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【「向日葵の丘」のストーリーはこうして作られた!第3話 幸せを探す旅】 [インサイド・ストーリー]

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具体的な物語を考え始めた。1983年の思い出。そして2011年のLAでの辛い経験。明るい時代と辛い結末。その2つが果たして、ひとつの物語として融合するのか?

そして、物語というのはただ物語ではいけない。作家が「こんな感じかな〜」とシナリオを書いてはいけない。物語を書くというのは自分に対する自問自答であり、テーマの追求でないと、観客の心に迫る物語にはならない。単に「ここで観客を泣かそう」「だったら、ここで悲しい話を入れるか?」という発想で書いてはいけない。

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今回の物語は「1983年を見つめることで大切なものを探す」ことがテーマ。だから、明るい輝かしい83年の青春物語と、希望の見えない現代を同時に描く。その対比の中で、大切なものが見えてくるはず。「1983年っていい時代だったなあ〜懐かしいなあ〜」というノスタルジー映画ではない。

映画が公開された今、あちこちで、いろんな感想を聞く。ある映画評論家の方が「映画愛」の物語と評してくれた。それはそれでいいが、それがテーマではない。映画で「映画は素晴らしい」と訴えても、どうだかな?と思えるからだ。テーマは別のところにあるのだが、それに気付く評論家さんはあまりいない。

そしてテーマというのは先に決まったものがあり、それを物語を通じて描くという手法もあるが、今回は、というか、僕の場合は、その答えを探すために物語を書く。物語を書いている内に、その答えが見えてくるのだ。だから、自分で物語を書いていながら「この先、どーなるんだろう?」という感覚に襲われる。

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書いていて気付いて来たこと。そもそも、僕の映画のテーマは「子供たちに伝える大切なこと」だ。毎回、そのテーマで違う題材に挑む。しかし、前作の「朝日のあたる家」で前に進んだ感じがした。「大切」なことを伝えるということはどういうことか? それは子供たちに「幸せ」になってほしいということだ。

では、その幸せとは何なのか? それをはっきりさせねばならないと思えて来た。金持ちになることか? 一流会社に入るということ? 有名大学に合格すること? いい成績を取ること? 多くの親たちはそんな価値観を掲げている。でも、そうだろうか? それこそ1983年であればそれでよかった。けど、今はそれだけで幸せになれない。いや、その手前で多くの子供たちが脱落して行く。

そう思いながら、物語を考えた。「幸せって何だろう?」「どこにあるんだろう?」だが、当時、僕は前作「朝日のあたる家」の全国公開で各地を飛び待っていて、パソコンの前に座る時間がなかなか取れず。苦戦していた。

本来、シナリオを書くときは電話もネットも止めて、缶詰になって、集中して書く。電車やバスの中で書くことはできない。月日がどんどん経って行く。物語は考え続ける内に、夏は終わり、秋が来て、冬が来る。年が明ければ「向日葵の丘」の製作発表そこまでにシナリオを完成させたい。

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だが、とうとう、1月の製作発表には間に合わなかった。それどころか、その場で上映された僕の監督作「青い青い空」が大好評。上映終了後に拍手喝采。スポンサーの方に言われた。「監督。ハードル上がっちゃったね? 新作、これを超えないと、前の方がよかったと言われるなあ」その通りだ。「青」は本当に評判がいい。観客は3回も4回も涙を流す。

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それを超える新作が果たしてできるのか? シナリオもまだ1pも書けていない。なのに、撮影開始はいろんな事情で春にはスタートせねばならない。あと3ヶ月。果たしてシナリオは? そして、ただ、書き上げるだけではなく、「青」を超える作品にすることはできるのか? それが2014年1月のことだった.....(つづく)

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