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【「目薬を使ってはいけない」と意味不明のコメントが来た。その背景を探る?】 [My Opinion]

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【「目薬を使ってはいけない」と意味不明のコメントが来た。その背景を探る?】

以前、こんなコメントが書き込まれた。「目薬を使ってはいけない」ただ、それだけ。その理由は書かれていない。昨年、目の手術をしたあとに、化膿止めとして渡された目薬のことを記事にしたときのことだ。こんなのもある。「そんな食品を食べない方がいい。あなたの健康を損ないますよ」似たようなパターンは多い。

これらをコメントした人たちの気持ちを推察すると、「目薬はいけない」=>危険だ=>医学的にも言われることだ=>そのことを知らない=>教えてあげないと=>「そうだ。それが親切というものだ」そんなふうな思いからコメントしたのだろう。

しかし、この人は大いなる思い込みがあり、手順、そして状況を理解していない。例えば、この人が医薬関係に精通していて、それは友人間ではよく知られている場合は、よく知る友達が目薬を多用しているのを見て「目薬を使ってはいけない」と言えば、その友達も「彼がいうのなら、そうかもしれない....」と思い、止めるかもしれない。

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ところが、Facebookにそんなことをコメントすると、どうなるのか? その人が医薬品に詳しいか?どうか? 僕は知らない。もしかして、その人の「基本データ」を読めば、「薬剤師」「医薬メーカーに勤務」と書かれているかもしれない。だとしても、それをいちいち読まない。そんな人からいきなり「目薬を使ってはいけない」と言われても????と思うだけだ。

Facebook友達ではあるが、コメントをくれたのは初めて。何よりコメント文章が不親切だ。もし、その人が僕の映画のファンで「監督の健康が心配だ」と思っていたとして、さらに医薬メーカーに勤務して、目薬の弊害に詳しくて「監督のためにも進言しよう」と思ったとする。だが、それでは伝わらない。その背景を飛ばして「目薬を使ってはいけない」とだけコメントして来ても、単なるヘンなヤツとしか思えないからだ。

何より「使ってはいけない」という命令形でコメントしてくることに違和感を持つ。さらに言えば、僕の記事を読んでいないことは明白。通常の目薬は確かに問題があり、効果がないことがよく指摘される。僕自身も眼科で医師から「市販の目薬を使うくらいなら水で目を洗う方がいい」と言われたこともある。

だが、記事を読めば手術直後であり、化膿止めの薬であると分かる。季節は夏。もし、傷が可能したら大変ことになる。何より通常の目薬とは違う。化膿止めなのだ。もし、それでも「使ってはいけない」というのなら、それなりの理由を提示すべき。なのに「使ってはいけない」とコメントするのは、記事を読まず「目薬さして寝ます」というタイトルだけを見て「あー目薬ってよくないんだよなー知らないのかなーこの人? 教えてあげなきゃ」というレベルでコメントしたと思える。

けど、もし、この人が知識豊富で何らかの理由で化膿止めでも危険と伝えたのであれば、親切心でコメントしようというのであれば、そこからまず説明するべきなのである。でないと「怪しいヤツ」「偉そうなヤツ」という印象しか持たれない。目薬だけではない。2番目の「そんな食品を食べるべきではない」も同じ。

そんなコメントを現実に親しい訳ではないFacebook友達に書き込まれるのは、例えればレストランでとなり合わせた客から「それ食べない方がいいよ」と注意されるのと大差はない。親切とは思われず、むしろ嫌がらせ。頭のおかしなヤツということになってしまう。


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目薬や食品だけではない。放射能についても、原発についてお、安保法案も、集団的自衛権も、TTPも、教育問題も、全て同じ。もし、相手が無知だったり、間違った知識を持っていたとして、自分が詳しくても、よほど親しい友人でなければ、先の人たちのような説明不足のコメントをしても、嫌がられこそすれ、喜ばれることはない。もし、コメントするなら、自分がいかにその分野に詳しいか?を説明。さらに、その人に対してどんな思いを抱いているか? 「応援している」「心配している」だからこそ、あえてコメントしたことを伝えなければ嫌がられるだけだ。

そんなことは当然なのだが、その種の人が多い。それはなぜか? というと、多くの人が「Facebook友達」になると、それは「現実の友達」とイーコールだと勘違いしてしまうから。友達承認をされれば、もう友達になったと思い込むからだ。考えてほしい。現実だって、誰かと知り合っても、そこからスタートで、様々な会話をし、行動を共にし、いろんなことが分かってきてこそ。アドバイスができたり。また、相手の助言を聞くようになる。

つまりFacebook友達の「承認」は友達関係をスタートという意味であり。「友達」になったということではない。にも関わらず、自分のことを相手が何も知らないのに「目薬を使ってはいけない」などとコメントする。本人は親切のつもり。だから、コメントを削除されたり、返事がないと、ムカつく。「親切で言っているのに、何てヤツだ!」と思う。が、問題はコメントした側なのだ。互いのことを知らないのに、コミニュケーションもほとんどないのに、アドバイスをするからだ。

せめて、自分がなぜ、目薬に対してこだわるのか? なぜ、わざわざコメントしたのか? その辺の理由を詳しく書くべき。同様にこんな問い合わせも良く来る。「友達承認」をしたとたんに「映画はどこで観れますか?」とか「何時から上映ですか?」「俳優の***さんってどんなですか?」尋ねて来る人がいる。


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それらも同じ。「承認」したからと、友達になった訳ではない。それを現実の、それも5年10年の付き合いがある友達関係だと勝手に解釈しているので、そんなことが言える。それは仕事で名刺交換したばかりの人に電話して「あなたが建設したビル。いつオープンするんだっけ?」「君が仕事したA社って、どんな感じの会社?」と訊くようなものだ。

それらを聞くには、仕事で何度も行動し、互いのことが分かって来て、ちょっとしたときに、仕事の合間に世間話と聞くなら許されるだろう。けど、名刺交換の翌日に電話やメールで尋ねて来られても「お前は誰じゃ?」「何でそんなこと教えなきゃならん!」となる。なのに、ネット上ではそれが分からなくなり、勘違いする人が多い。

僕は当初、おかしなコメントがあっても、相手の背景を考え、対応を考えた。が、何の役にも立たない助言や無礼な提言に対して、いちいち説明したり、返事をする時間がもったいなく思えて来た。なので「大きなお世話」「読んでて不快」というとき。第三者が読んで誤解するというときは即、削除することにした。

一部の人かとは思うが、たぶん、彼らは現実の中では良識を持ち、行動しているはず。にも関わらず、なぜ、ネットとなると、暴走してしまうのか? 常識や礼儀を忘れて、勘違いなことをしてしまうのだろう? どこかで、人とコミュニケーションしているのではなく、パソコンと会話している気分になっているのかもしれない。機械と対話している感じ? でも、機械を通して人と会話。人に意思伝達をしている。それをどこかで勘違いしてしまうように思える。


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