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考える力を育てない日本の教育。その中でどうすれば考える力が育つのか? [【再掲載】]

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ソフトバンクの孫社長の言葉を借りて、前回、記事を書いた。「日本の企業は金輪際、アジアの企業には勝てない! なぜなら、日本の教育は暗記が7割。考える3割。これからは考えるを7割にしないと日本は駄目だ」という話。その通りだと思う。思い出す話がある。

今年も10月になると中学高校では、衣替えが行われる。僕も高校時代。10月1日から黒い学生服を着て登校した。が、10月でも暑い日があり、黒い学生服がうっとうしことがあったが、校則で決まっているので着なければならない。逆に9月でも寒い日があっても、白いYシャツで登校せねばならない。

イライラしながら、暑い日に学生服を着て登校したものだが、クラスメートに話すと、「校則で決まってるんだから、しゃーないやろ?」と言われた。「そんなこと考えてもしゃーないし!」とも言われた。皆、文句言っても校則は変わらないし、考えても仕方ないという感じだった。

今、振り返ると、それも「日本教育」の一環ではなかったか? 上が決めて規則にすれば、それが理不尽でも、無意味でも、機能しなくても守る。与えられた方は疑問を持たず従う。規則だから。決まりだから。不満を持たずに逆らうこともしない。管理する方も便利。暑い日が続くから「15日まで夏服で行くか?」とか考える必要はない。どんな状態であれ、10月1日なれば、学生服を着て来いといえばいい。

僕はヘンに真面目だったので、そんな矛盾や理不尽が許せず。教師に噛み付き、よく怒られていた。そんなことの繰り返し。授業にも意味が感じられず、尾崎豊の歌の一歩手前だった。高校時代は刑務所に通っているように思え、何度も辞めようと考えた。(残念ながら、ガラス窓を割ったりはしてない)が、卒業後。同級生に訊くと「別に、普通の学校だったけど。特に嫌なこともなかったし〜」と言われ愕然とした。僕にとって怒りと屈辱の3年が、普通というのか?

でも、ある意味で友人は適応力があり。僕はなかったのかもしれない。友人は我慢する力があり。僕は我慢が足りなかったのかもしれない。しかし、そんな環境で6年も過ごしてくれば、それも若い頃なら、理不尽なことでも、矛盾したことでも、それが普通のこととして体に染み付いてしまえば、苦痛ではなくなる。何だか、今、考えると、それすらも教育の一環ではないか?と思える。上が決めたことに疑問を持たない。与えられたことは確実にやる。こうして、優秀なサラリーマン・ロボットを育生するのが日本の教育だったような気がする。

僕はその段階でアウトであり、「落ち零れ」と言われた。矛盾や疑問を感じてはいけない。考えたら駄目。それが日本の教育。だから僕は会社員になれなかった。ただ、孫さんの言う通り。暗記7割、「考える」を「3割」という教育を受けて来た人たち。大人になってから、「考えろ!」と言われても難しい。与えられたことをするだけ。疑ったり、問題点を探ったりせずに来ている。昔はそれでよかったのだが、不況で会社が厳しくなると、切り捨てられる。追いやられる。結局、使い捨てだ。サラリーマン・ロボットでは今の時代を超えて行けないからだ。

そんな教育で育ってしまった大人はもう間に合わないけど、子供たちには「考える」ことの大切さ伝えたい。でも、学校では未だに「考える」教育はしていない。だから、僕は映画でそれを伝える。上から言われたことを確実にこなすだけでなく、自分自身で問題点や疑問点を探し、解決法を「考える」力。この厳しい時代を生き残るための、大切な武器になるはずだ。


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