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向日葵の丘ー監督日記 何だかんだで、毎回、海外で上映される? [思い出物語]

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僕の初監督作「ストロベリーフィールズ」はカンヌ映画祭のフィルムマーケットで上映。二作目の「青い青い空」はロサンゼルスのジャパン・フィルム・フェスティバル。そして「朝日のあたる家」に至っては、ロサンゼルス、アリゾナ、シンガポール、ドイツで上映。さらにバンクーバとニュージーランドで上映が計画されている。

いずれの国でも好評。日本での上映時と同じシーンで、観客は笑い、泣き、拍手が起こった。海外でも通用する映画作りが目標だったので、本当に嬉しい瞬間だった。というのも、アメリカで通用する日本映画というのは数少ないのだ。言葉の問題や製作費の問題ではない。

テレビドラマを思い出してもらうと分かりやすいが、「水戸黄門」あれば海外では理解されない。なぜなら、あのドラマは「黄門さまは偉い人。知ってるよね?」という視点で作られている。それを知らないで見ると、クライマックスで印籠を見せ、皆がひれ伏すシーンの意味が分からない。同じように織田信長、知っているよね?という暗黙の了解で、作られる時代劇が多い。坂本龍馬知っているよね? その辺を描かずに物語を進める。

「日本人同士だから分かるよね?」という発想なのだ。日本史を知らない外国人が見ると????となる。テレビドラマだけでなく、日本では映画もそんな発想で作られることが多い。その点、アメリカ映画は国内に多様な人種、宗教、国籍の人たちを抱えているので、誰でも分かるように物語を作る。だから、世界中の人たちも見れる。

日本の黒澤明監督。彼の映画も実は、どの国の人が見ても分かるように作れている。「日本人なら分かるよね?」という発想で時代劇も作っていない。だから、アメリカでも理解され、高く評価される。が、これは映画だけの話ではなく、日本人はどうしても、日本の習慣やルールに縛られることが多く、「言わなくても分かるよね?」というところがある。全てを論理的に、相手が分かりやすく説明するというのが苦手な国民だと思える。だから、外交が下手なのだが、映画も同じ。


アメリカで評価されている監督は皆、それを理解。ちゃんと外国人にも分かる形で映画を作っている。伊丹十三監督も、周防正行監督もそうだ。留学中に学んだ大切なこと。だから、僕がシナリオを書くときは、必ず外国の人が見ても分かる形で物語を作る。「日本人なら分かるよね〜」という発想では絶対に駄目。以前よくプロデュサーが「そんなこと、いちいち描かなくても、みんな知ってるよ〜カットカット!」なんて言っていたが、その発想が海外に発信できなくなる最大の理由だ。

今回の「向日葵の丘」も、これまでの3作と同じように、アメリカ人が見ても、ヨーロッパの人が見ても、アジアの人が見ても感動できるように作ってある。とはいえ、やはり、実際に上映されるまでは心配。英語字幕の確認作業をしながら、来るべき海外上映のときのことを想像している。


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