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映画は「悲しみ」を「希望」に変える仕事。 [My Opinion]

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今回の映画。舞台は1983年。

同じ年に、あの尾崎豊がデビューしている。ときどき思い出す彼の歌がある。「17歳の地図」のような大ヒット作ではないが、アルバム「Birth」の中に「エターナル・ハート」というあまり有名ではないが素敵なナンバーがある。僕が大きな問題で行き詰まったとき、悲しみにぶつかったときに、何度も聴いた歌だ。

「人はただ悲しみの意味を探す出すために、生まれてきたというのか?」

という一節がある。歌を聴きながら、いつも、その部分に来ると胸を突き刺される。「悲しみの意味を探す出すため」そう。生きていると、うれしいことより、悲しいことの方が多い。感動することより、傷つくことが多いのではないか?

僕の高校時代は絶望の連続だった。

ただ知識を詰め込むだけの情熱のない教師たち。成績でしか友達を判断しない冷めた生徒たち。管理しやさを追求するだけの校則。のちに尾崎豊が歌詞にしたような世界。「心を捨てろ捨てろ」という場所だった。僕は学校の授業よりも、映画とレコードから多くを学んだ。でも、人生の多くの疑問を解決できぬまま、卒業した。

その後、映画監督を目指して横浜で暮らし始める。

そこで同じ夢を追う仲間たちと出会った。思いを分かり合える存在と出会った。8ミリ映画を撮り、監督デビューを競った。しかし、仲間たちは次々に、現実の壁に阻まれ、傷つき、羽根折れて、消えて行った。小さなトラブルに、些細なすれ違いに、親たちの無理解に、ほんのわずかな偶然に心破れ、落ち込み、去って行った。


どんなに励ましても、どんなに説得しても、

仲間たちは心を閉じたまま。夢を諦め姿を消して行った。大人たちが嘲笑する。「世の中、甘くないからね!」と。でも、そんな大人たちは決して夢見ることもなく、ただ、現実を受け入れているだけ、努力もせず、怠惰に生きるだけの人たち。違うだろ? あなたたち大人に、彼ら彼女らを笑う資格はない! でも、そんな彼らに突きつける言葉を当時の僕は持っていない。強い無力感に苛まれた。

僕は6年の留学生活を経て帰国。

アルバイトをしながら、5年かかってシナリオライターになった。作品のテーマはいつも「子供たちに伝える大切なこと」だ。「どうすれば子供たちは幸せになれるのか?」「どうすれば、夢を実現できるのか? どうすればハッピーになれるのか?」だ。そんな僕の元にいつしか若い俳優たちが集まって来た。あの頃の友人たちを思い出す。同じように、夢を追い、自分の可能性を探していた。そんな彼ら彼女らを応援した。だが、やがて、昔の仲間と同じように、大きなの壁にぶつかり、怠惰な社会に蝕まれ、親たちの理解もなく、夢破れて、現実の海に沈んで行った。

そのたびにあの歌を聴いた。

「人はただ、悲しみの意味を探し出すために生れてきたというのか?」無力感に苛まれた。現実の壁に潰されるのならまだ分かる。大いなる可能性を持ちながら、消えて行った子がいる。詰まらぬことに囚われて、自分で自分の首を締め、夢を壊してしまった22歳の女の子もいる。どんなに応援しても、手を差し伸ばしても、彼女は無言で、声を上げずに深い現実の海に沈んで行った。なのに、このときも、僕は、何もできなかった....。何ヶ月も、心から血が止めどなく流れた.......。

夢を追いかけた多くの仲間たち、

俳優を夢見た若い友人たちも、もういない。僕だけが生き残り、映画監督となり、作品を作り続けている。今回の映画「向日葵の丘ー1983年夏」その頃の友人の思い出を重ねたエピソードがある。現実の中では悲しみでしかない事実も、映画にすることで、物語となり、今、現在、夢観る子供たちの支えになるはずだ。「悲しみ」を「希望」に繋げることができる。それが生き残った僕の使命のはず。そして誰にでも、それぞれに出来ることはある。諦めてはいけない。


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