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有名になりたいと思ったことはなかったが、無名監督は無力なことを痛感! [My Opinion]

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「朝日のあたる家」が各地でヒットしたことで、僕も映画監督としてかなり名が知れてきて、あちこちから声をかけられるようになった。が、地方の映画祭などに行くとまだまだ無名監督の域。地元の映画ファンも僕の存在も、僕の作品も知らず。先日の映画祭でもそうだが、困ることがある。

そのときのお客さんも僕の映画について質問してくれるのだが、話が噛み合なかった。「朝日のあたる家」は僕が(プロデュサーとなり)製作費を集めた。と話すと、「自主映画ですか?」と言われる。自主映画というのは学生、あるいは社会人が自腹を切って、友人を集めて撮る映画のことをいう。最近ではインディーズともいうが、多くは趣味のレベルだ。

その話を聞いた友人監督は「失礼な奴だな。それはプロ野球の選手に草野球をしているんですか?というようなものだよ」と怒っていた。が、一般の映画ファンは「監督」=映画を演出する人。「プロデュサー」=お金を集める人と思いがち。監督が自分でお金を集めるというのは、お金を集めるプロデュサーがいない=>自主映画と思い込むのだろう。

しかし、その考え方は変で、監督がお金を集めて作っても商業映画なのだ。「地獄の黙示録」の監督フランシス・コッポラだって自身で製作費を集める。監督のスタンリー・キューブリックも「2001年 宇宙の旅」以降はほとんどが、自身がPとして製作費を集め、監督している。日本にはそのタイプの監督はほとんどいないが、彼らのエピソードは有名なので映画ファンなら知っているだろう。

なのに「自分で製作費を集めた」というと「コッポラみたいですね?」という人はおらず。「自主映画ですか?」と言われる。自主映画というのは主に学生が作る映画。趣味である。そもそも、その映画祭は商業映画を集めたもの。自主映画の映画祭ではないので、分かりそうなものだ。

或は、その映画ファンが手に持っていた映画祭のチラシを読んでくれれば、有名俳優が何人も出ていることが紹介されており、自主映画ではないこと分かるはずだが....分かってもらえない。

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だが、その映画ファンはその場でチラシを読み「朝日のあたる家」が社会派の問題作であることは理解。こう言う。「今の時代に必要な映画ですね!こんな映画こそ、シネコンで上映するべきです」ーーーなので、「それ、日本各地のシネコンで上映されただけど.......」そう答えると彼は黙ってしまった。

つまり、彼は「この映画はマイナー。自主映画? 当然、シネコンでは上映されない。でも、いい映画そうだ。この無名の監督を励ましてあげよう」と思い、「全国のシネコンで上映すべきです!」と言ったのだ。実際は全国27館ですでに上映。各地でヒットした。それこそ、草野球ではなく、スタジアムで試合をさせて上げたいという意味。でも、こちらもプロでやっているんだけど.....。

間違いだらけの発言に少々うんざり。だが、自分の作品が自主映画でないことを力説するのも空しいし、監督がプロデュサーを兼ねただけで、「自主映画ですか?」と結びつけてしまう人に、自主映画の定義をレクチャーするのもなあ。「失礼じゃないか!」と怒るのも大人げないので、どうしようか?と考えていたら、その映画ファンがそれを察して、去って行った。

以前も「朝日」の映画館上映が終わったので、自主上映を募集します。と、Facebookに記事を書いたらこんなコメントが来た。

「映画館で上映できなかったので、自主上映するのですね。その悔しい気持ちはよく分かります。その悔しさを忘れず、がんばってください」

ーーそうではないと、その人のFacebookに書き込みをしたが、返事なし。そんなことがたまにある。が、その人たちを責めるべきではない。要は、僕自身がまだまだ無名なので「太田監督は不遇だ」と思われて「誰も製作費を出してくれず、自腹で映画を作る貧しい映画青年(というほど若くないが)映画館では当然上映してもらえない」と決めつけたのだ。

もし、誰もが知る大ヒット作を作っていたら、そんなことにはならない。そして人は先入観でものごとを見る。肩書きや名前。有名かどうか? 何を撮った人か? それだけで判断。その結果、彼らは哀れみ、同情。励まそうとしたのだ。ま、大きな映画祭ではこんなことを言う失礼な客はいないが、地方に行くと映画ファンでもよほどの監督でないと、認知されていない。

ただ、もともと僕は「有名になりたい!」という気持ちはない。チヤホヤされたり、褒められたりしたいと思わない。映画がヒットしてくれれば、それでいい。映画が評価されればいいと思っていた。が、僕が無名であることで、映画が「自主映画」と思われたり、シネコンで上映されない映画だと決めつけられたりするのなら、このままではいけないと思える。

僕が注目されることで、映画が多くの人に届くのであれば、客寄せパンダでも、広告塔にでもなってやる。映画祭も、テレビも、ラジオも出る。行けるところは、どこにでも行く。それによって映画を知り、見てもらえて、感動が届けばいいのだ。最近はそう考えている。


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