受験勉強をがんばって、それなりの大学、会社に進んだ友人の寂しい今? [My Opinion]
高校時代の勉強というのは本当に役に立っているのだろうか? 数学、漢文、古典、現国、化学、日常生活で使うことはない。英語も、中学から6年も勉強しているのに、皆、話すことさえできない。あの6年間は何だったのか? あえて意味を求めるならば、それらを勉強することで、大学受験に合格し、よりよい大学に入るため。その1点に集約される思える。
そして、いい大学に入れば、いい会社に就職でき、それなりの給与をもらい、安定した生活が送れる。その意味で、日常生活に役には立たなくても、高校時代の勉強は意味あったとも言える。僕の友人も、そんなパターンで、それなりの会社に就職。サラリーマン生活をしていた。
が、バブル崩壊で会社が倒産。その後、新たな会社を探したが、いい歳なので再就職がむずかしい。そして、彼には何も技術がなかった。英語を話せる訳でもない、コンピュターが得意な訳でもない。特殊な技術も持たない。ただ、与えられた仕事をするだけのサラリーマンだった。
以前と同じような会社に就職口はなく、今は組み立て工場に仕事を見つけ、パートのおばちゃんと一緒に仕事をしている。それなりの会社で、それなりの仕事をしていただけに、不満があるようだ。「何で大学出の俺がこんな作業をせねばならない」でも、真面目な彼は仕事を続けている。
高校時代から僕は「こんな勉強をして何になる?」と思っていた。友人は「俺もそう思うけど、仕方ないだろ?」と答えていた。けど、僕は「無意味だ。意味がない。もっと将来役立つことを勉強すべきではないか? しゃべれる英語をなんで教えてくれない!」別の級友が答えた。「そんなに勉強が嫌だったら、学校を辞めて自分なりに好きな勉強をしろよ!」
僕は訊いた。「なんで、学校で役に立つ勉強をしない? それを指摘しているんだ。お前は毎日の授業が将来、役に立つと思っているのか?」級友は答える。「そんなこと知らねえよ。嫌なら辞めればいいんだ!」そんなふうに多くの級友は、「なぜ、勉強するか?」の意味は考えず。与えられることを疑わずに、毎日勉強していた。
けど、僕は当時からひねくれ者で、高校の3年間は本当に無意味な時間だと感じた。屈辱と絶望の日々。暗黒の時代だった。なぜ、10代の記憶力のいい、頭が柔らかい内に、将来役に立つことを学ぶことができないのか?憤りを感じていた。
勉強する意味が感じられず。映画を観たり、本を読んだり、レコードを聴いたり、漫画を書き、8ミリカメラをまわしたり。好きなことしかしなかった。そして大学進学を拒否した。ま、その後、アメリカの大学では勉強するのだが。友人たちは皆、それなりの有名大学に進学。その後、いろんな企業に就職する。
僕は当時の級友から「負け組」といわれ、帰国してからも就職しないでいると「いつまでフラフラしているの?」「まだ、映画なんかやってるのか?」と言われた。直後、バブルが崩壊。友人の何人かは失業した。
それから20年ほど。僕は今、高校時代に勉強せずにやっていたことが仕事で生きている。小説をたくさん読んだこと、レコードを聴いたこと、8ミリカメラをまわしたからデジカメはまわせる、漫画も書いていたからコンテも描ける。映画を作る上で必要なことを実は当時全部やっていた。今も決して、裕福な生活はしていないが、好きな仕事を続けている。自慢話ではない。僕自身、こうなるとは思ってなかったのだ。
会社が倒産した友人はいう。「俺の方がずっと成績がよかったのに、何だか皮肉な展開だよな?」本当にそうだ。そんな友人も実は夢があった。本当は作家になりたかったのだ。でも、「世の中、甘くない。作家は食えないし、安定していない」と勉強を続け、それなりの大学に合格した。そして、就職。倒産。今の彼がある。「こうなるのが分かっていたら、作家を諦めずに、がんばればよかった....」
僕の映画は「親子に伝える大切なこと」がテーマ。ときどき、親たちから質問をされる。「今、子供たちのために親は何をするべきと思いますか?」そんなときは、こう答える。「子供が一番、興味があり、好きなことをやらせてあげるべきです。
それが安定した仕事になるか?給料がどこのくらいか?は関係なく。本当に好きなことをやらせてください。それは必ず、将来、子供たちの力になります」僕は自身の経験からそう伝える。
2015-05-24 21:08
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