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俳優残酷物語ー何時間もかけて撮影したのに使われるのは5秒?! [【再掲載】]

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映画の撮影は時間がかかる。

夜明けと共にスタートして、深夜まで撮影は続く。1つの場面を1日かけて撮影することもある。だが、それだけかけて撮影しても、その日の撮影で使われるのは2−3分なのだ。
カメラ位置を決めて、照明を決めて、光の具合や風の方向。太陽の位置。様々なことを考慮して、演技を固め、リハーサルを何度もして、本番! だから時間がかかるのも当然だが、撮影された芝居はさらに編集でカットされる。

例えば俳優が長い台詞をいう場面でも、

「ん〜ちょっともたないなあ」となれば、短くカットする。或は、上映時間の制約。さらには台詞は素晴らしくても、全体のリズムの問題で、カットすることもある。なので、長い長い台詞のシーンでも、完成したものを見るとたった一言になっている場合もある。俳優は

「あーー俺の芝居が下手なのでカットされたんだ〜」

 ショックを受けるが、そうでない理由でカットすることが多い。或は台詞がある役なのに、映画館で見ると全くしゃべってないこともある。或は台詞が極端に少なくなっていることもある。これも「下手だから?」と思われがちだが、逆の場合もある。

その俳優の存在感がもの凄くあり、台詞で説明しなくても、そこにいるだけで、全てが伝わる。だから、台詞が必要なくなるということもある。俳優は台詞を大事にするので、ショックを受けるが、カットしたからと芝居がダメとは限らないのだ。

ただ、やはり、がんばってくれた俳優のシーンを切るのは辛い。

どんな理由でも俳優はショックを受ける。が、そこでカットしないと映画自体のクオリティが下がり、観客がうんざりしてしまう。感動してくれなくなる。この場合。やはり観客を優先しなければ、誰のための映画だ?ということになる。

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同じ意味で市民俳優の方の台詞も、

バッサリ切らねばならないことがある。オーディションのときは、プロ顔負けの芝居を見せてくれたが、撮影となると緊張して、力を発揮できない方もときどきいる。その場合。申し訳ないが、全面カット。或は台詞を減らすこともある。

だが、芝居がまずいのではなく、時間の関係。テンポの関係でカットすることもある。カットされたり、短くされれば皆「芝居がまずかったんだ〜」とショックを受けるが、そればかりではない。でも、お一人お一人に説明もできず。心苦しい。時にはクレームの手紙も来る。

「カットするくらいなら、最初から使うところだけ撮影しろよ!」

でも、映画はいかに無駄となる部分にも力を入れて撮るか?が大事。実はそれは無駄ではなく、最終的に使われた映像を支える大切なことなのだ。

「カットされたから撮影に行ったのは無駄だった」

と思う方もいるが、そうではない。参加した全ての人の思いが映像を支えている。映る映らないに関わらず、多くの人の「思い」が集まらなければ素晴らしい作品はできない。

その意味で無駄ということはない。参加者の「思い」が映画のクオリティを決める。その映画が素晴らしければ、参加者の思いが素晴らしかったということなのだ。


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