに、成功して、裕福になり、評価されると、急にいいものが作れなくなることがある。

それで苦悩してドラッグに嵌ったりというニュースもときどき聞く。つまり、ハリウッドはその状態に陥っているのだと感じる。残念な話だが、快適な環境からいい作品が生まれるとは限らないのである。むしろ苦しい環境がよりよい物を生むことが多い。

もうひとつは、プロデュサーシステム。

ハリウッドもそうだが、映画のトップはP(プロデュサー)である。監督ではない。基本、Pたちが企画、監督を決め撮影させる。上がったフィルムを連れて来た編集者に編集させる。最終編集権(ファイナルカット)はPが持っている。

つまり、監督は現場監督でしかなく、シナリオに沿って、あらゆる角度から撮影する係に過ぎない。それを編集者がベストショットを選んで繋ぎ。Pが満足すれば完成となる。

それゆえ、監督たちは編集権を得るために

Pとしての肩書きを持とうする。スピルバーグしかり、ルーカスしかり、キャメロンしかり。彼等のようにアーティストとしての力を持つものがPをすればいいのだが、一般のハリウッドPはアーティストではなく、ビジネスマン。そこに「愛」はない。

あるのは経済的な力と政治力。ベストセラーの原作を押さえたり、大スターにコネがありオファーすることはできるが、社会性のあるメッセージや時代を見つめる目はない。どうすれば儲かる映画ができるか?しか考えていない。

そのために過去のデータからヒットした作品

を洗い出し企画。だから、シリーズもの。リメイク。日本絡みの映画しか作れないのである。さらに、時代が変ってきたのだ。1980年代まで観客は映画に「現実逃避」を求めていた。娯楽として接していたのだ。だが、1990年代に入り、世界はいろんな意味で混迷を始める。観客は次第に映画に対して、別のものを求めるようになってきたのだ。

それはメッセージ性であり、社会性。

単なる娯楽ではなく、自分の人生を社会を見つめ直すきっかけとして映画を見るようになった。そんな観客が満足する映画を、ビジネスマンであるPが企画できる訳がない。

現場監督でしかないディレクターは編集権さえなく、メッセージを作品に込めることはできないのだ。それがアメリカ映画が面白くなくなった背景である。では、日本はどうなのか?

(つづく)


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