SSブログ

僕が原作ものを監督せず、オリジナル・シナリオにこだわる訳? [【再掲載】]

10407275_647657365308571_2445441443125265976_n.jpg

僕が原作ものを監督せず、オリジナル・シナリオにこだわる訳?

よく訊かれること。

「太田監督はなぜ、自分の監督作品のシナリオを自身で書くんですか? それも原作ものではなく、全部オリジナル・シナリオでしょう? 大変じゃないですか?」

確かにそうだ。多くの映画監督は「次は何を撮ろうかなあ?」と考えると、ベストセラー小説や好きな作家の本を読み、「よし!これを映画化しよう」と思い立ち、作品をスタートさせる。そして脚本家に頼んで脚色(小説をシナリオにすること)してもらい、それを監督して映画にする。

が、僕の場合。これまで監督した4本。全てがオリジナル・シナリオ。つまり、原作がない。僕自身がストーリーをオリジナルで考え、登場人物を作り、書き下ろした脚本を使っている。それを自身で監督する。先の質問は、そんなことをする監督は非常に少ない。だって大変だから。なのになぜ?という意味なのだ。

確かに、そうだ。

あのスピルバーグだって、原作もの(「ジョーズ」「カラーパープル」「ジュラシック・パーク等)があるし、オリジナル・シナリオ作品も、自身ではなく、別の脚本家が書いている(「未知との遭遇」「1941」「インディ・ジョーンズ」シリーズ)。なかなか、オリジナル・シナリオを自分で書いて監督する人は少ない。

黒澤明監督も「七人の侍」「生きる」はオリジナルだが、「赤ひげ」「どん底」「乱」「蜘蛛巣城」は原作もの。オリジナルも必ず誰かと一緒に執筆している。

「ゴッドファーザー」のフランシス・コッポラは若い頃に、「自分が監督する作品は全て自分でシナリオ書く」と宣言していた。彼も元々は脚本家としてデビューしたあとに監督になった人だ。が、なかなか、そうも行かず、「地獄の黙示録」以降は別の誰かがシナリオを書いたものが多い。

一番近いのはクエンティン・タランティーノ監督だろう。彼の作品はほとんど(全部かも?)オリジナル・シナリオ。それを自身で書いて、監督もしている。が、他にはなかなか思いつかない。というふうに、オリジナル・シナリオというのは大変。それを自身で監督までするのは、さらに大変。だから、「なぜ?」と訊かれるのだ。

まず。説明せねばならないことがある。

原作小説というのは、それ自体を書くために、長い年月ともの凄い労力をかけている。何年もかけて取材。ようやく完成する。もし、それと同じクオリティのオリジナル・シナリオを書くには、同じように膨大な年月ともの凄い労力をかけねばならない。でも、それにはかなりの経費がかかる。そんなこともあり、すでに完成している原作本に原作料を払って映画にする方が早いし、安上がりということもある。

1465106_944704235603881_4481561928443667340_n.jpg

また、オリジナル・シナリオを映画化するより、

ベストセラー原作を映画にした方が知名度があり、ヒットさせやすいという現実もある。そんな訳で、映画界では時間も労力もかかる上に、知名度がないオリジナル・シナリオを使うより、人気のある原作を映画にすることが多いのだ。

では、なぜ、そんな面倒なオリジナル・シナリオを自分で書いて、それを自身で監督するのか? そこには理由がある。

もし、誰かの書いた小説や漫画で心惹かれるものがあればいいのだが、それがなかまか見つからない。面白い小説はある。でも、小説は文章を読んで面白くなるように書かれてあるので、それを映像化したからと面白くなるとは限らないのだ。映画化しても面白い小説って本当に少ない「ゴッドファーザー」とか「ジュラシックパーク」とか、すぐに思いつかないほど。

そう考えると映画にするには、

最初から映像にして面白くなる物語を用意しなければならないのではないか?と思えていたのだ。俳優が演じ、美しい風景があり、音楽が流れる。そんな小説では見せられない魅力を多用してこそ、映画ならではの面白さが伝わるはず。

だから、オリジナル・シナリオであるべき。と思っている。でも、それを書くのは確かに大変。「青い青い空」のときは題材となった書道を3年かけて取材、勉強したし「朝日のあたる家」のときは福島の原発事故を1年以上勉強した。

なので、よくオリジナル・シナリオでやってしまうのは、取材や勉強に時間とお金がかかるので、ちょこちょこと調べて(同じ題材の漫画読んで済ますとかして)物語を書いてしまうこと。小説はその辺、本当によく調べている。が、シナリオの準備に2年も3年もかけていられないので、短期間で適当に済ますことが多い。だから、中身がない物語になり、説得力に欠け、詰まらない映画となりがち。だから、原作もの!ということになるのだ。

IMG_2144.JPG

でも、時間もお金もかかっても、

ちゃんと調べてオリジナル・シナリオを書けば原作ものに負けない物語ができる。おまけに最初から映画にすることを念頭に書く。活字で表現する小説ではないのだから。そうすれば原作ものでは出ない魅力的な作品になる。

新作「向日葵の丘」では1983年が舞台なので、当時のことを徹底して調べなければならなかった。が、幸い、僕はその頃。オンタイムで、青春時代。さらに、当時からその時代を映画化したいという思いがあり、資料をたくさん残していた。そんなこともあり、何年もかけて勉強する必要はなく、数ヶ月でシナリオを書き上げた。

とはいえ、1本のオリジナル・シナリオを書くのは本当に大変だ。だから、僕は4−5年に1本しか映画を作れなかったというのもある。そして、脚本料は安いので、3年かかって取材して書いたものでも、先に上げたように安易にちょこちょこと勉強して書かれただけのシナリオと同じ額のギャラしかもらえない。取材だって、執筆中の生活費だって出ない。だから、そこまでする脚本家はいないということもある。

それを僕はやっているので、

毎回、映画が完成したときに残るのは借金だけ!ということになるのだ。しかし、監督とした「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も、「朝日のあたる家」も、リピーターが多く、何度も映画館に足を運んでくれる人が毎回、多数いる。それはやはり年月をかけて調べ、取材した事実を踏まえて書いた物語なので、1度見ただけで十分!とはならない、重さ、深さを感じてくれるからだと思える。

新作の「向日葵の丘 1983年・夏」も原作なしのオリジナル・シナリオ。それを僕自身が監督している。今回も多くの観客が「繰り返し見てくれるような映画になっていた」と言ってくれたので嬉しく思っている。


Facebook_edited-2.jpg

監督が望むキャスティングができない理由。僕がわがままを通す理由。 [【再掲載】]

11053147_804291782978461_5090640299043401024_o.jpg

「映画の出来はキャスティングで70%が決まる」

 といったのは確か伊丹十三監督のお父さんである伊丹万作であったと思うが、本当にその通りだ。にも関わらずに本映画界では、最高責任者であるはずの監督が思うようにキャスティングできないという状況が多々ある。なぜなのか?

 先日、後輩監督から聞いた話。彼の新作映画。主演女優を選ぶことになった。製作会社のプロデュサーが「A子で行こう!」と言い出す。彼女は大手プロダクション所属で、今年の大手テレビ局のドラマに出演が決定している。ブレイクしそうだし、すでに人気はある。この子を主演で行こうと主張する。

 一方、後輩である監督はもう一人の最終候補であるB子がいいと思っていた。同じ大手プロダクションだが、こちらは大きな作品への出演は決まっておらず。現在も、それほど人気はない。彼は「こっちがいいんだけどな〜」と思っていたが、Pが「A子でないと、映画はヒットしない!」と押し切られた。

 が、A子主演の映画は惨敗。

 客が入ったのは初日の舞台挨拶がある日のみ。Pはいう「あいつも意外にダメだなあ」この話は以前にも書いた。俳優人気を頼りにしていては結局、こういうことになる。が、後輩にも問題がある。どこかで「Pのいうことに逆らうと、次仕事がもらえなくなるかも...」という不安があって、A子主演を受け入れたからだ。

 往々にして、そんなことはある。監督が「この子がいい!」と思ってもPが「こっちにしようよ?」というと、「そうですねー」とか迎合してしまう。或いはPが「**役はこれでお願いします」と俳優のプロフィールを渡すと、事実上の命令だと解釈し、監督はそれを受け入れる。(ま、Pは自分が言えば必ず受け入れられると思っているし)

 しかし、その俳優の事務所とPは癒着していて、

 1人キャストに入れるといくらもらうとか、何かのときにお返しをしてもらえるということで俳優を決める。監督は「えー少し違うなあ」と思っても「また仕事まわしてもらわないと、いけないからなあ〜」とおとなしく従う。

10337737_628275670580074_1418357330803686153_n.jpg

 こうして監督のイメージとは違う俳優が次々に押し込まれ、キャスティングが壊れて行く。たいていの場合。その種の映画はミスキャストとなり、????な展開となる。あとで監督に訊くと「本当は**子で行きたかったんだけど...」と言われる。だが、そんなことでいいのか?

 伊丹万作の言う通りキャスティングは重要

 それを監督が意図しない俳優を入れていいものが出来る訳がない。「現場の演出で俳優をうまく使うのが監督の仕事」という人もいるが、それは大間違い。その監督が「いい!」と思わない俳優は演出してもダメ。別のいい方をするなら、監督がほしい「センス」「素養」「性質」「雰囲気」「演技力」等を持っていない俳優だと、いくら努力しても出ない。

 何よりPの多くは、その手の資質を見抜く力がない。おまけに演出経験もない。そんな人が「この人がいい」と言われてもダメ。単なる癒着であることも多いし。例えばレストランのオーナーがシェフに、料理の材料を指定するのと同じ。料理しない人間があれこれ素材を選んでも、おいしい料理は作れない。

 だから、いい作品を作るには

 監督が100%「これだ!」というキャスティングにすることは大事。でも、多くの監督は常識があり、分別があり、今後のことを客観的に考えて、大人の対応で、Pの意見を尊重。「この役者は違うよなあ〜」と思っても受け入れる。

 ただ、僕は常識がなく、分別もなく、今後のことを考えず、子供なので、Pの意見は聞かない。毎回、遺作と思っているので、「次の仕事がほしい」とは考えない。「これで終わり!」と思っているので、本当に「この人だ!」という俳優を入れる。だから、同じPから再度、仕事依頼が来たことはない。

 だが、キャスティングの評判はとてもいい。

 僕の作品に出たあとブレイクした子が何人もいる。「太田監督の映画に出る俳優は皆、輝いている!」と言われるようになる。その後は確信を持ち、あれこれ無意味な指示をするPがいると良い作品が撮れないので、今では僕がPも担当。

 でも、なぜ、俳優が輝くのか? 理由を考えてみた。たぶん現場で俳優さんたちも気づくだろう。キャスティングを観ると**プロダクションの人が多い。「なるほどー、Pさんはあそこと仲いいからね...」とか「じゃあ、***事務所のオレはあまり重要でない役だな?」とか

 その**プロの俳優さんだって、「あー私の実力で選ばれたんじゃないんだ。事務所の力なのね」とやる気をなくすだろう。でも、僕は無名でも有名でも、本当に出てほしい人に、その役を絶対に演じてほしい俳優にお願いする。誰が何といっても聞かない。わがままと言われる。Pには嫌われる。でも、俳優たちは凄く輝いてくれる。それが素敵な映画を作る上でとても大切なことだと考える。


Facebook_edited-2-835d4.jpg

【一般の人には分かり辛い映画界のルール。人生を賭けた戦いということ】 [【再掲載】]

11231865_709153309194141_7644259622963778968_o.jpg


【一般の人には分かり辛い映画界のルール。人生を賭けた戦いということ】

友人Aは後輩監督。彼が選んだ若手の女優はときどきブレイクする。僕もよく「実力派の若手女優を見つけるのがうまい」と言われるが、後輩もなかなかだ。そんなA君が期待している若手女優B子がいた。ただ、その魅力は他の監督たちには理解されず、オーディションに落ちてばかり。

 で、彼は自作で起用。毎回、違う役に挑戦させた。

 いろんな役を経験させて、自分以外の作品にも出演できるようになってほしかったからだ。B子は頑張り屋で役作りに、もの凄いエネルギーと時間をかけて、毎回、観客の心を打つ演技を見せた。まさに人生を賭けて芝居をしていた。

しかし、ある映画でB子の芝居、ど素人もビックリの酷いものだった。棒読みもいいところ。中学生の朗読だ。彼女を評価する人たちは「今回の役はむずかしいから仕方ないよ」といったが、そうではない。明らかに役に対するアプローチ不足だ。

DSCN9748.jpg


 その役はどんな役で。

 どんな人生を送っている人で、どんな経験をし、どんな家庭で、どんな幼少期を過ごし、今があるのか? どんな性格で、どんな趣味で、どんな心の傷を受けているのか? そんなことを徹底して考えて役作りをする。それにかける時間が少なく、真剣に考えていないための結果であることはすぐに分かる。そのことを後輩監督のA君に訊いた。彼は答えた。


「やっぱ、分かりますか? 映画に使ったのは彼女の芝居の10分の1ほど。あとは酷すぎて使えませんでした。だから、ほとんどカット.....本当に辛かった....でも、カットしないと作品自体がどーしようもないレベルになる.......で、B子ですけど....気づいてはいたんですけど、彼氏ができたんです...」

だろうと思っていた。そのために潰れていった女優の卵を何人も見て来た。役者を続けるのは大変なことで、無名俳優の多くはアルバイトをしながらオーディション等で受かると、休みを取り撮影に参加。終わるとまたバイトという生活。精神的にもかなり大変。そんなときに自分を理解してくれる彼氏が出来る。

 一見、精神的にも支えられて、

 よりがんばれるかと思えるが、実際は逆のことが多い。甘えてしまい、辛い心が癒されてハングリーさを失う。死に物狂いで演技プランを考えるより、彼との幸せな時間を選んでしまう。男でも彼女が出来たことで、不安定な役者を辞めてカタギの仕事に就くことがあるが、僕が見て来た限りでは女性の方が、夢を諦めることが多い。後輩は続ける。

「B子に訊くと、彼氏と揉めてイライラしていて演技プランに集中して考えられずに撮影に挑んだそうです。親が死んでも、カメラの前で笑顔で演じるのが俳優。なのに彼女はそれができなかった。もう俳優失格です....」

IMG_1580-83c08.jpg


 分かる話だ。

 俳優として一番ダメなパターンとさえ言える。松田優作は手術して車椅子生活すれば助かると医者に言われたのに、手術を拒否「ブラックレイン」に出演して亡くなったのだ。まさに命と引き換えに芝居をした。多くの俳優は人生をかけて芝居をする。だから、感動が伝わる。そんな中で新人のB子が彼氏と揉めて集中できなかったは通らない。後輩は他の友人たちにもそう説明した。が、多くがこういったらしい。

「でも、これを糧に次がんばるということがあるだろう? もう一度チャンスを上げたらどうだ。可哀想じゃないか?」

 それは違う。熱がある体調が悪かった。だから芝居がうまく行かなかったなら、まだ、次はこの経験を教訓に体調管理をしっかりしようということはあるだろう。だとして、許されないこと。体調管理できていないところで俳優失格。B子の場合はさらに悪く。体調も良好で、時間もあったのに、役作りをせず、彼氏のことばかり考えて、何もせずに撮影現場に来たのである。

 これはもう次がんばるという問題ではなく、

 二度と俳優業をやってはいけないというレベル。映画作りは趣味や遊びではない。命がけの戦いだ。だが、後輩の友人たち。カタギの人たちには理解できないようでこういうらしい。

「B子が可哀想だよ。俺もエキストラで現場に行ったとき会ったけど、とてもいい子だし。ずっと応援していたんだ。もう一度チャンスをやれよ!」

IMG_0006.jpg

 その友人は分かっていない。

 映画作りをサークル活動と同レベルで捉えているのだ。或は会社で恋人のことを考えていて、大失敗した。それを上司に叱られたというレベルで考えているのだ。映画は1人の失敗で、その作品自体が崩壊することがある。誰もが魂を削る戦いをしている中で、彼氏のことを考えて芝居ができないなんてありえない。

 特に後輩の現場は皆、真剣。事情を知らなくてもスタッフは「もう、B子はダメ。あの演技ではもう無理」となっている。そこにプロと一般との落差がある。何よりB子自身が「もう、A監督の作品には出られない。あんな芝居をして許されるとは思わない」と言っているらしい。これまでの彼女の演技は本当に素晴らしかった。人生賭けていた。それだけに役者として今回のことは許されないと悟ったのだ。

 それでいえば、人生賭けるほどの子なのに、彼氏のことで芝居が出来なかった段階で、もう女優は辞めた方がいい。第1線まで上り詰める多くの女優は、恋より仕事を選ぶ。もの凄い強い思いを持っている。ある意味で平凡な幸せを捨ててかかっている。そこまでしないと生き残れない世界。

 でも、A君の友人たちには分からない。

 「もう1度チャンスをやれよ〜」そんなことをして同じ失態を繰り返したらどうするのか? 今のB子の優先順位は「彼氏」が1番。「演技」は2番。そんな子をキャスティングしてまた作品存亡の危機を招くようでは後輩が監督失格となる。俳優失格というより、B子はすでに俳優ではないのだ。なのに、後輩のまわりのB子ファンたちが、彼女のブログにコメントを書き込んだ。

「がんばってください!」「これからも応援しています!」

 これが一般のファンならいい。B子も良く知るA監督の友人たちからの激励。これは応援にはならない。より責任を感じて、心破れるばかり。しかし、友人たちはB子を励まそうと純粋に思っている。極端な見方をすれば嫌がらせとさえ言えるのだが、彼らは気付かない。コメント返しは誰にもなかったという。

IMG_0284.jpg



 その後、B子は仕事がなく。

 引退。結婚したと聞く。A監督の作品にしか出れない子が、自分を一番評価し、期待した監督の作品で素人のような芝居をした。自分で可能性を潰したようなものだ。いや、A監督の作品さえ崩壊させたかもしれない。罪は大きい。なのに、後輩の友人たちは未だにこういってる。

 「A監督は冷たい。やさしくすれば、B子はまたがんばれたかもしれない。あいつがB子の女優人生を潰したんだ!」

 一部始終を見て感じた。僕も似たような経験を何度もしている。結果として言えるのは、短い間だがA監督と出会ったことで俳優になる夢も果たした。そのあと彼女は「芝居」より「恋」を選んだ。「仕事」を失うより「彼」を失いたくなかった。

 だから、A監督の期待を裏切ってしまった。

 「仕事」より「恋」を選んだという意味でもある。両方は選べない。結婚しても女優を続ける人はいるが、その場合は「結婚」の優先順位は2番だったりする。そうでないと生きていけない業界。しかし、その世界で生きることが全てではない。B子は幸せになれたのだと思う...。

 なのに、後輩の友達たちは「女優としてがんばれ!」という。仕事より恋が大切となった子に芝居でもう一度がんばれ!という。コメントを書き込む。そのくせに、プロに徹した後輩監督を批判する。その辺が一般の人には理解できない部分なのだろう。

 クドいようだが解説すると、

 A監督の思いを例えると、巨大タンカーの船長。B子が機関室長。なのに、彼女は仕事を放棄。船が座礁しかけた。だから解雇した。対して友人の発想はこう。サークル活動に参加したとき、B子という可愛い子がいた。好感を持った。それを些細な失敗で、A監督が解雇した。許せない!もう1度チャンスを上げろよ!

 同じ事実がそれぞれに、そんなふうに見えているはず。だが、映画撮影はサークル活動ではない。まさに巨大タンカーで航海するようなもの。でも、一般の人には分からないだろう。そんふうに映画の仕事はなかなか理解されないものなのだ。


m_10460181_802083253199314_5461131442902814349_n-ed9e9.jpg

「向日葵の丘」全国公開、終了のご挨拶。 [【再掲載】]

ブログ用.jpg

 「向日葵の丘 1983年夏」

 御陰さまで12月上旬で、全国公開が終了しました。

 8月22日に東京で公開。それから何と5ヶ月の及ぶロングランとなり

 全国各地の映画館で上映されました。

 渋谷、名古屋、大阪、静岡では予定した日数を超える延長上映となり、

 東京では3館。大阪でも3館でムーブオーバー(映画館が変わりながら上映されること)

 多くの観客から涙涙の感動作。と言われました。

 さらにロサンゼルスの映画祭ーJFFLAの招待作品にもなり、

 会場では多くのアメリカ人が涙し、国境を越えて感動を伝えました。

 このような形で広がったのも、多くの皆さんの応援と感謝しています。

 広島地区だけが未だ映画館の都合で上映できず、

 早急に公開して頂けるように、お願いを続けています。

 「向日葵の丘」に関する新しい展開。ニュース等がありましたら

 このサイトでお知らせします。

 来年もよろしくお願いいたします。

 監督 太田隆文

 
 
12246825_926522444088727_7563064758755823498_n.jpg

マイ・ヒストリー⑤映画監督編 [【再掲載】]

1794537_629619497112358_6214205193014487853_n-3ffbd.jpg

2004年(43歳)大林宣彦監督の映画「理由」メイキングを担当         
   キューティハニー、機関車先生、華氏911

2005年 (44歳)映画監督デビュー。
    映画「ストロベリーフィールズ」を監督         
    SWⅢ、ハウルの動く城、男たちの大和、パッチギ、NANA

2006年(45歳)映画「ストロベリーフィールズ」公開          
 ゲド戦記、硫黄島からの手紙、有頂天ホテル、ダビンチコード

2007年(46歳)書道映画シナリオ執筆             
 バブルへGO!、檸檬のころ、初子、バベル、転校生、22歳の別れ

2008年(47歳)浜松へ!                      
 (オバマ大統領に)崖の上のポニョ、ゲバラ

2009年(48歳)BSドキュメンタリー「書道教師」      
  ウォーリー、20世紀少年、おくりびと、エバンゲリオン破、カールじいさん

2010年 (49歳)映画「青い青い空」—撮影&公開           
  宇宙戦艦ヤマト、アリエッティ

2011年 (50歳) 映画「青い青い空」—東京公開、311        
   (東日本大震災)コクリコ坂から

2012年 (51歳) 湖西市へ!                   
    わが母の記、戦火の馬、レ・ミゼラブル

2013年(52歳)映画「朝日のあたる家」—監督&公開        
   「風立ちぬ」

2014年(53歳)映画「向日葵の丘」を監督、           
    「アナと雪の女王」思い出のマーニー


m_E689893_edited-1.jpg









マイ・ヒストリー④ 映画監督を目指して編! [【再掲載】]

E6ADBBE7A59EE38080E692AEE5BDB1-51b5e.jpg

さて、ヒストリーパート4。いよいよ、劇場用映画「ストロベリーフィールズ」を製作すべく
動き始まる。が、挫折挫折、また挫折の連続。完成までは5年がかかった。そして第2作の
「青い青い空」こちらも苦戦の連続。完成まで4年の歳月が必要だった。

2000年(39歳)   Vシネマを監督          
  ビューティフルライフ、バトルロワイヤル、Cエンジェル

2001年 (40歳)「ストロベリー」営業スタート!             
   (911事件)カバチタレ、千と千尋の

2002年(41歳)和歌山営業!                       
  SWⅡ  漂流教室LL、猫の恩返し、なごり雪

2003年 (42歳)テレビドラマ「怪談・新耳袋」監督              
   高校教師2、T3、LOTR2、踊る2、マトリックス2

2004年(43歳) 大林宣彦監督の映画「理由」メイキング           
   キューティハニー、機関車先生、華氏911

2005年 (44歳) 映画監督デビュー!
  「ストロベリーフィールズ」撮影             
  SWⅢ、ハウルの動く城、男たちの大和、パッチギ、NANA


2006年(45歳)「ストロベリーフィールズ」公開        
   ゲド戦記、硫黄島からの手紙、有頂天ホテル、ダビンチコード

2007年(46歳)書道映画シナリオ執筆            
  バブルへGO!、檸檬のころ、初子、バベル、転校生、22歳の別れ

2008年(47歳)浜松で営業!                       
(オバマ大統領に)崖の上のポニョ、ゲバラ

2009年(48歳)BSドキュメンタリー「書道教師」 監督      
  ウォーリー、20世紀少年、おくりびと、エバンゲリオン破、カールじいさん

2010年 (49歳) 映画「青い青い空」—撮影&公開        
     宇宙戦艦ヤマト、アリエッティ、


m_E689893_edited-1.jpg




マイ・ヒストリー③1990−99 アルバイト生活から脚本家、監督デビューへ [【再掲載】]

E692AEE5BDB1E9A2A8E699AFEFBC8FE9A2A8E5A8985B25D.jpg

何だか、いろいろあったなあ。自分の夢を実現するというのは本当に歳月がかかり、戦いの連続だと痛感。1990年にアメリカから帰国。そのときはまだ20代だった。そこから戦いが始まる。アルバイトをしながら、シナリオを書き、映画会社をまわるが、読んでももらえない時代

そして雑誌のライター、演劇学校の講師をするようになり5年かかって、脚本家デビュー。でも、2年で仕事が来なくなり、万事窮すというところで、メイキングのお仕事! そして待望のドラマ監督。でも、超低予算の作品しかできず、撮りたいものが撮れない。ギャラは安く、厳しい仕事ばかり。

どうせ、大変なら自分で製作費を集めて監督しよう!と、オリジナル・シナリオの映画化に動き出したのが2001年。それが第3部のスタートだった。

1990年(29)帰国、リハビリ4ヶ月?           
「ゴースト」「BTTF2&3」「ダイハード2」「あげまん」「24時間2」
(♫サマータイムブルース)

1991年(30)居酒屋&ビデオ屋バイト。「週刊プレイボーイ」執筆   
(東京ラブストーリー、101回目のプ)ふたり、

1992年(31)レンタルビデオでバイト。ライター業で雑誌記事 
ミンボーの女、(愛という名のもとに)(尾崎豊、死去)

1993年(32)ライター業 、演劇学校で講師     
         (高校教師)(ひとつ屋根の下)水の旅人 、大病人 

1994年(33)ライター業 、「韓国ヤクザ・インタビュー」
(この世の果て)(人間・失格)

1995年(34)シナリオライター・デビュー!
日米合作「GAIJIN」参加、「Aクライシス」&「コンクリート」脚本
(愛しているといってくれ)(未成年)あした、静かな生活、(阪神大震災)

1996年(35)Vシネマ脚本担当
(真昼の月)ツイスター、スーパーの女、虹を掴む男

1997年(36)メイキング監督デビュー!
「ルーズソックス日記」監督「三毛猫ホームズ」メイキング参加  
 「踊る!1」、理想の結婚、ひとつ屋根の下2、タイタニック、マルタイ

1998年(37)ドラマ監督デビュー!
ドラマ「太陽娘と海」メイキング、ドラマ「風の娘たち」監督
タブロイド、聖者の行進、(モーニング娘人気)

1999年(38)Vシネマ監督、小説「ケイン」執筆  
SWⅠ、バンパイヤー最後の聖戦、菊次郎の夏、ラッシュアワー、(黒澤明・死去)

2000年(39)Vシネマ監督               
ビューティフルライフ、バトルロワイヤル、Cエンジェル

2001年 (40)「ストロベリー」営業スタート!  
           (911事件)カバチタレ、千と千尋の


m_E689893_edited-1.jpg

             

マイヒストリー年表②1985〜1990 [【再掲載】]

P1030311-5fd9e.JPG

「向日葵の丘」は1983年の物語だが、
一応、今年までの流れが分かるようなものを作った。
アメリカ留学以降のマイヒストリーを見る。
何だか、いろいろあったことを思い出す。

憧れのUSC映画科には合格したが、失望の連続。
夏休みに日本で8ミリ映画を撮ったり。足掻き続けた5年間だった。
だが、本当の戦い、足掻き続ける戦い、このあとから始まる。

1985年(24歳)USC英語コースに留学     
 * ♫卒業、天使のウインク、「BTTF」「ランボー2」「さびしんぼう」

1986年(25歳)UCLA英語コース。           
 *ロッキー4、コブラ、グーニーズ 、トップガン、エイリアン(♫BREATH)

1987年 (26歳)USC映画科合格           
*ザ・フライ、ゴーストハンターズ、スタンドバイミー、マルサの女、漂流教室、異人たちの夏

1988年(27歳)夏休みに8ミリ映画「雨の中のミッシェル」監督
*ラストエンペラー、ランボー3、危険な情事、ウイロー、マルサ2、♫共犯者、

1989年(28歳)映画科クラス、 初NY!
*ブラックレイン、バットマン、最後の聖戦、♫夢の中へ、とんぼ、ムーンライトダンス

1990年(29歳)帰国、        
 *(♫サマータイムブルース)「ゴースト」「BTTF2&3」「ダイハード2」「あげまん」

m_E689893_edited-1.jpg

僕の年始年末の過ごし方? [【再掲載】]

IMG_2167.JPG

(この記事も近々、書こうと思っていたら1年前に書いていた! 記憶力心配)

その昔は、正月といえば映画館では大作、話題作が上映され、冬休みを楽しみにしていたものだ。日本映画も松竹は「男はつらいよ」東映は「トラック野郎」東宝は百恵=友和映画という時代もあり、洋画は「キングコング」や「JAWS」のような大作。或いは定番で「007」、イーストウッドのアクションもの。と、タイトルだけで「観たい!」というものが並んだ。

が、時は過ぎ去り現代では、シネコンが台頭。どの映画がどの映画会社の映画か?も分からず、「男はつらいよ」が公開するから正月だ〜という気分もなくなってしまった。洋画も正月だといって大作、話題作を公開しなくなってしまった感があり、今、楽しみにしている「スターウォーズ7」「ジュラシックワールド」「ターミネーター」の新作も、全部来年度の公開だ。

ま、僕が学生だったときですら、映画人口が減っていたのだから、今はもっと映画に対する関心が下がっているのかもしれない。映画館に行かなくても、家族でDVDを観たり、ゲームをしたりして過ごすこともできる、込み合った満員の映画館に行かずとも楽しく過ごせる時代。Facebookにコメントを書いて元旦を過ごしたり、メールで年賀状を送ったり、それも今っぽい正月なのかもしれない。

が、僕自身は正月だからと特別なことはせず、この数年、仕事をしている内に年が明けていたというパターンばかり。「紅白」は見ない。以前は「K−1」をつけっぱなしにして仕事をしていたが、このところはテレビもつけない。ネットニュースで「***神社で20万人が初詣」とか速報しているのを見て「へーー、この寒いのに外出しているんだ」なんて冷めたことを思っていたり。

今年の年末はどうしているのか? きっと仕事? というのも、年始年末というのは会社がお休みなので、あちこちから電話もメールも来ない。だから、〆切や催促を気にせずに仕事ができる! そして日頃、忙しく出来ないことができる。あの長編小説を読もう!とか、あの映画のDVDを見直そう!とか、でも、いつもそこまで行かず、前年の仕事の後片付けと、年賀状書きと、部屋の掃除も3分の1くらいして仕事初め!!となる。

ある先輩監督は年始年末となると、大忘年会を開き、俳優やスタッフを一同に集めて大きな会場で200人規模の宴会をする人がいる。一度、お邪魔したがもう株主総会みたい! 宴会というレベルではない。豪華プレゼントの抽選もあるど派手なものだった。

僕の場合。自身が主催の忘年会はしない。ただ、映画監督デビューする前は、業界のいろんな忘年会に出席して、いろんな人と知り合おうと、12月中、毎日、忘年会に出たこともある。不思議と1日も重ならず、30日ほど毎日忘年会という凄い年だった。が、最近は自作映画の準備や仕上げで年始年末も忙しく、ほとんど出席できない。その内に誘いもなくなり、今年はまだ1回だけ。実のところ、多くの人が集まって騒ぐのはあまり好きではなく、ごくごく親しい人の会以外はまず出ない。

ま、映画人というのは、仕事自体がお祭りのようなものだから、正月といって盛り上がったり、忘年会で憂さを晴さなくてもいいよね?と自分を納得させている。きっと、今年もまた年始年末は仕事をしているだろう。でも、そのためにまずは体調回復。いつかの正月は過労でダウンしていたことがある。それだけは避けたい!

1465106_944704235603881_4481561928443667340_n.jpg

1時間働けば時給がもらえるのが当然!ーと考える若者たち?! [【再掲載】]

11017517_915137548560550_1237813477328080369_n.jpg

【1時間働けば時給がもらえるのが当然!ーと考える若者たち?!】

 友人が大学生の頃。こんなことを言っていた。「普通の会社に就職するのは嫌だ。映画の仕事がしたい。月20万もらえるなら脚本家の仕事をしてもいいんだけどなあ」?????当時、僕はすでに映画界で働いていたので、もの凄い違和感があった。が、脚本家の求人なんてある訳がなく。彼は普通の会社に就職した。

 友人だけではない。ときどき専門学校に呼ばれ特別講義をする。そこでこんな質問を受けた。「映画監督業は食えますか?」「月いくらの収入がありますか?」そんな質問が出ること自体に腹が立ち正直に答えた。「監督業はブラック企業を超える。アルバイトをすれば時給900円とかもらえるが、監督業は時給50円。いや、日給50円。月収50円ということもある。それが監督業だよ」

 そういうと生徒たちは「映画監督なんてなるものんじゃないなあ」という顔をする。だが、それが現実。年収ゼロ円という監督もいる。奥さんに食わせてもらっていたり。アルバイトで生活している先輩もいる。監督業は厳しいという話ではない。そもそも、大学生の友人や専門学校の生徒の発想が間違っていると言う話をしたい。

10463977_670675889673385_4292551909066999603_n.jpg

 彼らの発想はバイトが基本になっている。1時間働けば900円。たいていのバイトはそんな感じ。1日10時間労働で9000円。1ヶ月に20日間働けば18万。「それならどーにか生活できるかなあ?」という考え方だ。しかし、それはバイトや会社員の世界での価値観。映画の仕事は監督でも、脚本家でも、カメラマンでも、技術がいる。質問をした生徒たちは、まだ何も技術を持っていない。にも関わらず1時間働けばいくら? 1日働けば***円という計算ばかりしている。

 何の技術もない彼らが撮影現場に来ても、何の役にも経たない訳で、1時間いくらどころか、1円たりとも払われることはない。いや、現場に呼ばれることすらない。そのことに気付かず。「監督をやれば、いくら? 脚本家なら**万円?」と時給計算をしている学生たちは、基本的におかしい。

 バイトというのは、ちょっと教えてもらえれば出来る仕事。特別な技術は必要ない。だから、1時間900円とかいう賃金をもらえる。だが、映画の仕事は誰にもでできるものではない。技術があった上にセンスも必要。それを持った人にギャラを払って働いてもらう。その違いを学生たちは理解せず。1時間働けば***円とバイトの感覚で考えるので、ズレてしまうのだ。

10854234_831551313585841_7641068733862908456_o.jpg

 ベテランのスクリプターさん。彼女は若い頃からスクリプターの仕事をしたかったという。が、経験がない。そこで友人に頼み込み、ノーギャラで、それも見習いで撮影に参加した。1年仕事をしたがノーギャラ。何の技術も経験もない人に賃金は払われない。逆に本来なら彼女は現場でいろいろと学ぶのだから、授業料を払わなければならない。ノーギャラでもメリットは大きい。

 頼み込んで低予算テレビ番組の撮影に参加してもらい、1年間勉強しながら現場をこなした。が、彼女の本当の目的は映画のスクリプターだった。テレビと映画のシステムは違う。そこでまた1年間、見習いで映画撮影に参加。仕事を学んだ。今は一人前のスクリプターとして、それなりのギャラをもらっているが、映画の世界では、技術も経験もない者には1円たりともギャラは払われない。

 そもそも経験のない人は撮影の邪魔になったり。足を引っ張ったりすることが多いので、撮影には参加させてもらえないことが多い。1年間も現場で働いたということは、彼女がかなり優秀で頑張り屋だったということ。今の映画界に新人を育てようという思いはないし、低予算化の波で、役に立たない者はすぐに解雇というのが現状である。

11218196_831037416970564_9130552528830847691_o.jpg

 さて、思い返してほしい。そんな世界で「月20万円もらえるなら脚本家になってもいい」という大学生。何の技術もない生徒が「監督業は月いくらもらえますか?」と質問。学生にありがちなバイト感覚でしかないことが分かる。だが、これは映画の世界ばかりではない。一般の会社も昔のように、新入社員は業績を上げなくても、数年は月給もらって勉強というところは少なくなっている。何らかの技術やスペシャリティのない者は採用しない会社が多い。

 「月給は30万はもらわないとね!」とかバイト感覚で言っていると、社会からはじき出されてしまうだろう。時間の切り売りをして、賃金をもらえるのは、アルバイトだけなのだ。その発想で「仕事」を考えてはダメ。「仕事」を得るためには、それなりの「技術」や「経験」が不可欠。映画界だけでなく、一般の社会もそうなって来た。

 大学の4年間。或は専門学校の2年間。バイトして、コンパして、旅行して、さあ、就職だ!といううときに、技術も経験もないと大変なことになるだろう。

988484_790299601044346_6503946223654138788_n.jpg

 最後に少し前に専門学校に行ったとき、出た質問を紹介する。

 「太田監督の撮影現場はボランティアでお手伝いしている人がいると聞きましたが、僕らも参加できますか? それから1日いくらもらえますか?」

 僕は答えた。

 「通常は撮影現場に一般の人は入れない。技術も経験もない人が参加すると、トラブルを起こしたり、隠れて俳優の写真を撮ったり、大変なことになることが多い。だから、よほど信頼できる人で、映画愛のある人。この映画を応援したい!という人だけを厳選。撮影の過程を経験、一緒にがんばることを楽しんでくれる人たちのみ。お願いする。その意味で君はダメ。ボランティア・スタッフでいくらもらえる?なんて質問する段階でアウトだ」

 その生徒はあとで「よく分かりました。ノーギャラでもいいので、手伝わせてください」といってくるかと思ったが「何だ、タダかよ!」という顔で帰って行った。バイトというシステムが若者たちに勘違いさせ、時代を逆行していることを改めて感じた。学校教育で与えられたことだけをやっていたら、社会に出て大変な事になる時代。なのに気付かぬ若い人が多い。悲しい話である...。

12109170_913776462029992_937465280890784355_n.jpg

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。