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アメリカ映画が力をなくした理由(後編) [映画業界物語]

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P(プロデュサー)システムであるアメリカ映画

に対して、日本は監督システムである。最終的に映画の判断をするのは監督。法律的な契約的な取り決めはないが慣習的に最終編集権(ファイナルカット)は監督にあるとされる。テレビ界はアメリカと同じPシステムだが、映画は伝統的に監督が最終責任者なのだ。

さらに、近年は自分で企画し、

シナリオを書き、監督してしまう者が多い。以前にも書いたが、いろんな人が間に入ると、メッセージ性が弱くなる。1人の「思い」をダイレクトに伝えることが感動を呼ぶ。

つまり、日本映画は製作費は安いが、アメリカと違い、日本の伝統的なシステムが残っていることで、メッセージ性の強い、現代の観客が求めるものを作り出せる環境にあるのだ。

ただ、条件がある。

いくら企画しても、映画会社はハリウッドと同じで、大スターの出る作品。ベストセラー小説の映画化等の保守的なものしか出資しない。監督たちが、いくら斬新で、観客の支持を得られる作品を作りたいといっても映画化はできない。

でも、その監督が自身で製作費を調達すれば実現できる。あれこれPたちは口を出したがるし、テレビ被れのPたちは自分たちがトップだと勘違いする奴らもいるので、戦わねばならないけれど、映画の責任者は日本では監督なのだ。

そのシステムがあるから、

日本は作家の思いが反映できる、メッセージ性のある映画が作れるのである。娯楽だけで終わらない作品ができる。それを求める観客が日本映画を支持。70年代とは違い、多くの人がアメリカ映画ではなく、日本映画を見るようになったのだ。

さらに言えば、観客は高額な予算がかかったVFXのスペクタクルより、大スターが出ている豪華絢爛な時代劇を望んではいない。80年代までは求められたが、今は違う。それら超大作はそこそこヒットはするが、半年経てば忘れられる。

つまり、時代が大きく変ったのだ。

人々が求めるものが変った。それに気づかぬハリウッドは70年代と同じ、豪華な大作を作り続け、失敗を続けているのだ。でも、それを笑えない。

日本のテレビ局が作る映画も同じことをしているからだ。ベストセラー漫画、人気俳優、を揃えて、その作品に何の愛もない社内ディクレクターを監督として送り込み(或いは、雇われ監督を使い)ハリウッドと同じように、現場監督として仕事をさせる。スポンサーの注文を受け入れ、各社からクレームが来ないようなシナリオで、撮影。

どこにも「愛」はない。「思い」もない。ハリウッドと同じで「儲ける」ことしか考えていない映画作り。だから、大手テレビ局が作った映画の多くは大コケをするし、1年経つともう誰も覚えてはいない。


思い返してほしい。

ここ数年で見た日本映画を。「あの映画、よかったなあ」という作品のほとんどは、監督たちが、自分で企画し、自分でシナリオを書き、監督したものではないか? 

低予算でも、スタッフが苦労してがんばった作品は、そこに作家たちの「思い」があり「愛」が感じられたはずだ。予算や有名俳優ではない。「メッセージ」であり「思い」こそが観客を感動させる。

今の日本映画。

もちろん、いろいろと問題がある。ブラック企業を越える低賃金で長時間労働をするスタッフの現状がこれでいい訳がない。しかし、苦しさと戦いながら「思い」を捨てずにかかることで、素晴らしい作品ができるのも事実。

十分な経済的な保証のあるハリウッドでいいものができないのも、同じ理由なのだ。賛否はある。でも、今、大切なのは「思い」だ。映画だけではない。「思い」がないものは支持されない。そこに時代の風が吹いていると思える。(了)


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