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毎回。遺作! と思って映画作りに挑む。 [My Opinion]

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毎回。遺作!

と思って映画作りに挑む。次はない。だから、これで完全燃焼する。それが僕の映画作りだ。次を考えると、いろんな人に気遣いをしてしまう。「こんな演出したら、次からスタッフは誰も参加してくれないかも?」「***さんの意見も取り入れないと、今後は応援してくれないよな?」次を考えると、そんなことが心配になり結果、次のために今を自己規制してしまう。

多くの監督はそんなふうに関係者に気遣い、

今、自分が本当に願う最高のものを作るよりも、次も仕事ができることを優先。いろんな人の意見や指示を受け入れる。でも、それでよりよい作品になることはまずない。多くの場合は作品レベルの低下に繋がる。「みんなで意見出し合って、仲良くやればいいじゃん!」と言う人もいるだろう。が、以前にも書いたが、歌でも、映画でも、作品は1人のクリエーターの思いを、ダイレクトに伝えることで観客は感動する。いろんな人の意見を取り入れたものは、メッセージが弱くなり感動に繋がらないのだ。

その意味で僕の映画。

多くの人が評価してくれたのは、「我がままだ!」とベテランスタッフによく言われたが、自分の思いを曲げずに映画を作りをして来たからだろう。でも、次を考えると本音として嫌でも「じゃあ、今回は***さんの顔を立てて、彼のアイディアを取り入れましょう」「お世話になっている**社長のところの俳優を3人、キャスティングしよう」というような妥協をしたに違いない。シナリオがおかしいと言われれば、明らかにアホとしかいいようのない関係者でも満足するように直したかもしれない。

が、面白いもので、次を考えて、まわりを気遣い、

いろんな意見を取り入れて映画を作った友人監督。その1本で終わってしまった。関係者は皆、それぞれに勝手なことをいい、その監督は調整係のように意見をまとめ映画にした。なのに、彼等は満足しなかったという。要は最大公約数的な作品になっていたのだ。一応、意見は反映されている。でも、映画として魅力ない。誰もがそう感じた。大手企業が作った映画がいい例。いろんな人が口を出すと、そうなってしまう。


一方、遺作!と決めた僕の映画は、

シナリオ、キャスティング、演出、編集。全てに対して好きにやった。もちろん、いろんな人がいろんなことを言い、圧力を掛けて来たり、脅したり、人参をぶら下げたり、様々な手を使い、自分たちの意見をごり押しした。が、どうせ遺作。このあと死ぬんだから、しがらみもないし、最後は好きにやらせてもらおう!てな思いで、全員が敵にまわったこともあったが、思いを通した。次はなくていい! 遺作だと思わなければ、そこまで出来なかっただろう。でも、結果として評価される作品になった。すぐには展開しなかったが、次への布石になり、数年後に2作目を撮ることになった。

今は多くの関係者が僕の作品を理解してくれており、

あれこれ意見をいう人はもういない。「太田の思うようにやらせて上げよう」という仲間たちが支えてくれている。本当にありがたい。ただ、「青い青い空」のあとは過労で倒れ、半年間寝たきり生活を送った。1人で7人分くらいの仕事を数年に渡ってするからだ。覚悟としてではなく、本当に遺作になりそうになった。その危険性は今回もある。前作「朝日のあたる家」の準備を始めた2011年秋から休みなく、翌年の撮影。公開。宣伝。全国舞台挨拶ツアー。それとダブって「向日葵の丘」準備。年が明けて撮影準備。そして撮影と2年半ほど休みなし。先日も病院で検査を受けたが、果たしてどうか?

けど、これだけは言える。

次も仕事ができるように今回は我慢しようでは絶対に駄目。先にも書いたが結果、次には繋がらない。今、目の前にある仕事を全力でやることで、結果として次に繋がる。「向日葵の丘」の戦いは第3部編集へと突入している。作業を続ける!


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