感想「失った過去は過去のものとして。過去の自分を未来に飛び込む力に」 [【再掲載】]

【素敵な感想を見つけたので一部を引用させて頂く!本当に嬉しい感想だ】
『向日葵の丘』を観て来た。
全ての配役が任である、と言うかその人がその役であることが自然だ、という映画。
それが、子役を含めた俳優だけでなく、市民俳優に至っているのは凄いと思う。
『大人はわかってくれない』という映画がある。観てないから内容は知らないけれど。この台詞を、一度ぐらいは、誰だって心の中で言った覚えがあると思う。
そう、大人は分かってくれないのだ。
こと、自分の親はそうだ。それは自分の子を思うが故なのだろうけれど。
でも、その思いが、完璧に思い上がりで自身を守るためだというときもある。
「おとうさんは、いつだって私の邪魔ばかりしていたじゃない!」
父は泣きながら「悪かった」と土下座で謝る。
娘はその姿を見ない。怒りはあれど、過去は絶対に取り戻せない。そして、その怒りを向けるには父は無様すぎた。
時間はいつでもただ過ぎていく。そして、あるものは失われあるものは損なわれていく。大抵のものはいつまでもそこにあるというわけには行かない。
舞台となっている時代は今と、そして遡ること30年程の1983年。
バブルに浮かれる真っ只中。これからは全てが上手くいく!そう感じている人が多かった時代。そして、それから10年程度でバブルは弾け、沢山の人たちが一緒に弾けてしまった。
「日本は経済的に豊かになる。問題はその先に何があるかだ。それが分かったら教えてくれ」
そう言った映画館の支配人も逝ってしまった。
1983年から2010年代になっても、経済的に豊かになったその先を見つけられずに僕らはここにいる。
ただ、不景気で暗く、陰気だったのか。将来に何ら希望を見出せず、少子高齢化、自殺、孤独死が増えていくだけになってしまったのか。
たしかにそうだ。あまり明るい展望を見出すことは難しい。
しかし、だからといって全ての希望を捨てる必要はないんじゃないだろうか。
過去の自分が残してくれた自分。
それを切り捨てる必要はないし、もとより出来ない相談だ。
過去に残してきた自分と親友と、そして周りの皆。
それをもう一度繋ぐ。編集途中で途切れたフィルムの最後を繋ぐように。
(続きは以下のアドレスから)
http://yaplog.jp/moonfish/archive/3800

2015-12-02 19:25
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