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向日葵の丘ー監督日記 第3章 「マイアミ午前五時」で涙が溢れる。 [思い出物語]

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休憩を挟んで第2部が始まる。ステージに立つまねだ聖子さん。僕らの世代なら、一目見て分かる衣裳。そしてヘアスタイル。そう!「ハートのイヤリング」のスタイルだ。♫タカタカターラ、タタタ。イントロが流れるだけで血が逆流する。これは先に書いたように、学生映画活動を終わりにして、アメリカ留学を準備していた頃にヒットした曲。京都に住む知人に相談のため、何度も通った日々を思い出す。

歌詞に「さよならと、今言ったわ..」というところがある。これは恋人同士の歌なのだが、そこが長年、一緒にがんばって来た仲間たちに、いずれ言わなければならない言葉であり、そのパートを聴くたびに、こみ上げるものがある。てなことを考えていると、まねださんのMCが始まる。

「これからは24分間のマニアック・メドレーを御送りします。今回は自主興行なので、私の好きにやらせてもらいますぅ!」

なんじゃそれーーーはーーー。そんな嬉しい企画があったのかあーーー。そう。第1部のシングル・メドレーも超感動だったが「マニアック・メドレー」はさらに嬉しい。というのお、松田聖子の歌はシングル以上にアルバムに素晴らしい曲があるからだ。

当時の歌謡曲。特にアイドル系はシングルは良くても、アルバムの曲は今イチが多く。LPを借りてまで聴きたいと言う思いはなかった。が、聖子さんのアルバムは何曲も名曲があり。テレビでは歌われないが、カセットテープでは何度も繰り返して聴いたものだ。そんな一般の人が知らない歌の数々。それが「マニアックメドレー」なのだ。イエーー!来てよかった!

まず「Private School」だ!すごーー。この歌をライブで聴けるなんて! アルバム「Canary」に入った歌。映画「向日葵の丘」の舞台となる1983年の12月に発売されたLP。今までのような10代の女の子の気持ちを歌ったばかりではなく、大人の女性の歌が入った、これまでとは違うアルバム。マイフェイバリットのひとつ。シングル以外でも名曲が数々。

もう、順不同で行くが「スコール」。これはデビューアルバム「SQUALL」の1曲。1980年8月に発売。これを聴くと、また、横浜の映画学校に入学した当時を思い出す。しかし、観客も凄い。ほとんど全員がマニアックメドレーを一緒に歌っている! 1部の途中で、まねださんが「40代の人!」と訊いたらほとんどが手を上げた。そう、皆、松田聖子全盛に青春を送った人たちなのだ。彼らに比べると、僕なんてまだまだ。

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なんて、思っていたら、聞き覚えのあるイントロ。♫「タントン、タントン、タントン」あーーーなんだっけ? コンマ1秒の間で脳内で検索が進む。♫「ラナウェイ〜・サマーぁ」あーーーーーーーー!「マイアミ 午前五時ぃ〜」僕が一番好きな歌だ〜。それも1983年のアルバム。「ユートピア」の1曲!

スタジオでまねださんが「歌う」と約束してくれた曲。ちゃんと覚えていてくれて歌ってくれたのだ!超感動!! そして、時間が止まった。そう、この歌を毎日、聴いていたのは1983年の夏。「向日葵の丘」の舞台となる時代。僕は後輩の高校生たちと「バイバイ・ミルキーウェイ」という8ミリ映画を撮影していた。のちに僕が映画監督デビュー作となった「ストロベリーフィールズ」のベースとなった作品である。

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大学生のスタッフ。高校生のキャスト。皆、真夏の太陽の下。夏休みを利用して撮影を続けた。ノーギャラ。ノー交通費。ノー食費の過酷な撮影。でも、学生映画にありがちな、途中で空中分解なんてことにはならず完成。東京、大阪、静岡で上映会をした。その後、ロサンゼルスのUSCの英語コースで勉強したとき、大学で上映してもらい。韓国人の同級生の紹介で韓国でも上映会をすることができた。

その映画「バイバイ・ミルキーウェイ」のチラシ。実は「向日葵の丘」に何度も登場する。いろんなシーンで後ろに貼られている。そして、そのとき、高校生だったキャストの1人が、なんとボランティア・スタッフとして撮影に参加してくれた。物語と同じように1983年と現代が交差。あれから30年。そんな嬉しい事件もあった。しかし、「マイアミ 午前五時」を一緒に聴いた友人たち。多くは夢破れ、消えて行った....。

そして留学時代にマイアミを旅行したとき。本当にマイアミ・ビーチでこの歌を聴いた。青く広がる太平洋を見つめ、歌詞と同じように、靴を脱いで逆さにすると、砂が溢れた。その頃、感じていたこと。映画はアメリカの大学で学んでも、あまり意味がないということ。憧れのルーカス監督の母校に奇跡的に合格はしたが、横浜時代に行き詰まったように、このまま大学にいても意味がないと思えた頃だった。

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「天使のウインク」を聴きながら日本を経ったときから6年が過ぎていた。1990年。マイアミビーチで、1983年の「マイアミ午前五時」を聴きながら、またひとつの時代が終わるのを感じたこと。リアルに思い出し、涙が溢れそうになる。ふと、気づくとマイアミ・ビーチではなく、新宿のライブハウスにいることに気づく。まねだ聖子さんの歌は続く。

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電子ピアノのイントロ。♫「タンタタタタ、タン、タンタン」あ〜♫「古い、小さなラヂオ...」あーーーー!1982年5月に発売された5thアルバム「パイナップル」に収録された、、、「ひまわりの丘」だ....

(つづく)



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