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映画「向日葵の丘 1983年・夏」撮影現場ルポ その17 [撮影ルポ]

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~撮影も中盤を過ぎ、スタッフ・キャストともすっかり一体に~
BY 永田よしのり(映画文筆家)

 学校での撮影が終了した後、撮影スタッフは家山地区に移動。
 そこで作り酒屋の蔵をお借りして、多香子たちが8ミリ映画を撮影しているシーン(用務員さん(飯島大介)が8ミリ映画中の芝居をしている場面となる)や、用務員さんの一人での場面、ダンスなどが撮影された。

 なにぶんスペースに限りがある蔵の中なので、僕は撮影の邪魔にならないように、蔵の外から中の様子をのぞくようにしていた。蔵の中に入らないスタッフたちも外から中の様子をのぞいている。
 夜も更けてくると、かなり気温も下がって寒くなってきているため、昼間と同じ薄着ではけっこう冷える。。 

 蔵での撮影が終わると、今度は和室を借りて、みどりが8ミリ映画撮影のための準備をしているシーンなども単独で撮影されていた。こうした細かい場面も、1本の映画で編集によってしっかりと繋がっていくのだ。

 4月26日は、結局撮影が終了したのは夜中0時近く。
 撮影1週間を過ぎて、初めてきれいな夜空の中にたくさんの星を見た夜だった。
 撮影初日から雨が降り、天候はずっとガスがかかったように曇った毎日が続いていた。
 前日などは突然の雷雨で、急激に気温も下がり、ヒョウまで降ったのだ(そのためにお茶の新芽はずいぶん落ちてしまったのだと現地の人たちから聞いた)。

 そんな連日の寒さが続く夜の撮影は、撮影休憩場所にある熱いお茶がとてもありがたい。
 撮影スタッフが用意しているお茶がなくなれば、現地の応援団の人々がすぐに熱いお茶を用意してくれる。

 本当にありがたいこと。
 そんな人たちにも支えられて映画の撮影は続いていくのだ。
 この日の撮影を終えて、宿舎に戻ったのは夜中1時半も過ぎた頃。
 それでも監督やスタッフは、その時間から翌日の準備に余念がない。
 僕はこの日の撮影が終わってから、夜中2時過ぎに、他の原稿書きと取材の予定があるために一時帰宅。

 一人で車を運転して自宅に戻ることに。
 ちなみに自宅に着いたのは、朝の6時過ぎだった。
 次に撮影現場に戻るのは5月になってからの予定。
 それまでに他の仕事をちゃんと片付けていかなければならない。

 2本の取材を都内で行い、急ぎの原稿を何本か書き(毎年この時期はゴールデン・ウィーク進行というものが媒体ではあり、締め切りなどは前倒しになる。そのために平常よりも忙しくなるのだ/そのため、ゴールデ・ウィークが明けるとしばらく暇になるのだ)、再び撮影現場の島田に自分の車を運転して戻ったのは、5月1日の夜10時過ぎ。

 宿舎は当然、煌々と明かりが点いており、たくさんのスタッフらが食堂で作業をしていた。
 僕の顔を見ると監督は「おかえりなさい」と笑顔で迎えてくれた。ほんの数日だけ、撮影現場から離れただけなのに、この宿舎が懐かしく思えた。

 翌日は朝6時半に宿舎を出発する予定ということで、僕が現場にいなかった間のことを少しだけ聞く。
 4月30日には撮休(撮影がお休みとなる日)があり、その日は中打ち(全部が終了した時には打上げという慰労会があるわけだが、今回は長い撮影の合間にレクリエーション的にバーベキューをしたりして、これまでの撮影の労をねぎらう会を催したのだそうだ)で、スタッフと出演者陣はその距離が、それまで以上にぐっと近づけたのだそうだ。

 一体どんな盛り上がりをしたのだろうか。その場所に他の仕事のためにいられなかったことを悔やむが、仕方がない。
 翌日からは、いよいよ、大人の多香子(常盤貴子)たちの撮影現場の様子を見ることになる。

(つづく)



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